第19話 暁へ走る



 二ツ龍物語 19 暁へ走る



 雨が降る音をエイブリー=ホワイトホースは退屈げに聞いていた。

頬杖を突き、薄暗い宿の食堂を見回しながら辛気臭い溜息一つ。

理由は宙ぶらりんとなったホワイトホース一党の扱いにあった。


「ユーリの奴どうしてるのかねぇ」

「おっ、気になってそうな顔してるじゃねぇか」

「うっさい脳筋」

「暇が過ぎるというのはその通り。

俺たちみたいなのが手隙なのはいい事ではあんだろうけどよ」


 そう茶化す大男──タイラー=マルテルに女冒険者は手をひらひらと示す。

ユーリ=ペルーンが謹慎を命ぜられてからの冒険者たちの生活と言えば、

立ち遅れた片田舎の、半ば打ち捨てられかけたタバーンを中心に過ぎていた。

やる事といえば装備の手入れや鍛錬。それから片手間仕事。街中の散策だの何だの。

食い扶持にあぶれたり、冬営を始めた兵隊どもと大差がない。


さりとて契約そのものは未だ有効である。勝手に立ち去る訳にも行かぬ。

勢い、冒険者たちは一日の大半を半ば植物的な繰り返しに過ごす事と相成っていた。

その傍らでペルーンの領民共は忙し気に働き、冒険者たちならぬ

傍観者たちとして彼らは過ごしていた。


「ま、退屈なのは俺らも同じだが」

「っていうかさ。何で銀龍の手勢が酒場に出張って来てるのよ」

「そりゃ厄ネタがあるからだろ。ドラゴンとか」

「そっちじゃない。あんた等みたいなのと一緒にいると酒が不味くなる。他所でやれ他所で」

「おや、エルフ流の人間嫌いってやつか?」

「違わい。物騒な連中と居るのが嫌なだけよ」

「冒険者がそれを言うかね。さぁて、もう一杯。酒日和だ」


 からからとタイラーは笑いつつエールを干す。

彼の他にも見慣れない顔が幾つもある。都からの援兵であった。

兵士と冒険者と傭兵とゴロツキ。凡そ与太者は酒と酒場が好きだと相場が決まって居る。

何処から聞きつけたか、彼らストロングウィルの援兵らの少なからずも訪れるに至り、

この古びた宿は半ば以上冒険者たちの酒場と化していた。


ちら、と店主を見る。中年の禿げた男が視線に気づいたか、忙しなくマグを拭き始める。

注文があれば樽から怪しげな酒を酌み、肴の一つでも出そうという魂胆に違いない。

彼としては途絶えた地元客の代わりとなれば何処の誰でも構わないのだろう。

人の流れの急激な変化があったとて、早々商売替えが出来るとも限らないという訳だ。


 それは冒険者たちとて同じこと。今日から労働者に宗旨替えとはいかないものだ。

ライサンダなどは剣を振っているし、うろついている者もいれば、

エイブリーのように戻らぬ雇い主の心配などしつつ日暮らす者もある。

半エルフの女は尖り耳を萎えさせつつ、幾度目かになる思考を再び巡らせ始めた。

現状の困難の半ばはヴォロフ=ペルーンが立て続けに打った政策が元凶である。


 他所から資本を呼び込んでの産業振興に住民の労働者への転換。

のみならず、流れ者や食い詰め物を駆り集めて建設現場に放り込み、

その一方で招き入れたオークだのの鍛冶屋が槌を降るって鉄を叩いている。

それら様々の人種が流れ込んだお陰で少ない食料が更に不足し価格が高騰。

食うに困った連中が早くも騒ぎを起こして治安は悪化。新旧住民同士のいざこざは勿論、

エイブリーらホワイトホースの財布の中身までも直撃していたのであった。


 つまりは、一党の懐具合が宜しくない。

諸物値上がりの一方で賃金は据え置きと来れば差額の分だけ目減りする。

