第7話

 いつものように恋人を家に送り届けた後、買おうとしていた本があったことを思い出し、向かった書店で偶然中学の時の友人に会った翔は、暫し立ち話をしたこともあり、いつもより遅い帰りとなっていた。

 そして帰り道の途中、その気配を感知したのは家まで後少しというところだ。

 身に覚えのある嫌な気配に瞬時に緊張が走り咄嗟に身構えるも、すぐに何かおかしいことに気付き、険しい表情はそのままに、その禍々しい気配に意識を集中させた。

(気配が二つ…?しかも強さが違う……。どちらもここからは随分離れているみたいだな。北の方はかなり小さい、いや、遠い…か?後一つはそれよりはずっと近いな。南、というよりは南西?……九州か?)

 近いと感じた方により意識を集中させた途端、周辺の空気が揺らいだ。

 その直後、翔の眼の前に広がっていたのは、見知らぬ町並だ。

「……ここは、何処だ?」

 驚く間もない一瞬の出来事に、先程までの緊張感が霧散し、呆気に取られたのだった。



 人間ではないことは、予感、というより確信していた。

 それでも振り向いたその先、二十メートル程離れた場所にいたその女を視界に収めた奈緒は、顔を強張らせ息を呑んだ。

(――!何あれっ!?)

 全身が透き通っているというより、半透明と表現した方が適切だろうか。

 しかも、僅かばかり宙に浮いている。

 その異様な姿をした女が、こちらをじっと見ていた。

 いや、それが女であるかどうかは定かではない。

 感覚的に、女だと感じただけだ。

 その者の体つきを見れば、女だと言っても差し支えないだろう。

 尤もその者に対し、『体つき』という表現を用いること自体、微妙なところではあるが。

 だが奈緒の眼は、その異形の者の顔だけを映しており、それに気付く余裕はない。

 その顔の恐ろしさに、言葉を失っていた。

 禍々しさを増幅させているその顔は、般若面によく似ていた。

 角のない般若面、と言ったところだろうか。

 鬼の面に似たその顔に、じわり、と恐怖が広がっていく。

 突然、その異形の女は激しい憎悪を露わにした。

 そしてそれは何故か、はっきりと奈緒に向けられていた。

(――逃げなきゃ!)

 漸く起動を果たした思考に従いそれに背を向けると、奈緒は全力でその場から走り出した。



 我に返った翔はスマートフォンを取り出すと、今いる場所について調べ始めた。

 そして画面に表示されたその場所の都道府県名に、何となく予想していたとはいえ驚愕に眼を見開くこととなった。

「――冗談にも程がある……!何なんだよ、次から次へと訳わかんねえ!」

 自分の身に起きたことに舌打ちし顔を上げるのと同時に、先程までと気配の感じ方が変化していることに気付いた。

 遠くに感じていた方はより遠く、近くに感じていた方は、すぐ近くに。

 慌ててその気配に意識を集中させると、五十メートル程先にある角を、人影のようなものが凄まじいスピードで通り過ぎて行くのが見えた。

 そのすぐ後を、捉えようとしていた禍々しい気配を持つ異形の者が、前を行く者を追い掛けるように通り過ぎて行く。

 その姿を視界に捉えた翔は、躊躇うことなく、そちらへと向かって走り出した。



 走りながら肩からずり落ちそうになるスクールバッグをしっかり掴むと、直感に従い、奈緒は自宅とは違う方向へと足を向けた。

 正直なところ、走るのに邪魔なスクールバッグを追って来る化け物に投げつけたい衝動に駆られているのだが、恐らくそんなことをしても意味はない。

 それに、自宅の鍵やらスマートフォンやらが入っていることを考えると、迂闊にそんな真似は出来ない。

 そんなことをしてスクールバッグを失くすようなことになれば、当然困ることになる。

 そんな現状考えても仕方がないようなことを、妙に冷静に考えていたりするが、実際は、冷静とは程遠い状態にある。

 奈緒は、現在自分がどれだけの速さで走り続けているのか、全く気付いていなかった。

 奈緒の運動神経は平均よりやや上という程度であり、脚もそれほど速いわけではない。

 だが今現在、普段の奈緒より速いどころか、短距離の世界記録保持者を軽く凌ぐであろう速さで走り続けている。

 そのスピードは更に上がり続け、人ではあり得ない速さとなっていた。

 当然そのことに気付く余裕などなく、奈緒は恐怖に怯えながら、ただ闇雲に走り続けていた。



 翔が異形の者達が通り過ぎて行った角に辿り着いた時、既にそれらの姿はそこから見える位置にはなかった。

 改めてその気配に意識を集中させ、どの辺りにいるのかを探る。

 そう苦労することなくすぐに、それの大凡の位置を掴んだ。

(あの角を曲がったのか…!)

 迷うことなくその場所へと急ぐ。

 だがそこへ着く直前、またしても進む方向が変わったのを感じた。

(また姿が見えないところに……!)

 翔は再度スマートフォンを取り出すと、地図アプリを立ち上げる。

 道のわからない見知らぬ場所で闇雲に走り回っても埒が明かない。

 翔は異形の者の気配と実際に見える景色、そしてスマートフォンの画面を照らし合わせ、どう行動するか判断するということを余儀なくされるのだった。

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