第22話

 予想通り、相変わらず彼女は鋭かった。

 奈緒と出会った翌朝、学校へ行く為に迎えに来た翔の顔を見るなり訝しげな視線を向け、朝の挨拶に続けて何があったのかと詰め寄ってきたのだ。

 だが通学中、誰に聞かれるかもわからない状況で話せることではない。

 それは学校にいる間も同様だが、残念ながら二人のクラスは離れており、昼休みはお互い友人を優先していることもあって、放課後まで一緒にいられる時間は殆どないに等しい。

 だからと言って朝の通学中に話せないことを下校中に話せる訳がない。

 結局その日の夕方、恋人である秋月美紅あきづきみくの家に着くなり、翔はそのまま彼女の自宅の部屋へと引きずり込まれたのだった。

 美紅は翔を二階にある部屋に押し込むと飲み物を持ってくると一階に降りて行き、暫くして二人分のコーヒーを手に戻ってきてそれをローテーブルに置いたかと思うと、全部隠さず話せと視線で促してきた。

 しかもいつもならローテーブルの向かい側に座るのに、逃がさないと言わんばかりに隣に座って翔を見上げてきたのだ。

 こうなると全て正直に話すしかない。

 翔自身、常軌を逸するにも程があると頭を抱えることばかり起きたこともあり素直に話すことに躊躇いがあったのだが、結局包み隠さず話さざるを得なくなってしまった。

「瞬間移動!?」

 話し始めて直ぐそう言ったきり、美紅は大きな眼を見開いたまま呆然としていた。

 その様子にやっぱりそうなるよなと苦笑しながら、翔は話を続けても大丈夫かと彼女を気遣う。

 それにハッとして翔に意識を戻し続きを促すも、話が進めば進むほど美紅の眼は驚愕に見開かれることとなり、その結果、予想を遥かに上回る無茶苦茶な事態に、美紅の頭は事実を理解し受け入れることを拒否しているようだった。

 再度呆然としてしまった美紅は言葉を失い、傍から見ればピクリとも動かず硬直したまま翔を凝視しているようにも見えるだろうが、その眼は明らかに焦点が合っていなかった。

「何それ、有り得なさ過ぎる…」

 漸く我に返った美紅が深々と溜息を吐く。

 溜息混じりに呟かれた言葉には、翔も大いに同意するところだ。

 昨日の夕方、僅か二十分足らずの間に起きた出来事はあまりにも衝撃的過ぎた。

 鬼との遭遇や力の発現だけでも相当だが、まさか自分が瞬間移動などファンタジーというか超常的というか非現実的にも程があることを体験することになるとは想像もしていなかった。

 おまけに生身の人間では有り得ない異常なまでの身体能力の向上など、あまりにもふざけ過ぎてはいないだろうか。

 いっそのこと夢であってくれればとも思うが、彼のスマートフォンには奈緒の連絡先やメッセージを遣り取りした履歴など、それが現実であることをしっかりと示すものが残されている。

 夢として現実逃避するのは、どう考えても不可能だった。

「それにしても、その、鬼?それって一体何なの?精神体ってことだけど、霊とは別物なのかな?」

「…どうだろうな。感覚としては質の悪い霊に遭った時と似ている気もするし、それを更に凶悪にしたような気がしないでもない。でも霊かと言われれば何とも言えないな。妖…、妖怪の類かと言われても、妖怪なんて見たことないし、実在するのかもわからないからそれも何とも言えないしな」

