第十七話「獅子の獣乱」

 ウィバーナの居る路地裏から吹き荒れた衝撃のごとく風は、四大災害の一つに指定されている[修羅風]というもの。


 [修羅風]とは、種の門が開かれた時、周囲一帯に吹き荒れる凄まじい威圧さを伴った強風のこと。


 壁に叩き付けられた際の痛みなど忘れ、祈るような気持ちでルギリアスが正面を向く。その先に、ウィバーナは居た。


「........ウィバーナ。...俺が、分かるか?」


 その問いに対し、彼女はただ敵意を以ってして否定の答えを返した。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 獣領全体を殺意が包み込んだ頃、その発源地点たる刻限塔の天辺にラーダは居た。


「始めようか、俺の狂宴を」


 誰に向けでもなく、彼は毎回一言を残す。これまでも、これからもそう。


 死神種の特殊能力[借り物の魔法ボロゥ・マジック]は、半径十メートル以内で使用された魔力を奪い、魔法や特殊能力に返還された状態での自分のものとする能力。


 その限られた範囲外でも、一キロの範囲まではどこで魔力が使われたかは認識可能。


 レオンの獣身の異能を解いた後にあった特殊能力の反応は六つ程度。その内、一つは広場の噴水前に立つルギリアスのもの。そして、自分の今居る刻限塔の真下にも一つ、こちらに対して勇敢にも怯えではなく、警戒を抱く者が一匹。


「見つけた」


 不敵に笑い、大鎌の曲刃を正面に構える。

 そこから、既に天辺上の端に立っていながら、ゆっくりと踏み出したラーダ。踏み込む先は無く、高所からただ身を投げるだけ。


 人による垂直落下の加速力。風圧を物ともにせず体勢を崩さぬまま両手に握るそれを上段に構え直し、纏わり付くように闇が武装されていく。


 力のあらゆる法則を歪めるような一撃。反作用など存在しないかのように一直線に障害を破り去り、血肉を引き裂くもの。


 地を割る程の斬撃を勢いに乗せて振り下ろすのと同時、地面に到達する寸前で、刹那の間に張られた水の盾と衝突した。


 爆炎のごとく衝撃と風、それに伴って爆音が響き渡り、しばらくの間、視覚や嗅覚などによる獣種としての異業は為せない状態となる。それは、しばらくが過ぎたとしても、普通では戻りようがないだろう。


 残酷な一撃は、一方から五感以上のものを奪い去ったのだから。


 真っ白でありながら、何もかもが暗い世界で意識は目覚めた。はずが、まだ体は動こうとしなかった。どこも動かすことができなかった。喋ることすら叶わず、必死に音を拾うことしかできない。


 沈黙の中、蠢く闇が地面と曲刃を侵食していく微かな音だけが聞こえた。大鎌に付着した血を舐め進めるように。


 息苦しさのある空間内で、動いた様子のない呼吸音と、鼓動の弱まった弱々しい呼吸音が。時間を要して空気が晴れようとしている状況でも、変わることのない二つの音。


 その内の一つは、違う音を持ち始めた。


 けれど、もう一人には変化がない。相手の変化すら気付かない。何を言われようと返すことなんてできない。


「.......どうした、これで終わりか?」


 終わり?終わるの?何が?


 朦朧とする意識の中では、ただ問うことしかできない。考えることなんて不可能だ。


「貴様はあの時、俺に対してこう言った。お前に引導を渡すと」


 あの時?引導を渡たした?分からない。何を言っているのか、誰に向けて?わたしは今、どうなっているの?


「.........さあ、立て。そして、戦え、抗え、挑め」


 戦う?わたしは今、戦っているの?なら、どうして動けないの?もしかして、負けたの?また、あの時みたいに何もできないまま、誰も助けられないまま、負けてしまうの?......そんなの....。





「嫌だぁぁあああアアアーーーーーーッ!!」


 ルギリアスの問いに対して突然そう叫んだウィバーナ。それが引き金となって、彼女の理性は獣なる本能に全てを呑まれてしまう。


 目は酷く充血し、深い殺意と困惑の念を宿す。奥の八重歯は牙のように凶悪に鋭く、閉じた口から狂気的にはみ出ている。


 そんなウィバーナの醜い姿を前に、ルギリアスは。


「ウィバーナ..............すまない。間に合わなかった」


 元気に笑う本来の在りし姿を思い浮かべ、拳を握り締める。それは自分への無力さと怒りからなるもの。


 過去の過ちをもう一度繰り返した者が後悔と諦めに呑まれた時にする行動と似ている。


 でも、まだ全てを諦める訳にはいかない。まだ希望はある。ここでウィバーナを食い止めて、門を閉じる事ができたなら、目覚めた時に彼女の背負う責任を軽くしてやれる。そうしなければならないと、誓ったから。


