3
結果としてショーは左手の小指と薬指を失い、父は咽喉に麻痺が残った。私は治療を終えた後でも左足を引きずっている。
入植管理局の対応はおざなりだった。渋々ながら見舞金を支払ったのは、β-3農薬によって今期の収穫が増し増益したからだろう。隣の農地を管理する家族は病の後遺症により農場を維持することが不可能になった。入植管理局の役人は、大規模な第三次入植が決まりそうなので、それまで農地が空いていても一向に構わないと事務的に告げた。次の収穫サイクルのための作付け作業は
ヴヴ市街の病院は後遺症を残した
病院を出ると、すでにひとつの太陽が地平の向こうに隠れつつあった。もうひとつの太陽が続けて沈むまでにそう時間は掛からないだろう。私は家に戻ることをあきらめて、
オゼルで検索を掛けても入植管理局の
「贈り物がなくちゃね」と女は訳知り顔で言った。
「
「ヴヴゥズが
「試してみるけど、受け取ってもらえる見込みは薄そうね」
「裏路地のヴヴゥズを相手にしな。ここの連中が逃げるのは私が物を投げつけるせいさ。最近では話し相手にするよりも、適度にいじめてやった方が面白いことに気がついたんだよ」女は汚れた舌を吐き出すようにして、咳き込むまで笑い続けた。
その足でヴヴ人の下に出向くことはためらわれた。
それからというもの市街で用事をこなす度、時間の許す限りオゼルの事を尋ねて回るようになった。答えはいつも決まってノーで、ヴヴの歴史を辿る試みも、親世代の思い出話を聞かされるばかりで進展がなかった。
私はいつしか、ヴヴ人の事を探る変わり者として覚えられていた。そのことで私を邪険に扱う者もいれば、反対に興味を露わにする者もいた。どちらも私を頭のおかしな人間と見ることに変わりはなかった。噂は歪曲された形で
その一方で、ヴヴ人に話を聞く試みは一度として成功しなかった。彼らは私が挨拶の言葉を発する間もなく逃げていった。裏路地に住まうヴヴ人は、旧統治局に寄りつくヴヴ人と同じくらい入植者を警戒していた。ヴヴの名を冠する街で、彼らはコソコソと鼠のように暮らしていた。体が大きな分、その身をうまく隠せないことが一層の哀れを誘った。
その男が迎えに現れた時も、私はヴヴ人との接触を試みていた。
「最近、ヴヴの事を尋ね回る人物がいると私は耳にしました。失礼ながら、それはあなたの事を指すのでしょうか、フェム(ヴヴの女性敬称代名詞)」
「私が知りたいのはオゼルのことです」男の目を見て返答するためには、顔を上向けなくてはならなかった。男はヴヴ人のように背が高く、手足がすらりと伸びていた。
男は洗練された所作で、指を口元にあてがった。
「その名を口にしないことをおすすめいたします。オゼルの名を知る者は少ない。しかし、オゼルの名に覚えのある者は誰しも、オゼルに取り憑かれていると言えるでしょう。あなたは今回、たまたま当たりを引き当てたにすぎません」
私は男に促されるまま
「私はヴヴ人ではありません」ゴプトは私の無遠慮な視線から答えを先回りした。「入植者との混血児ですが、もう片方の血はヴヴのものではありません。
私はバカみたいにこくりとうなずいた。
「私はどこに向かっているのでしょう?」
「ヴヴを探るあなたの活動がシュシュ・ウントの耳に届いたのです。彼女は、あなたに興味を示している」
「私はオゼルの事を……」
ゴプトは指をかざすだけで、私の口をつむがせた。
「あなたの様な
「
「言ったのかもしれないし、言わなかったのかもしれない。私としてはそのどちらでも構いません。問題は、あなたがその言葉をオゼルと聞き、興味を示し、言葉の意味を探っている点にあります」
私は背負い鞄をたぐり寄せ、目当ての物を探り出そうと口を開いた。ふっと
「ここにオゼルと記されています」私は32と記された番号札をゴプトに渡した。
