第10話

 改憲の党の方針転換は大きな話題となった。

 賛否両論の意見が飛び交う中。

 三人の議員から、改憲の党が野党サイドの一員となったことを示す発言が次々と発せられていく。


 与党が出した法案を否決に持ち込み、同時に不信任案の提出を行う。

 それが野党側のシナリオと目されていた。

 彼らの目論見通りならば、一週間後。


 だがそのタイミングで、爆弾が落とされた。


「改憲の党に資金流用疑惑」

「党アイドルと議員のアヤシい関係」

 発売された週刊誌のタイトルは人々の興味を引くのに十分だった。


 いまだに現物でしか読むことの出来ない雑誌という謎の媒体。

 それを入手するのに僕としては大きな苦労をしたのだが、その話は置いておく。


「不透明なカネの流れ」「支援者からの資金はどこに?」

 その記事は改憲の党がクラウドファンディングで集めた資金に関して不透明な流れがあり、私的流用の疑いがあることを幾つかの証言と共に記していた。


「深夜の密会。党アイドルと議員の怪しい関係」

 撮影されたスクープ写真。

 議員宅に入っていく彼女と、深夜に出て行くその姿。

 不倫関係を匂わせる憶測記事。ゼミの同級生が語った「以前から恋人みたいな雰囲気だった」というコメントと共に。


 写真が撮られた日付を僕は確認する。

 それは彼女が「話をする」と言って去って行ったあの日だった。

 あの夜、彼女はそのまま議員を訪問し。

 その姿をカメラマンに撮られたのだ。


 今にして思えば、党の会計が不明瞭だったのも無理は無い。

 短期間で急速に拡大した支援者と、そこから流れるカネ。

 経験のあるしっかりとした会計組織も無く、場当たり的に増えていった党費の支出記録は、とても厳密な監査に耐えられるレベルにはなかった。


 明確な違法の証拠は出なかったが、疑惑を晴らすことはできず。

 そして、彼女たちの敵にとってはそれだけで十分だった。


 彼女たちは確かに新たな選挙戦術を編みだした。

 そして、無敵の強さを発揮した。


 しかし政治家として。組織の管理者として。

 なにより、常にマスコミから注目を受ける有名人として見たとき。

 彼女たちは哀しいほどにただの素人集団でしかなった。


 スキャンダルに対する適切なコメントを発することも出来ず、執拗な取材から逃れることも、組織内部の統制すら取ることが出来ず。

 止めようもなく、次々に傷口が広がっていく。


 党の方針転換で支援者の間に不信感が芽生えた中で、イメージが失墜したのは致命的だった。

 有権者を騙して当選した挙げ句、あっという間に方針を転換した裏切り者。

 疑惑の温床。

 彼女と他議員の確執に関する情報もどこからか流出し。

 それは痴情のもつれという不確かな噂に包まれて。

 人々はやがてそれを事実と断じるようになっていった。


 短期間で高まった人気は、同じように激しく失われ易い。

 一点突破戦術の欠点が、次々に彼女たちへ襲いかかっていった。

 ネットでの書き込みは見るに堪えないレベルとなり。

 裏切られ、傷つけられたと称する人々が彼女たちに償いを求めていく。

 彼女のファンを自称していた者達ほど、それは執拗だった。


 世間の風向きがすっかり変わり。

 誰もが失敗を予感する中で、それでも内閣不信任案は提出された。

 だが、寝返るはずだった与党議員は動かず。

 逆に野党連合側からの離反まで生じて。

 それは無様な失敗に終わった。



 その夜。僕がネットニュースをチェックしていると、久しぶりに彼女がオンラインになった。

 

「起きてる?」

「うん」

 一瞬迷ってから、キーボードを打ち込む。

「ひどいこと、書かれたね」

 それに対する返事は、しばし遅れた。

「スキャンダルはヤバいって、分かってたんだけどね」

 僕たちがその件について話をすることは、二度と無かった。


 気晴らしにクエストに行こう。

 その提案を、彼女は受けてくれた。

 何もかも忘れて、その夜僕たちは。

 夜明けまで、異世界の旅を楽しんだ。



 日が登ってしばらく経った頃。

「お願いがあるんだ」

 そう彼女は言った。

「今日の夕方、支援者に感謝する会があるから。準備しないと」

「そんな。今日?」

「うん」

「なんでこんなタイミングに」

「だって、もともとあんなのスケジュールになかったもん」

「この状況で行くなんて、無茶だよ」


「私、党首だから」

 そう言って、彼女は自分のキャラクターに笑いの表情を取らせる。

「今まで原稿は作って貰っていたんだけど、ケンカしちゃったからね。自分で考えないと。手伝ってくれない?」

「どうやって?」

「このまま話しあえばいいじゃない」


 メールか、あるいは他の通信ツールを使った方が。そう言った僕に対し、彼女のキャラが首を横に振る。

「私、絶対に秘密にしたいの。だけど、どれがセキュリティの高いツールか分からない。それよりこのままの方が安全だと思うんだ。まさかこんなゲームを使って会話しているなんて、誰も思わないでしょ?」

 だけど。そう言いかけて僕は考え直す。

 ゲームの会話ログはテキストで抜き出せる。そう考えれば編集に不自由は無い。第一、新しいソフトを入れていたら時間が無駄になる。

「じゃあ、最初は私が案を考えるね。気になった点があったら、指摘して」



 彼女の草稿を必死に手直しし、聴衆に受け入れられる表現を考えていく。

 だがその途中で僕は何度も言った。

 無理だと。やめるべきだ。逃げ出せば良い。何もかも放り捨てて。


 彼らは理解し合う気など無い。

 彼女が今まで勝利してきたのは、話し合いの場で戦うというルールを守ってくれた相手だけだった。今度は違う。 

 彼らが望んでいるのは対話ではない。断罪だ。

 どんな言葉を使ったとしても、それが相手に届くはずが無い。


「私、逃げたくない。逃げた後、本当は最後までやれば良かったって。そんな後悔はしたくないから」

 そんな単純な話じゃ無いと僕は言った。

 確かに僕は逃げ出した。戦おうとはせずに。

 だけど、だからこそ分かることもある。

 あれに立ち向かってはいけないのだと。


 僕は何度も翻意させようとしたが、彼女は頑なだった。

 逃げ出せば、向けられた非難全てを認めたことになる。

 何よりも、「語り合うべきだ」そう言い続けた自分の言葉が嘘になってしまう。

 それが彼女には耐えられなかったのだろう。


 そして僕は認めざるを得ない。

 自分が、戦い抜いた先の未来を知らないことを。

 だから僕の言葉が、彼女に届くことは決してないのだと。



 僕は最後にもう一度。同じ言葉を繰り返す。

「どうしても、行くの?」

「うん。どうしても」

 多分彼女は、笑っていた。

「私、間違ったことはしていないもの」


 彼女には勇気があった。僕には無い勇気が。だけど。

「今までありがとう。じゃあ、行くね」

 そこで会話は途切れた。


 キーボードの上に置かれた指を動かすことが出来ないまま。

 どれほどの時間が経っただろう。

 巨人が両手を振った。

「さよなら」

 その文字と共に、彼女はログアウトする。

 身動き一つ取れないままの僕。

 やがてシステムからのメッセージが告げられた。

「フレンドリストが更新されています」

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