何時までも油を売っている訳にも行かないが、動く名分が立たない。

かてて加えて。エイブリーは壁に貼られた紙を睨んだ。

そこには彼女も良く見知った少年、ユーリ=ペルーンの人相書きと、

罪状が乱雑な筆致で描かれている。下手糞も極まれりだが、余程急いでいるのだろう。

つい先程宿に踏み込んできた領主の兵が壁に打ち付けていったものだ。

恐らく、町の広場や人通りの多い場所に同じものが張られていよう。


「まー、反逆と傷害と殺人の容疑……何やらかしたのか」

「兄貴と喧嘩でもしたんじゃねぇの。人となりならそっちの方が詳しいだろ」

「こんな事する子じゃないのは確かよ」

「どうだか。貴族様騎士様は気位も高いし、ちょっとした事で拗れて不思議あんめぇ」


 名誉だなんだと振りかざし、剣を振り上げぐっさりぐさり。

それで戦の火が灯り、あっという間に大火事だ、とタイラーがおどけて見せる。

エイブリーの脳裏に盛大な兄弟喧嘩の絵図がありありと浮かぶ。

ぶるり、と身震いしつつエイブリーは男を睨んだ。


「ちょっと止めてよ縁起でもない。伝手が無くなったら困るじゃない」


 口を尖らせてタイラーをそう咎めた時だ。

ぎ、と固く閉ざしていた宿の扉が開く。そして、何かを背負った人影が

よろよろとふらつきながら数歩歩み、前のめりに倒れた。


「すまぬ、店主。少しばかり雨宿りを──」

「ちょっと!?ひょっとして、ユーリ君!?」


 敗残兵めいたその人物の声は、紛れもなくユーリ=ペルーンのものだった。


「エイブリーか?すると、ここは募兵の時の……糞っ、大分濡れたな」

「いいからこっちに来てマント位脱ぎなさい。背中の、うーちゃん?」

「そうだ。体に穴が開いてる。どこでも良いから寝かせてやりたい」

「はあっ!?」


 思わず机に両手をついてエイブリーが叫ぶ。

構わずユーリは空いた机を幾つか並べて娘を寝かせると。布を借り受けてかけてやる。

それから少年は兜を乱暴に脱ぎ捨てると、どっかり椅子に腰を下ろした。

頭からつま先までずぶ濡れ、サーコートや靴は泥塗れ草まみれだ。


「……で、一体全体何があったのよ」


 エイブリーに促され、ユーリは館でのあらましを語りだす。

成程、詰めている兵隊共が大騒ぎを始め、少年を血眼で探し始める訳であった。

聞くにつれ頭痛が酷くなるような錯覚を覚えながら、女冒険者は確認と尋ねかけた。


「何。売られた喧嘩を買ってうっかり切り倒したって事?」

「そうだ。危うく殺される所だったから、つい」

「つい、じゃないでしょうが。つい、じゃ」

「無念にも仕損じて取り逃がしたのは申し訳ないと思ってるよ。

ドラゴンだけでも殺しきれたら良かったんだけど」

「そうじゃない。そうじゃないんだってば……」


 蛮族めいた返答に思わず眩暈を覚え、エイブリーは目尻を指で押さえた。

何と答えたものか。仮に少年の言葉を信じるのであれば

一応の名分はユーリにもある。然しながら、壁紙にもある通り領主の意志は明白だ。

領内である限り犯罪者として追われ続ける事は間違いなく、

下手に手を貸そうものなら女冒険者とて咎めを受ける事だろう。

領主裁判で縛り首を宣告される様がエイブリーの脳裏をよぎる。


「坊主、やっちまったな」

「アンタも居たのか」

「ご挨拶だな」


 考えあぐねるエイブリーの横で、何とも軽くタイラーが言う。

男はマントをかけて即席の寝台にしたテーブルに横たわるウーを無遠慮に見た。

目を瞑ったままの娘の顔には痛みの為か脂汗が浮いている。

つ、と掌で額から熱を測るとタイラーはユーリに向き直る。


