第四章――リアル・ヒーロー――

 目覚めは唐突だった。スイッチを入れたみたいに一瞬で意識が覚醒する。

 起き上がってまず両手を確認して次に足を触る。胸を貫かれたことを思い出して掌で撫でてみた。すっかり元通り。

「よしっ!」

 頬を叩いて気合注入。いつまでも寝ていたら手遅れになってしまう。

 部屋は真っ暗だったが感覚が鋭敏になっていてよく視えていた。椅子にかけてあった上着を羽織って階段を下りていく。事務所にまだ明かりが灯っていた。

 入ると才悟がいつも通り革張りの椅子に座って微笑んでいる。愛の姿はない。

「おはよう。よく寝ていたね、善之助くん。無事でなにより」

「耶依さんは?」

 薄明かりを掻き分けて才悟の前に立つ。これから大事な話をするのだ。顔が見たい。

 わざとらしく手を組んだまま肩を竦める。どんな時でも演技を欠かさないのが才悟流だ。

「疲れていたからね、家に帰したよ。人体怪盗の居場所が分かり次第伝えてくれってね。ああそうそう、伝言があった。君は下僕に相応しくないからクビ、だそうだよ」

 一人で戦うつもりなのだ。自分を二度と傷つけないために。彼女の優しさに自然と表情が緩む。尚更、放っておけない。

「才悟さん。僕は多分――人体怪盗を知っています」

 時間が惜しくて正直に切り出したが才悟は片眉をあげただけだった。

 あの黒銀のフィギュアは間違いなくモデラー“ツクル”の作品だ。彼が作り出す造形の特徴を色濃く出している。何より傍にいたあの男、“人体怪盗”の顔を知っている。

 “ツクル”は若くしてモデラーの才能を開花させた。

 既存の物に手を加えたものから一から作り出しものまで作品は多岐に渡る。何度もフィギュアやプラモデルの展示会に参加し、モデラーの大会で華々しい戦績を残した。本人が嫌ってほとんど写真が載ることもなく個人情報もせいぜい年齢が知られているくらい。

