相川さんは嫉妬深い
「浅倉ー、一緒に帰ろう!」
「ごめん相川さん、おれ彼女と帰るから」
「え……」
ちょっとした思いつきから出たこのやり取りが、後にあんな事態を引き起こすとは、このときは思いもしなかった。
†
このお話を語るに相川リサという女の子は欠かせない。
この相川リサという女の子は同じクラスの同級生で同じ小学校だった。つまり腐れ縁なのだがおれはこの女の子が苦手だ。
相川さんはことあるごとにおれにちょっかいをかけて、いつもイジワルしてくる。授業中に消しゴムを奪っていったり、給食のプリンを勝手に食べたり、急に後ろから驚かせに来たりする。
いつもやられっぱなしで悔しかったのでおれは思いつきで恋人を作った。無論偽装彼女だ。同じクラスの森戸鈴さんに小一時間頭を下げて頼み込んだ。
結果森戸さんは了承し、相川さんに一泡吹かすことができた。しかし少しやり過ぎてしまったかもしれない。こんなおれにも恋人がいると驚いてほしかったが、なんだか世界の終わりのような表情をしていた。
おれの勘違いかもしれないが、もし何か思うところがあるのなら罪悪感を感じざる得ない。ただよく考えたら浮気した訳じゃないし、そもそも相川さんとは何もない。おれが罪悪感を覚える必要はなかった。
「別の女の人のこと考えてる?」
「い、いや。そんなことないよ」
相川さんのことは気になるが、今おれは森戸さんと一緒に下校しているのだ。頼んだ手前失礼なことはできない。
「それにしても森戸さん、悪かったね。こちらの都合に付き合ってもらって」
おれは重ね重ね森戸さんに礼を言った。それに対して森戸さんは気を悪くした様子を見せずに笑った。
「いいのよ。最初は困惑したけど、なんだか面白いし」
森戸さんはすごくいい人だった。相川さんにも爪の垢を煎じて飲んでほしい。
「でも恋人同士なのに名字で呼ぶのはいただけないわね保君」
「えっ」
急に名前で呼ばれたのでびっくりした。
森戸さんは顔を近づけて言った。
「鈴って呼んで?」
「え……いや、どうせ1週間だけの間だけだし」
おれは恥ずかしくなって目を背けた。
「そんなに余所余所しいと1週間もしないうちに看破されるわよ?」
「む」
確かにそれは問題だ。その結果偽装彼女がバレてあげくの果てに頼み込んだことがバレたら一生相川さんにからかわれる。
「それもそうだね……り、鈴さん」
「そんなに緊張しなくていいよ、恋人同士じゃん」
「うん、そうだね」
とはいえ女の子の名前を呼ぶのは恥ずかしい。今までこれと言って女の子と交流がなかったため、名前を呼ぶことすら慣れていない。
「まずは名前を呼ぶことに慣れないとね」
「むむむ、情けない話だ」
「いや、可愛いと思うよ」
そう言われて目を合わせられなくなっていた。これ以上からかわれないよう偽装彼女を作ったのに、その相手にもからかわれたら本末転倒ではないか?
鈴さんは愉快そうに笑った。
†
翌日、学校に登校したら後ろから相川さんに抱きつかれた。
「あぁ、おはよう相川さん、朝から元気だね」
背中から感じる女の子の感触を気にしないようにして挨拶した。
「おはよう浅倉。昨日はお楽しみだったみたいね」
相川さんはご機嫌ななめの様子だった。まるでおもちゃを取られた子供のようだ。
「うん、楽しかったよ。誰かさんとは大違いだ」
皮肉を言ったら抱きつく腕が締め付けるように急に強くなった。
「相川さん……苦しい……」
「何か言った?」
笑顔が怖かった。おれはたまらず首をブンブン横に振った。満足したのか腕の力は弱くなった。
「でもその彼女さんはここまでしてくれるかな?」
「え?」
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「その彼女さんはこんな風に抱き締めてくれるかな?私以外に浅倉にこんなことしてる?」
相川さんは耳元でささやくように言った。
言い様のない怖さがあった。
「皆見てるから離れて?」
「あら、皆見てると困るの浅倉?」
相川さんは邪悪な笑みを浮かべた。
「浅倉は気づいてないかもだけど、私普段からこういうことしてるよ?それこそ、皆から付き合ってるって思われるくらい」
「そんなはずは……」
「ないって言い切れる?心当たりあるんじゃない?」
そう言われてみれば思い当たる節はあった。
授業中消しゴムを取られるときいつもおれが使っているときに指を絡めるように奪い取った。
給食のプリンも必ずおれが口にしてから間接キスをするように相川さんは食べた。
急に驚かせてくるときも密着するくらい身体を近付けてきた。
心当たりはめっちゃあった。
「私から離れようだなんて、浅倉のくせに生意気だぞっ」
抱きつく力が強くなる。それでも所詮は女の子の力だ。やろうと思えばいつでもほどくことはできる。
しかし、それどころじゃなかった。頭が熱くなるにつれて真っ白になっていく。
「ねぇ浅倉、今日の帰りは一緒に……」
相川さんはそう言いかけて、止まった。
おれが相川さんのホールドから解放されたからだ。
「鈴……さん」
森戸鈴さん、その人によって。
†
気がつけば保健室のベッドで眠っていた。
「起きた?」
隣に鈴さんがいた。鈴さんは優しく頭を撫でてくれた。
「覚えてる?あの人から君をはがしたら電池が切れたように倒れたのよ」
「そうなの?」
鈴さんに助けられてからの記憶はない。事態の進行に脳のキャパティシィが越えたのだろう。
「あれから何もなかった?」
「君が心配することはなかったよ。向こうはどう思っているかわからないけど」
鈴さんは不機嫌そうに答えた。これは何かあったな。
「何もされてないならいいけど」
「保。人の心配してる場合じゃないでしょ?君はあの人に執着されているのよ?」
鈴さんは初めて心配する素振りを見せた。
「おれは何もされてないけど」
「そういう問題じゃないの!向こうは彼女いることを知った上であんなことしてるのよ!」
「それって……」
「向こうにとって彼女がいても関係ないの。あの人にとって君はただのおもちゃで、そのおもちゃを誰にも取られたくないだけなのよ?」
「でもそうと決まった訳じゃ」
「もしかして君に気があると思ってるの?そんなはずないわ。君はあくまで彼女のおもちゃでしかないのよ?そんな勘違いをしたら後で泣くはめになるわっ」
鈴さんは本気で怒っているように見えた。恋人のふりをしてもらっているには少し行きすぎた感情に思えた。
「君はあたしの彼氏なんだから、そうやすやすとあの人の物にならないで」
「それは偽装では?」
「そんなの知らないわ」
「え」
こうして彼女の独断でおれたちは本当の恋人同士になった。
ただ、相川さんはそれを黙って見てはくれなかった。それはこれからの女難の始まりでもあった……。
おわり
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