 翔自身、鬼をどのように定義付ければいいのかわからない。

 気配としては霊の類、それも悪霊と呼ばれるものに近い気もするが、鬼のような顔をした霊など視たことがない。

 しかもその手は鋭い爪を持つ凶器だ。

 だが奴らは精神体であり、その鋭い爪も同様に透き通った精神体の一部でしかない。

 つまり凶器とは言っても物質として存在している訳ではないのだ。

 にも拘らずその鋭い爪で襲い掛かってきたのは、一体どういう原理なのだろうか。

 その爪が物理的な攻撃が可能なのか、それとも精神への攻撃を目的としたものなのか、或いはそれ以外の被害を齎すものなのかは全く持って不明だ。

 実際に攻撃を受けてみないことには判明しないだろうが、当然のことながら態々自分の身を危険に晒してまで試すつもりなどない。

 結局はわからないままでいられるのが最良なのかもしれないが、現実はそんなに甘くはないと肝に銘じておくべきだろう。

「それにしても謎だらけね。鬼の正体が何かもわからないし、何故翔達にそんな力があるのかも不明だし」

「そうだな…」

「ねえ、もし、あたしがその鬼を直接見ることが出来たら…」

「却下」

 不穏なことを言い出した美紅の言葉を途中で遮り、簡潔に一言できっぱりと拒否する。

 不満そうな視線が向けられるが、流石にそれは許容出来ることではない。

「美紅を危険な目に遭わせる訳にはいかないからな」

「でも…」

「駄目なものは駄目。あいつらが襲うのが俺達みたいに力を持ってる奴だけなのかわからないんだ。美紅が危険を冒してまで確かめる必要はない」

「…わかった」

 完全に納得している訳ではないが、いざその状況になれば足手纏いにしかならないだろうということも理解している。

 美紅は渋々頷くと、不安そうな顔で翔の左袖をそっと掴んだ。

「翔、本当に大丈夫…?」

 翔の身を案じるその眼に、大丈夫だと安易に返すことも出来ず、安心させる要素もないことからその為の言葉も見つからない。

 それでも翔は少しでも不安を和らげようと柔らかく微笑むと、掴まれた方とは逆の右手で美紅の頭にポンと手を乗せた。

「無理は、しないでね」

 何も確たるものがない今の状況で、大丈夫かなんてわかる訳がないことも、無理をするなと言うことが浅はかであることも理解はしている。

 美紅自身、自分が無茶なことを言っていると自覚しながらも、そう言わずにはいられなかった。

 翔が微笑んだまま頷くと、美紅はそっと眼を伏せ先程より強く翔の左袖を掴む。

 暫しそのまま俯いていたが、小さく息を吐くと再度翔の眼を見返した。

「翔が昨日会った女の子って、翔より攻撃に適したタイプなのかな?」

「どうだろうな。今のところ、お互いどんな力が使えるか全部把握出来てる訳じゃないからな…。でも、それがどうかしたか?」

「女の子なのに、そんな訳のわからない相手と戦わないといけないなんて何だか心配になって…」

「そっか…」

 美紅はもし自分が同じ立場に置かれた場合、そんなよくわからない相手と戦うことが出来るのかと考えてみたが、正直自信はないし怖くもある。

 だからこそ、翔だけではなく奈緒のことも心配していたのだが、奈緒に意識を向けたことで、次第に現状では的外れで不謹慎と言われてもおかしくない興味が湧いてきてしまった。