「しかし、少しチョッカイかけられただけ、って風体でもないだろ。

もう一寸詳しく話してくれ。判断はそれからでも遅くない」

「ドラゴンだよ。あいつのせいだ。兄上の所に居る奴」

「ほう、ドラゴンか。赤いのだな。何されたんだ」

「あいつ、悪魔だのオークだのを率いてて。兄上を誑かして……」

「一杯飲むか?落ち着くぞ」

「いや、大丈夫。……大丈夫。少し疲れてたらしい。この際だ全部ぶちまける」


 手を膝の上に置くと、ユーリは改めて冒険者たちへ向き直る。

事のあらましを伝えるに従って、大男の顔が難しいものに変わっていった。

顎をさすりさすり、頭の中で描いた絵を述べ立てて突き合わせる。


「成程ねぇ。実際、ドラゴン退治を依頼した領主殿がドラゴンと通じていた、か。

もう話し合いで解決ともいかんだろう。いっそ冒険者にでもなったらどうだ?」

「冗談じゃない。故郷から逃げ出せって言うのか」


 暗に逐電を薦めるタイラーに、ユーリは苦々しい顔をして答えた。


「そう言うとは思った。が、戦になるぜ」

「元よりドラゴン退治に来たんだろ。戦だろうが契約は果たしてもらう」

「驚いた。坊主、まだペルーンの人間のつもりか」

「当たり前だろ。あんなものがペルーンであって堪るものか。

兄上が乱心したなら僕が代行せざるを得ないだろ」

「ほう」

「大体、あんな連中と手を結んでまで生き延びて何になる。

意気地も矜持も投げ捨てた我が身一つで落ち延びるなんてこっちから願い下げだ」

「若い、いや幼いねぇ。嫌いじゃねぇけど、意固地になってやしないか」

「いいや、違う。今だから戦うんだ。勝機は今しかない」


 少年の言葉にタイラーが片方の眉を持ち上げる。

エイブリーが困惑しつつ戦いを選ぶユーリに顔を向けた。


「兄弟で戦わなくたって……譲って解決すればいいじゃないの」

「出来ない。それだけは出来ない」

「何でよ。無駄な血を流さなくったって……」

「もし、戦わないならペルーンはペルーンで無くなってしまう。

ただ生き延びたって全部丸く収まったりなんてするもんか。第一だ」


 言葉を区切るとユーリは、やや呆れるよう続けた。


「それを置くとしても領主の館をぶち壊しにした挙句、手勢と愛人まで傷物にしたんだ。

僕が兄上でも絶対に討伐せざるを得ない。皆殺しにするまで収まらないだろうさ」

「……ミ、ミナゴロシ」


 敢えて考えまいとしていた可能性を指摘され、エイブリーの顔が青ざめる。


「そうだよ。君らも僕の側についてたからには兄上たちの標的だぞ。

大体、元々僕の部下なんだから。連座で捕まって処刑されたって何の不思議もない」


 冒険者や傭兵の命は軽いものだ。腕を組んでエイブリーは思案顔を浮かべる。

その一方で決意を固めつつある少年に、タイラーが口を開く。


「それでだ。何時、そう決めた?どうして今戦うってんだ」

「ヴォロフが僕の前で民を殺めた時に。お前ら聞いてないのか?」

「いや、全然。あいつ、俺らには知らせをさっぱり回さなくてな。

話を戻すぞ。それで、どうして今なんだ。理由を聞かせてくれ」


 問われ、ユーリは言葉を選ぶ。


「まだ、ここもドラゴンめの巣には成りきってないからだ。

城も街も作りかけだ。出来上がった後で城攻めをして勝てるとは思えないし、

時が過ぎれば過ぎるほど敵は準備万端で寄せてくるだろう。

そうなる前に潰す。戦うならば態勢が整う前だ。出来なければ屈服するか、逃げるか……」

「面白くはなんねーな。まぁ、俺らとしても仕事を済ませないと帰れん」