 たった一度。彼が最後に姿を見せた大会でトロフィーを手にする写真が載った。

 参加者がスタホで隠し撮りしたものだったが、謎のモデラーの正体にネットは湧いた。

 生粋のファンである善之助も何度か見た写真でつまらなさそうな顔をしていたのが、彼。

「正体を教えるので探し出して僕に教えてください」

「僕、にねえ。なぜ?」

「才悟さんは言いましたよね。僕は、耶依さんの力を借りなければヒーローになれない馬鹿なガキだって」

「その通りだと思っているよ」

「僕も気づきました。僕は、僕自身の力でヒーローになります」

 正部善之助は純粋で正直で真っ直ぐな馬鹿だった。目を見返せばすぐ分かる。

 才悟は彼が言い出す内容が手に取るように分かったが、本人から聞かなくては面白くない。分からないといった風に首を傾げてみせた。

「僕は耶依さんを救います。最初に助けるのは、彼女じゃなくちゃいけない」

「彼女の代わりに単身乗り込もうってことかい。二人とも似ていないのにそっくりだ。一人じゃ無力なのに、一人でやろうとする。青臭いなー」

「才悟さんも間違うんですね」

 善之助はおかしくなってつい笑ってしまった。才悟が目を丸くしている。

 確かに自分ひとりで耶依を救う。そうでなければヒーローになれない。

 でも戦うのは二人一緒だ。そうでなければヒーローになれない。

「耶依さんに知ってもらいたいんです。あなたは一人じゃない。僕が隣にいる。あなたが悪に堕ちようとするなら、僕が手を掴む。そのために僕は一人で行きたい」

「……協力を拒んだら?」

 少年の眩い正義に屈するのが癪で才悟は意地悪く唇を釣り上げた。

 どの道彼と彼女にやってもらわなければならない。敗北は評価を下げてしまう。

 まさか痛い部分を善之助に指摘されるとは彼も想像できなかった。

「僕たちが助けられなかった被害者は、田中渚さん、ですよね」

 その情報も懐に入っていた。テレビで報道されてすぐの犯行。人体怪盗に問いたださなければ真相は分からずとも、インタビュー映像で彼女を知った可能性が高い。

 強引な売り込みの結果被害者を増やしたと噂が立てば世間の風当たりが強くなる。

「偶然かもしれないだろう」

「そうじゃないかもしれない。どっちでもいいんです。僕は、彼女も助けたい。人体怪盗からパーツを奪い返せば廿楽事務所の地位は安泰。違いますか?」

「ふふ、ふふふふ……あっはははははっ! 正義の味方らしくない台詞じゃないか」

 才悟が腹を抱えて笑い転げるのを善之助は静かに見届けた。

 ギブアンドテイク。悪を誅し、正義を成せるなら、その程度の見返りは渡せる。

 善之助は自分の正義を信じて貫く。必要な事が悪じゃないならわだかまりは捨てだ。

 協力が得られなくてもフリーに頼めば助けてくれるという確信もあった。彼女との付き合いが長い才悟も白猫が少年を好いていると分かっている。元々、手を組むしかない。

「愛くん、“ツクル”というモデラーの情報を洗え。居場所が分かるだろう」

 あえて才悟は口に出して愛と交信した。彼女は既に独自に動いてもらっている。

 準備は万全。耶依には通信がいかないようにフリーが細工している。善之助の取りうる行動など掌の上だ。才悟が演技の一環で握手を求める。

「ヒーローの活躍に期待するよ」

「任せてください。二人で本当のヒーローになってみせますよ」

「たいした自信だ。耶依くんにはいつ教えればいい?」

「ヒーローは遅れて駆けつけるものです」

 彼の演技を真似て善之助はウィンクを飛ばしてみせた。

 うまくいかずに両方の瞼を閉じてしまう。才悟が堪らずに吹き出した。

 善之助は恥ずかしくなって駆け足で事務所を出た。決戦に備えて体を温めようと深夜の町をランニングする。変身の負担は力となって骨身に染みたらしい。

 人体怪盗“ツクル”を阻止して、耶依の心を開く。

 今こそヒーローになるんだ。善之助は彼女の心の声を思い出して正義を滾らせる。


☆ ☆ ☆


 【彼】――“人体怪盗”と呼ばれ恐れられる憑喪、畔倉造(あぜくらつくる)は作業台に仰向けに寝かせた最高傑作の【フルメタル】を見下ろした。

 敵意を切り裂き退ける刃の鎧は無惨に打ち砕かれ、そこかしこがへこんでいる。

 最も酷いのが左腕だ。関節が捻れ潰されて可動させられない。取り替える必要があった。

 何にも動じない凛とした兜状の頭部も肘打ちを受けて歪んでいる。沈痛な面持ちで頬を撫でた。彼の“造形美”から遠く離れた破壊の惨状。【フルメタル】は死んだも同然だ。

 生物でなくとも命がある。創造主の彼が存在を認めることこそが命。

 【フルメタル】は造をガレージに運びこみ、自分で作業台に上がって、死んだ。

 造が彼の存在を受け入れられなくなったからだ。完璧主義ゆえに生かしておけない。

 右手に握ったニッパーを燐光が包む。感情を切り捨てて左腕を切断した。

 超硬合金と呼ばれる素材を使っているために普通の工具で解体することは難しい。

 創造するのも、分解するのも、この能力があればこそ。

 自分の才能が姿を変えた能力を造は存分に発揮することができた。

 手早く左腕を複数の部品に分解し使い直せる物にカッターを入れ、新たな形を創造する。

 頭部の傷跡はあえて残すことに決断した。屈辱を受けた証を刻んでおく。

 倉庫から運んできた余りの超硬合金を全て使い尽くして【フルメタル】を再生させる。

 そして。自分の“造形美”において存在を許せないあの醜悪な造形を破壊する。

 復讐という燃える感情は彼の中に含まれてない。至極当然の帰結として得た答えだ。

 作業に没頭していていくら時間が経過したか分からない。疲労感に集中力が途切れた。

 【フルメタル】の再生はまだ未完成だが曖昧な意識で作業をしては仕損じる。

 工具一式を置いて息を吐く。肩が重く、腰が凝ってぎこちない。

 ガラスケースを眺めながら軽く腕を回し、屈伸を繰り返し、心身を解していく。

 製作途中、完成間近のフィギュアに嵌めこんだ綺麗な瞳を見て満足する。

 災難はあったが奪い取った二つの瞳はあるべき場所であるべき姿に輝いていた。いつもなら間を置くのだが、あのことがあって彼は完成を急いだ。

 残るは頭髪に胸。“彼女”に与えてあげれば命を得ることができる。

 標的も決まっていた。兄の脚を返せと喚いていたあの女。

 思い返してみて腹だしさが蘇った。苛立ちまぎれに出来損ないの部品を投げつける。

 壁に嵌め込まれたモニターは逃げ出せず鉄の塊をぶつけられて割れてしまった。

 派手な音に肩が竦んだが気持ちが晴れた。もうあのモニターは不要だと次々物をぶつけて割っていき、造は奇声をあげる。一枚割れるごとに鬱屈した気持ちが減っていく。

 気が済むまで破壊すると造は能面を被ったように無表情を取り戻した。

 散らばった破片を箒で集めて溶接バーナーを使って溶かし一塊に合わせていく。

 冷静になった頭が警告した。敵を屠る武器を作れ。

 造は細々とした武器製作に熱を入れる。迎撃する兵士に持たせるべく。

 孤独に隠居じみた生活を送っている彼は、周辺に気を配る意識を忘れていた。

 モニターを破壊せずに敷地内を見回りさせていれば【フルメタル】の完成を優先しただろう。

 山間にある彼の倉庫を囲む無数の目が夜の闇に不気味に浮かび、点々と増え続けた。

 九十九市内中の野良猫たちが集まってきたのは――。


☆ ☆ ☆


「廃車場?」

「ええそうよ。ずいぶん昔からあるようだけど何年も閉鎖されている。畔倉造は捨てられた倉庫を改造して住んでいるらしい。もうフリーたちが見つけてくれたわ」

 善之助は愛が運転するスポーツカーの車中で説明を受けていた。

 寝静まった町を突っ切り曲がりくねった山道を深紅の車体が駆け抜けていく。

 目指すは敵の本拠地。いかにも悪が好みそうな場所に、否応なく戦意が昂った。

 巧みなハンドル捌きでスポーツカーを我が物にしながら愛の説明が続く。

「畔倉造、17歳。あなたも知っての通り幼い頃から突出したセンスと器用さを兼ね備え、モデラーとして名を馳せた。大手企業から仕事のオファーを貰ってフリーで働く。家族構成は父と母。今は別居中で彼は親に愛想を尽かして出て行ったそうよ」

「どうやって調べたんですか?」

「企業秘密。所長が許してくれたらいつか教えてあげる」

 急なカーブを減速もせずに切り抜けるものだから善之助は青い顔でシートベルトを握り締めた。体が外側に引っ張られる。愛は楽しんでいるように見えた。

 悪と戦う前に事故死するのは本望ではないが彼女に任せるしかなかった。

「この山道は人通りが凄く少ないのよ。都市開発に合わせて下にトンネルが通ったからね。隠れ家にするには絶好の場所。廃車もそのまま放置しているらしいから玩具作りの部品も豊富なのでしょう。……本当に一人で行くの? 敵は一体だけと限らないわ」

 横目の視線を頬に浴びながら善之助は真っ直ぐ前を見つめて頷いた。

 才悟は約束通り耶依への連絡を遅らせてくれている。どのタイミングで伝えるのかは彼次第だが、彼女がやってくる前に決着をつけられるのが最善だ。

 何体といようと何人いようと同じだ。自分の手で耶依の復讐を終わらせる。

「殺されるかもって思わない?」

 愛はお節介な自分に苦笑した。いつもなら仕事は仕事と割り切れている。心配させるのが彼の魅力なのか。それとも才悟が彼に関心を抱いているからなのか、分からない。

 無鉄砲な正義少年は相変わらず爽やかな笑顔を浮かべていた。この期に及んでも。

「思いません。僕も才悟さんに資料を見せてもらったんです。“人体怪盗”は確かに悪だ。人々の体を玩具のように分解して盗んでいく。けど、誰ひとり、殺していない」

「あのねぇ。相手はまともじゃない。自分も殺されないなんて――」

「大丈夫ですよ。僕に任せてください。正義は死にません」

 言い切る彼に何を言っても無駄なのは分かっていた。実際に死にそうになっていたくせに、と意地悪したくなったが愛は微笑んで、そう、とだけ返す。

 それきり二人は目的地に着くまで黙っていた。戦いに備えて意識を高めるために。

 車は道の途中にある待避所で停まった。手入れがされてなく雑草が生い茂っている。

「ここから先はフリーが案内する。私は戻ってやることがあるから」

「ありがとうございました」

 善之助は助手席から降りて運転席に回った。愛がサイドガラスを降ろす。

「せいぜい頑張りなさい、正義の味方さん」

「はい。行ってきます」

 差し出された手を握り返す。理由はどうであれ事務所の皆が応援してくれていた。

 ヒーローは守るべき人たちの応援で力を増す。負けられない気持ちが熱を帯びて全身を血のように巡っている。不意に気配を感じて振り返った。

 木々の合間から飛び降りた白猫が音もなく足元に寄ってきて体を擦りつける。

『行きましょう。相手はまだ気づいていないみたい』

「うん。フリーのおかげで見つかったんだよね。ありがとう」

『どういたしまして。でも私たちは追いかけたけど途中で見失ったのよ。あなたが才悟に与えた情報から、この辺りの廃車場が怪しいって検討がついた。あなたのお手柄』

「みんなの手柄さ。僕ひとりじゃ、こんなところまで来るのも大変だもん」

『そうね。私たち廿楽事務所の力よ。だから、負けちゃ駄目』

「ああ、任せて!」

 脳内に語りかける声に善之助は自分の声で返した。そうしたほうがフリーは喜ぶ。

 割れたり剥がれたりしているコンクリートの道を歩いていく。山を回る道から外れて中に降りて行く道だ。元々は廃車を運ぶために往来があったのだろうがその名残もない。

 視界が広がると眼下に錆びついた半円の屋根が見えた。奥に車が山積みになっている。

『あの中にいる。周りは私たちが見張っているから何かあったら連絡するわ』

「フリーのお友達にもお礼をしなくっちゃ」

『それなら安心して。才悟が飛び切り美味しい餌を用意してくれる約束なのよ』

 才悟の根回しの良さに善之助は驚いた。口でなんと言おうと彼の目には多くのことが映っているのだろう。きっと自分の行動も見抜かれていたに違いない。

 本心はどうであれ協力してくれるなら彼もまた仲間だ。いや、司令官と言うべきか。

 なだらかな坂を下っていくと正面の門についた。開け放たれたまま時が止まっている。

 放置されて久しいのか赤錆だらけで風が撫でる度に蝶番が悲鳴をあげた。

『どうするの?』

 フリーとしてはどこから侵入するのかという相談だったが善之助は躊躇うことなく声をあげながら敷地内に入っていった。

「お邪魔します。畔倉造さん、いらっしゃいませんかぁ~!」

『ちょっと、あなた!?』

「フリーは隠れていて。僕は戦う前に話しておきたいんだ。じゃあね!」

 軽快な足取りで倉庫の扉に向かって走っていく彼をフリーは見届けるほかなかった。


 かまぼこ型の倉庫は天井が高く、横幅も広い。正面の扉は車や機材の搬入を考慮して巨大で両開きになっている。無用心なことに隙間が開いていた。

 頑丈な鎖や鍵がかけられているわけではないが人力で抉じ開けるには大きすぎる。

 善之助は扉を見上げながら隙間に指を突っ込み踏ん張りを利かせた。長年手入れをされてない鉄扉が軋りながら徐々に開いていく。赤錆が降ってきても気にせず渾身の力で抉じ開けた。滑りが悪いせいで途中で動かなくなったが人が忍び込むには十分。

 掌を叩いて錆を落としながら体を横にして滑り込む。

 自分が発揮した怪力に善之助は戸惑っていなかった。体の異変には気づいている。

 フリーの報告を待つ間ランニングをしていてるときに感づいた。羽毛のように軽く、チーターのようにしなやかで強靭な脚力。試しに跳んでみれば軽がると2メートルを超えるジャンプに酔っ払いが腰を抜かした。

 驚いたものの持ち前の前向きさで彼は神化の影響を受け入れて喜びもした。

 単身で戦うには都合がいい。それに肉体を改造されるのはヒーローの宿命のひとつ。

 倉庫の内部は空っぽだった。床には埃が層になっていて人が歩いた形跡がない。高い位置にある採光用の窓は曇っていて差し込む光を薄めていた。

 左手に二階にあがる鉄骨剥き出しの階段、右手に奥に通じるドアがある。

 善之助は迷わず右手に向かった。ドアの隙間から光が見えている。中は一風変わった通路になっていた。両側の壁をガラスケースが埋め尽くしている。

「うわあ……」

 感嘆の溜息が自然と口をついた。ケースに無数の作品が飾られている。光は思い思いのポーズを取るロボットやヒーロー、ヒロインを照らし出すものだった。自分の部屋に飾ってある物もある。予約が殺到して入手できなかった激レア物も不売品の一品物もあった。

 状況を忘れて善之助は魅入っていた。ケースに指を這わせ目を凝らしながら歩いていく。

 純粋にファンとしてここを訪れることができたならどんなに楽しかっただろうか。憧れのモデラーと熱く語り合えたならどんなに嬉しかっただろうか。これから対峙するのはモデラー“ツクル”ではない。“人体怪盗”だ。嬉々とした気持ちが失せて目を伏せる。

 突き当たりのドアにも鍵はかかっていなかった。遠慮せず堂々と踏み込む。

 左に折れた先に異様な光景が広がっていた。

 部屋の中央を占領しているのがドラマで見かける手術台だ。何かが載せられていてシーツがかかっている。奥の壁は割れたモニターで埋め尽くされていた。台の近くにキャスター付きワゴンが寄り添っていて様々な工具が置かれている。

