第16話 影絵の遊び、遠き道



 二ツ龍物語 16話 影絵の遊び、遠き道



「閣下、ドラゴン退治に参りました」


ヴォロフ=ペルーンに書状を渡し、銀の娘は微笑みながら言った。

護衛であろう。膝をつき一礼した彼女の後ろには背の高い男が控えている。

ストロングウィルを前にヴォロフは苦虫を噛み潰したような渋面を作っていた。


「ようこそペルーンへ。態々のご足労、感謝を。さて……ドラゴン退治ですか」

「ええ、ヴォロフ閣下。ドラゴン退治ですわ。お話はシャルヴィルトも伺っております。

何でも空を飛び火を吐く赤い竜。人の言葉を介し、良民を害されると」

「その通り。それで、冒険者諸君の出番、という訳だ」

「ええ。その通り。兵権を預かる弟君にも既にお話しておりますわ。

何しろドラゴン退治ですもの。準備は万全にしませんと」


 弟、という少女の一言にヴォロフは眉を吊り上げた。

どちらの思惑かは兎も角、己を飛び越えて知らぬ間に話を通していたようだ。

事のあらましを問いただしたい所ではある。さりとて高圧的に出ては角が立つ。

努めて柔和な顔を作ると、ヴォロフは話を続けた。


「成程。迅速だ。然し、そうは言っても根城も解らない」

「抜かりはありませんわ。調べはついております。恐らくは若い龍なのでしょう。

巣を作り、手勢を集め、権勢を広めて力と宝を蓄える。

龍やドラゴンの本性ですが、若ければ若い程より大胆になるもの。

もっとも、人の領域まで手を広げる事は珍しい事ですけれど」

「ほう、面白い話だな。続けてくれ」

「言ってしまえば皇国が弱り切ってしまった事が原因の一つなのです。

嘗てを知る龍であれば決して人の領域、ことに皇国に手を出す愚行はしないでしょう。

が、往時の軍団は数を減らし、我々のような与太者が国軍まがいとして扱われる程に衰え、

だからこそ目の届かぬ辺境に龍の巣が育つ、と」

「成程、皇帝陛下が積極的なのは不始末の尻拭いでもあるか」

「恥ずかしながら」


 体を傾け、頬杖を突きながら少女の言葉を聞くと、

ヴォロフは大仰に体を反らし、溜息をついた。


「しかし、困った。龍の巣があるのであれば攻め入らねばならん」

「勿論でございますわ、閣下」

「ご存知だろうが我が領にそのような余裕はまだ無い。

攻めてくれば迎え撃つのは当然だが──何分、向うの都合だ。

遠路はるばる申し訳ないが、単なる休暇となってしまうかもしれんな」


 勿論、滞在するのは冒険者たちの都合であり、

当方としてはそこまで口を挟むつもりも無い、とヴォロフは添えた。

銀の娘は微笑みを浮かべて受け流し、答える。


「結果はどうあれ、決まった事ですから仕方がありませんわ。

それに、私どもの出番が無いほど消極的であるなら滅ぼすより楽ですもの。

ドラゴンにも、こちらにも被害が出なくて済みます」

「興味深い見解ですな。そう言えば、ストロングウィルを率いる頭目も龍であるとか。

矢張り、同族殺しは避けたいのですかな。ま、赤い竜と話が出来るならば協力とて」

「さて?交渉可能かは憶測の域を出ません。それに私たちはあくまで雇い兵ですので。

折衝や方針は閣下にお任せいたします。それでは、今後ともよろしくお願いいたしますわ」


 改めて一礼すると、銀の娘は携えていた書状をヴォロフに渡し、護衛と共に退出した。

その足音が聞こえなくなるのを待って、男は力が抜けたように椅子にもたれかかった。

深呼吸をしばし。緊張の糸が解れるのを待つ。


「我ながら何とも白々しいな。フェレストス、いるか?」


 名を呼ばれ、影に控えていた細面の男が姿を現した。

椅子の上で脱力するヴォロフはげんなりとした調子でぼやく。


「何も決めないのを長々続けるのも疲れるな」

「言質を与えないのが一番でございますから。それで、弟君ですが」

「ああ、報告は聞いた。あいつ、龍の土地でこそこそやってるんだろう。

全く、こんな事なら初めからお前の提案を聞いておくんだったよ。

ユーリに話が行ってなければ、適当な理由をつけて追い返す事も出来たんだが」

「仕方ありませんよ、閣下。一度手にした兵を手放させるのは並大抵ではございません」

「弟に野心があるとは思えないがな」

「無かったとしても、ですな。兵や民に好かれる気質をお持ちのようで、

兵の方が離れてはくれんのでしょう。早めに手を打った方が……はて?シャロム様」


 ふと、フェレストスがシャロムの方に顔を向ける。

そこに、両手で己を抱いて体を固くしている少女の姿があった。

顔は強張り、腕は小刻みに震え、尋常な様子ではない。


「見つかった……まさか、アイツが直接来るなんて」


 怪訝な顔で見つめるヴォロフに反応も返さず、声を震わせてシャロムは呟いた。


「……アイツ?さっきのか。ただの銀髪の小娘じゃないか」

「ばか者!!痴れ者!!お前の目は魔法で欺かれてるから気付かんのだ!!