「君には悪いが最後まで付き合って貰うぞ。僕たちもお前らも、元を正せばその為だ。」

「この場合、雇い主は誰になるんだ?そこだけはハッキリさせてくれ」

「ペルーンだ。何も変わっちゃいない。乱心した主君を正すまでの事だ」

「ドラゴン殺しの騎士物語か正義の味方か。ジョークとしても面白れぇ」


 タイラーは目を細め、それからエイブリーの方を見る。


「何でアタシの方を見るのよ」

「戦友になるからな。宜しく頼む」

「帰りたい……もう全部投げ捨てて皇都に帰りたい」

「馬鹿言うな、奥方から契約違反問われるぜ。逃げ場なんてねぇよ」

「現実に直面させないで……ユーリ君、頭まで下げちゃってもう。ああもう」


嘆き節を並べつつ机上に突っ伏したエイブリーの頬が溶け始めた頃、

再び音を立ててドアが開く。同時に襤褸切れの塊が勢いよく飛び込んで来た。

かと思うと素早く着地し、道化めいた大仰さで隻腕の指先を一同に向けて胸を張った。


「イヤッホー、皆様お揃いッスね。ここでアチキがエントリーだ!!」


 開口一番、いやに調子良く台詞を吐いたのは何時かの乞食であった。

突然の出来事に垂れ込める沈黙を潜り抜け、ユーリがげんなりした顔でそいつを見る。

常と変わらぬ襤褸を纏った裸足であった。


「今更お前が何処に顔出そうが驚きゃしないが……今度は何だ」

「単純至極、金貨一枚の働きが必要そうだから参上したまでッス」

「……まぁ、確かにその通りだが」

「でしょうがい。このアチキは早すぎもせず、遅すぎもしない。

丁度いい時間にやって来るッス。と、いう訳で頂戴頂戴手間賃頂戴ちょーだい。約束っしょ」


 等と言いつつ、乞食は詰め寄るやユーリの腰嚢目掛けて手を伸ばす。

その手を捕まえ睨みつけ、少年はスリを制する。


「生憎、僕ぁ金貨二枚も手持ちが無いぞ」

「今回は手付。手付ッス。残りは特別にツケにしといちゃる」

「あ、おい。あーあー……取っちまいやがって」


 如何な手管か、それとも単に少年の気の緩みか。

縛からするりと逃れると、乞食は鮮やかにユーリから財布を抜き取ってテーブルに置く。

そして虎の子の銀貨を一枚、器用に指で挟んで取り上げた。


「……二言は無いと言うけど。言う、けれども」


 数度、躊躇し乞食を睨みつけながらもユーリは観念して承諾する。

金貨程ではないにせよそれなりの額である。

面前で掠められれば冷静さも失おうというものだ。


「はっはっは、ケチ臭いこと言わない少年。ま、残りは後で取り立ててやるから」


何とか自制するユーリの前で、薦被りは珍獣めいた図々しさで言った。

ざわめき始める周囲に気づき、おっと、と身を揺すると片腕を広げ、仰々しい所作をした。


「諸君、諸君。勘違いはよくないッス。これは契約、契約ですからッ。

そーだよね、少年。確かに金貨二枚分働いてくれとチミは頼んだ」

「そうだけどさ……むやみやたら満ち満ちたその自信と勢いは何処から来るんだよ」

「それは兎も角!」

「露骨に話題そらしたな。まぁ、いいよ。その銀貨はやるよ。

勝てるかも解らん戦をやるんだ。小遣いなんて気にしてもしょうがない」

「へへへ、毎度毎度。しっかり働くから精々気張って勝つことッス」


 それじゃあ話はここまで、と親指で弾き上げた銀貨を懐に収めると、

やって来た時と同じく、つむじ風のように乞食は外へ飛び出していった。

何だったのかと互いに顔を見合わせる冒険者たち。

一人、走り去った背中を睨んでいるタイラー。ごほん、とユーリが咳払いした。


「何。アイツに弱みでも握られてんの?」