 善之助が歩くたびに光沢のある床に埃がついた。別世界に息を呑みある物を見つける。

「これはっ……」

 駆け寄ってガラスケースに囚われた“人間”を見上げた。

 見覚えのある瞳が固まった視線を投げかけている。整った鼻梁、主張が強すぎない引き立て役の耳、真一文字に結ばれた作り物の唇。それらを内包する精気の欠けた顔。

 色白な両手足は艶かしく生々しいのに、胴体は生の質感を再現したマネキンだった。全裸だったが胸には二つの穴が空き、股間は生物としての役割を持ち合わせていない。所々が“生きている”精緻な人形だ。被害者の集合体を前に、善之助の拳が震えた。

「誰だお前」

 ガラスに映りこんだ人影と目が合う。人形に心を奪われていて油断していた。

「正部善之助。あなたのファンです、造さん」

 造は善之助の言葉を無視して作業台に近づいて淡々と準備を始めていた。視線を遮る鬱陶しい前髪をかきあげてピンで留め、手術さながらに白い手袋を嵌める。侵入者がいることに動じることもなく、彼はシーツをめくろうと手を伸ばした。

 無視されることに慣れている善之助は彼の視界に強引に入り込む。

 作業台を挟んで向かい合い無視しようのない言葉で惹きつける。

「そして“人体怪盗”を止めに来た、正義の味方でもあります」

 ぴたりと手を宙で止めて造は真顔の少年を見返した。そもそも彼は人体怪盗であることを隠しているわけでもないし、名乗ったつもりもない。世間が勝手に言っているだけだ。

 興味を覚えて旋毛から爪先まで値踏みしたのは、彼が“正義の味方”を謳うせいだ。

 造の造形美から言えば善之助は“無”だった。一般的といえる範疇の顔に記憶する価値はなく、素材に用いる部品もない。だから思い出すのに時間がかかる。

「ああ、思い出した……女は?」

「僕ひとりです」

 それだけで造は善之助への興味を失い、意識から除外した。素材として価値があるのは女のほうで、破壊したいのはあの醜悪な造形。目の前には何もいないも同然だった。

 シーツを無造作に払って蘇生途中のブラックメタルのボディが曝け出される。

 ふいに胸が疼いて善之助は手で抑えた。“これ”に貫かれた痛みを思い出す。

「どうしてあんなことをしたんですか?」

 彼が見ていないと分かっていても善之助はガラスケースを指差した。

 雑音が入っても造の集中力に影響はない。発光する工具を操り左腕の造形を整える。

「あれは造さんの作品らしくない。偽物じゃないですか」

「……なんて言った」

「偽物だと言ったんです」

 最も許せない言葉に造は反応せざるをえなかった。工具を置いて物知り顔で断言する善之助を睨む。たかだかファンに馬鹿にされる筋合いはないと反論する。

「あれは俺の最高傑作になる作品だ。お前に何が分かる」

「分かりますよ。あれはフィギュアでも人間でもない、中途半端な物だって」

 善之助は才悟が語った“憑喪”の在り方と耶依のことを思い出しながら言った。

 完璧な作品を造るだけなら何も人の体を遣う必要も、動く必要もない。彼は超一流のモデラーだ。誰もが認めている。自由自在、意のままにパーツを切り出し組み合わせる能力があれば十分なはずだ。一ファンとして評するなら能力も不必要なほど彼の技量は高い。

 耶依が他人に救いを求めて、誰かに依存する能力を得たように、造にも根源がある。

「あなたは傍にいてくれる人が……家族や友達が欲しかったんでしょう」

 生の人間に近いフィギュア。動き出す作品。その根にある感情を見抜かれて造は黙った。

「僕の部屋にはあなたが作った数々の作品が飾ってあります。彼らは、僕の友達であり、ヒヒーローの先輩なんです」

 善之助自身がそうであった。正義に忠実であればあるほど浮いた存在になりみんな距離を置くようになる。孤高が正義の宿命と言い聞かせても、寂しくなるものだ。孤独な時間を共に過ごし、慰めてくれたのがツクル印のフィギュアたちだった。

「もうやめましょう。あなたならもっと、もっと素晴らしい作品が――」

「正義の味方らしいお節介だな」

 友達が欲しいなら自分がなる。そんな甘い言葉を言いそうで造はうんざりしていた。

 お互いの価値観を分かり合う気も分かち合う気もない。純粋に本能が求める完璧な存在を作り出す。他の感情があろうともなかろうとも関係なかった。

「俺のファンって言ったな」

「ええ。だからこんなことはやめて欲しいんです」

「廊下にある作品を好きなだけ持っていけ。もう二度と来るな」

 話は済んだと手を振って作業に戻る。【フルメタル】が完成したらあの女を探し出して素材を奪い、この男を醜く変身させてから破壊すればいい。黙々と左腕の微調整に入る。

 善之助は深く息を吐いて覚悟を決めた。言葉が通らないなら拳を通す。

 正義はいつも強引だった。そうでもしなければ悪は正せない。

「力ずくでもみんなの体を返してもらいます、造さん」

 背を向けてガラスケースに向かって突進する。右の拳がガラスを粉砕した。

「やめろぉっ!」

 金切り声をあげながら造は再調整を諦めて【フルメタル】を起動する。十字の切れ込みに黄金の灯が点き、手術台を押し潰しながら跳んで善之助の首に手を伸ばした。

 人形を引きずり出そうとしていた善之助は横に転がって鉄の指から逃れる。

 身体能力が引き伸ばされていなければ到底ついていけない。中腰で構えて【フルメタル】にのみ意識を集中させたが、黒金の巨体は置物のように動かなくなった。

「こんなところで暴れるな、外でやれ!」

 神聖な作業室で戦うことが造は我慢できなかった。まして汚らわしい手で“彼女”に触れられたくない。せっかくの部品を台無しにされるのも許せない。

 善之助も本心ではここで戦うつもりはなかった。被害者の体に傷をつけたら取り戻しても顔向けできない。造をその気にさせるための挑発が功を奏したことに安心する。

「僕とあなたの作品で決闘しましょう。僕が勝ったら素直に体を返し、罪を償う」

「……好きにしろ」

 造は早く善之助を追い出したくて要求を丸呑みにして【フルメタル】を引き連れて裏口から出た。あそこで叩きのめそうとして万が一被害が出たら大損でしかない。


 廃車の山の合間で善之助と【フルメタル】が向かい合う。

 無謀な戦いだ。勝てるはずがない。生身と全身超硬合金の命なきフィギュア。目に見えている。でも恐れはない。正義は勝つ。善之助は半身を開いて腰を落とした。

 造は時間の無駄に苛立った。【フルメタル】に生身で勝てる道理がない。

 さっさと終わらせて【フルメタル】を仕上げよう。合図代わりに拾った鉄くずを放り投げた。地面を打ち鳴らした瞬間、甲冑が駆ける。


☆ ☆ ☆


 神化の影響がなければ勝負は文字通り一瞬で決着がついただろう。

 身体能力が強化されてもなお善之助の目に映ったのは【フルメタル】の残影だった。突如として視界を覆った黒金の装甲の圧迫感に息が詰まる。

 反射的に体が動いた。一撃必殺の拳を屈んでやり過ごし、落とした腰を膝のバネで押し上げて短く踏み込み肩から当たった。太極拳の指導教本にあった技の一つ、背折靠(はいせつこう)。

 善之助の小柄な肢体は烈弾となって【フルメタル】を押し返した。

 不用意に攻めず体を開いたまま待ち受ける。まともに殴りあっても勝ち目はない。意識を研ぎ澄ませて【フルメタル】の動きに合わせ、必殺の一撃を狙う。超硬合金から造り出されているといっても骨子は別物のはずだ。狙うは、関節。

 三歩よろめいたところで踏み止まった【フルメタル】が前進してくる。疾い。

 性能が良くても相手は命を持たない人形。動きが直線的だった。それが善之助を活かす。

 紙一重で腹部を狙った拳を身を捩って避け、伸びきった手首を捻り重量級の巨体を外側に“投げる”。柔よく剛を制すの実践だった。

 叩きつけられた【フルメタル】は手首を“裏返して”善之助の手を捕らえた。

「しまっ――」

 力任せにぶん投げられて廃車のボンネットに背中から落ちた。衝撃に四肢が強張る。

 人形の関節の可動域は人と違って製作者次第。【フルメタル】の関節は全て360度回転が利く。本来動きを封じる極め技も通じいことを見せつけられた。

 身悶える善之助に向かって【フルメタル】が跳躍、重力に任せて両足を突き立てる。

 腕を伸ばした反動でボンネットから転がり落ちなければ、無惨なひき肉になっていた。金属の塊に激突されてボンネットを基点に廃車の尻が跳ね、大きな鉄くずがてこの原理で高々と空に放り上げられる。

