第20話

 昼休みも後少しになりそれぞれ教室に戻ることになったが、義人と真斗、それから当麻の三人は飲み物を買ってくると自動販売機の方へ向かい、秀行のクラスは隣の校舎であることから一階の入口で別れた為、弘樹は一人で教室へと向かっていた。

 その途中で見知った小柄な人影を見つけ、丁度いいとその後ろ姿に向かって声を掛け呼び止めた。

「藍子!」

 振り向いた藍子は弘樹の姿を認めると、軽く眼を見張り、直ぐに小走りで近寄ってきた。

「弘樹君久し振り。ここに入ってから話すのは初めてだね」

「そうだっけ?ああ、言われてみればそうか」

「弘樹君って相変わらず奈緒ちゃんしか眼中にないみたいだね。あたしと話したかどうか記憶になくても全然不思議じゃないか」

「どういう意味だ」

「そのままの意味だけど」

 弘樹の反応に、藍子が呆れた様子を隠すこともなく白けた眼を彼に向ける。

 それに対し弘樹は唇を尖らせるが、異性という意味では奈緒しか眼中にないことは事実だし、二日前まで藍子が奈緒と同じクラスにいることをまともに把握していなかったのだから文句は言えないだろう。

「それにしても弘樹君、背伸びたね。前は奈緒ちゃんと同じくらいだったのに」

「奈緒と同じくらいだったのは小学生の頃までだ。男の俺が未だに奈緒と同じくらいだったらそれはそれで虚しいだろ。お前の方は大して変わんないな」

「くっ…、気にしてることを…。奈緒ちゃんだってそんなに伸びてないでしょ?」

 成長期真っ只中である弘樹の現在の身長は、先日の身体測定の結果では百七十五であり、それに関しては女の子である奈緒より成長著しくても、珍しいことでもなければおかしなことでもない。

 半ば呆れながらそう指摘した弘樹に、自身のコンプレックスを刺激された藍子がムッとした顔で頬を膨らませる。

 幼い頃からずっと小柄で、中学二年の春に百五十三になったところで成長が止まったままの身長は、藍子にとっては常に悩みの種でもあるのだ。

 それを知っていて相変わらずだなと思いながらも、弘樹は事実を伝えることを躊躇わなかった。

 それがまさか、妙な方向に話が転ぶとも知らずに。

「そりゃ確かに三、四センチくらいしか伸びてないみたいだけど、百六十は超えてるんだから別に問題ないだろ?」

「それはそうだけど…。本当、この前の身体測定でも百六十一から全然伸びないって言ってたけど、百六十あるだけで羨ましい…。それに、他の部分がしっかり成長してるのも羨ましい…」

「……」

 その成長した部分というのがどこなのか見当が付いている弘樹は敢えて無言を選択する。

 中等部の三年間で、奈緒が身体的に明らかに成長した部分は一つだけとも言えるし、それがどこかを考えれば無理もないことだ。

 中等部に入って暫くした頃から、奈緒の胸は華奢な身体つきからは想像できないくらいはっきりと成長し続けた。

 今では同年代の少女だけでなく、成人女性と比較しても豊かな部類に入る。

 当然弘樹もそれに気付いているし、気になってもおかしくない年頃ではあるが、興味がある素振りを見せたことはない。

 奈緒にそれを気付かれれば軽蔑され、暫く口を利いてもらえなくなるのがわかり切っているからだ。

 だからこそ藍子の言葉には反応しないようにし、それは男の俺に言うことかと頭を抱えたくなった。

 こんなことを平気で口にする辺り、藍子も弘樹を異性としてカウントしていないも同然なのだから、どっちもどっちだと言われても仕方がないだろう。

 しかもそれだけでは終わらず、今度は藍子が弘樹の地雷を踏み抜いてきたのだった。

「それにしても、まだ二人が付き合ってなかったとは思わなかったよ」

「うっ…!」

「やっぱりまだ告白してなかったのね…。奈緒ちゃんその辺り異常なくらい鈍感なんだから、ちゃんと言わないと伝わらないよ?」

 未だに告白出来ずにいたのかと指摘され、何も言い返せなくなる。

 奈緒の様子を見ていればそれを見抜くことなど、藍子にとっては容易いことだった。

「そりゃわかってるけど…!俺だって、何度も告白しようと…」

「どうせ告白しようとしたら、その前に弘樹君がやらかしたことで怒られて、結局それどころじゃなくなったとかでしょ?」

「ぐっ…!」

「こっちも図星か…。一応言っておくけど、弘樹君が怒られる原因を全部取り除いてからにしないと、いつまで経っても告白なんて出来ないと思うよ?」

「うぐっ……」

 その通り過ぎて言葉も出ない。

 実際それを何度も繰り返してきたのだから、虚しいやら情けないやらで嫌になる。

 人目につかず完全に二人きりになれる場所で決行しようとした結果いつもそうなってしまうのだ。

 いつも同じ場所であることも大きな要因のような気がしないでもないが、他の場所が思い付かないのだから仕方がないことなのかもしれない。

 弘樹も奈緒も整い過ぎた容姿であることから自然と目立ってしまい、学園内で完全に二人きりになるのは意外と難しい。

 それで告白しようとする度に奈緒の部屋に行くのだが、部屋に入ると同時に始まる会話でそれどころではなくなってしまうのだ。

 何せその会話というのが、「宿題、どこかわからないところでもあったの?」「へっ?宿題?」「まさか宿題出てるの知らないの!?」というもので、それが原因で怒られるというか説教される羽目になる。

 その後は一緒に宿題をやることになるのだが、流石にこの流れでは、とてもじゃないが告白する気になどなれない。

 大抵はこれと似たようなパターンであり、何も知らない奈緒にいつもその機会を木っ端微塵にされ、未だに告白出来ずにいたのだ。

 しかもそれだけではない。

 その翌日の弘樹は意気消沈して打ち拉がれているので当然何事かと心配される羽目になる。

 それで理由を話せば、あっという間にクラスメイトの殆どに事情を知られ、呆れたような憐むような視線を浴びることになる。

 それが何度か繰り返された頃には、弘樹の様子を見ただけで告白すること自体失敗したことを悟られるようになってしまった。

 弘樹にとっては黒歴史もいいところだ。

 因みに奈緒も毎回心配はしているし、言い過ぎただろうかと気に病んだりもするが、最終的には一人事情を知らないまま、でもちゃんと授業を聞かない弘樹もダメだよねと自分を納得させ、そこで気持ちを切り替えそれ以上は考えないようにしていたのだった。

 つい遠い眼になりかけた弘樹が、ハッとして数度頭を振る。

 そして、俺が聞きたかったのはこんなことじゃないと、無理矢理話題を変えたのだった。

「なあ、奈緒の奴、昨日はお前の手伝いで放課後残ったんだよな?」

「そうだけど、何かまずかった?」

「いや、その時どんな様子だったかと思ってさ」

 その言葉に、藍子も何かを感じ取ったらしい。

 先程の軽口を叩き合っていた時の表情とは打って変わり、至極真剣なものへと変化した。

「特におかしなところはなかったけど…。やっぱり、奈緒ちゃんの様子、何か変だよね?」

「お前もそう思うか…」

 小学校卒業と同時に藍子が引っ越して以来会う機会はなかったが、それまでは近所に住んでおり幼い頃から三人でよく一緒に遊んでいた仲だ。

 三年間会っていなかったとはいえ、奈緒の異変に藍子が気付かない訳がない。

 そして藍子の言葉から察するにその原因となったのは、昨日奈緒が学園を出た後に起きたということで間違いがないようだった。

「弘樹君にもわからないの?」

「ああ」

「昨日、奈緒ちゃん待ってたんじゃないの?流石に違うクラスの弘樹君に手伝ってもらう訳にはいかなかったから、校内の何処かで適当に時間潰しながら待ってると思ってたんだけど」

 弘樹達の奈緒に対する過保護ぶりを知っている藍子にしてみればそれは当然のことであるし、彼女もまた奈緒の異変の理由は学園を出た後に起きたと思っているようだった。

「いや、そのつもりだったんだけどさ…」

 弘樹が憮然とした顔でサッカー部の先輩に追いかけられたことで一緒に帰れなかったことを説明すると、藍子は呆れた様子で力なく乾いた笑いを漏らした。

「弘樹君がサッカーの強豪校に勧誘された話は聞いてるし、それくらい実力あるだろうってことはわかるけど、それはちょっと…」

「凄えしつこいだろ」

「本当だね…。それで弘樹君もわからないんだ?」

「まあ、駅からの途中で会ったのは会ったけどさ…」

「そうなの?」

「ああ、…っと、これ以上は話す時間ないか。そろそろ教室戻らないと。続きはまた今度な」

 気付けば昼休みも残り五分になっている。

 更に詳しく昨日のことを話すには、どう考えても時間が足りなかった。

「わかった。多分放課後は無理だよね?奈緒ちゃんがいる前で話すことじゃないみたいだし…」

 弘樹が理由を聞き出せていない以上、自分が無理に聞こうとしても無駄だろうということは藍子も理解している。

 当分の間は様子を見るだけにしておいた方がいいかもしれないと考えていた。

「多分、明日以降になるかな…。それか連絡先教えてくれたら今日の夜電話する。いや、奈緒が夕飯作ってて部屋にいない夕方の方が無難かもな。今はそんな時間ないから俺のは奈緒に聞いてくれ。メールで番号送ってくれれば、俺から連絡するから」

「了解。弘樹君の番号聞こうと思ってたから丁度良かった。まだ奈緒ちゃんのしか聞いてなかったし、小学生の頃はお互いスマホ持ってなかったからね」

 そうしてお互い教室に戻ろうとしたタイミングで、今度は後ろから声を掛けられた。

「弘樹?何やってんだ?」

 声でそれが誰か気付いた弘樹が振り向くと、それと同時に藍子の姿を認めた義人が、誰だろうと不思議そうな顔をする。

 隣に並んだ真斗も似たような表情だ。

「ああ、こいつ、奈緒と同じクラスで、俺らと同じ小学校だった奴。こいつも幼馴染みなんだ」

「もしかして、昨日奈緒が手伝うって言ってた?」

「そう、そいつ」

 それで弘樹が藍子と何を話していたのか二人とも察したようだ。

 納得したような顔で頷くと揃って藍子に近寄り、柔らかな笑みを浮かべた。

「俺は中谷義人。弘樹達とは中等部の頃からの付き合いなんだ」

「俺は藤谷真斗。多分知ってるだろうけど、幸人兄さん…、藤谷先生とは再従兄弟同士だ」

「あ…、はい。椎名藍子です」

 お互いに自己紹介しているのを見ながら、珍しく人見知りでもするかのようにもじもじしている藍子に、弘樹が軽く眼を見張る。

 少し顔を赤らめながらチラチラと視線を向ける様子に、こいつも案外わかりやすいなと思わず苦笑を漏らした。

「そろそろ教室戻らないと昼休み終わるぞ?」

 そう言って歩き出した義人と真斗を暫しそのまま見送ると、改めてまだぼんやりした様子の藍子に視線を向ける。

 そして、二人には聞こえない程度の声で、藍子が狼狽して過剰な反応を見せるであろう言葉を放った。

「義人、フリーだぞ」

「なっ…!?何言ってるの!?」

「でも、あいつ滅茶苦茶モテるからなあ」

「ちっ…、違うから!じゃあね!!」

 一瞬で顔を真っ赤にした藍子が、走って教室へ戻っていく。

 それを見てやれやれと再度苦笑しながら、弘樹も教室へと歩き始めたのだった。

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