「どうしてだか、あの野郎の言葉聞いちゃうんだよなぁ」

「んなアホな……おかしいでしょ、それ。あん畜生、今度見たら殴り倒してやる」

「兎も角だ」


 不意に、横たわっていた龍が遮る。黙って話を聞いていたらしかった。


「何時までも閉塞していても始まらん。

戦うのだろう。ならば、兵たちの元に戻らねばな」


 何とか体を起こしながら、ウー=ヘトマンはそう言った。



/



 エイブリーに曰く、ペルーン領の現状は一触即発なのだと言う。

夜闇に紛れて街を抜け出す道中でユーリは、

彼ら彼女らが見た今のペルーンの姿を女冒険者から聞いていた。

少年が驚いたのはヴォロフに対して反感を描いている者ばかりでは無い事だ。


「当然でしょ。何だかんだで新しい仕事で食い繋いでる奴らだっているわ。

大層な理屈より今日のパンよ。だから見つからないようにね」


 そいつらに密告されるから、と付け加える女冒険者。

少年少女とホワイトホースの一党は手近な荷馬車をくすねて飛び乗るや、

夜通し馬車を走らせ、雨上がりの暁に空が白みかけた頃、ウーの土地に到着した。


 手勢を移動させる為の別行動、と姿を眩ませたタイラーを除いた一行は、

到着して馬車から降りるや、荷を解き、野営の準備を始めた。

作業しつつエイブリーはユーリ=ペルーンへと見解を尋ねかけた。


「それで、ヴォロフ閣下からの追っ手は来ると思う?」

「来る、というか既に迫ってるよ、間違いなく。兄上もここは知ってる。一番に疑うだろう。

それで無くとも僕らの兵が詰めてるんだ。焼き払いたくなる理由には十分」

「もし、空振りでも手勢が居なくなれば無力化できる、ね。いよいよ戦になって来た」


 見渡せば、土地の様子は相変わらずだ。特に炎にまかれた風もない。

どうやら先んじたらしい。夜通し馬車を走らせた甲斐があったと言うものだ。


「全軍で来ると思う?」

「まさか。まずは居てもいなくてもいい先遣を使うんじゃないか。

その辺の冒険者(ゴロツキ)とかかき集めて何は無くとも兵隊を出すに決ってる。

遅くとも二日、三日ぐらいで来る──戦場を選べると良いが」


 金で釣り、荷馬車か何かに詰め、戻らぬ事も前提にしての偵察だ。

何も無ければ焼き払い、下手人が居れば改めて軍を差し向ける。

勝つか負けるかも問題ではない。寧ろ、敗走すれば名分も立つ。

まずは小手調べ、という訳だ。ドラゴンを寄越す可能性も無くはないが──

恐らく、それは無かろうとユーリは敢えて決断した。


 目を伏せて思考を巡らせていた時、どたどたと慌てた調子で走り寄ってくる音を聞く。

ゴザク=クレイノードであった。ユーリは向き直って告げる。


「それで、ゴザクさん。こちらはそういう事になったのですが」

「……また面倒ごとを。龍殿から備えよ、とは言われてましたけれども。けれども。

限界ってものがありますよ!!武器も足りない、食料も足りない、なのに反乱ですか。

本当に、本当にペルーンの坊主と来たら!!」

「準備は、していてくれましたか」

「ウー=ヘトマン様の申しつけですからな。しかし、しかしですぞ。

領主に言上しに向かって戦を持って帰ってくるとか、そんな馬鹿な話があるかッ!!」


 湯気を上げんばかりに顔を真っ赤にしてゴザクは遂に怒鳴り散らす。

悄然として立ち尽くすユーリの後ろから、漸く立ち上がれるようになったウーが

杖を突き、足を引きずりながら姿を見せた。

それでも納得出来ないらしく、半ば睨みつけるような視線を老人は向ける。