 立ち上がりつつ右手を前に出して左手を下げた。突っ込んできた【フルメタル】の風圧に揺らぐ体を両足で押し留めて繰り出される拳を捌いていく。

 愚直なストレートを右手の甲で払い、続けざまの左を掌で下に抑える。

 圧だけで善之助は後退させられていた。タイミングを合わせていなし続けるのにも限界がある。流れを利用しても生の手で金属を打ち払えば鈍い痛みが残った。

 【フルメタル】の中段蹴りを脇腹と膝で押さえる。殺しきれなかった勢いが肋骨に届く。苦悶の表情を噛み殺しながら肘を打ち込むが微動もさせられない。

 足を離すと同時に横に転がった。鉄球の如き頭突きをもろに浴びれば待つのは死だ。

「があっ!」

 だが逃げ切れない。追撃の蹴りががら空きになった腹を“斬る”。

 鋭角的なデザインを好む造の最高傑作は、爪先まで刃に似ていた。善之助は何度か地面を跳ねたあと脇腹を押さえながら立った。血の温もりが掌を占領する。綺麗に斬れていた。

 ずいぶん転がされたもので【フルメタル】との距離が開けている。

 余裕を見せつけるように両手を広げながら悠然と歩いてくる甲冑を見据えた。

 一手交えるごとに善之助の神経は磨り減り、体力は奪われ、痛みに骨に皹が入る。

 どれだけ踏ん張っても善之助に決定打がない。いずれ自ずと力尽きてしまう。

 黒金の死神が刻々と近づいてくるのを見届けるしかなかった。不意に静観していた造が声をあげて【フルメタル】の足を止めさせる。

「気が変わった。お前を素材にしてやろう」

 造は善之助の肉体に興味を惹かれてしまった。生身で【フルメタル】と渡り合う身体能力。とても常人のそれではない。よくよく観察してみれば顔は平凡で取り得もないが、肉体はどうだ。丹念に鍛えられていて無駄な肉が一切ない。力を誇示するために過剰な肉達磨にもならず、実に洗練されている。利用する価値は多いにあるだろう。

 小柄なのがもったいないが造の脳内には新たな“フィギュア”の画が浮かんでいた。

 彼を素体として頼れる“弟”を造る。“彼女”と三人で暮らせばきっと楽しい。

 善之助の首を持ち上げて捕らえた【フルメタル】の傍まで行って気づいた。

 普段なら常に腰に巻いている工具入れのベルトがない。途端に不安になって冷や汗が浮かんだ。あれがなければ分解も創造も行えない。

「今すぐ連れて行くぞ。さあ、早く、早くだっ。急げ!」

 【フルメタル】に指を差して言いつけ倉庫に向かう――途中で“猫”に囲まれた。

 ふーふーと荒々しく息を吐く様々な猫が廃車の山の上から、下から、横から、中から身を躍らせて現れた。数え切れないほどの猫の大群の先頭に綺麗な白猫がいる。

「フリー……」

『今助けるわ、善之助。みんな、お願い!』

「にゃあっー!」

「な、なんだお前らっやめろっ」

 フリーが叫ぶと一斉に野良猫が造に飛び掛った。鋭い爪を伸ばし、牙を剥き出しにして。

 足に噛みつかれ肩に乗っかられ頬を引っかかれ絶叫をあげながら手足を振り回して追い払おうとする。野良猫たちは獲物を逃がす気がなく執拗に追い立てた。【フルメタル】にも猫が群がる。片手だけでは機敏に動き回る猫を捕らえきれず【フルメタル】は踊るようにその場で回っていた。善之助は目を回しながら指が緩んだ隙に首を引っこ抜く。

「なにしている! 早く助け、痛い痛いっ、やめろクソっ、あっちいけ!」

 あっという間に傷だらけにされた造の悲鳴を追って【フルメタル】が走った。

 野良猫たちは持ち前の反応の良さで彼から遠ざかり散り散りに逃げていく。

『こっちよ、善之助!』

 解放されて咳き込んでいた善之助の頭に彼女の声が届いた。

 声がしたほうに顔を向けると山の陰から突き出た手が招いている。猫たちが時間を稼いでいる間に足を引き摺りながら陰に近づいた。

 もう一歩のところで伸びてきた手に胸倉を掴まれて引き込まれる。廃車のドアに背中を叩きつけられて少女の重みが乗っかった。

「やよ――」

「あなた馬鹿なの!?」

 耶依の顔が太陽よりも赤く燃え滾っていた。目元は腫れ上がっていて瞳は潤んでいる。

 善之助が口を開こうとすれば体を揺さぶって阻止し怒涛の勢いで気持ちを吐き出す。

「ちゃんと生きていたなら教えなさい! だいたい一人で戦おうってどうかしているでしょっ。あなたはただの人間なのよ!? 死ぬつもり? ねえ、どういうこと! 私は……私は、心配してたんだからっ」

「耶依、さん」

 耶依は才悟から連絡を受けてすぐに愛と合流しここまで全速力で駆けつけた。

 移動の間中、彼にかける言葉を探していた。怒りも悲しみも喜びも、ぐちゃぐちゃに混ざっていて整理がつかない。自分がどうしたいのかも正直分かっていなかった。

 でもたった一人、戦いに挑み、傷ついた彼を見て、すぐに本音が出た。

 これまでずっと偽り続けてきた自分が崩れていく。耶依は善之助の胸に顔を埋めた。

「説明しなさいよ、馬鹿っ」

「ごめんなさい耶依さん」

 震える耶依の細い肩を掴んで優しく体を離す。彼女の瞳を覗き込んだ善之助が笑う。

「僕が耶依さんを救ってみせる。それを証明したかったんです」

「何が救うよ!? ボロボロじゃない」

「はい、駄目でした。だから耶依さん、僕を助けてください」

「……もう、なんなの、あなたは」

 真顔で言う善之助の真意が分からず耶依は涙を拭って睨みつけた。

 善之助は逃げない。真っ正直で純粋で嘘のない言葉で耶依に救いの手を差し伸べる。

「僕には耶依さんが必要です。耶依さんには僕が必要です。助け合いましょう。一緒に、戦いましょう。辛いとき、苦しいとき、僕たちは一人じゃない。二人で立ち向かうんです」

 やはり彼は耶依が待ち続けて、求め続け、追い続けてきた男だった。

 兄に見ていた理想を善之助は持っている。勝瀬耶依という存在を認め、助け、頼ってもくれる。どれだけ理想を裏切っても、正部善之助は裏切らない。彼は命を賭けて自分を助け、悪に進むのを阻んでくれた。耶依が着込んだ氷の鎧が、善之助の熱に溶かされる。

 もう自分を誤魔化すことはできなかった。耶依は、震えながら、彼の手を握る。

「また、あなたを裏切るかもしれないわよ。私、性悪女だから」

「いいえ。耶依さんは心優しい人です。僕には分かります」

 笑顔が眩しくて見ていられなかった。底抜けに明るく、底抜けに正しい。

 重苦しい偽りの自分を脱ぎ捨てて耶依は晴れやかに笑うことができた。少女の本来の愛らしさに善之助の心臓が跳ぶ。握り合っている手が熱くなっていった。

『二人とも、もう限界っ。そっちに向かっている!』

 フリーの叫びにかぶせるようにして一台の廃車が山を越えて落ちてきた。

 ぐずぐずしている時間はない。善之助は耶依の手を離し山の天辺を見上げる。

「僕が変身してあのフィギュアと戦います。その間に耶依さんは造さんをお願いします。倉庫の中に被害者の身体を使ったフィギュアがありました。助けてあげてください」

「私はまだあいつを殺したくてしかたがない。本当よ。……任せてもいいの?」

「はい、信じています」

 屈託がなかった。欠片も疑念を抱いていない。ああも正直に信じられたら裏切れるはずがなかった。ずるいくらいな善之助の純粋さに耶依は応えることにした。

 復讐の気持ちが薄れたわけじゃない。ただ、彼に賭けてみたくなった。正義のやり方に。

 また一台、廃車が降ってくる。ボンネットから地面に突き刺さり潰れてしまった。

 耶依は廃車の山をよじ登っていく善之助の背中を見送りながら呟く。

 あの日以来――兄の脚が奪われ、平穏が奪われた時から抱え込んできた本心を彼に託す。

「善之助、お願い……助けて。ヒーローに、なって」

 馬鹿と正義は高いところが好きだ。善之助は耶依の声を心で受け取って頂上で構える。

 今こそ本当のヒーローに。心優しい少女を救う。そのためだけに。

 眼下で適当に廃車を壊している【フルメタル】と苛立った様子の造がこちらに気づいた。

 見せつけてやろう。フィギュアが持ち得ない、“正義”の魂を。

「耶依さん!」

「行くわよ!」

 胸ポケットから取り出したストップウォッチを構える。また暴走させてしまうのではないか。そんな不安に指が凍りつく。失いたくない。けれど負けない。

 ひたむきに正義を信じ見せつけてくれた彼を、正部善之助を信じる。

「絶対正義!」

 スタート。ここからは正義の時間だ。

「ユウシャイン!」

 二つの正拳(きもち)を重ねて力に換える。光が夜空を白く塗り替えた。


☆ ☆ ☆


「なんっだっあれは! 俺の造形を侮辱しているっ!!」

 光から生まれたのは“ツクル印”の造形の面影を残した贋作だった。

 黒地のスーツの上に闇を跳ね返す白銀の装甲。胸元はY字に開かれていてネクタイを結んでいるようにも見える。全体的に丸みを帯びていて覇気に欠けていた。戦うための装備にしては攻撃性に乏しく、優しさが見えていることに、造は耐え難い屈辱を感じる。

