第6話
翌日の放課後、奈緒は約束通り教室に残って藍子の手伝いをしていた。
ただ、前日に余程頑張ったのか面倒な作業は全て終わらせてあり、後はプリントを綴じるという比較的単純な作業を残すのみだ。
とは言え、結構な量があり、それなりに時間の掛かるものではあったのだが。
前日に引き続き残って手伝っている智代と三人、時折会話を弾ませながらそれ以上に手を動かし、何とか全ての作業を終わらせたのは午後五時三十分を少し過ぎた頃だった。
「二人ともありがとう。助かったよ」
藍子がプリントの束を整えながら、ホッとして大きく息を吐き出す。
そして、安心したことで一気に疲れが出たのか、気が抜けたように机に突っ伏した。
「昨日、コピー機が紙詰まり連発した時は焦ったわ……」
「あれがなきゃ、まだ進んでたからねえ」
「本当だよ……。奈緒ちゃんが同じクラスで良かったあ、智代と二人じゃ終わらなかったかも……」
机から顔を起こした藍子が、「まだ、クラスの他の子には頼みにくいし」と苦笑する。
だが、入学してまだ日が浅いのだから、それも仕方ないことだ。
それに、基本的に明るくて面倒見のよい藍子ならば、そう時間を掛けることもなくクラスに馴染むことも可能だろう。
「ある程度クラスの子達のことがわかってからじゃないと難しいよね。あたしは、久し振りに藍ちゃんと話せて嬉しかったから構わないけど」
「あたし、中学上がるのと同時に引っ越しちゃったからね。駅五つ離れたとこだから、同じ小学校の子と会う機会、殆どなかったし」
藍子は現在隣の市に住んでおり、小学校を卒業してからは近所でばったり会うということもなくなっていた。
実際に会えたのは三年振りになる。
入学式当日は、この教室で再会して、お互いに手を取り合って喜んだほどだ。
「そういえば、来週辺り、宿泊研修の資料も作らなきゃいけないんだよね」
「そっか、今月下旬だもんね」
「あたし達特進科は山に篭っての勉強合宿、その間普通科はオリエンテーリングとかやるのよね」
三人は約二週間後の宿泊研修のことを考え、揃って憂鬱そうに顔を曇らせた。
奈緒達が通う学園では毎年四月、高等部の一年生は隣県の山にある施設で二泊三日の宿泊研修を行っている。
今年は四月二十七日から二十九日の三日間だ。
最終日が祝日と重なっていることもあり、一年生はそれが終わった翌日からゴールデンウィークの連休に入ることになっている。
研修先では、朝食は学園側が用意したものが支給され、昼食と夕食は生徒が班毎にそれぞれ準備するというのは各クラス共通だが、特進科は勉強がメインであるのに対し、普通科はオリエンテーリング等身体を動かすことが予定として多く組まれている。
特進科も身体を動かすことが全くないわけではないが、基本的に勉強中心で予定が組まれているというのは、やはり気が重くなる。
予めわかっていたこととはいえ、三人が研修のことを考え憂鬱になるのは無理もないだろう。
「そうだ、うちのクラス、出席番号順で班決めすることになってるの。基本的に男女三人ずつだから、あたし達三人は一緒の班だよ。あたしと智代は料理苦手だから奈緒ちゃん一緒で助かった!」
「藍ちゃん…、料理苦手なのは相変わらずなのね」
「恥ずかしながら、全然上達しなくて……。洗い物とか片付け頑張るわ……」
奈緒が小学生の頃を思い出しくすくす笑うと、藍子は情けないと顔を顰め、智代も苦笑しながら肩を竦める。
二人にとって料理は大の苦手で弱点でもあった。
「そういやうちの学園、何で和桜学園なんだろうね?」
「えっ……?」
不意に思い出したというような藍子の唐突な言葉に、智代が不思議そうに首を傾げる。
奈緒にとっては聞き慣れた疑問であったが、智代は何のことかわかっていないようだ。
「いや、学校法人藤谷学園なのに、何で藤じゃなくて桜かなって」
「…あっ!」
学校法人藤谷学園・和桜学園。
それが、奈緒達が通う学園の名称だ。
