第4話

 高等部に入って最初の授業が行われた日、六限目の授業が終わると、奈緒はホッと肩の力を抜いた。

 特進科の文系コースである一年一組、その教室で奈緒は手早く教科書やノートをスクールバッグに仕舞うと、机に頬杖をついた状態で周囲をサッと見回し、やっぱり雰囲気が違うなあとぼんやりと考えた。

 中等部までとは違い緊張感に溢れているのは、より成績優秀者が集まっているせいだろうか。

 尤も、緊張感の欠片もない弘樹が同じクラスにいる状況しか知らなかった奈緒にとって、これが普通なのかそれともそうではないのかは、判断が難しいところだが。

 中等部と大きく雰囲気が違うのは、クラスの半分程が高等部からの外部入学者であることは勿論だが、制服が違うことも大きいだろう。

 中等部の制服は、詰襟の学生服にセーラー服だが、高等部は男女共にブレザーの制服だ。

 又、女子は式典等ではスカート着用が義務付けられているが、それ以外はスラックス着用も認められている。

 購入は希望者のみであり、早速着用している者も見掛けるが、奈緒は特に必要性を感じなかったので、スカートのみを購入している。

 何故中等部と高等部で制服が違うのかは不明だ。

 中等部の生徒が高等部の敷地へ、逆に高等部の生徒が中等部の敷地へ許可なく立ち入るのを防ぐ為だという噂があるが、真相は定かではない。

 中等部と高等部の敷地は隣接しているのだから有り得ないことではないが。

 どちらにせよ、成長著しい年頃の生徒達が六年間同じ制服を着続けるのは中々厳しいことだろう。

 保護者にしてみれば、出費の面で不満を持つ者がいてもおかしくはないかもしれないが。

 ホームルームが終わり、スクールバッグを手にしたところで、奈緒は、すぐ後ろの席の女子生徒に声を掛けられた。

「奈緒ちゃん、明日って放課後残れる?」

 振り向くと、クラスの副委員長である椎名藍子しいなあいこが、クラス委員長の沢木亮さわきりょうと二人並んで困ったような顔をしていた。

「特に用事もないから大丈夫だけど、どうしたの?」

「沢木君とあたし、先生に頼まれた作業を明日までに終わらせないといけないんだけど、沢木君、明日はどうしても外せない用事があるの。だから、手伝ってもらえないかなあと思って……」

