第3話

 背筋をぞくりと伝う冷たい感触に背後を振り向くと、半透明の女がにやりと不吉な笑みを浮かべた。

 それを、女、と言ってもいいのかどうか微妙なところではあるが。

 その女が、敵意を剥き出しにして攻撃を仕掛けてきた。

 それを咄嗟に右手を突き出し、自身の前に張り巡らした障壁のような物で防ぐ。

 直後、一度胸元に引き寄せた右手を再び突き出し、その女に向けて、現時点で出来うる限りのありったけの気を撃ち込んだ。

 肉体を持たぬそれは、苦悶の表情を浮かべると、全体が鈍く光り、ふわっと霧散した。

 やがて辺りは、何事もなかったかのように、元の、夕暮れ時の静けさを取り戻した。

「一体、何なんだよ、あの化け物は……、何で、俺を狙うんだ?それに、何で、俺に、こんな力が使えるんだよ……」

 その少年、小早川翔こばやかわかけるは、障壁を張り、化け物に気を撃ち込んだ自分の右手を見詰め、呆然と呟いた。

 彼が、今の化け物のような女と遭遇したのは二度目、この力を使ったのも二度目だ。

 先日、初めてあのような者と出くわした際、禍々しい空気を放つそれに身の危険を感じるも、恐怖に脚が竦み、逃げ出すことも出来なかった。

 目前にそれが迫り、ぎゅっと硬く眼を瞑った後、気が付けばその力を使っていた。

 その時、どうやってその力を使ったのかは憶えていない。

 今も意図して動いたわけではなく、身体の動くまま流れに任せただけだ。

 何故この力を突然使えるようになったのか、何故あのような異形の者から危害を加えられようとされるのか、全くもって意味不明だ。

 前触れとも言えるのは、最近頻繁に、此の世ならざる者の気配を感じるようになったくらいだろうか。

 それも、関係があるかどうかなど、勿論不明だ。

「もう、訳わかんねえ……」

 その場に立ち尽くし、暫くしてから少し落ち着きを取り戻すと、ぐしゃっと乱暴に髪を掻き揚げ、溜息を吐いた。

 そうして脳裏に浮かぶのは、恋人の姿だ。

 勘の鋭い彼女は、先日の一件の後、すぐに翔の異変に気付いた。

 翔としては、心配を掛けたくなかったので隠しておきたかったのだが、それを許してはくれず、結局包み隠さず話さざるを得なくなってしまった。

 その後は、隠されるより死ぬ程心配した方がマシだと、こっ酷く怒られた上に泣かれ、宥めるのに一苦労した。

 恐らく今回も、すぐに気付かれてしまうだろう。

 黙っていればまた機嫌を損ねるのは間違いないし、翔としては頭の痛いところだ。

 小柄で小動物のように可愛らしい彼女に、眼にいっぱい涙を溜めてぷるぷる震えながら訴えるように見上げられると、罪悪感で居た堪れなくなってしまう。

 それは勘弁してほしいので、何としてでも避けたいところだ。

 さてどのタイミングで切り出そうかと、考えては途方に暮れてしまう。

 そうする内に、そう言えばこの前もこれくらいの時間だったなと、不意に思い出した。

 彼女を家に送り届けるのはいつものこととはいえ、今日は学校帰りに寄り道をした為、いつもよりは遅い時間だ。

 普段、特に用事がなく、学校帰りに真っ直ぐ彼女を送って家に帰るだけならば、とっくに自宅に着いている頃だ。

 これは、何かの偶然だろうか。それとも、この時間であることに何か意味でもあるのだろうか。

 取り敢えず、彼女が一緒の時ではなかったことにホッと胸を撫で下ろす。

 彼女を危ない目に遭わせたくないし、恐怖に怯えさせてしまうことになるのも絶対に嫌だ。

 あの化け物が視えているのは自分だけなのか、それとも他の者達にも見えるのかは現時点では確かめようがない。

 前回も今回も、周囲には誰もいなかったのだ。

 仮に、霊感の強さが関係しているとなれば、自分より霊感の強い彼女には、間違いなく視えていたことだろう。

 あの化け物を実際に視てしまえば、更に心配を掛けることになるのは避けられない。

 あんな者に理由もわからず襲われて、何も心配するなというのは流石に無理があり過ぎる。

 それにしても、と、今更ながらやけにあっさりあの化け物を倒せたことが引っ掛かった。

 後から考えてみれば、あっさりし過ぎて拍子抜けするくらいだ。

 だからと言って、楽観視するつもりはないし、逆に警戒心は増していくばかりだ。

 もし今後、同じような化け物が現れたとして、これまでのように上手くいくかはわからない。

 今のところは対応出来ているが、次は自分の手に負えないような強者が現れないとも限らないのだ。

 その場合、自分がどうなるかを考えた途端、背中に冷たい汗が流れ、思わず身震いしてしまう。

 思い付くのは、最悪の事態ばかりだ。

 翔は、ぎゅっと眼を瞑り思いっきり頭を振ると、大きく息を吐き出した。

 いくら考えたところで、現状では何も答えは出やしない。

 あまりにもわからないことが多過ぎるのだ。

 それに、差し当たって考えなければならないのは、今回の件に関する恋人への報告だ。

 家に着いてすぐ電話した方がいいのか、それとも、明日学校で直接顔を合わせて話した方がいいのか。

「さて、美紅に何て言うかな……」

 翔は恋人の名を呟き、半ば現実逃避しながら、薄暗くなり始めた空を仰いだのだった――。

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