 決意の瞳で両拳を獣化させるルギリアス。目の前の少女に対しての、明らかなる戦闘体制。

 それに反応してか、ウィバーナは獰猛に吠える。


「グヴゥーーーーーーーーーーッ!!!!!!」


 真の獣の如き咆哮は、大地を震わせ、大気を歪ませた。

 獣化のされていない足での軽い踏み込みですら地面が簡単に破裂し、局地的な地割れが発生。そのまま攻撃の構えに入る。


「らぁぁあああアアーーーーッ!!!!!!」


 再度の咆哮、自身を鼓舞させるとともに、己の能力の解放を本能的に促すためのもの。


 共鳴したのは、左のこめかみに装着された[三色の魔導器]。眩い光を放って、夜に覆われた一帯を照らす。


 続いて、そこから放出されたのは、それぞれの色を持つ魔力たち。赤・青・黄の無数の魔力たちが周囲を飛び交い、中心のウィバーナへと収束していく。


「まさかっ」


 ルギリアスの抱いた驚きは当然のこと。この現象を目にするのは初めてだからだ。ウィバーナの魔力を使用した特訓はいつもルギリアスの前で行われていた。


 正気のウィバーナが制御できなかった事が、門を開いた事で為されようとしている。


 収束していった魔力たちが、ウィバーナの身体に浸透するように染まっていく。


 火属性魔力による炎の獣腕は攻撃の基となり、水属性魔力による水の装甲は防御の要であり、雷属性魔力による全身雷装は電光石火の素早さの源となる。


 他種族との多重血たるウィバーナだからこそ可能とする状態技。それも、門を開いている今だから。


 そう、今のウィバーナでは門を開かないと発動することができない。それ程の状態にある。


「まずいな、これでは俺一人の対処は不可能だぞ」


 圧倒的に実力差と対峙して、ルギリアスが微かな絶望を持ってこぼす。


「門を開き、三色の魔力を身に纏った状態。開放をしたという事は、相当な負傷があったはず。おそらく、[緊急体制]も発動中か」


 ウィバーナの持つ獣身の異能[緊急体制]。負傷の数だけ身体能力が高まっていく能力。


 今のウィバーナの状態は完全なる状態と言えよう。


 他の[五神最将]ご駆け付けたとしても、三人がかりでどうにかできるレベルではない。


 となれば、ウィバーナが暴れ終わるまでまで待つしか。その際、これだけの大盤振る舞い、魔力が尽きていても不思議はない。


 .......もし、ウィバーナを助られる方法が奇跡以外に可能性があるとしたら、それは。


「奴の特殊能力、[データ改ざん]か」


 詳しい効果は聞いていないが、闘技場での戦闘を見る限り、相手の能力を改変させるものだろう。それを応用すれば、ウィバーナを止める事ができるかもしれない。


 しかし、カイザンを置いて思いっきり走ってきたルギリアス。それに、カイザンがレオンに対して特殊能力を放ったことは分かっている。


 闘技場でカイザンがあまり魔法を使用しなかった理由きっと、魔力保有量が少ないため。


「ならば、今の俺がするべき事は、時間稼ぎか」


 時間稼ぎならやり様はいくらでもある。修羅風やその前の爆発音には他の団員も気付いているはず。


 正気の消えたウィバーナとなら、回避戦に持ち込めば対等に戦える。回避戦、つまり、速さ。


「獣身の異能[月下の蹂躙]」


 狼獣人、ルギリアス。彼の獣身の異能[月下の蹂躙]は、夜の深さに比例して俊敏性が増していくもの。同時に、体力消費もそれに比例してしまう。


 時間稼ぎが目的地のルギリアスだが、これを使わなければ戦闘開始から数秒も経たずに命を落とすことになる。


 命は尽くさず、出来ること、最善を尽くす。


「....行くぞ」


 先手とばかりに駆けるルギリアス。