「悪いけど良かったら頼めるかな?今日の内に出来る限り頑張っておくから」

 申し訳なさそうに頭を下げる二人に、ああ成程、と納得する。

 二人は高等部からの外部入学組で、まだ同じクラス内に、それほど親しいと言える相手が殆どいない。

 だが、藍子は奈緒と同じ小学校の出身だ。

 以前から顔見知りだった奈緒に頼むのは自然なことだろう。

 それに、奈緒と藍子は仲の良い友人でもあったのだから。

「別に気にしないで。外せない用事なら仕方ないでしょ?」

 気にするなと笑ってみせると、藍子が心底ホッとしたというように胸を撫で下ろした。

「ありがとう、助かる!沢木君には、明日は何としてもその用事の方を優先してもらわないと、結局、あたしが困ることになるし……」

 ホッとして笑顔を見せていた藍子が乾いた笑いを漏らし、何故か亮は眼が泳いでいる。

 何事かと首を傾げると、それに気付いた藍子が気不味そうな笑みを浮かべた。

「明日、沢木君の彼女の誕生日なんだよね。その子、違う高校に行ったんだけど……」

「ああ、そうなんだ。違う学校ってだけでも寂しいだろうし、誕生日に会えなかったら尚更だね」

 だが、それだけでは藍子が困る理由がわからない。

 そう思っていると、すぐに藍子の口からその理由が語られた。

「そうなの。それにその子、学校が違うことにかなり拗ねてて、沢木君と同じ学校で同じクラスのあたしと智代に八つ当たりしてくるのよ……」

 いつのまにか藍子達のすぐ後ろにいた杉谷智代すぎたにともよが、うんうんと深く頷き、亮は亮で「悪い……」とぼそりと呟いている。

 なんか大変そうだなあと、奈緒は苦笑するしかなかった。

「そう言えば、沢木君と杉谷さんって藍ちゃんと同じ中学だっけ?沢木君の彼女さん、中々凄そうだね」

「そうね、小学校の頃の弘樹君といい勝負かな……?」

「ああ、それは、大変ね……」

 話しながら眼を泳がせる藍子の言葉に、同じく奈緒も眼を泳がせてしまう。

 小学校時代の弘樹を思い出し、それだけで、拗ねまくった亮の彼女の相手をするのがどれだけ大変なことであるのかを察したのだった。

「弘樹って、三組の涼川弘樹?」

「そう、奈緒ちゃんの幼馴染み」

「確か、うちの学園で一番かっこいいって言われてる人だよね?」

 同じ小学校だった藍子はともかく、亮と智代も既に弘樹のことを知っているのかと驚いたが、その理由が智代の言った通り弘樹の外見によるものならば、わからなくもない。

 弘樹は黙ってさえいれば、かなりの美少年だ。

 爽やかな顔立ちで脚もスラリと長く、加えてスポーツ万能。

 毎年この時期は、それに騙されて騒ぐ女子生徒が少なからずいたりする。

 ただし、その熱があっという間に引いてしまうのも恒例行事だ。

 その原因を、奈緒は弘樹のおバカな本性を知って幻滅したからだと思っている。

 だが、本当の理由は全く別のことであり、そのことを奈緒だけが知らないと言っても過言ではないというのが現実だったりするのだが。

「あんなにかっこいいのに、中身が残念な人だとは……」

「いや、あたしが知ってるのは小学校の時だけだから、今はどうかわかんないよ?」

「うーん、小学校の頃よりはマシだと思うけど、でもそんなに変わってないような……」

 項垂れる智代に焦った藍子が慌ててフォローするが、逆に奈緒は全くフォローにならないどころか智代の言葉を認める形になる。

 ずっと一緒にいた所為かもしれないが、小学校の頃と比較して、弘樹が内面的な部分で成長していることがあるのかどうかすぐには思い付かなかったのだ。

「相変わらず奈緒ちゃんは、弘樹君に厳しいなあ……」

「……そうかな?」

「そうだよ!」

 呆れたように溜息を吐く藍子に、奈緒は思わず肩を竦める。

 正直なところ、その自覚がないわけでもないからだ。

「そういやあのバカ女、早速涼川弘樹を狙っているらしいな」

「ああ、あいつね。まあ、そうでしょうね。いつものこととは言え、本当厚かましいったら」

「全くターゲットにされる方は大変ね。身の程知らずって言葉を知らないのかしら?」

 突然の話題転換とともに見せた藍子達三人の険しい表情と辛辣な言葉に、奈緒もあのバカ女とは誰のことだと眉を顰める。

 三人の様子を見る限り、どうやらかなり厄介な相手のようだ。

 しかも弘樹が関わる、いや、この場合は巻き込まれるかもしれないと言った方がいいだろうか。

 そうなると、やはり奈緒としては気にせずにはいられない。

 ただでさえ弘樹自身が何をしでかすかわからないのだから、これ以上余計な面倒事に巻き込まれる羽目になるのはやめてほしいところだ。

「奈緒ちゃん、弘樹君と同じ三組の高梨小夜子には気を付けて」

「それって今、藍ちゃん達が言ってた人のこと?なんか面倒そうな人だけど……」

 心配そうな顔をする藍子に、何だか奈緒も不安になる。

 出来ることならば関わりたくないが、弘樹が絡むとなれば今迄の経験上、そうもいかないだろう。

「そう、かなり面倒な奴よ」

「いろんな意味で凄まじい勘違い女だよな」

「本当最悪な奴よね。まさか、また同じ学校だとは思わなかったわ。あいつがこの学園に合格出来るなんて、なんてとんでもない奇跡なのかしら。同じクラスにならなくて済むのが唯一の救いだわ……」

 嫌悪感丸出しの三人に、奈緒もつい呆然としてしまう。

 一体、どれだけ傍迷惑な人物なのだろうか。

「沢木、椎名、ちょっといいか?朝頼んだ作業のことなんだが」

 何だか微妙な空気になったなと思っていたところに、ホームルームが終わって一度教室を離れていた担任教師が、ノートパソコンとプリントの束を持って教室に入って来た。

 すぐに教卓に向かい作業の説明を受ける二人を見ながら、これ以上変な空気にならなくて良かったと思わずホッとしてしまう。

 三人の眼が完全に据わっていたので、あのまま放っておいたらどんなことになっていたかわからない。

「作業ってどれくらいあるの?今日も残れるから手伝おうか?」

 席に戻って来た二人にそう申し出ると、揃って首を横に振られた。

「今日は大丈夫。明日手伝ってくれるだけで充分だよ」

「明日手伝ってくれるだけでもありがたいよ。本来なら俺がやらなきゃいけないことなんだからさ」

 にっこり笑ってそう言われては、あまり強くも言えない。

 智代の方は、自分の身に面倒事が降りかかってくるのを防ぐ為だからと残って手伝うつもりらしいが。

「そう?それじゃ、あたしは先に帰るね」

「うん、明日はお願いね」

 奈緒は三人に手を振ると教室を後にした。

 そして、まだ残ってるかなと思いながら、弘樹のクラスに向かったのだった。

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