「ゴザクや。そう言うな。仮に今でなくとも、何れこうなっていたと思うぞ」

「今は先送りにしていれば、或いは別の道だってあったでしょうに。

あくまでこれはペルーンの問題です。我々としては勝った方に協力する方が」

「どだい無理だろうさ。一つの土地に二つの龍は居られない。

私は水と風雨で、あちらは鉄と火と硫黄。混じれば煙が吹き上がるのは道理だろう。

それに私はああいう小賢しい女は嫌いでな」

「嫌い、ですか」

「ああ、嫌いだ。目の前で地面に額を擦り付けられようが、見たくもない」

「……良いですかッ、言わせて貰いますからね。今度という今度は、もう!!これ以上無い!!」


 堰を切ってゴザクは言葉を並べ立て始めた。

やれ言われた通りにやって大損が出ただの、それでも進捗は悪いだの、

第一戦で何を得られるだの、略奪されたら損害はどうする気だの。

今となっては最早どうにもならぬ後悔を述べ立てては地団駄を踏んで老人は喚きたてる。

龍と入れ替わりとなったユーリは、集まってくる人々を他所に肩を落として座り込んだ。


「騒ぎも当然起こる、か」

「当たり前よ。自分たちの利害がかかってるもの。

周り見てごらん。私らみたいな冒険者、傭兵くずればっかりじゃないでしょ?」

「……そりゃそうだ。が、残念ながらもう無関係とは行かないよ」

「民を巻き込みたくない、とは言わないのねぇ」

「戦を選んだ時点で巻き込んでる。なら、上手く使うまでの事だ」

「相変わらず妙なところでおっかないわね。で、具体的には?」

「村丸ごとおとりにする。執着していると思わせれば、攻め口を絞れる。でも……」

「これじゃあ、ねぇ」


 一向収まらない騒ぎを前に頬肘をついてユーリは試案する。

少年が悩みを深めていると何やら新たな一団がやって来るのを見た。


「隊長どの!」


 それは、つい先日までユーリが鍛えていた兵どもであった。

何やら武器に見立てでもしたのか、各々が棒切れと板を手に隊伍を組んで控えている。

困惑を覚えつつ、少年は彼らに向き直った。


「どうしたんだお前ら」

「自分共も、隊長どのと戦に行きたいのであります!!」

「なんだまた……武器やら防具の準備だって出来てないんだぞ?」

「それでもであります!!自分たちも戦地で迷子になりたくありません。

それに、上官殿も隊長殿も我々の仲間であります。放っておけません」

「お前ら……」


 思わず、少年の顔がほころぶ。

全てを失いかけたと思いきや、知らず拾い物をしていたようだ。


「悪い事ばかりじゃないみたいね。ま、賽は投げられた、よ」


 言って、エイブリーはユーリの背中を励ますように叩く。

そして、指で唇の端を吊り上げて無理やりに笑みの形を作ってみせた。



/



 その悪魔は何処にでもいる矮小な存在であった。

しかしながら、悪魔は悪魔である。人の合間に滑り込み、

するりと掠めて己を強め、悪業を成す。為に彼はドラゴンに付け入り、人に諂って来た。

だが、これからは違う。弾む内心を抱え、細面の男──フェレストスは仕事を進めていた。


 計画成就の夜は来た。既にペルーンの政と経世はフェレストスなしには回らず、

彼のみならず悪魔たちも仕組みにがっちりと食い込んでいる。

後は黙っていても多くの仕事が回され、為に地位は益々盤石のものとなるだろう。

無論、悪魔は悪魔であるから、人と同じ望みなど持たぬ。

彼の狙いは唯一つ、人の世間に入り込んで安全に魂の欠片を掠め取るにある。

勿論、様々思うことはある。だが、成すべきは己自身を何処までも強大にし、