あの小娘こそが、シャルヴィルト。シャルヴィルト=ストロングウィルぞ!!

妾の仕事を邪魔する為に、都の長虫めが来おったのだ!!」


 半ば狂乱したようにシャロムが叫ぶ。

気おされるヴォロフを余所に、フェレストスは主に向き直った。


「シャロム様、落ち着いてください。まだ尻尾を掴まれた訳ではございますまい」

「そうじゃ、そうじゃな……察知されたとは言え、それならば。

落ち着け、落ち着け……慌てるな慌てるな、妾」


 同じ言葉を繰り返し、何とか落ち着きを取り戻しつつある様子を見計らい、

咳払いを一度。それから恐る恐るヴォロフは尋ねかける。


「済まない、話が見えないんだが説明して貰えないか?

非常に不味い事だけは理解できたが……一体全体何が起きた」


 すぐに返事は無い。宥めつつ答えを待つ。


「……皇国御付きの古龍直々に目を付けられた。

向こうの要求がまだ全て見えぬから取り引きは出来ようが」

「……そう言えば、暗部だとか何とか言ってたな。

しかし、ドラゴン退治と言っても元を正せば頼んだのは俺だ。

冒険者なんて称してる連中が依頼主を無視して動くとも思えないが」


 幾ら強引にねじ込もうとした所で、指図するのは領主である。

一介の雇い人の立場ではさしたる事も出来まい──と述べるとシャロムが眉を抑えた。


「そうだと良いのじゃが。気になる事を言っておった。お前の弟のことじゃ。

奴なら、自作自演でユーリを唆して妾にけしかけかねぬ」

「……ふむ。まぁ、それは先方の思惑次第だろ。

俺の領内である限り、アレも表立って事を荒立てたくはない筈。

陛下に対して角が立つのは古龍とて望むまい。ともあれ、何を考えて居るのか解らんな。

全く、ユーリの奴、思わぬ面倒のタネになりおって」


 手を組んで顔を伏せると、ヴォロフは思案し始める。

穏便に追い返し、ドラゴン退治は不要と既成事実を作らなければならない。

上手く治め、税を納めさえすれば陛下からは表立っての咎めはあるまい。

ならばペルーンを一つに。大きく発展させ、備えを作り、後顧の憂いを断たねばならぬ。

俎上にも乗らぬ要求を夢想して、独り相撲で妥協するなどあり得ない。


「この際だ。差し当たっては、オーソドクに我が領の兵権を正式に預けよう。

シャロムは鉄と人を集め、我が領での事業を今以上に進めてくれ。

要するに、ペルーンとしては既にドラゴンとの和議が成ったと示せば戦う理由も消える。

問題は──」

「ウー=ヘトマンと弟君でございますな、ご友人殿。

あの方々はご友人殿の決定に素直に納得などされますまい。

聞けば、既に元兵団の人間を引き連れてかの土地を根城にし始めているとか。

加えて、少なくない民の心もそちらを向いております。今は兎も角」

「捨て置けば、何れ脅威となりかねん、か。領民は、ペルーンは我が物なのだ」


 内心と経緯はどうあれ、ペルーンの当主はヴォロフである。

ならば、この土地の財や民とその奉仕全ては男の物だった。

ストロングウィルは勿論、弟にさえも好きにさせる理由は無い。


「ユーリには勝手な事をさせ過ぎた。カビの生えた盟約など捨て置けば良かろうにな。

──さて、どうしたものか」


 しかし、内心の躊躇いを自覚し、ヴォロフは言葉を区切った。

男とて弟の考えが解らぬではない。目の前で苦しむ民を救わんとしてだろう。

だが、それは余りにもペルーンの現実を無視した幼い考えだ、と溜息をつく。

繁栄という目的の為に小を切り捨てる、為にどれ程の非難を浴びようと──いや。


「だからこそ、やらねばならんのだ」


 やがて、独り言のように吐き出した男に去来するのは遥かな理想だ。

そして、傍らに立つ新たな盟友たちと交わした決断であり、支払った代価であった。

知らず唇を引き結ぶ。すると、誰かの指先が強張っていた肩に触れた。


「ヴォロフ、大丈夫かえ。さっきから怖い顔をしている」

「大丈夫だ。少し考える事が増えただけだから。君こそ平気か?」

「ウソを吐くな。お前にウソをつかれるのは嫌いじゃ」

「……すまん。助けてもらう事になりそうだ」


 努めて笑みを作ると、ヴォロフは続けた。