 フルフェイスマスクの半分を占める菱形のバイザーが深紅に明滅していた。

 相対する【フルメタル】の十字のスリットにどこか趣が似通っている。

 全体的なディティールはこれまでに発売したフィギュアと相似していた。善之助がファンだと言っていたことを思い出し、怒りが上乗せされる。

 あんな醜い偽物は見過ごせない。均整の取れてない獣(けだもの)以下だ。

「そいつを壊して持ってこい。俺が造り直すっ」

「無理よ“人体怪盗”。お前は、善之助に勝てない」

 横合いから割り込んできた声を目で探す。あの女が鉄くずの陰から姿を見せた。

 短く切り揃えられた躍動感溢れるライトブラウンの髪に、控えめだが引き締まった筋肉のおかげで形のいい胸。あれも手に入れなければ、この屈辱を払拭できない。

 造は【フルメタル】に念を押して倉庫に向かって駆け出した。ベルトがいる。

「必ず壊せ! 徹底的に潰していい。俺が分解(バラ)して直す、いいなっ」

「待ちなさいっ」

 耶依もまた彼に続いて走り出した。振り返りはしない。彼を信じているから。

 【フルメタル】は主の背に首肯し、怨敵目がけて跳躍する。


 【ユウシャイン】も足場を蹴り崩しながら宙を一直線に切り裂いた。二つの拳が空中で絡み合う。衝撃波に煽られて不安定に積み上げられた廃車が雪崩を起こす。

 火花を散らした一瞬の間に【ユウシャイン】は拳の勢いに任せて左に回転、回し蹴りを放つ。蹴り出された黒金の塊が地面に叩きつけられ土埃に消える。

 重力に従うままに着地――同時に両腕を合わせて盾を作った。

 大地を爆砕しながら猛烈な速度で【フルメタル】が突っ込んでくる。

 単純ゆえの破壊力。全力で踏ん張っても体ごと持っていかれる。芯まで戦慄かせる衝撃に数秒の硬直、追撃の膝蹴りにガードが抉じ開けられた。がら空きの胴を薙ぎ払わんとする蹴りは愚直だ。【ユウシャイン】は揺らぎながらも手形で足首を落とす。

 返す刀で首を突くが一重で逸らされる。伸びきった腕を取られ強引に振り回された。

 先ほどのように易々と投げられはしない。左足を楔にして力の流れを回転に転換。強引に繋ぎとめて右足を叩き込む。これに【フルメタル】が反応する。腕を放しながら左腕で受けつつ蹴りを返す。両者の距離がまた開いた。お互いに土をつけながら転がっていく。

 善之助は改めて理解した。【フルメタル】の性能の脅威を。

 初めから本気で殺すつもりだったら自分は軽く首を手折られていた。そうしなかったのは造が“殺意”を持たなかったからだろう。だが今は違う。

 黒金の甲冑の奥底から主の憎悪が、殺意が迸っていた。恐怖が引きずり出される。

 前回圧倒できたのはそれだけ神化が引き出す能力が凄まじいということだ。

 果たして今の自分で勝てるのか。いや、と善之助は振りかぶる。

 耶依と心を通わせた今の状態こそ最高最強の【ユウシャイン】。彼は先に起き上がった。

 左腕を支えにして受身を取り、這い蹲るような姿勢を取る。そのまま野獣が獲物に跳びかかるが如く低い姿勢で走った。ゆらりと幽鬼を思わせる動きで【フルメタル】が立つ。

 先手必勝。正義の拳が超硬合金の頬を抉る。ぴしりと亀裂が入った感触を得た。

 【ユウシャイン】が攻め続ける。左のフックを脇腹に刺し込み、軽快なコンビネーションで上半身を叩く。隙を与えるな。自分に吼えて振り上げた踵を落とした。

「うぉぉぉぉっ!」

 【フルメタル】が地に堕ちる。顔から突っ伏し【ユウシャイン】は息を吐く――人間なら避けられない呼吸の間を、黒金の人形は逃さなかった。

 まるで気絶したように倒れながら【フルメタル】は両手を突いて上半身を跳ね上げる。

 強烈な膂力によって地面に手形が穿たれた。直下を襲った震動に足元が揺らぐ。

 無理やり立ち上がった【フルメタル】の左手が静止した【ユウシャイン】の喉を掴む。

「があああああっ!?」

 食い込んだ指が青い火花を放った。全身の筋肉が痙攣し力が抜ける。

 【フルメタル】の左の五指にはスタンガンが内臓されていた。標的を黙らせ捕らえるための機能だが、造の調整によって電流が高められている。白銀の装甲の下を駆け巡った雷撃が神経を攻撃し肉体の制御を失わせた。

 だらしなく両腕を垂らした【ユウシャイン】を【フルメタル】がぞんざいに投げ捨てる。

 緩やかな放物線を描く白銀を追う黒金。頂点に達した時、超硬合金の拳が放たれた。

 身動きがとれずにY字の中央を射抜かれる。暴風を渦巻かせて廃車の山に突っ込み埋もれた。絶妙な比重で均整を堪っていた鉄の塊が次々と折り重なって崩れて降ってくる。

 視界が狭く暗い。【ユウシャイン】は寸断された意識を、神経を必死に繋ぎ合わせた。

 指先が鉄を撫でる感触、足を挟む重み、関節を断ち切らんと食い込むサイドドア。かすかに聞こえる死神の足音。まだ動ける、生きている。

 【フルメタル】は己の損傷具合を理解せず、ただ命令を遂行しようとしていた。

 乱打を浴びた胸部装甲は凹凸だらけになり圧力で全体が歪んでしまっている。歩くたびに頬から合金の涙が零れ落ちた。踵落としを受けた右肩の関節がうまく噛み合わない。

 左指からは黒煙が吹き上がっている。急ごしらえの改造にショートしてしまっていた。

 感覚がない人形は足取りも不確かに歩き続ける。主の命を全うするために。

 足を止めたのは物音がしたからだ。廃車の山が軋んでいる。途端に、斜面が爆発した。


 激闘の音色を背後に聞きながら耶依は寸でのところで造を取り逃がした。

 彼はぜえぜえ喘ぎながら裏手のドアから倉庫に入り鍵をかけた。耶依がどれほど鍛えているといっても女の細腕で抉じ開けるのは無理がある。

 ストップウォッチが示す制限時間は5:23。過去最高のタイム。

 それでも余裕があるとは言えなかった。扉に蹴りを入れていると交信が入る。

『表から入れるわ。善之助が開けたままになってる』

「ありがと、フリー」

『いいえ。素直になったあなたなら好きになれるから』

 白猫のくすぐったい言葉に頬を染めながら耶依は急いで表に回った。両開きの巨大な鉄扉が一人分だけ開いている。善之助よりも痩身な彼女が入るには余裕があるくらいだ。

『右手の通路から奥よ。先に作業室がある』

 善之助が見聞きしたものを知るフリーの案内に従って右手のドアから通路に入った。

 彼と違って玩具に興味のない耶依は左右のガラスケースに目を向けず真っ直ぐ走る。無数の無機質な目が見ていることに気づきもせず。

 作業室に飛び込み――緩慢に振り下ろされた手を左手で受け止める。

「はあっ」

 捻り、回して造の痩せ細った体を軽々と投げ飛ばした。硬質な床に背中を打ちつけた造が目を剥く。耶依は太ももに巻いたホルスターから特殊警棒を引き抜き、伸長させながらハサミを持った手を強かに払った。

「だぁっ……!」

 重なる痛みに呻く造に馬乗りになって喉を警棒で抑える。足でハサミを遠くに蹴った。

 顔を引き攣らせた仇が今、体の下にいる。腰の裏側にはスタンガンがあった。首筋にあて電流を流し、気を失わせたところで警棒で殴り殺すことも、できる。

 不規則に息遣いを重ねながら耶依は、ひたすらに“人体怪盗”を睨みつけた。

 錯綜する感情を押しやってもっとも重要な質問を突きつける。

「お兄ちゃんの脚はどこ!?」

「はっはぁっ、はっ、し、知るか」

 馬鹿にしたように笑う造の頬を警棒が叩く。唇が切れて血が滲んだ。殴られることに慣れていない造は、喚くしかできなかった。

 やっぱり殺してしまおう。こんな悪党は生かしておく価値がない。

 兄の脚はこいつを殺してからゆっくり探せばいいんだ。耶依は腕を限界まで伸ばす。

 頭蓋骨を割れ。尽きない復讐心に突き動かされる。

「ひぃっ」

 造は硬く目を閉じた。一秒が一時間にも感じられる。時が経てども痛みがこない。

 警棒の先端は顔の真横を通り過ぎて床を叩いていた。耶依は歯噛みしながら警棒を引く。

 善之助は言った。助けてくれると。信じてくれると。

 待ち望んでいたヒーローが傍にいてくれる。彼の信用を、もう裏切りたくない。

 耶依は左手で造の胸倉を引き寄せた。断じて許すわけではないと思い知らせるために。

「話は後で聞かせてもらうから。ライセンス所持者としてあなたを捕まえるわ」

「はっ、はは、あははははははは!」

 恐怖に気が狂ったのか造はおぞましい笑い声をあげた。耳を塞ぎたくなるのを我慢して代わりに床に押しつける。警棒で喉仏を圧迫した。息詰まって笑いが引き攣る。

「うるさい! もう――っぅ」

 何かが肩に刺さった。激痛に体が勝手に動く、右腕で背後を振り払った。

 “それら”を目にしている間に造に突き飛ばされた。ひ弱といっても油断を衝かれては仕方がない。拘束から抜け出した造が這い寄ってワゴンにある工具入れベルトを腰に巻く。

「安心しろよ。お前も、兄のように分解(バラ)してやる。あの男もな!」

 耶依は舌打ちをして周囲を取り囲む“玩具”の数々を目で追った。

 通路のケースに飾られていたフィギュアやプラモデルたちが各々小振りな武器を構えている。肩に刺さった小指サイズの槍を抜いて投げ捨てた。

 どれも脅威になる大きさではないが数が多すぎる。一斉にかかられたら危うい。

「ふざけるな。私も、善之助も、お前に負けるほど弱くない」

「やれ!」

 彼は強大な敵に単身立ち向かっている。今も、何かが吹き飛ぶ爆音が轟いた。

 なれば自分も退くわけにはいかない。耶依は飛びかってきた数体を警棒で叩き落した。足に群がる玩具たちを蹴り飛ばし、踏み潰す。何体か掻い潜って体に飛びついた。あちこち切り裂かれて鋭く痛む。それでも耶依は悲鳴を噛み殺した。泣き言は漏らさない。