 防御と攻撃。素早さ以外の戦闘要素で確実に劣っている以上、先手を奪われて攻撃を受けるよりも、無謀と分かっていても自分が先手を取る方が優勢への近道。


 今は深夜とそれ以前との境界線の時刻。近距離戦闘での速さでは負けない。....はずだった。


「ぐはっ」


 筋骨隆々とした肉体に、めり込むような蹴りが入る。腹筋を軽々と通過した衝撃が身体の芯まで響き渡った。


 防御の間に合わない刹那の急襲だ。


 攻撃の体制、両腕を獣化させて駆け出したルギリアス。彼の動きを微風だと嘲笑うように、狂風が吹き荒れた。


 小さ過ぎる踏み込みから飛び込んだウィバーナは隙だらけの下っ腹に強烈な跳び蹴りを放ち、勢いに圧されることなくその場に軽く着地する。


 一方、ほぼ無防備の状態でそれを受けたルギリアスは、蹴り飛ばされた先、壁面に叩き付けられる前に足を着き、減速から停止に成功。着地だけは。


「がはづっ」


 防御なしで今のウィバーナの一撃は重過ぎる。

 吐血寸前まで追い詰められ、膝を着いて四つん這いとなって、荒い呼吸を繰り返す。


「....バカな。これ程までに強化されているのか。あり得ない。あんな速さは.......なっ、紫の.....紫電だとっ」


 立たねば、その意志の下、愚痴をこぼしながらゆっくりと立ち上がったルギリアスが驚愕に目を剥く。


 ルギリアスが見たもの、それは紫電。それとは正しく、ウィバーナが纏う魔力の一つが上位色に達している光景。


 見れば、上位色は紫電だけではない。

 火属性魔力は緋炎、水属性魔力は潤碧。三上位色の同時使用。


 こんなもの、どう抗えばいいというのだ。


 ルギリアスの中で、諦めという言葉が存在を主張する。


 [強調五感]が感じ取ったのは、数百メートル先からこちらに向かう気配が数名。団員がカイザンかは分からない。


 まだだ、ここで諦める訳にはいかない。


 何としてでも、ウィバーナを助ける。

 自分がここで少しでも時間を稼ぐ。そうしなければならない。自分が[五神最将]となったあの日から、その意志は揺らいだことはない。


「....それに、俺はお前の師匠でもあるからな。簡単に負けてやる理由はない」


 この意志を全うしてみせる。


 ウィバーナの理性はもう、獣種の門[獅子之獣乱]に喰われてしまっている。さっきの攻撃が暴走本能に支配されて動き出した証拠。


 傷一つに感情を注いでいられない。助けるために、全力で、一切の容赦をしない。


「.....来い」


 その一言と同時、[強調五感]の力を全て視力へと注ぎ込む。この特殊能力は遠くのものを見やすくするものではなく、視力そのものを強化させるもの。当然、動体視力すらも含まれている。


 ルギリアスは今、一瞬の動きも見逃さず、全ての行動に対処、反撃で対応しようとしているのだ。


 この状態は獣化を行えない。それでいい。あれは腕を肥大化させて攻撃の威力を増すもので、殺傷が高い訳ではない。


 そもそも、狼は牙と爪を立てるモノだろう。愛情の一欠片も無く、ただ獲物の殺意だけを抱いて。


「くぅっ、ガァああアアーーーーッ!!」


 ルギリアスの殺意に気付いてか、ウィバーナが動く。


 先程とは一変、地を沈める深い踏み込み。そこから飛び込み一つで急激に接近、燃え盛る獣爪が刄のように斬りかかる。


 対するは、視覚が読み取った情報を利用した本能を中心とした防御反応。これが一番速く、戦いの経験者にとっては最も信頼できるやり方。

 腕を交差し、打撃の予測地点で構える。が、暴走に陥る獣の本能は、それを上回る性能。


 迫る獣爪は、表面的にしか炎を纏っていなかった。では、炎の集中はどこに?