自らの影響力を何処までも広げ続けるという点に尽きた。

ペルーンもドラゴンもどうでも良い。全ては己の利益の為である。


 その為には、人の仕組みに食い込んでそこから利を掠めるに限る。

己が地位を持たぬ小悪魔など、石持て追われる存在に過ぎない。

で、あればこその長年の雌伏であった。これからは力を蓄え飛躍に向かうのだ。


この世界の全ての生物やそれに類する存在は、

他者の魂を啜り取る事で自らを強大に変えていく事が出来る。

少しずつ魂の欠片を掠めれば良い。何れは強大な悪魔として名を知られ、領地さえ持ち、

数多の手下や隷民にかしづかれ、貴族や王のように振る舞う日も来よう。

或いは、このままペルーンを乗っ取り皇国に深く入り込んでも良い。

目論見が成った今、後は陰に隠れて安全に力を蓄えるのみ──の筈であった。


「どなたですかな、こんな夜更けに」


 薦被りが一人、蝋燭皿を隻手で握り、部屋の戸口に立っていた。

室内の明かりに照らされたその影は小さくも長い。


「いよっ、執事君。フェレストスだっけ?ちょいと顔貸して貰うッスよ」

「アポイントメントは無かったように思いますけれど」

「んな事ァ百も承知ッス。いいから」

「やれやれ。困ったお客様ばかりで……おい、誰か!」


 言って、人を呼ぼうと声を上げる。

その呼びかけを塞ぐように乞食は後ろ手に部屋のドアを閉めた。

それからフェレストスに歩みよると、噛んで含めるような口調で問う。


「チミ、人類と魔物が結んだ約定を知ってる筈ッスよね」

「はて、何の事でしょうか?」

「はぐらかしても無駄ッスよ。悪魔であるなら知らない筈もなかろうもん」

「ふむ。すると、貴方もご同業?」

「そう言えなくも無いけど、一緒にされたくはねーッス。

さぁ、警告だ。今からでも遅くはない。無謀な企みは止めて巣に戻るッス」


 椅子に座ったままのフェレストスを前に薦被りは独演を続ける。

曰く、諸君は既に皇国から目をつけられている。

仮にドラゴンが勝ったとして、悪魔の目論見が叶う事だけは無い、等。

微笑を浮かべて黙殺しながら部屋を退出しようとするフェレストスの袖を

乞食は汚れた包帯を巻きつけた腕で掴み、更に言葉を連ねる。


「大体ね。人を誑かす悪魔が入り込んだせいで西国が瓦解したも同然とあっちゃ、

そら皇国も同類の存在を許す筈がねーッスよ。これは人類社会では機密ッスが。

でも、アンタは知ってか知らずか似たような事やらかしたと。

アチキが来なくても誰かが殺しに来たろう。解ったら、手向かいするな」

「こういう時、人間であればどう言うべきか……

そうですねぇ。あなた、一寸口うるさいですよ。一つ躾けて差し上げましょうか」

「やってみな。全部丸っと受けてやる」


 フェレストスは立ち上がるや、乞食に向かって腕を振る。

指の先に灯った火は、それが魔法の技である事を示していた。

火花が輝き、着弾。しかし、乞食は悠然と佇んだまま無傷だ。

ならば、と手指の爪を刃のように伸ばして切りつけるが、

不可視の壁めいた何かに阻まれ届かない。


理解出来ずに舌打ちしながら引き出しから取り出したのは火薬式の短筒だ。

この至近距離であるならば騎士の鎧さえ貫く威力を誇る。

単純な威力であれば並みの魔法よりも刀剣よりも大きい。

これならば、と悪魔は引き金を絞る。


 轟音。閃光の後、白煙が立ち上り火薬の匂いが狭い部屋に充満する。

やはり、乞食は無傷であった。襤褸を纏ったまま、その場に留まっている。

こつん、という音を立てて潰れ変形した弾丸が床に落ちた。