「これをどちらで?」ゴプトは僅かに目を細めたかと思うと番号札を私に戻した。
「私の農地から人骨が出土しました。その番号札は人骨の首に掛かっていた物です」
それから私は詳しい状況を補足した。
「私の父もこれと同じ物を持っていました」とゴプトは言った。
「それが何だかわかりますか?」
「ええ、父から話だけは聞いています。父は幾度もその札を捨てようと試みましたが、出来なかった。父の番号札には43の数字が記されていました。父は『その数字は結果として運の良いものであったが、自分の強運を確信するためには足りなかった』と私に言いました」
「教えてください。その数字の意味するところは何ですか。オゼルとは?この数年というもの毎日その数字を目にしてきました。私は、私の足下で起こった事を知りたいんです」
ゴプトは後ろ手に運転席の仕切りを三度叩いた。
「私にはその資格がありません。あなたの知りたい事を答えられる人物は、私の知る限りシュシュ・ウントを置いて他にいません」
シュシュ・ウントの邸宅は私が未だ足を踏み入れたことのない
私は待合室と思しき小部屋に通された。設えはヴヴの伝統的な装飾で統一されていた。
ゴプトは茶器の載ったトレーを運び込むと、慣れた手つきでお茶を入れ始めた。ゴプトに勧められるままお茶をすすった。それは私たち家族が普段飲んでいる安物と同じ種類のお茶だったが、信じられないほど華やかな印象を受けた。
「珍しいですか?」
私はゴプトに問われてようやく、自分が再びゴプトの容姿に目を奪われていたことに気がついた。
「失礼しました。人に会うこと自体が珍しいものですから」
ゴプトは、私をほんの短い間見つめ、正直な人ですねと言った。私は急にこの場にいることが恥ずかしくなった。
「間もなく、シュシュ・ウントの準備が整います。彼女と会うにあたって私からひとつお願いがあります。決して彼女の視線の先を追わないでください。そして、あなたと目が合わないことを失礼と思わないでください」
私はわかりましたと答えた。
シュシュ・ウントの居室には強いハーブの香気が漂っていた。嗅ぎ慣れない匂いに居心地の悪い思いをしていると、シュシュ・ウントは申し訳なさそうに口を開いた。
「鎮静作用のあるハーブです。心を落ち着けるのに、薬よりもましな気持ちがするでしょう」
シュシュ・ウントは長身の美しい女性だった。胸を反らすように立ち、どこか緊張した様子があった。ゴプトの注意にあったように、彼女は一度も私と目を合わせようとしなかった。視線は神経質に宙を漂い、一瞬の静止と、素早い移動を繰り返した。
「突然お呼び立てして申し訳ありません」シュシュ・ウントはまず私に席を勧め、それからゆっくりとした動きで、部屋の中心に置かれた座椅子に腰を下ろした。彼女の足が悪いことが、同じように足を引きずって歩く私にはわかった。ゴプトは彼女の後ろに控えていたが、窓の方を向き、私たちの会話に参加する気がないことを示していた。
「あなたのことを調べさせてもらいました。第二次入植者であり
「私はイースト・ユーローの出身です。残念ながら、あなたの知るいくつかの
「より大きな物に取り込まれたのかしら?」
「地図から消滅した
「そう?」
シュシュ・ウントは値踏みするかのように私をじっと見つめたが、次の瞬間には、視線は再び宙を舞っていた。
「そのことをあなたはどう思ったのかしら?」
「地図が書き換わることについてですか?」
「そうです」
「とくになにも……私の所属する
「故郷に帰ることを望んでいますか?」
「いいえ。私たちにはもう望むべく故郷がありませんから」
「ヴヴが故郷に変わったのね」
「故郷を持ち得ない人間もいると自覚しただけです。そのような質問をするために私を招いたのですか?」
「もちろん、そうではありません」
シュシュ・ウントは唐突に黙り込んでしまった。