「考える事が増えたのは本当だよ。戦は嫌だ。身内相手とか冗談じゃない。

何とかユーリを説得しないと。しかし、話を聞くかどうか」


 目尻を指で押さえ、思案する。仮に、今後の申し開きに備えるのであれば、

ある程度の意思統一は不可欠。実際に民の信任を完全に取り付ける必要はないが、

少なくとも当主が支持されているという外見は繕わねばならない。

意見が二分している、というのでは付け入る隙を与えよう。


「利を与えてやる必要があるか。脅し宥めても聞く奴じゃないし。

自分の領を欲しているのであれば、条件付きに龍の土地を接収して下げ渡しても良い。

兎に角、意見を丸めさせてこちらに同意して貰わないと……急がないと」

「そんなに焦る必要もないのでは無いか。ひょっとすると様子見やも」

「いや、楽観的過ぎる。君の所にも手下が来てたと言ってたろう。

その上で首魁まで顔を見せた──」


 脳裡で可能性が幾つも錯綜し、起こりうる想定が無数に虚像を結ぶ。

こう煮詰まっては冴えたやり方など思いもよらず、冴えた解決は雲をつかむようだ。

苛立ちを静めるように頭を振るとヴォロフは天井を見上げた。

と、黙って控えていたフェレストスが男の方を向いた。


「恐れながら、ご友人様。発言を許可して頂きたく」

「構わん。喋ってくれ」


 僭越ながら、と前置きしてフェレストスは続けた。


「まず、何をしないか、何をするべきでないかを定めるべきかと。

ご友人様は知恵に優れたお方、とは言え一度に全てをとは行きません。

先回りの答えで恐縮ですが、一番は我々の成果を無に帰さない事。

続けて、これまでの変革を中絶せぬ事かと存じます。

我々は常に変わり続けなければならない──してみると」


 そこで言葉を区切り、男はゆっくりとシャロムとヴォロフを見比べる。

冗談めかして片目を瞑ってから、そぐわない真面目な調子で台詞を継ぐ。


「裏返せば重要で必要な事はご主人とご友人様の仲でありましょう。

いえいえ、何も色恋などと申す訳ではございません。パートナーシップでございます。

その為に必要でないものは何か。私情や情愛を挟むべきではございません」


 ヴォロフの理想は現状のペルーンからは大きくかけ離れており、

その為には地を均し、市場を興し、様々な人為で作り替えなければならない、と

フェレストスは身振り手振りを交えながら力説する。


「矢張り弟君の処遇を見直すべきかと思いますぞ。

旧弊の遺物、カビの生えた盟約、これらは新しきペルーンに必要なものでしょうか。

時も差し迫っております。閣下のお考えの通りに、そしてお望みの為にも」


 更にフェレストスは言葉を重ねる。

すべきでない事とはユーリを慮る事であり、やるべき事は改革の断行だ。

領主としての決定を賜れば我々はそれを具体に落としましょう、と男は賛意も示す。

ヴォロフは満足を覚えつつ頷き、それから問う。


「しかし、奴にはペルーンの龍が居るぞ。あの古い蛇が。そいつが納得するだろうか」

「ならばドラゴン退治、改め、龍退治、でございますよ。ご友人殿。

都の長虫めは方針は任せると言いました。文句もございますまい。

仮に切り捨てるものがあったとて、最終的に一番良い形に落ち着けば良いのです」


 フェレストスの言葉にヴォロフは目を瞑る。

細面の男はそれを後目に滔々と自説を続ける。


「勿論、そうしない事も出来ましょう。ペルーンはご友人様の物なのですから。

然し、さにあれば我々としても身の振り方は考えねばなりません」

「フェレストス、口が過ぎるな」

「おっと、ご主人様。失礼致しました、然しながら語るべき事を語らぬのは

忠実であるとは言えません。気分を害されたとしても、ご容赦頂きたく。

何しろ、我々とて慈善家ではありません。金の話は切っても切れない。

予算も人員も限りがあり、それなりの見返りが無くては困るのですな。

絆されて決断を違えるとあっては判断を改めざるを得ません」


 長広舌を男は振るう。曰く、自分達はあくまでペルーンに投資しているのであり、

その収穫を支払って貰わなければならぬらしい。

図々しい話とヴォロフが思う暇も無く、フェストレスはどんどんと言葉を続けていく。


