第17話


 四限目の授業が終わり、クラスのほぼ全員がげんなりとした顔をしていた。

 授業の度に教師の怒声が響き渡るのだから、それも仕方のないことだろう。

 中等部の頃であれば、その原因の殆どは弘樹であったが、彼が高等部に入ってから怒られたのは最初の授業だけ。

 教室では基本的にぼんやりとすることが出来ない状況に陥っていることもあり、中等部の頃は日常茶飯事だった奇妙な行動も、最初の一回だけで済んでいる。

 今現在、その原因を作っているのは、言うまでもなくクラスの厄介者である小夜子だ。

 授業中、教科書すら出さずスマートフォンをいじってばかりいるのだからそれも当然だろう。

 何度注意されても聞かず、それどころかゲームの邪魔をするなと逆に怒鳴り返す始末。

 音を消さずに動画を見ていることもあるのだから、教師達のストレスは相当なものに違いない。

 ストレスを感じているのは、勿論このクラスの生徒達も同様だ。

 四限目は担任の授業だったこともあり、遂に放課後まで預かるとスマートフォンを取り上げられていた。

 どうやら、既に小夜子の保護者に連絡し、改善されないようであればそのような処置をすることで了承を得ているらしい。

 彼女の保護者は反発することもなく娘の態度を謝罪していたということだから、それが本当なら、彼女の親は良識があり、娘に随分と手を焼いているのではないかと思われる。

 ただ当の本人は、スマートフォンを返すよう担任に詰め寄っており、パワハラだのセクハラだのと的外れなことを喚いているのだから救いようがない。

 自分が授業を妨害していることも理解していなければ、迷惑行為をしている自覚もないのだ。

 その光景にうんざりしながら、弘樹は奈緒の手作り弁当と自身で用意した水筒を手にし、義人の方へ視線を向けると、彼も既に弁当を手にしており、お互い眼で合図すると、他のクラスの友人二人と合流する為に教室を出た。

 すると、すぐ前を真斗が一人で歩いているのに気付き、思わず声を掛け呼び止めた。

「藤谷、昼飯誰かと一緒?それとも一人?」

「涼川?…一人だけど、それがどうかした?」

 弘樹に話しかけられたのが意外だったのか、少し驚いた様子ながらも、真斗は穏やかな態度で言葉を返してきた。

 小夜子に対する時とは別人のようだ。

「だったら、俺らと一緒にどう?他のクラスの友達も一緒だけどさ」

「別に構わないけど、何で急に?」

 それほど接点のなかった弘樹にそんなことを言われたのが不思議だったのだろう。

 真斗はどこか戸惑っているようだった。

「何となく?今日はある意味、お前のお陰で助かったしな」

「ああ…、別にお前の為じゃない。いい加減俺も、あいつには苛々しすぎて限界だったからな」

「苛々してんのは他の奴らもだろ?俺は休み時間だけでもあいつから解放されて助かったしさ。……お前は大変だったろうけど」

 真斗に言われたことが相当気に食わなかったのか、小夜子は休み時間に彼に暴言を吐き続けていた。

 それはとても聞くに耐えないものばかりで、誰もが眉を顰め、真斗を気の毒に思い同情したほどだ。

「あれは酷かったからな……。それで、どうする?弁当持ってるってことは、食堂じゃないんだろ?」

 これ以上この話を続けても精神衛生上良くないとでも思ったのか、義人が同意しながらも話題を変える。

 それに真斗は少し考えるような顔をした後、控え目に柔らかな笑みを浮かべ応えた。

「じゃあ、一緒にいいか?実は、どこに行こうか迷ってたんだ。昨日までは教室で食べてたし」

「ああ……、流石にあの状況で飯食うのは勘弁だからなあ」

「あんな、目障りで耳障りな奴がいる中でってのは、ちょっとな」

 三人揃って眉を顰め、疲れ切った顔で溜息を吐く。

 誰だって、明らかに的外れで口汚ない暴言を聞きながら食事を始めるなど遠慮したいことだろう。

 実際、昨日までは教室で昼休みを過ごしていたクラスメイト達も、今日は諦めて他の場所を探していた。

 未だに教室で小夜子に詰め寄られているであろう担任も、さぞかし胃が痛いのではないだろうか。

「それにしても、涼川も災難だな。あんな傍迷惑な勘違い女に付き纏われて」

「そうだな…、マジで勘弁してほしいよ…。でも、お前も当分そうなるんじゃないか?」

「そうだろうな。当然、謝るつもりはないけど」

「そんな必要ないだろ。なのに土下座とか、全く何様のつもりなんだか」

 お互いを気の毒に思う真斗と弘樹だけでなく、義人までもが忌々しそうに吐き捨てる。

 実は義人も、弘樹のいないところでしつこく付き纏われているので随分とストレスが溜まっていた。

 弘樹に連絡先を聞いても頑なに拒まれるので、義人に教えろと威圧してくるのだ。

 本人の許可なく勝手に教えるわけにはいかないと断るが、そのような正論が通じる相手ではない。

 結果、目の敵にされ執拗なまでに陰湿な嫌がらせを受ける羽目になっている。

 それを聞かされた弘樹は目眩を覚え、頭を抱えるしかなかった。

 だが、それでも、今朝の小夜子に対する義人の寒気がするほど冷え切った視線とその表情には、違和感を覚えるしかない。

 普段の義人なら、適当にあしらい、相手が何を言おうが無関心を貫き放置していたに違いない。

 話の通じない奴の相手をするのは時間の無駄だと割り切っているところが彼にはある。

 確かに小夜子の態度は異常ではあるが、義人の方も彼らしくないと思わずにはいられない。

 彼の表情には憎悪のようなものが垣間見えたのだから尚更だ。

 それが弘樹は今朝からずっと引っ掛かっていた。

 更にそこに、たった今、もう一つ気になることが追加された。

(なんか、こいつらのお互いを見る眼が意味ありげに見えるのは気のせいか?)

 表面上は、特におかしなところはない。

 見る者次第では、気のせいだと笑い飛ばされるかもしれない。

 だが、妙に何かが引っ掛かる。

 ただ、それを上手く説明することが出来ず、何だかよくわからないが、もやもやとして落ち着かないし気持ち悪い。

(奈緒といい、義人といい、一体何がどうなってるんだ?藤谷も悪い奴じゃなさそうだけど、なんか掴みどころがないっていうか…)

 昨日から、気掛かりなことが次々と出てきている気がして、せめて分散してくれと愚痴りたくなる。

 ただでさえ奈緒のことだけで頭がいっぱいの状態だったのだ。

 落ち着いて一つずつ、じっくりと考えさせてほしいと思って何が悪いというのか。

 そんな苛立ちが、どうやら表情に出ていたらしい。

 義人が、気遣うように顔を覗き込んできた。

「どうしたんだよ、そんな難しそうな顔して?その様子だと、奈緒絡みだろ?」

 図星を指され脱力しながら、なんでそんなに鋭いんだよと、じろりと一瞥する。

 お前もその原因の一つだからなと文句を言ってやりたい気分だ。

 実際には、そういう訳にもいかないのだが。

 小さく溜息を吐くと同時に、ここ数日の昼食場所としている体育館の屋外階段に、他のクラスの友人二人が既にいることに気付いた。

 そこで弘樹は、食事中くらいはあれこれ考えるのはやめておこうと、一旦、頭を切り替えたのだった。

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