「ねえ翔、その女の子ってどんな子?」

「えっ?」

 何だか急におかしな方向へと話が向いたと思い、それと同時に嫌な予感がした。

 美紅の次の言葉はそれが間違いではないと決定づけるもので、翔の顔を引き攣らせるには充分だった。

「美人だったりする?」

 そんなことに鋭くなくていいし気にしないでほしいと呻きそうになる。

 翔としては正直返答に困るところだ。

 美紅も美少女と称してもおかしくない可愛らしい容姿をしているが、はっきり言って奈緒の美しさは別格としか言いようがない。

 だが、周囲に溺愛だと揶揄されるくらい大事にしている恋人に、あれほど綺麗な女の子は見たことがないなんて口が裂けても言いたくはない。

 その結果翔が口にしたのは、何とも歯切れの悪い、曖昧な言葉だった。

「多分、美紅が会ったら、思わず見惚れるんじゃないかな?」

「そんなに綺麗な子なの?」

 遠慮なく核心を突かれ、思いっきり言葉に詰まる。

 そして更に続けられた言葉に、翔は慌てる羽目になるのだった。

「ねえ、翔のスマホにその子の写真送ってもらうのって、ダメ?」

「いや、ちょっと待て。何の為に?」

「何の為って、どんなに綺麗な子なのか興味あるし、見てみたいと思っても不思議じゃないでしょ?」

 何故そうなると頭を抱えたくなるが、美紅の言い分もわからないではないし、その様子から純粋にそう思っているのだろうということもわかる。

 奈緒がもの凄い美少女だと確信しているようだし、実際その通りなのだから、単純にそんなに美人なら見てみたいと思う気持ちは理解出来なくはないのだ。

 だからと言って、それで奈緒に写真を送ってほしいと頼むのはどうなんだと思わずにはいられない。

 だが情けないことに、結局押し切られてしまった。

 写真も見たいが翔の仲間である女の子と話してみたいと言われ、渋々奈緒に電話を掛ける。

 短い遣り取りを交わし美紅が話したがっていることを伝えると、奈緒は驚いているようだが快く応じてくれた。

 緊張しながら奈緒と話す美紅を暫し眺めていたが、聞こえてくる内容からすると、どうやら写真を送ることも承諾してもらえたらしいが、逆に美紅の写真も見てみたいと言われているようだった。

 再度翔が奈緒と話し、お互いに写真を送り合う旨を確認した上で電話を切る。

 奈緒からは最近一人で撮った写真はないから幼馴染みと一緒の写真を送ると言われたが、翔のスマートフォンに保存されている美紅の写真も顔がはっきりわかるのは翔と一緒のものばかりだ。

 翔が一番最近の高校の入学式の写真を送った直後、奈緒からも写真が送られてきた。

 それを見た翔は思わず眼を見開き、何事かとそれを覗き込んできた美紅も、驚愕に眼を見開いた。

 奈緒の幼馴染みとは勿論弘樹のことだが、まさかその幼馴染みが奈緒と同等の美しさを持つ美少年だとは思いもしなかった。

 奈緒が今まで見たことのない類稀な美少女なら、弘樹は今まで見たことのない類稀な美少年だ。

 翔自身は奈緒のことは直接会って知っているとはいえ、この二人が並んで写っている写真を見れば驚くのも無理はないだろう。

 奈緒の顔も弘樹の顔も初めて見た美紅の驚きは、翔の比ではないことは言うまでもないことだった。

「凄い美男美女…。こんなに綺麗な人達がこの世に存在するんだ…」

 想定を遥かに超える美しい顔立ちをした二人の写真を見詰めたまま、美紅が呆然と呟く。

 暫くそのまま翔の予想通り見惚れていたのだが、突然何かを思い出した様子で急に顔を引き攣らせた。

「待って。こんなに凄く綺麗な子に、あたしの写真送るの……?」

 ぎこちない動作で翔に視線を向けた美紅が縋るような眼をする。

 だが既に手遅れで今更どうしようもない。

「もう送った…」

「そんなあ…」

 涙目で愕然とする美紅に、奈緒相手に気後れするのは無理もないとは思うが、送ってしまった上にそういう約束なのだから取り消すことなど出来ないのだ。

「美紅が約束したことだろう?こちらだけ一方的にそれを破るなんてダメだってことはわかるよな?」

「それは、わかってるけど、当然だけど…」

 涙目のまま翔を見上げる美紅の頭をあやすように撫でると、改めて奈緒と弘樹の写真に眼を向ける。

 すると、今度はある疑問が浮かび上がってきた。

「確か、幼馴染みって話だったよな?」

 困惑した翔の声に、美紅も改めて写真を覗き込む。

 そして、その困惑の理由を理解した。

「恋人同士に見えるのはあたしだけ?何だかもの凄く甘い雰囲気な気がするんだけど」

「いや、俺にもそう見えるけど…。でもそれならそうと言うよな?」

「そうだよね…」

「でも、幼馴染みの方は、奈緒のことが好きで好きで仕方ないって感じにも見えるよな?」

「うん」

 どこかで聞いたような会話が繰り広げられる。

 まさか奈緒も自分が送った写真がきっかけでそんなことになるとは思わなかっただろう。

 翔と美紅も、最終的にこんな緊張感のかけらもない会話になるなど想定外もいいところだった。

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