藤と桜、共に花の意味を持つ漢字でもある為、何故学園名に藤ではなく桜が用いられているのかと疑問に思う生徒は少なくない。
奈緒自身も、それを以前から不思議に思っていた。
因みに、藤谷は学園創設者の姓名である。
「学園名の由来は、公にされていないからね」
「だよね?学園案内のパンフにも記載されてなかったもん」
学園名の由来は、生徒手帳にも記載されていない。
教師に聞いても知っている者はおらず、公にされていないことも含めて、その由来については謎のままだった。
「そういえば、藤谷先生って学園創設者の子孫なんだっけ?」
「そうみたいだね……って、やばっ!プリント職員室に持ってかなきゃ!」
名前を聞いて思い出したのか、時間を確認した藍子が慌て始める。
時計を見ると、下校時間の午後六時まで残り十五分を切っていた。
それに気付いた奈緒と智代も急いで帰り支度を始めると、教室後方のドアが開く音が聞こえた。
「作業の方はどうだ?」
三人に声を掛けながら教室に入って来たのは、先程話に出てきたこのクラスの担任教師である
幸人は机に置かれたプリントの束を見ると、ホッとして柔らかな笑みを浮かべた。
「終わったようだな。ありがとう、お陰で助かったよ。プリントは俺が持って行くから、三人共早く帰りなさい」
「えっ、でも重くないですか?あたし達も運びますよ?あっ、でも奈緒ちゃんは電車の時間……」
藍子が一緒に職員室までプリントを運ぶと申し出るも、電車通学である奈緒のことを気遣う。
バス通学である藍子と智代はバスの時間まで少し余裕があるので問題ないが、電車通学である奈緒は職員室に寄ると、急いでも間に合うか微妙な時間だ。
「走れば間に合う、かな?」
時計を見ながら難しい顔をする奈緒に、幸人が苦笑しながら首を横に振った。
「職員室に寄らなければ、急がなくても大丈夫だろう?無理せず先に帰りなさい。ああ、そういえば佐倉は、佐倉恭一の妹だそうだな?」
「はい。兄も、先生のクラスだったそうですね?」
「ああ、昨年度までは理数系コースの担任だったからな。…っと、悪い、電車に乗り遅れるとまずいな」
少しとはいえ引き留める結果になってしまい焦る幸人に、奈緒はまだ充分間に合いますよと笑う。
だが素直に厚意に甘え、幸人と挨拶を交わし、藍子と智代に手を振ると、一足先に教室を出た。
その後、教室で交わされた会話を聞かずに済んだのは、奈緒にとっては幸いだったかもしれない。
「そういえば、佐倉の兄貴とその周りとで、妹に会わせろ会わせないってよく言い合ってたんだよなあ」
「奈緒ちゃん、かなりの美人ですからね。本人、全く自覚ないですけど」
「それで、妹に会おうと中等部に忍び込もうとした奴らがいてな。すぐにばれて大目玉食らってたんだが、あの時は参ったよ……」
「…先生、それ、奈緒ちゃんには言わない方がいいと思います……」
「そうだな……」
幸人は当時を思い出して疲れた笑みを浮かべ、藍子と智代は制服に関する噂があったのを思い出し、それが理由ではないことを理解しながらも思わず顔を引き攣らせてしまったのだった。
最寄り駅に着き電車を降りた頃には、午後六時三十分になろうとしていた。
奈緒は急いで夕飯の支度をしなければと、徒歩十五分程の道程を足早に歩く。
五分程歩いて、駅と住宅街との間にある人通りの少ない一本道に差し掛かった時、不意に異変を感じた。
背後に突然生じた悍ましい気配に、背筋にこれまで感じたことのない強い悪寒が走る。
(生きてる人間じゃない……)
そう予感しながら、恐る恐るゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、身体が透き通った異形の女だ。
その女が、奈緒を見て、にやり、と笑ったような気がした――。
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