宗谷【砕氷航空機母船】④

SOYA【Patrol boat(Ice breaker)】



【第二~四次南極観測編】



【これは命令だ 観測を放棄せよ】


無事に第一次南極観測隊を送り届けて帰還した【宗谷】は、国民からまさにヒーローのような熱烈な祝福を受けました。

かつては、黒く、長く、大きく、威風堂々とした軍艦が国民を奮い立たせていましたが、今はオレンジと白の鮮やかな衣装をまとった冒険譚の紡ぎ手が日本に希望をもたらしていました。


一方、永田隊長と山本航海長からの報告を受けた文部省の南極本部は、【宗谷】のさらなる改造について議論を深めていました。

新しい船を建造するにしても、あと半年では絶対に間に合いません。

少なくとも越冬隊を迎えに行くために、【宗谷】はあと1回は必ず南極に向かう必要がありました。

そして結局代替艦の準備・新造の案も骨子が出来上がらず、【宗谷】は引き続き南極観測船としての任務を全うすることが決まったのです。


次なる改造もまた、短期間ながら大規模なものとなりました。

第一次観測前の改造で取り外したビルジキールを適した箇所に再装備、砕氷能力を1.2mへ向上、マストを前後ともに門型へ、スクリューの換装、音響測深儀の装備など。

また全通平甲板化工事も成され、結構無茶苦茶な改造をしています。

そしてこれは改造ではありませんが、以前は随伴船として【大鷹丸】が【宗谷】と苦楽をともにしましたが、今回はついに単独航海となりました。


そして昭和32年/1957年10月21日、昨年の経験から出発を1ヶ月前倒しして【宗谷】は再び南極の地を目指しました。

一つの過ちが死に直結する恐怖の大陸へ

一つの発見が無常の喜びに直結する宝の大陸へ



南極は荒れていました。

昨年のそれはただの小手調べであると言わんばかりの猛威をふるい、世界各国の観測船が極寒の暴風に翻弄され、次々とビセットの報告があがります。

観測機も飛ばせず、レーダーの情報を頼りに前進を続ける【宗谷】でしたが、ついに【宗谷】も12月31日に氷の砦に囲まれてしまいました。

南極大陸まで、越冬隊の待つ昭和基地まで残り200km。


1月、めでたい月を【宗谷】はひたすらアイスパックと時間をともにしました。

抜け出せる隙がなく、1ヶ月間【宗谷】は閉じ込められ続けていました。

海上保安庁はすでに救援要請をしていましたが、前述の通り各国とも自国の観測船の航海も満足にできていないので、なかなか救援はやってきません。

そんな中、2月1日についに勝機が見えました。

砦の綻びを見つけた【宗谷】は、一気にそこを突いてなんとか脱出することができました。


しかし大きな代償を2つ背負ってしまいます。

1つはスクリューの損傷。

そしてもう1つは物資の想定以上の消費です。

もはや一刻の猶予もありませんでした。


6日にはひとまず外洋へと抜け出し、翌2月7日、アメリカの砕氷艦【バートン・アイランド号】が救援に駆けつけました。

そして2隻は協力して、再び南極大陸接岸を目指します。


ところが南極は何人たりとも立ち入らせんとし、8日に【バートン・アイランド号】から飛び立ったヘリコプターが早速不時着せざるを得なくなるほどのものでした。

ヘリ乗員は無事に救助されましたが、この状況での接岸はもはや危険、越冬隊とともに共倒れになってしまう恐怖が船内を覆います。


そして決断。

接岸中止。


この度新たに搭載した水上機「昭和号」を、天候が回復次第昭和基地まで飛ばし、越冬隊を連れて帰ってくることになりました。

そして同時に3人の第二次観測隊も送り、新しい観測の準備も行うことになります。


2月11日、暴れまわっていた風の小休止を見逃さず、「昭和号」は一気にその名を冠する昭和基地へと突き進みます。

1時間後、到着を今か今かと待ちわびていた越冬隊の前に「昭和号」が姿を表しました。

最も恐れていた事態、越冬隊未帰還という可能性を潰すことができ、皆大いに安堵したことでしょう。

すぐさまピストン輸送が成され、6往復で越冬隊11名、樺太犬シロ子と子犬8匹や猫1匹、カナリア2羽を無事【宗谷】まで送り届けました。

船内では永田隊長と西堀副隊長が熱く熱く抱き合いました。


12日には第二次観測隊3名が昭和基地に降り立ちます。

現地に残っていた樺太犬たちと、彼らは新たな発見を求めて再び1年間の長い観測を行います。


13日、悪魔の笑い声のような暴風が再び【宗谷】と【バートン・アイランド号】に襲いかかりました。