「しかし、ご友人様にも可能な限り利益を確保して頂くのも仕事の一つ。

我々とご主人様の利益追求は当然、そして閣下の利益についても重要なのです。

何より、ペルーンは貴方様の物。土民や龍、弟君の物ではございますまい。

お気に召すまま、どうぞご自由に。自らの物を自由に扱うのは権利でございます」


 黙したまま何も語らない領主を、シャロムが気づかわしげに見る。

漸く息を吐き出し、ヴォロフは顔を顰めながら口を開く。


「一晩考える、下がってくれ。直ぐに決めるには、重い。」


 男は短く告げると、悩みを深めながら細面の従僕にそう伝えた。



/



 中庭から、ヴォロフ=ペルーンは夜空を見上げていた。

星が瞬き、満ち欠けをそれぞれに抱いた三つ子月が浮かんでいる。

今しも下すべき決断に彼女らは何も答えず、男の顔を見下ろしている。

月に誘われ、男の心は過去へと向かっていた。

今と変わらぬ風景だ。泥塗れの惨めな自分が空の雲をぼんやり見上げている。

馬上の父は飽きもせずに戦い、母は館に引き籠ったまま。

幼い日の退屈で、嫌な思い出だ。


 そう──思えば、物心つかない時からこの土地が嫌いだった。

変わらない風景と空気が、愚かな土民共が、訥々と仕来りと役割を押し付ける両親が。

それに従順に従ってしまった己や、誇りにしている弟さえ。

言わば、ペルーンというもの自体が重荷であり、憎しみの対象だった。


学問を志すという方便で出奔した先の都から戻らねば良かった。

何なりと適当な仕事を見つけ、劣って遅れた故郷の事など忘れ去れば良かった。

土地と仕来りから離れて、根無し草にでもなってしまえば良かった。

何故なら、ペルーンが都に追いつく事は未来永劫決してない筈だったのだから。

そんな立ち遅れ見捨てられた土地にしがみ付いて何になるだろうか。

選択の機会は幾つもあり、男はそれを選ぶ事だって出来た。


 例えば冒険者。例えば貧乏な旅学生。商売人の丁稚や、

都貴族の使い走り、職人の徒弟に下級役人。家庭教師や芸人という道もあったろう。


「しかし、そうはならなかった、か」


 だから、過去はそれまでの事だ。今はここにある。

思い浮かぶのは火のように紅い衣と髪をした娘の事だ。

がさり、と草踏む音にヴォロフが振り返る。長い髪が月明りに黒ずんでいた。

暫く眺めていると、ばつが悪そうにシャロムが姿を現す。


「何をやっておるのじゃ」


 誤魔化すように娘が問うと、男は天を仰いで答えた。


「月を見ていた。綺麗だろ」

「ふん、物好きよな。他に相手もおるじゃろう」

「届かぬ思いに意味は無い。で、どうした?」

「さてな、狂うて見たくなったのか。ほれ、良いものをやろう」


 と、何処か他人事めいて呟くとシャロムは金無垢の指輪をするりと外し、

立ったままのヴォロフの掌に手ずから握り込んで渡す。


「魔法の品じゃ。妾の炎と力を込め、輝く細文字を刻み込んだ金無垢よ。

親指に嵌めるがいい。きっとこれからの決意に役に立つ」

「良いのか?高価な物だろう」

「無粋な男。恥をかかせるつもりかえ?」


 膨れ面に背を押され、ヴォロフが指輪を嵌めると、それは驚く程するりと滑り、

その大きさを奇妙に変えてぴったりと右の親指に収まった。

不思議に驚く男に紅い娘は何言うでもなく時間を過ごす。

そうしていると、不意にくるりとシャロムが身を翻した。

ひらめくドレスと手足が、奇妙に伸ばされた影を形どる。


「お代は未来に。じゃから進んで貰わねば困る。では先に──」


 背の高い影が、去ろうとした小さな背にその腕を追い付かせる。

逃げ去る暇も無ければ、伸ばせない程遠くもない。

まるで男の手の内にあるようだった。


「……今は届くんだ。今度こそ、今度こそ掴んで見せる。

来るんだろ、君も。俺を置いて先になんて行かないでくれ」

「それは誰の言葉じゃ?ペルーンか、ヴォロフか」

「俺だ。俺は俺以外のものじゃない」


 影は、月だけが見ていた。



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