 そこで思考は中断される。


「ぐっ」


 予想外の角度から攻撃が入れられた。


 ルギリアスが防御しようとしていたのとは別の腕。完全なるフェイント。暴走状態でありながら、本能は正常を超えている。


 獣爪の向かった先は、またしても隙だらけの腹。的確に攻めてくる。その上、拳は振り上げられた。真上に突き上げられて、防御が崩される。


 初撃に加えて、これ以上防御なしで攻撃を受けるのは危険。ダメージは絶対だ。


 それは他の誰でもない、ルギリアスが一番分かっているから。


「ーーッツ!!」


 腕を引き、次の攻撃に移ろうとしていたウィバーナが気付いた。


 それへ向けられるのは、目の前の笑み。


「やはり暴走状態、鈍くなったな」


 放たれ、致命的なダメージを与えるはずだった一撃は、防御の間に合うはずがない腕にギリギリで受け止まれていた。


 フェイントに素早く気付けた瞬時の動体視力と、尋常でない反応速度。それ以上に、俊敏性が極限まで強化されていたため。


 周囲を照らしているのはウィバーナの纏う魔力の光のみ。今は完全なる深夜だ。


「早朝までは付き合ってもらう」


 ウィバーナより寸秒速く着地すると、受け止めて掴んだままの華奢な腕を自分側に引いて、肝臓に向けて至近距離での拳撃を叩き込む。


 衝撃が飛び、吐血がそれに混ざって宙を舞う。


 ・・・いったか?


 明らかなるフラグ発言。それを肯定するのがウィバーナ。

 拳撃の余韻を歯を食い縛ることで耐えきり、解放された爪を収めた両手でさっとルギリアスの腕を押さえる。小柄なウィバーナと、大柄なルギリアス。腕に丁度しがみつける対比である。


 動きを制限されたルギリアスが次なる動きを見せるよりも速く、足先に炎を込めて腕を折るように蹴り上げる。


 バギッ、響く骨折と粉砕の音。


「ぐっ」


 片腕ご攻撃としても防御としても意味を無くし、支柱に頼らずに垂れ下がる。


 体躯が影響して、路地裏内で大きく戦えないルギリアス。それを理解しているのか、ウィバーナは小さな体を存分に利用して戦う。


 痛みから、無意識に折れた腕へともう片方の手を伸ばしてしまうルギリアス。ウィバーナの攻撃はまだ終わっていないのに。


 もう一方の腕を先程に続く同威力の二段蹴りで突破し、肉体ごと高く蹴り上げる。

 それを追うように軽く跳躍したウィバーナが路地裏を抜けて屋根を越えると、蹴り飛ばされたルギリアスすらも越えて、前宙の中で踵に大量の火属性魔力を蓄積させる。直後に放たれた強烈な踵落としがルギリアスを地に落とし、その反作用でウィバーナがさらに高く跳んで他の屋根へと移る。


 威力と衝撃、落とされた先にある衝突。叩き付けられる痛み。それぞれ無防備な肉体を一斉に襲い、苦痛から逃れようとする意識が悲鳴を上げ、活動を一時的に停止させる。


「ウィバー、な.......」


 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 時を同じくして、そこは王城。


「レーミア」

「...おっお兄様、どうしてここに?」

「ちょっと様子を見に来ただけさ。それにしても、どうして実の兄との会話で緊張するんだい?」

「それは、そのぉ....」

「まあ、そこはいつか聞くとして。......行くのかい?」

「えぇ、もちろん。あの子は私の義理の妹みたいな存在だから、助けないといけないわ」

「そうか。なら、ぼくにとっても義理って事になる。大丈夫、もしもの時は僕がどうにかしてみせるからさ」

「お兄様に無理をさせないのが私の一番の役目だから、そんな事にはならないわ」

「そうかい。じゃあ、頑張って来てね。今夜は特に長くなる。気を付けて、そして必ず助けて来るんだよ」

「お兄様に頼まれたのなら、私に全うしない理由はないわね」


 兄、リュファイスと別れて数秒。

 妹、レーミアは小さく悲しそうにこぼした。


「でも、お兄様が本当に望んでいるのは」


 そこから先を口にする勇気をレーミアは持っていなかった。

 いずれその時が来るまで、心の内に秘めておかなければならない。




 殺意と悪意で洗脳されたこの長い夜、獣領での騒乱が本当の意味で始まってしまったことを、一人の死神と一匹の領主だけが知っていた。


カイザン


「.....あれ、今日って俺一人なの?...まあ、そうか。ルギに置いてかれたしな」


「じゃあ。次回、第十八話「狂気の少女と王女の剣舞」....一応、俺今頑張って走ってる状況だから」

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