 守られるだけの弱い女じゃ善之助に見てもらえない。彼が、彼女を強くする。

「いくらでもかかってきなさい。全部ぶっ壊してあげる!」

「くそっ、なんなんだこいつも、あいつも、あああああぁつ!!」

 造は半狂乱になって作業室を飛び出した。頼れるのは【フルメタル】しかいない。

 そうだ。もうあいつが片をつけただろう。無傷ではないだろうが何度だって直してやれる。男を潰したら、次は女を細部まで分解して造り変える。きっと素晴らしい作品ができるだろう。愉悦に歪んだ表情は、結末を見届けて無に還らされた。


 【ユウシャイン】が廃車の山を突き破って空を舞う。

 月光を一身に受けて白銀の装甲が輝いた。華麗にひねりを加えながら【フルメタル】の背後に降り立つ。痺れは残っているが押し通す。彼はどこまでも真っ直ぐだった。

 拳が突き刺さる前に振り返った【フルメタル】の左指が伸びてくる。

 あえて受けて立つ。正面から打ち破る。それが、正義。

「がああああああぁつ……」

 電撃が駆け巡る。血が沸き立ち、神経が叫ぶ。筋肉が震えて鼓動が加速していく。

「僕はっ……負け、られなぃんだぁぁぁぁぁっー!!!」

 暗転した意識を気迫で呼び覚ます。深紅の十字が閃光を放った。

 電撃を流し続けた負荷に耐えられず【フルメタル】の指が弾け飛ぶ。【ユウシャイン】の刀身と化した手が不完全な関節を斬りおとす。それでも【フルメタル】は退かない。

 右手を突きの形で固定し腕を超高速回転。胸を貫かんと解き放つ。

 敵が必殺技を使うのならば!

 【ユウシャイン】は左足を引き腰を入れた。引き絞った右の拳に正義を込める。

「シャィィィィィンッブゥレィカァァァァァツ――!」

 拳とドリルがぶつかり合った。手甲が削れ銀の粉が視界に飛ぶ。

 震動に腕がぶれる。徐々に、確実に、装甲が剥がれ落ちてスーツが露出する。

 【フルメタル】の腕も限界が近かった。回転の勢いで体ごと分解されそうになる。

 感覚のない【フルメタル】がさらに踏み込む。壊れることを気にしない。

「うぁあああああああああっ!」

 なれば応える。正義が吼え、拳が唸った。

 拮抗していた力が崩れる。【フルメタル】の腕が負荷に敗れて飛んでいった。両腕を失った人形は命令を遂行するために、前に出てくる。

 同時に踏み込んだ【ユウシャイン】の渾身の正拳が、黒金の装甲の中心を穿つ。

 背中から突き出した拳を引き抜くのに合わせて【フルメタル】が膝を突いた。

 十字の切れ込みから黄金の輝きが消えていく。うな垂れた姿で人形が死ぬ。


「そんな……嘘だ」

 【ユウシャイン】は強敵を横たえた。右手の装甲は原型を留めていない。

 造の調整が完璧ならば負けていた。その強さに敬服し打ち勝った自信を胸に抱く。

 最高傑作の敗北を見せつけられた造もまた同じように膝を突いていた。彼が死を確信してしまえば、人形たちも活動を停止する。全力でぶつかり破れたことを、認められないほど造も子供ではなかった。

 もはや抵抗する気力は残されていないのか、彼は止まっている。

「善之助。勝ったのね」

 倉庫から飛び出してきた耶依の姿を見て善之助は唖然とした。シャツは破れ血に塗れている。足取りもおぼつかない。一跳びで隣に降り立った。

 耶依がストップウォッチを取り出してストップを押す。善之助の手が腰を支えてくれた。

「どうしたんですか!?」

「話は後。あいつを、捕まえましょう」

 互いの肩を支えながら造に近づいた。突如、彼は立ち上がってぶつぶつと呟く。

「完成度が足りなかった。俺の落ち度だ。超硬合金で満足してはいけない。造形美に合わせて機能美が必要だった。造り直そう。そうだ、身も凍るような刀を持たせたらどうろうか。それに合わせて全体的な装丁を和風にアレンジする。刀身と一体となれば……」

「いい加減に負けを認めたらどう」

 虚ろな瞳で夜空を仰いでいる造に耶依が詰め寄って手にしていたニッパーを奪った。

 彼はまるで何事もなかったように薄ら笑いを見せる。

「これで能力も使えない。まだやるっていうなら、ぶちのめしてあげるけど?」

 正直に言えばまだ殴り足りなかった。怒りも憎しみも収まらない。今までと違うのは止めてくれる相棒がいることだ。警棒を握り締める手を温もりが包む。

 造はふらふらと後ずさってベルトのケースを開けた。

「勘違いしているようだから教えてやるよ。俺の媒介は、工具じゃない」

 彼が取り出したのは色褪せたソフトビニールのヒーロー人形だった。

 両親が唯一買い与えてくれた誕生日プレゼント。楽しかった一時を思い出させてくれる、永遠のヒーローだ。こいつがいれば孤独じゃない。暴力も、暴言も、この人形がいてくれれば耐えられる。でも、一体じゃ人形(かれ)が寂しい思いをする。だから畔倉造は仲間を作ってあげた。それが、彼の始まり、彼の根源――。

「ならそれをよこしなさい!」

「駄目だっ、耶依さん」

 咄嗟に善之助は彼女の手を引き寄せた。足元から飛び上がった玩具が庇った彼の腕を切る。全て片付けたつもりだったが残っていたようだ。

「善之助!?」

「大丈夫。でも――」

 耶依は最後の一体を踏み潰しながら善之助の傷を見た。赤い線が痛ましい。

 数秒の時間を稼いでくれたおかげで造は“切り札”を動かすことができた。まだ未完成でお披露目はしたくないが構わない。あいつもこいつも、どいつもそいつも、すべて、みんな、なにもかも、分解(バラ)して造りかえればいい。狂気に造は理性を失った。

