間章――右腕――
【彼】は無造作に伸びたぼさぼさの髪を一まとめにして首の後ろで結んだ。視界を遮る前髪は安物ののヘアピンで留めておく。
決してお洒落ではない。作業に集中するのに邪魔なだけだからだ。
執刀医のように厳格で引き締めた表情で白い手袋嵌める。
眼前にはそれこそ手術台みたいに広々とした作業台があった。横たえられているのは所々欠損したいやに生々しい“人体”。頭部と胴体はマネキンと分かる質感で目玉があるべきところは薄暗い穴が空き、鼻もついていない。胸も空白だ。
備わっているは瑞々しさのある柔肌の左腕と目を惹く曲線美の両足。
【彼】は愛おしそうに腕や足を撫で回してから脇のキャスター付きワゴンを引き寄せる。
上段に並べられているのは多種に渡るスプレー缶に塗料を吹きつけるためのエアブラシ、接着剤やヤスリに筆といった工具の数々。下段には重厚な木箱が納められていた。
まず【彼】はリモコンを取って壁に嵌め込まれた多数のモニターを点ける。
一列五台、計五列二十五台のモニターが一斉に画面を表示した。十字の中心にあるモニターから控えめな音量でキャスターが夕方のニュースを読み上げている。
他のモニターは九十九中央駅前広場や住宅街の路地、通学路の角、子供たちがはしゃぐ公園といった九十九市内の風景を捉えていた。さながら監視カメラのモニタールームだ。
【彼】はモニターに見向きもせず下段から取り出した木箱を作業台の上に置く。
繊細な指先で丁寧に蓋を開けた。中にあったのは二日前に盗んだ“右腕”だ。
目星をつけておいた相応しい腕を盗んでも【彼】はすぐに作業に移らない。
一日空けてから冷静になった目で改めて観察する。最初に気に入った時は大抵興奮していて観察眼が曇りがちだ。いざ取りつけたら気に入らず作り直したことが何度もある。
右腕は肩との境目が淡い光に包まれていた。能力で分解した結果こうなる。
腕を取り上げて鼻先が触れるくらいの距離で肌の状態を確認した。
狙い通りこの腕の持ち主は気遣いが出来ていて肌は健康的に白く艶も張りもある。
消毒液に浸した布で洗い、虫眼鏡を使って念入りに丁寧に傷を探し出す。
そこまでして分かる細微な切り傷の跡を見つけたが【彼】は合格点を与えた。
「傷の状態は悪くない。これならヤスリをかければ消えてしまう。腕の長さ、色合い、どれも満足できる。強いていうなら指の形がわずかに歪んでいるが、替えを探してもいい。しかしこうなると左腕が気になるところだな。同じ腕を見繕ってもよかったが、左腕には痣があったから許されない。問題は目か。中々魅力的な瞳が見つからないのだが」
生の右腕にヤスリを丹念にかけながら【彼】ははっきりと独り言を話していた。
作業に没頭する時だけ饒舌になる。濁った瞳には光が差し込み、干乾びた唇が割れて血を滲ませながら笑っていた。手にした工具が呼吸に合わせて淡い光を明滅させる。
中心のモニターは昨今九十九市を脅かし、恐れられている【人体怪盗】の話題に移った。
警察も建前上捜査はしているようだが何ひとつ進展はなく、事件解決に乗り出す憑喪も現れてはいない。事件の重大さから引き受けられるランクの人材がいないという。
自分のことが話題にあがっていても【彼】はモニターに意識を向けなかった。
肌の手入れを終えた右腕をマネキンの肩に合わせた。位置を調整し、継ぎ目が分からないように独自にアレンジした特製肌色のスプレーをエアブラシで吹きかける。
残るは頭髪、鼻、瞳、胸。既に当たりをつけたある部品もあった。
生の“女性”の選別は難儀で進捗が遅い。慎重に大胆に進めなければ完成度が落ちる。
作業を終えて手袋を脱ぎながらモニターを見るともなく見た。
左上のモニターが一人の女性を映し出す。【彼】は慌ててモニターに駆け寄った。
食い入るように見つめ映像を拡大化させた。高すぎず大きすぎない整った鼻梁。
「ああ、ああ。見つけた。これこそ理想だ! ありがとう神様!」
気に入る部品に出会ったときの感動は性的絶頂にも似ている。
【彼】――【人体怪盗】は次の獲物を見つけて歓喜の声を高らかとあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます