第18話

 こちらに気付いた二人が、不思議そうな顔で真斗に視線を向けてきた。

 突然連れてきたうえ、三組で起きた午前中の出来事を知らないのだから無理もない。

 弘樹は二人が口を開く前に、真斗も一緒に食事をする旨を伝えた。

「こいつ、同じクラスの奴なんだけど、今日一緒に食うから」

「別にいいけど。確か、藤谷先生の親戚だっけ?」

「藤谷真斗だ。幸人兄さんとは再従兄弟同士なんだ」

「幸人兄さん?って、藤谷先生か」

「ああ、学校では一応、藤谷先生って呼んだ方がいいかな?」

「まあ、別に今はいいんじゃね?」

「お前ら、取り敢えず名前くらい名乗れよ…」

 直ぐにごく簡単な自己紹介をした真斗に対し、名を名乗ることもせず彼と会話を続ける二人に、義人が呆れた眼を向ける。

 そのことに気付いた二人は、慌ててそれぞれのクラスと名前を告げるのだった。

「俺は五組の川上当麻かわかみとうま。当麻って呼んでくれ。ずっと同じクラスに同じ名字の奴がいてさ、それで下の名前で呼ばれることが殆どだから、名字で呼ばれるのに慣れてないんだ」

「俺は八組の黒沢秀行くろさわひでゆき。俺もヒデでいい」

「わかった。じゃあ、俺も真斗で」

「あっ、じゃあ、俺らも」

 下の名前で呼び合うことにした三人に、先程まで真斗を名字呼びしていた弘樹と義人も便乗する。

 直ぐに下の名前で呼び合うことに順応した五人は、階段に腰かけそれぞれの昼食を広げると、他愛ない話をしながら食事を始めた。

 だが、暫くして当麻が真斗に向けた質問に、真斗だけでなく弘樹と義人も眉を寄せる羽目になった。

「そういや、真斗が一緒に飯食うことになったのって何でだ?」

「ああ…、食事しながら話すのはちょっとな……」

「何となく、わかった気がする……」

 チラッと弘樹と義人を見た真斗と、彼ら三人の表情に、当麻と秀行も事情を察する。

 小夜子の件を聞かされていた二人は、恐らくそれ絡みだろうと見当を付けたのだった。

「取り敢えず、食い終わったらな」

 仏頂面の弘樹の言葉に頷くと、また他愛のない話をしながら食事を続ける。

 それから五分も経たないうちに全員が食事を終えると、憂鬱そうな顔で三人が話した事の経緯に、当麻と秀行はげんなりとした顔で呻いたのだった。

「相変わらず強烈だな…」

「有り得ねえ…、頭おかしすぎだろ……」

 二人も小夜子のことは何度か見掛けており、その容姿がどのようなものかを知っている。

 既に学園一醜いだとか、化け物みたいだなどと多くの生徒から陰口を叩かれている小夜子が、どこまでも自分に都合良く自身を過大評価している様は、酷く滑稽で寒気がするほど不気味でしかない。

 せめて大人しくしていれば容姿に対する陰口に眉を顰める者も一定数いるだろうが、本人の性格や言動がそれでは、誰も庇う者がいないどころか、多くの生徒から忌み嫌われたとしても仕方のないことではないだろうか。

 何せ、容姿の優劣に関係なく反感を買うであろう態度を取り続けているのだ。

 おまけに、他人、それも気に食わない相手に対しての侮蔑は常軌を逸している。

 小夜子本人の思い込みと現状は、眼を覆いたくなるほど随分とかけ離れていた。

「でもさあ、それって奈緒、やばくねえか?」

「そうだよなあ。奈緒が学園一の美少女って言われてるのが気に食わなくて、陰湿な嫌がらせとかしそうだよな」

 奈緒が被るであろう迷惑に当麻と秀行が不安を募らせ顔を曇らせれば、真斗と義人もそれに同意する。

「あいつならそれぐらいやりかねないな。俺も初めて見た時は綺麗すぎて驚いたし、彼女が学園一の美少女だというのも納得だ。普通なら彼女より自分の方が美人だなんて言えないだろうけど、あいつは普通じゃない。危害を加える可能性は高いと思うし、十分気を付けておいた方がいいだろうな」

「ああ、あいつが奈緒に何かしでかすのは間違いないと俺も思う」

 そう頷き合うと、揃って弘樹へと視線を向ける。

 彼の表情はこれ以上ないほど強張り、きつく唇を噛み締めていた。

「ああ…、でも、そうなったらただじゃおかねえ」

 弘樹がスッと眼を眇める。

 奈緒の名前を出してしまった時点でそのことは危惧していた。

 奈緒なら舌戦で返り討ちにするくらいのことはやりかねないが、それは言葉の通じる相手に限り有効な手段であるし、残念ながら今回は言葉が通じないというか、言葉を理解出来る相手ではない。

 彼女に危害を加えさせるつもりはないし、何としても守ってみせると、弘樹は硬く拳を握り締めた。

「ああ、それでお前、顰めっ面で弁当食ってたのか」

「…へっ?」

 思いも寄らぬ秀行の指摘に意表を突かれて瞬きを繰り返す。

 弘樹自身、そんな顔で食事をしていた自覚はなかったので、思わず間抜けな声を出してしまった。

「だってさ、お前、どんだけ嫌なことがあっても奈緒の作った弁当食ってる時は、凄え幸せそうな顔してるじゃん。なのに顰めっ面してたってことは、理由は奈緒絡み以外有り得ないだろ?」

「うっ…!」

 図星すぎて言葉を失う。

 実際、弁当だけではなく奈緒の作った料理は美味しく、何より好きな相手の手作りなのだから食べている間は幸せだし、彼女のことであれこれ考えていたのも事実なので反論の余地もない。

 ただ、言葉に詰まってうっかりそれをポロリと零してしまったことに関しては、迂闊なのか正解だったのかは、この時点でわかる筈がなかった。

「いや、別にそれだけじゃないんだけどさ…」

「他にも何かあるのか?」

 訝しそうに眼を眇めた義人の問いに、しまったと思うがもう遅い。

 仕方ないと、昨日の夕方のことをサッカー部の先輩に追いかけられたことも交えて話すと、真斗を除く三人は、揃って同じところに驚愕した。

「奈緒が、弘樹の手を振り払った…!?」

「今更!?」

「嘘だろ…!?」

「いや、お前ら、まず突っ込むとこそこか?俺は、サッカー部の先輩に追いかけられた話の方がどうかと思うんだが……」

 奈緒が頬に伸ばされた弘樹の手を振り払ったことに酷く驚く三人に、真斗が呆れた眼を向ける。

 事情を知らぬ者にとっては当然の反応、だが事情を知っている者達にとっては自分達の反応こそが当然のことであった。

「いや、サッカー部の先輩達の弘樹に対する執着が異常なのは今更だ。中等部の時なんて騙し打ちみたいな形で強制的に入部させてたからな」

「それより、奈緒が弘樹を拒否するような真似したことの方が有り得ねえ」

「だよなあ」

 呆然としたまま言葉を返した三人に、真斗が訝しそうに首を捻る。

 奈緒と弘樹のことをよく知らないのだから、それは無理もないことだった。

「拒否ってそこまで大袈裟なことか?それに、高校生にもなって、異性の幼馴染みにそんなことする方が不思議な気がするし、いい加減やめろって言われてもおかしくなさそうだけど」

「それはそうなんだろうけどさ、何と言うか、弘樹と奈緒だからな」

「この二人ならおかしくないって言うか、自然なことって言うか」

「奈緒も、それが当たり前みたいに平然として受け入れてたからな」

 戸惑う真斗に三人が苦笑を返す。

 口で伝えるのは正直難しい。

 実際にその状況を見なければ、三人が言うことの意味を理解出来ないのではないかと思われた。

 だから結局、真斗は腑に落ちないままだ。

「そういうもんか?でも、付き合ってはいないんだよな?いや、あれで付き合ってないのか?」

 代わりに、この学園で二人を知る生徒にはある意味当たり前な疑問を口にする。

 それに対しても、三人は苦笑するしかなかった。

「俺も何度か二人が一緒にいるところを見たことあるが、幼馴染みにしては空気が甘過ぎないか?会話自体は普通のことなのに、恋人同士にしか見えない雰囲気を醸し出してたぞ」

「まあ、そう思うよな」

「二人が一緒にいるところは見たことあるのか。だったら、そこから、弘樹が心配そうに奈緒の頬に手で触れるのを想像してみたらどうだ?」

 義人が何気なく言った言葉に、真斗がそれを思い浮かべるような顔をする。

 すると直ぐに、不思議そうにしていた表情が、軽く眉を寄せ無表情へと変化していった。

「あまり遭遇したくはないかもしれない……」

「どういう意味だ」

 それまで言いたい放題言われるのを黙って聞いていた弘樹が、憮然とした顔で真斗を見返す。

 それを気にすることなく真斗は、無表情なまま淡々とした口調で呟いた。

「空気が甘過ぎて耐えられそうにない」

「あのな…」

「あははっ、だよなあ。大抵それ見た奴ら真っ赤になって固まるもんな!俺らも最初はそうだった。流石に今は慣れたけどさ」

「慣れるもんなのか…?…それは兎も角、二人とも極上の美形だから余計にそう思うのかもな。それにしても、本当にびっくりするくらい綺麗な顔してるよな。二人ほど綺麗で整った顔立ちをしている奴は、東京でも見たことがない。その二人が幼馴染みとか話が出来過ぎてないか?」

「そう思うよな。皆それはびっくりするもんな。それにしても、東京でも弘樹と奈緒ほどの美形っていないんだ?」

「まあ、俺が会ったことないだけかもしれないけど。でも、このレベルの顔がゴロゴロいたら、逆に怖くないか?」

「違いねえ」

 遠慮なく素直な気持ちを口にする真斗に、弘樹が苦虫を噛み潰したような顔になる。

 それに構わず当麻が、笑い声を上げながら真斗に同意し、義人と秀行もうんうんと頷く。

 弘樹はそんな彼らの態度に眼を眇め軽く睨むが、全く気にもされない。

 そして更に真斗は、それを知らないが故に、言ってはならないその疑問を口にした。

「弘樹が彼女にベタ惚れなのは見ていて直ぐにわかったけど、告白はしないのか?いつまでもただの幼馴染みでいるつもりはないんだろう?」

「ぐっ……!」

 真斗に痛いところを突かれた弘樹が、顔を引き攣らせ言葉に詰まる。

 その様子に、他の三人はまたしても苦笑を零した。

「ああ、それ、禁句な…」

「えっ…?」

 義人の言葉に真斗が首を傾げる。

 それと同時に、呻くような声が聞こえてきた。

「俺だって、何度も何度も告白しようとしてんだよ。なのに、何故かいっつもタイミングが悪くて、それどころじゃなくなるんだよ…」

「あっ…」

 遠い眼をして呻きながら項垂れる弘樹に、真斗が何かを察する。

 そして義人達三人は、そんな弘樹の姿に苦笑しながら、暫くそっとしておくしかないかと顔を見合わせたのだった。

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