「ははっはははっははははっ! これが俺の最新作、【ザンガイオー】だぁっ!」

 造が人形を高々と掲げた。地響きが鳴り、廃車の山が蠢く。

 善之助も耶依も、知らずに手を握り締め合いながら“変形”し“合体”する廃車の群れを見上げた。

 【ザンガイオー】、それは造が大手玩具企業に依頼されていた巨大ロボット。

 汚染された惑星で緑を取り戻すべく“残骸”を武器に戦う正義の味方だった。どんな残骸でも吸収し造り替えて巨大ロボットと化す。もはや正義の部分は関係ない。

 触手のように伸びてきたゴムチューブが造に巻きつき彼を連れ去っていった。

 全長は20メートルを超えているだろう。山肌に立ち上がった巨人がライトの集合体である両眼を市街に向けた。狙いを定めて車輪を持つ足が滑り出す。

「あれは、神化だ……街を壊す気なんだっ」

「待って。変身時間は過ぎている。あと一時間はできない。どうするのよ!?」

 生身で飛び出そうとする善之助の前に耶依は体を投げ出した。全身で止めなければ彼は正義のままに突っ込んでしまう。どうあがいてもあれに勝ち目がない。

 頼りの【ユウシャイン】は次の変身まで時間が開く。二人には手の出しようがない。

 そう思っているのは自分だけなのだと、耶依は悟らされた。善之助はここにきても笑うことを忘れていない。彼を見ていると不思議と窮地なことを感じなかった。

「僕たちなら勝てます」

「あなたねえ、いい加減に!」

 善之助は人差し指を彼女の柔らかな唇に当てて黙らせた。

 勝算なら、ある。【フルメタル】さえ圧倒した神化の力。あれがあれば戦える。

 決意の眼差しに耶依も気づく。もちろん、頷けるはずがない。

「馬鹿!? あれは暴走状態よ。狙ってできるものじゃない。できたとしても、またあなたを……傷つけてしまう」

「聞いてください、耶依さん。あの力はあなたの憎悪で引き出された結果です」

 話している間にも【ザンガイオー】は大地を踏み鳴らしながら山を下ろうとしている。

 時間がない。善之助は耶依を抱きしめた。強く、交じり合ってしまいそうなほど。

「今度は信頼で引き出すんです。僕は耶依さんを信じる。耶依さんも僕を信じてください。二つの気持ちを一つに重ねたとき、正義は無敵になる」

 善之助自慢の正義理論に、耶依は刃向かおうと口を開いた。

 でもできない。肌を通して伝わってくる熱気が、本気が、勇気が、信じさせてしまう。

 失敗したら彼がどうなるか、誰にも分からない。今度こそ人ではなくなるかもしれない。

 そんな不安を感じ取った善之助は耶依の体を少しだけ離して目を見つめた。

「僕は嘘を吐きません」

「……そうね、知ってる。あーあ、私にもあなたの馬鹿が移ったみたい」

『いいことじゃない。私も、才悟も、愛も、二人を信じているわ』

『そういうこと。君らがやらなきゃ誰がやるってね』

『近隣住民の避難はこちらで促してあるわ。思う存分やりなさい』

「みんな……!」

 フリーを通して余裕の笑みを浮かべる才悟が、開き直っている愛の感情が伝わる。

 馬鹿が伝染したのは自分だけではないらしい。耶依は諦めて素っ気なく善之助から離れた。このまま抱き合っていたら別れが惜しくなる。

「信じさせたからには責任取りなさいよ」

「はい。やりましょう、二人で。ヒーローになるんです」

 善之助が差し出した左手を握る。気持ちを重ねるのに必要な回路だ。

 ストップウォッチを取り出してみたが数字は一時間から減っていくばかり。能力の道理をねじ伏せるには強い気持ちがいる。意図的な暴走、神化を促す。

 二人は目を閉じた。山が削れる音も、スピーカーで轟く造の戯言も締め出す。

 善之助は耶依に出会えた幸運に感謝した。彼女と会わなければ本当の意味での“ヒーロー”にはなれなかった。向こう見ずな自分を反省させられ、でもそれでいいと信じられた。彼女が振り向いてくれたことが何よりの証。耶依を信じることに、躊躇いも不安もない。

 耶依は善之助に出会えた不運に感謝した。結局、突き放しても裏切っても彼は彼の正義でつきまとった。おかげで仇を殺し損ねた。でも、おかげで、悪に堕ちずに済んだ。救ってくれるという言葉、彼の正義、今なら身を委ねられる。素直に心を解放させた。

 善之助の思惑が流れ込みはじめた。どんな時も正部善之助は自分を見失わない。

 ここまできたら恥ずかしさに赤らむことも言い渋ることもいらなかった。

 信じる、信じる、信じる、信じる、信じる、信じる――。

「私たちを助けて、善之助」

「はいっ」

 耶依の純な感情が入り込んでくる。温かく、優しく、光り輝く彼女自身が。

 例えこの身が朽ち果てようとも。例え人あらざるものに堕ちようとも。

 正義だけは変わらない。この魂を焦がす、自分だけの正義は離さない。

 瞬間、心が重なった。耶依は自分を曝け出して全てを善之助に託す。左手にしたストップウォッチが白い焔に包まれた。

 ――ヒーローの時間は、まだ終わっていない。

「昇神(しょうしん)!」

 神化の言葉を耶依が天に叫ぶ。

「ユウッシャイン!」

 善之助が右手を天に突き上げる。

 神が下界に降りるために遣わした光の橋が正部善之助を連れ去った――。


 説明しよう! 【昇神ユウシャイン】とは!

 本来制御を失い暴走した能力の結果である神化を、二つの気持ちを重ねまとめることで正義の力に変化させて生まれた【ユウシャイン】のさらなる力だ!!


☆ ☆ ☆


 顕現したのは天使のように神々しく慈愛に満ちた白銀の戦士。

 各部を覆う装甲の耀きは悪を滅する正義の光。胸は厚みを増して逞しく、鎧の下のスーツは黒から金に変わっていた。右の手甲だけ左に比べて一回り大きく暴走状態のときの面影を残している。背面から流れる二対の白い帯はまるで翼だ。

 菱形のバイザーが額まで上昇して隠されていたクリスタル状の眼が現れる。

 形は違えども善之助の眼だった。意志を貫く、優しい眼差し。

「行ってくるよ、耶依さん」

 顎の装甲が左右に開いて金属質な生々しい唇が微笑みを浮かべた。

「嘘吐いたら許さないから」

「はいっ!」

 【ユウシャイン】は親指を立てて数歩走ってから跳んだ。足元が爆発して土埃が舞い上がる。白い帯から放出されたエネルギーが空を引き裂きながら彼を加速させた。

 ヒーローに強化フォームは付き物。善之助もちゃっかり考えていた。

 飛行機能を有した【ユウシャイン】は一直線に【ザンガイオー】を追い越す。

 装甲の各所に内臓された小型バーニアを吹かして姿勢を維持。巨人と向かい合う。

 廃車は隅々まで分解されて造りかえられていた。一軒家ほどもある頭にはレーダーを兼ねるVの字のアンテナに、点滅するツインアイ。ゴムチューブの唇が蠢く。

「あぁっはっはぁっー! ぜんぶ、ぜぇーんぶこわしちゃえー!」

 スピーカーで拡大されたのは幼くなった造の声だ。暴走の果てに幼児退行している。

 オイルの涙が滝となってツインアイから流れていく。彼もまた苦しんでいるのだ。神化をした先輩として見過ごしておけない。

「今、止めます!」

 方法は単純。人気のない山肌に【ザンガイオー】を押し倒して造を取り出す。

 背中で光が炸裂し一瞬で音速の域に到達。右の手甲が顔面を殴り飛ばし捻じ切った。元が廃材なだけあって脆く、首が百八十度逆を向いたが後ろを見ながらも歩き続けた。

 旋回し高度を上げてもう一度。次の狙いは胸――正直な拳が隕石の如く降り注ぐ。

 瞬間、【ザンガイオー】の右腕が変形するのを見た。それ自体が生物のように脈動して刹那の液状化を経て巨大なペンチを作り出す。勢いを殺すには速過ぎた。

 胸に飛び込んできた【ユウシャイン】の矮躯をニッパーが挟み込む。

 人が蝿を箸で捕らえるような技だ。巨体に似合わず繊細で素早い。

「ぐ、ぐぅ、うぅぅぅっ……」

 【ユウシャイン】は両手を突き上げ、両足で踏みつけ全力で抵抗する。何万トンもの圧力が正義を押し潰そうと迫った。新品の装甲に亀裂が走り踵が鉄に沈む。

 サイズが圧倒的に違う。力比べで負けるのは時間の問題。なれば前に出る。

「はぁっはっーつぶれちゃぇー」

「うぉぉぉぉぉぉつ!!」

 楽しげな少年の声を掻き消す咆哮が轟いた。【ユウシャイン】の腕がペンチを跳ね除ける。

 数秒できた空白の間に飛び出した。がちんっと空気が噛み千切られる。一息吐くことは許されない。カッターに変形した左腕が眼前に届く。左のバーニアだけ全開、独楽のように回転して装甲の表面で受け流す。勢いのまま右足で刃の腹を蹴り砕いた。

 破片の雨が大地に刺さって山の住人、小動物たちが慌てて逃げ出す。

「がぁっ――」

 ハンマーに変形した右手に横から叩かれて山肌に落とされてしまった。

 強烈すぎる衝撃に痛みが追いつかない。木々を薙ぎ倒し地面を抉っていく。どれだけ飛ばされたか分からなかった。目の前には自分が刻んだ傷跡が霞むまで続いている。

 重たい頭を持ち上げて周りを見た。拡張された視覚機能が小鳥や虫、栗鼠の姿を捉える。

「フリー。彼らにも逃げるように言ってくれないか?」

『自分のことを考えなさい! 敵が町に降りてしまうわ!』

「分かっている。でもここが彼らの町なんだ。頼むよ」

『そこまでいくと正義も馬鹿ね、いいわ、やるだけやってみる』

「ありがとう」

 フリーの言葉に励まされてよろめきながら立つ。四肢の動きがぎこちなく感じた。

 深呼吸。記憶の中の太極拳を行って気を集中させる。まだまだ負けちゃいない。

「ハァッ」

 大地に別れを告げて空へ。光の線を描きながら裾野まで降りた【ザンガイオー】を追う。

 相手は残骸の集合体だ。どれだけ破壊してもすぐに再生してしまう。あの【自転蛇】のように。倒すには“核”を潰せばいい。畔倉造を――殺す。

 彼は即座に否定した。殺すのではない救うのだ。核となった造を取り出すだけでいい。

「ぜんぶこわして、つくりなおしてやる! ぼくのすきなものに、みんな、みんなだぁっ」

 まずは足を止める。【ザンガイオー】はこちらを意識していない。そこに勝機がある。

 音速のまま膝の裏に突っ込んだ。白銀の砲弾が廃れた鉄くずの関節を粉砕しながら飛び出す。【ザンガイオー】は両手で空を掻きながら真後ろに倒れこんだ。地響きが唸る。

 このうちにと急降下するがゴムチューブの触手が体中から伸びてきた。

 右に回転し下に潜る。上昇して左に反れ、手刀で斬りおとしていくがきりがない。

 初めての空中戦で動きも十分ではなかった。足首が絡め取られ引っ張られる。手を伸ばして千切るまえに胴にも巻きつかれ、締め上げられた。頭部にも絡んで骨が軋む。

「あは、あはは、おまえなんかなぁっ、こわれちゃえばいいんだぁー」

 【ザンガイオー】が立ち上がる。捕らえた【ユウシャイン】を粉砕すべく両腕を組み合わせて槌を作り出した。緩慢な動作で振り上げる。

 【ユウシャイン】は力を抜いて触手の好きにさせていた。諦めたのではない、準備だ。

 右腕の装甲がスライドして手甲と合体、悪を打ち砕く正義の拳を造り出す。

 一回り大きくなった拳に正義を込めた。熱い血潮をエネルギーに換えて注入。

 膨大な熱量が小さな太陽を生んだ。ゴムチューブが焦げ臭さを空気に残して蒸発する。二つの帯から放出される光が天使の羽を見せた。羽ばたき、飛翔する。

 愛車の中で観戦していた才悟も、愛も、森の住民を逃がすフリーも、一人残った耶依も、そして九十九市の人々も、深夜の暗澹とした空が真昼の耀きに染まるのを見た。

 【ザンガイオー】は“本能的”に防御行動に移った。ハンマーは分厚い盾となり全身の装甲が胸に集まって核を守ろうと鎧を造る。

 夜を昼に変えた小さな太陽が空から堕ちた。流星が夜を切り裂くように。

「うああああああああっ!」

 正義を搾り出す。芯に染みこんだ力を全て、全て、全て、拳に――。

「サンシャインッ! ブゥレィカァァァァァァァァッ――!!」


 説明しよう! 【サンシャインブレイカー】とは!