「馬鹿なッ……何でだ、たかが乞食の風情に

火も、鉄も、爪も通じない、いや届きさえしていない!?薦被り、貴様一体何者だ」

「陳腐な台詞ッス。が、問われたからには見せてやる、メフィストフェレス」


 彼女は自らを覆っていた襤褸に手を掛け、一息に脱ぎ捨てた。

その下から現れたのは隻腕の美しい女の姿だ。黄昏が燃え上がるような金髪。

誰もが見惚れるような顔立ちに、三つの赤い目が収まり、その右目だけが失われている。

驚愕の表情で、フェレストスはその顔を見た。


「まさか、お前、いや、貴方様は……!!」

「お察しの通り、見ての通り。通りすがりの魔王様ッス」

「結びの司、契りの君。大アルカナの生き残り……北の魔王がどうしてここにッ!?」

「はっはっは。懐かしい名!!」


 それは、遥か北方の大山脈に居を構える人外の王の名であった。

魔王の名の通り、過去より今なお生き残る強大な存在の一つでもある。


「理由は単純、アチキ抜きで国が回るかのテストも兼ねて漫遊中、ってこりゃ関係ない話か。

ま、好き勝手放題やらかしてるの見て我慢ならなくなってね。ケジメしに来たッス」

「聞いてない!!魔物は人間に手出し無用じゃないか!自分だけずるいぞチクショウ!!」

「ズルなもんかい。アチキは助言してただけ。どちらが勝つかは別にどうでもいい。

あんたと違ってね。此岸で雌雄を決すはあくまで人間どもの領分ッス」

「嘘だッ、嘘をつくなッ。今、現に人間の争いに手を入れて──」

「然り。あんたもそうだろうけど、悪魔の類は契約で動くと相場が決まってる。

お前に金貨二枚の値を掛け、その分に限って働く。そういう事ッス」


 横紙破りを得々と語りながら、金色の魔王は優美に微笑む。

その視線で近代の悪魔を射すくめて、朗々と言葉を続けていく。


「それじゃあ一つ、協約のおさらいと行こう。

ま、平たく言えば前大戦の終戦条約であり、相互平和協定ッス。

瓦礫と死体の上で王様になってもしょうがない、ってのが総意でね。

その上で、アンタみたいなのが人類側に入り込んではまかりならんとなったのさ。

当事者のアチキがそれを知らん筈なかろう」


 優先されるべきは覇を唱える事ではなく、荒廃した既知世界の復興であると言う。

そして、この世界において隔絶した個の力を得んとすれば、

大虐殺の実施かはたまた、自分以上に強大な存在を殺すか。

どちらを取るにしても、最早認められる事は無い、と女は語る。


「これは人が我らに命じたのでもなければ、我らが人に命じたのでもない。

人と魔が互いに望み、互いに誓ってアチキが成した約定だ。

お前はそれを破る……いいや。既に散々に破ったぞ。

メフィストフェレスよ、お前に応報の受領を求めよう」


 女は手を伸ばし、軽く掌を握りこむ。

すると如何なる力か。フェレストスの体がパンくずを握ったように縮み始めた。

手足が内側に折りたたまれ、顔面が変形し、肉団子めいた塊にまで悪魔は圧縮され──

しかし、それでも尚生きているらしく鳴動している。

そこから絞り出されたかのように、一滴の赤い雫が垂れてた。

ぽちゃん、と魔王は片手に持った金色の盃に液体を収め、肉団子を真鍮の瓶に仕舞う。


「さ、金貨の分は働いた。ユーリ君、上手くやれるよう頑張るッスよ」


 言うと、乞食は薦をマントのように被って部屋を出る。

パチンと、金無垢の懐中時計を閉じる音だけが無人の部屋に残されていた。



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