時間がゆっくりと流れていく感覚があった。
シュシュ・ウントは視線を三度同じ軌道で動かすまで口を開かなかった。
「オゼルの名を口にする者がいると私の下まで伝わった時には、あなたへの物騒な対応が提案され、賛同者も多くいる状況でした。オゼルとは、もう口にされることのない言葉なのです。もしゴプトではなく他の者があなたの前に現れていたら、あなたは思いがけぬ苦痛を得ていたかもしれません」
「感謝しろと?」
「いいえ、そうではありません。私はただ事の重大さを理解して欲しかっただけです。あなたは今日この屋敷を出たらオゼルの名を口にすることが許されません」
「オゼルとは何か。私が知りたい事はそれだけです。そして、ここでは思わせぶりな警告しか受け取れないのならば、私は再びオゼルについて人々に尋ねて回ることになります」
「一体オゼルの何が、あなたをそんなにも駆り立てるのでしょう?あなたはオゼルを知らない。オゼルを何も知らないと言うのに……」
シュシュ・ウントの目の動きが一層速くなった。
私は、32の番号札を上着の胸元から取りだしシュシュ・ウントに手渡した。彼女は、それを受け取る寸前、弾かれたように手を引いた。
番号札が床を打つ硬質な音が響いた。
「それをどこで?」シュシュ・ウントの声は震えていた。視線が番号札の上で停止した。
「これは――」
「言わなくて良い。今は聞きたくありません。ゴプト・ワントはこのことについて何も言付けを寄越しませんでした。私は、ああ、私は……」
しばらく経ってシュシュ・ウントは、今日はもう引き取り願うと私に告げた。彼女はひどく動揺した状態から自身を回復させるために口元を動かして数を数え上げた。繰り返し繰り返し、何度も何度も。視線と同じリズムで、執拗に。
「また入らして下さい」
シュシュ・ウントは最後まで気丈な態度を崩さなかった。
私はその部屋を辞すとき、彼女が数え上げた物の正体を探ろうとした。背後には空っぽの棚が二列あるだけだった。シュシュ・ウントが狂人かもしれないという疑念が頭に浮かんで離れなかった。
「感謝いたします」
「どの行いに対して?」
「あなたはシュシュ・ウントの視線の先を探らなかった。そうでなければもっと早くに会話は打ち切られていたでしょう」
「でも、最終的にはひどく取り乱していました。私は、彼女への謝罪の言葉をあなたに託すべきでしょうか?」
ゴプトは両手を合わせ、口元にあてがった。目をつむり、息を吸って吐いた。その一連の流れは祈りの所作を思わせた。
重々しく目を開くとゴプトは言った。
「謝罪すべきはこちらの方でしょう。あなたを、おそらく、不快な気持ちにさせてしまった」
「でも、あなた達はそれをしなければならなかった。なぜならば、そうしなければ思いがけぬ苦痛を私が得る事になっていたから」
「その通りです。理解していただけて嬉しく思います。そして、シュシュ・ウントもまた、あなたを迎え入れることで、思いがけぬ苦痛を得たことを出来ることなら覚えておいてください」
「どうしてあなたは、事前にそのことをシュシュ・ウントに告げなかったのですか?」
「痛みを伴わず先に進むことができない物事が世の中にはいくつかあります。それは必要な痛みであったのです。シュシュ・ウントは痛みを伴うことを覚悟していました。そうでなければ、あなたを招くことなどしなかったでしょう」
ゴプトは私の希望通りに、市街の外れで私を下ろした。
「時期を置いて、ご連絡ください。それまでにはシュシュ・ウントも回復なさっていることでしょう。オゼルの名を口にしないようにくれぐれもお願いいたします」
ゴプトはシュシュ邸への連絡先と共に、カードを差し出した。カードには向こう何年も市街を訪れる度に
私は迷わず
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