まだ物資の輸送が残っていた「昭和号」の飛行はできなくなり、すでに到着している第二次観測隊の越冬に早くも暗雲が立ち込めます。

なにせここに至るまで1ヶ月半もの遅れを生じているのです。

接岸もできず、物資も満足に輸送できない。

南極には日本で言う秋は存在しません、夏と、夏以外です。

そしてその夏は終わろうとしています。


14日、いよいよ本格的な南極の恐ろしさを前にして、瞬間的な天候の回復を得た【宗谷】は、この機を逃さずに輸送を

いや、収容を行うために「昭和号」を昭和基地へと飛ばしました。

第二次観測の放棄が決定したのです。

現地の観測隊はこれを固辞しましたが、【バートン・アイランド号】は人命第一の姿勢を全く崩しません。

「次の飛行がこの夏最後の飛行になる、この飛行で君たちを助けなければ、君たちは死ぬ、それは許されない」と。


最後の飛行。

これは、全員の救助ができないことを物語っていました。

越冬隊3人と、樺太犬15頭、全員の。


樺太犬はここの3人よりも南極を知る者たちです。

11人の越冬隊が帰国する中、彼らは今年もこの南極で、3人の越冬隊とともに切磋琢磨して新しい南極を見つける旅に出るのです。

その彼らを、見捨てろと?


やがて「昭和号」が昭和基地へと近づきました。

「昭和号」には3人の越冬隊が乗り込みました。

15頭の戦友は、鎖で繋がれていました。



共食いをしないように。

矜持を失わず、死んでゆくように。



15日、【バートン・アイランド号】が氷に捕まってしまい、【宗谷】がこれをロープで引っ張ろうとしますが、ロープが切れてしまいます。

【バートン・アイランド号】は止む無く爆破で氷を破壊して脱出。

17日、外洋へ脱出。

18日、19日と再び「昭和号」を飛ばすタイミングを伺うも、南極の見えない扉にはすでに大きな鍵が掛けられて、とても侵入できる余地はありませんでした。

どころか目障りだと言わんばかりに探照灯や電話アンテナをもぎ取られ、ついに南極本部も今年の観測の中止を決定。


【宗谷】は観測を終えた成功した喜びと、15頭の犠牲によって守られた命の重さの、二重の空気に覆われながら、ケープタウンを経由して日本に戻りました。



【死を無駄にするな 時代は繰り返す 海から空へ】


華々しく南極観測の初陣を飾った【宗谷】。

その【宗谷】が次にもたらしたのは、素晴らしい研究材料と、15頭の樺太犬の見殺し。

無事に帰還した労いの言葉の中に、1本1本鋭い棘が突き刺さっていました。

特に一般人にとっては、科学的知識を要する研究要素よりも、最も身近な生き物である犬の死のほうが遥かに大切で、見過ごせず、思いの丈を訴えずに入られませんでした。


世界最古の大陸であることの証明と、南極隕石の発見、オーロラの謎に風穴を開けた。

これが第一次観測隊の1年間の努力の結果です。

やはり南極観測は成し遂げなければならない。

これは日本だけでなく世界が認めた成果でした。


【宗谷】はまたしても改造が行われます。

接岸ベースの設計・プランでは、また今回のような事が起こりかねません。

接岸→雪上車での輸送ではなく、空輸メインへと方針転換をした【宗谷】は、今度は「砕氷航空機母船」というごちゃごちゃな名称の、しかし全く新しい砕氷船へと進化、いや、変身します。

なにせ海上保安庁の島居辰次郎長官が「8割ほど原型が変わった」と漏らすほどで、それはもう改造とは言わないだろうという規模のものでした。


大型ヘリ用の甲板の増設、航空司令室の増設、小型ヘリ格納庫撤去、ヘリ用クレーンの増設、気象観測設備の刷新、化学分析室の新設。

逆にどこが残されているのか、恐らくマストと外装ぐらいではないでしょうか。

ヘリには偵察用の「ベル47G」2機、輸送用の「シコルスキーS58」2機、測地用「DHC-2ビーバー」が1機搭載されました。

役割がほとんど空母と同じになり、実際乗員も「ヘリ空母」「ミニ空母」と呼んでいたようです。


リベンジの時です。

昭和33年/1958年11月12日、【宗谷】出港。

去年阻まれた南極に再び立ち向かいます。


1月14日、去年とは裏腹に穏やかな天候となった南極付近で、【宗谷】は昭和基地から163km付近の大きな氷盤を輸送拠点とし、簡易ヘリポートを造成しました。

午後1時30分、早速「シコルスキーS58」1機がヘリポートを出発、1年間無人だった昭和基地に再び火が入るように物資を届けました。


出発後、「シコルスキーS58」から妙な通信が入ります。

「基地付近に走り回る犬が2頭いる」

まさか?