 拳に握った太陽を光速で叩き込む、悪を昇華する最大最強の必殺技だっ。


「あ、ああ、ああああ、く、くるなっ、こないで、やめて、ああっ!」

 【ユウシャイン】の拳が馬鹿でかい盾を粉々にする。何十層にも重ねられた鎧が一つ、二つ、三つ……何枚も同時に光に溶かされて再生を追い越して破壊していく。

 畔倉造の弱い心を守ってくれていた壁が取り払われた。

 彼は、手を差し伸べてくれるヒーローの姿を、光に見る。

 ずっと待ち望んでいた。どんな寂しい時も辛い時も一緒に居てくれた。

 胸に抱いた人形(かれ)が、助けに来てくれたのだと、造少年は涙を流す。

「ああっ……君は……」

 【ユウシャイン】は胸部をぶち抜いてチューブに包まった造を抱きとめながら背中から飛び出した。速度を殺すことができずそのまま耶依を目指して落下していく。

 核を失った【ザンガイオー】は錆びついた鉄を摺り合わせて泣いた。

 制御ができず連結を留めておけない。元の廃車に、鉄くずの塊に還って崩れ去った。

 正義は勝ち、悪は滅びた。人々は翌日のニュースでヒーローの登場を知る。


「善之助っ!」

 ふらふらと左右に揺れながら降下していく光に向かって耶依は走り出した。

 ストップウォッチの数字は振り切れていてでたらめだ。戦っていた時間は数分だがどういう影響を残すか分からない。少しでも早く、彼を解放してあげたい。

 光は緩やかに地面に降り立った。造を抱いた【ユウシャイン】と眼が合う。笑っていた。

「正義の勝利です」

「もう、馬鹿っ」

 Vサインをする正義馬鹿の胸を両手で叩きながら嬉しさに涙を流した。

 【ユウシャイン】が造を地面に横たえたのを見届けて耶依がストップを押す。思いのほか呆気なく変身は解け、相変わらずの善之助が姿を見せた。

 二人して造を見下ろす。安堵した笑みに、頬を伝う一筋の涙。安らかな寝顔だった。

「なんで幸せそうなのよ」

「きっと救われたんだと思います」

「……ふんっ。これが媒介ね」

 両手でしっかりと握っている古びた人形を耶依が引っこ抜いた。これがなければ彼はただ手先の器用なモデラーに過ぎない。二度と悪事ができないように膝で圧し折ってやろうとして善之助に止められた。

「これは耶依さんにとってのストップウォッチです。壊しちゃ駄目だ」

「また悪さするかもしれないわよ」

 素直になってもはいそうですかと譲る耶依ではない。ひねているのは元々だった。

 何より仇を殺さない上に大事なものまで奪わせないと言われては腹も立つ。

 善之助はなぜか恥ずかしそうに頭を掻いた。

「僕もずっと友達がいませんでした。彼が造ったフィギュアだけが支えだったんです。だから、寂しかった気持ちが分かる。彼がこれから正しく罪を償えたなら、僕は友達を返してあげたい。もしも、それでまた悪になるのなら――」

「私たちが止める。そうでしょ?」

「え……」

 目をぱちくりさせながら耶依が投げた古びた人形を受け取った。

 彼女が言った言葉を反芻する。私たちが止める、私たち。自分と耶依が。

 耶依は不貞腐れたように蔑んで善之助の逞しい胸を突いた。

「何よ、自分ひとりでやるつもり? あなたが言ったはずだけど。私たちにはお互いが必要だって、ね」

「耶依さん」

「それに。私の復讐はまだ終わってない。あなたには止める責任があるでしょう?」

 言いながら耶依は造の倉庫を遠目に見た。善之助が戦っている間、潜り込んで兄の脚を探したがどこにも見当たらなかった。真相を知っているのは気持ちよく気を失っている人体怪盗一人。元に戻ると知ったのだから戦いはまだ終わらない。

 善之助は耶依の変化が嬉しかった。脚を奪い返せなくても激昂せず、一人ではなく二人でやろうと誘ってくれている。頼り、頼られているのだ。これほど力強いことはない。

「ま、こいつを捕まえたんだから時間の問題でしょ。何がなんでも聞き出してやる」

「暴力は駄目です」

「そうね。そのときはあなたが代わりに殴られなさい」

「ええっ!?」

『お楽しみのところごめんなさいね。才悟の手回しですぐそちらに警察が行くわよ』

「造さんはどうなるんですか?」

 戦闘の疲労感に頭が回らなかった。事前研修で渡された資料にあった気がするが思い出せない。立っているのも精一杯で視界が霞んできた。体が、重い。

 察した耶依は黙って彼の肩に手を回した。ずしりと生の重圧がかかって心地良い。

「九十九研究所に送られて弄くりまわされるでしょうね。それくらい自業自得よ」

 憑喪の研究調査を一手に引き受ける政府公認の研究所。それが通称“九研”だ。捕らわれた憑喪を警察に代わって収監し、刑罰に相当する研究への“協力”を行わせる。人体実験は公然の秘密となっていて世間の風当たりは強い。

 造は相当の罪を重ねた。清算するには長い年月の協力を強いられるだろう。

 それを思えば少しだけ怒りが収まる。耶依は善之助を引き摺りながら歩き出した。

「あなた、大丈夫なの?」

「はい。元に戻れたみたいです」

 善之助は肉体の強化が失せたことに勘づいていた。神化の影響は神化によって打ち消されたらしい。おかげで歩くこともままならないほど消耗している。

 フリーが呼び寄せた野良猫たちが勝利の賛辞をにゃあにゃあと送ってくれていた。

「ありがとう、みんな!」

 彼がどうにか手を振ると野良猫たちは一斉に散らばって煙のように姿を消す。

 誰もいなくなったのを見計らって耶依は心の声をオフにした。

 立ち止まって愛嬌のある丸顔をまじまじと見つめる。何悪い顔ではない。心が男前なら報酬に見合う。見つめられて善之助はたじろいだ。

「あ、あのやよ――」

 問答無用。耶依は温かな手で彼の頬を抑えつけ唇を重ね合わせた。

 いつか兄にするのだと思っていた。兄以外の男はみんな獣だった。でも、彼は違う。

 たっぷり十五秒は繋がっていた。息が苦しくなって耶依は顔を離す。

 元から赤色だったのではないかと思えるほど二人の顔は赤く熱く初々しい。

「ヒーローへのご褒美にはちょうどいいでしょ」

「え、は、あ、そ、ぼ、ぼく、あ、あ……」

 再び善之助を引き摺って歩く。もう顔は見れない。そっぽを向いた。

 頭の回路がショートした彼は壊れた玩具のように途切れ途切れに言葉を吐き出している。

 段々と苛々してきて耶依は踵で爪先を踏んづけた。言葉が悲鳴に上書きされる。

「男ならはっきり言いなさいっ」

「ぼぼ、僕、その、初めてで、なんというか、あの、えーと」

「私だって初めてよ。ばーか。もう喋るな、寝てなさい」

「けけけけどどどどああああばばば」

「情けない」

 溜息を漏らしながらも耶依は微笑んでいた。後悔はない、彼を選んだことに。

 また自分が間違うときが来ても彼は真っ先に駆けつけ止めてくれる。

 また自分が寂しくて震えていたら彼は両腕で抱きしめて暖めてくれる。

 また自分が助けを求めて彷徨っていたら彼は見つけて連れ戻してくれる。

 憑喪と関わって失ったものは大きい。

 だが憑喪になって得たのも大きかった。

 もう偽る必要はない。素直な自分で善之助を受け入れよう。

「ありがとう、善之助」

「……僕はいつでも、耶依さんの味方です」

 それっきり二人は別々の方向を笑顔で見つめながら唇の感触を思い出していた。


 この日、この時。

 一人の少女の心を抉じ開け、助けを探す手を握り返した彼は。

 正部善之助は、本当のヒーローに『変身』した。

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