ヘリ搭乗員では個体識別ができなかったので、第一次観測隊で犬ぞり隊だった北村泰一氏が急遽第五便で昭和基地へと降り立つことになります。

ヘリから降りてきた人間に対して警戒していた2頭ですが、やがてうち一頭の前足が白い事に気づいた北村氏は、「ジロ」と彼の名を呼びました。

すると「ジロ」は「ワン」と鳴いて尻尾を振ったのです。

もう一方も「タロ」と呼ぶと嬉しそうに反応し、この2頭が悪しき歴史となった第二次観測の生き残りであることがわかりました。

この時の彼らの心境はどのようなものだったのでしょうか。


残り13頭のうち7頭は首輪に繋がれたまま天国へ、残り6頭の消息はわかりませんでした。

しかしタロとジロは決して共食いはせず、ましてや遺体を食べることもせず、物資輸送中に2頭でペンギンに襲いかかったことから、恐らくペンギンやアザラシの糞でこの1年間を耐え抜いたのだろうと推測されました。

野生動物はすごい。


ちなみにこの時の報道によって、無事に生還できたこととは別として、南極の生態系に悪影響を及ぼすという理由で引き続き非難が収まらず、南極への外来生物持ち込みは後ほど禁止されます。


輸送は順調どころか出来過ぎの成果を上げ、2月3日までの輸送で便数のべ58便、輸送量は57tと計画の2倍以上の数字でした。


この中には悪天候の中でも果敢に操縦桿を操って昭和基地まで到達したパイロットの技術力も多分に含まれており、この成果によって世界も南極観測船の構造・計画の改善に取り組みました。


同時に観測もすこぶる捗り、第三次観測隊の【宗谷】の旅は大成功を収めます。

タロとジロはこの時一緒に帰るかと思いきや、なんと引き続き南極で越冬隊と観測を続けています。

ジロは残念ながら次の第四次越冬中に亡くなってしまいましたが、タロは第四次越冬隊とともに帰国後、14歳まで北海道大学植物園で生き抜きました。

現在の犬の平均寿命が10~13年と言われている中で、50年前に、生涯のうち4年を南極で過ごした犬が14歳まで生きるという、大往生すぎる一生でした。


【宗谷】帰国後、早速第四次観測の計画が立てられます。

第二次、第三次と搭載された「昭和号」は、輸送と同時並行の観測が難しいことから第四次では降ろされることになり、観測は輸送を終えてから各種じっくり行うこととなりました。

また船長や設備もより航空関連に強い明田末一郎船長と設備へ変更がなされ、いよいよ本格的に空母化していきます。

航空司令室も増設され、また光達距離40kmの航空標識灯(灯台のような役割)も設置されました。


第四次観測では、第一次観測の際に助けてくれたソ連の【オビ号】と共同輸送・観測を行うことが決定します。

昭和基地は【オビ号】の航空機連絡中継地点として使用することが決まり、お互い昭和35年/1960年1月1日に合流することとなりました。


2日、昭和基地から約70kmと、第三次観測の時よりもかなり距離を縮めて輸送がスタートします。

今回の観測もまた天候に恵まれ、3日には両観測隊によるバレーボール大会も実施されました。

(ちなみに東洋の魔女が世界中で注目されるのはこの翌年です。)

当初は5日までの共同作業でしたが、お互いの親交や順調に進む輸送を鑑みて日程は7日まで延長され、輸送総量は最終的に77tに達しました。


しかし共同作業が終わっても【宗谷】の旅は終わりません。

16日~18日に第二期輸送を実施し、この時に第三次越冬隊を収容しています。

その後も輸送と観測を交互に行い、空輸・雪上車輸送含めて輸送量はなんと154tに達しました。

隊員数は第三次も第四次も変わらず36名ですから、単純に3倍近い物資を背景に第四次観測隊は越冬ができることになったのです。


そして今回は帰り道に少しサプライズが。

雪なんて目にしたことのない沖縄に、雪ではありませんが極寒の地で戦い続ける【宗谷】が寄港したのです。

これは沖縄から東京に戻る前にぜひ沖縄に立ち寄ってほしいという要請があったためでした。

当時はまだ沖縄はアメリカ統治下にあり、日本本土の喜びをともに分かち合うのがなかなか難しい環境でした。

16日に那覇にオレンジ色の船が近づいてくると県民は大きな声を上げて歓迎。

17日には船内が一般公開され、たった3日間の滞在でしたが、沖縄は世界とともに働いている日本で一番の船を見ることができた喜びで包まれていました。



最も過酷な南極と向かい合ってきた【宗谷】。

誰からも愛された、海上保安庁の看板である【宗谷】でしたが、竣工から25年、度重なる大改造を経た【宗谷】は少しずつ衰えが見え始めました。

【南極観測船 宗谷】の任務のゴールまで、あと2年です。

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