第12話 埋め火と結び目



 二ツ龍物語 12 埋め火と結び目



 農民、大地に関わる者にとって生活とは即ち労働である。

炊事、洗濯という日常の暮らしから始まり、

全てに人の手が関わり、人が動かし、それで初めて回る。

況や農事や開墾をや。大地での暮らしとは労苦に耐える事である。


 だが、何事も例外と言うものはある。

彼方で轟音を響かせながら何者かが恐ろしい勢いで野を切り拓いていた。

明らかに人の仕業ではない。唖然と眺める人間共を捨て置き、

人以外の何物かは持ち前の馬力で労働を推進していた。

やがて、地を均し終え、一息つきつき手を止める。


「どうだっ、やってみるものだろう」


 出来上がった土砂や木材の山の前で胸を張っているのはウー=ヘトマンであった。

その前には二人の男。ゴザク=クレイノードとユーリ=ペルーンである。

人を象った龍はと言えば、どこからか調達したらしい野良着など着込み、

野郎共を半ば捨て置いて力仕事に取り組んでいる。


「いや、まさか仕事をさせてくれと言われるとは思いませんでしたので……驚きましたよ」

「うん、僕も無茶を言った自覚はあった。然し、仮にも領主のようなものだろう」


老爺に曰く、農作業は作物が壊滅しそうだから、退屈で単調なものを与え、

早々に諦めさせたかったのだと言う。成程、それならば一応面目も立つ。

結局ウー=ヘトマンがする事になったのは荒地の開拓と邪魔な木々の伐採である。

本来であれば男手を使い、何年もかけて行うべき作業であるのだが──


「まるで濁流のような働きぶりですなぁ」


 ゴザクの呟きは龍が木立をなぎ倒す轟音に掻き消えた。

確かに農作業には適性がないな等と場違いな事を考えて居るユーリとて、

目の前の光景を受け入れ切れていない。

百聞は一見に如かずとは言うものの、余りに非現実的である。

力の一端を見せつける超常の存在を呆然と見守りつつ、ユーリは口を開く。


「そうだな。しかし、あれだと数日あれば終わってしまうんじゃ」

「その通りですなぁ。祖父からは龍の扱いを間違えてはいけないと聞いておりましたし、

無礼を承知でこの仕事を任せれば早々に投げ出して頂けると思ったのですが」

「……まぁ、いいが。しかし、困ったな。次の手を考えないと」


 仕事を任せた時、ウーが目を輝かせていた様子が脳裡をよぎる。

自分も人間と同じことをやってみようじゃないか、との事らしい。

積極的な歩み寄りが見られる事はユーリとしても喜ばしいが、

さりとて牛馬の如く扱いでもすれば早晩猜疑と怒りを招くだろう事も想像に難くない。


何しろ龍は人間以上に賢い生き物だ。何処から侮りを嗅ぎつけるか解ったものではない。

例えて言えば、いつ氾濫するかも解らない濁流を湛えた大河である。

堤防でも作ればよいのだろうが、生憎とそんな知恵も技能も少年達には無い。

さはさりながら友好的な隣人としてはお互いに付き合い方も考えねばならぬ。


「言っておきますが、最初に発案されたのは貴方ですからな」


 恨みがましい目をゴザクがユーリに向ける。

彼からしてみれば、敬して遠ざける類の存在が龍であるのだろう。

一介の村長にとっては手に余る、という訳だ。


「気持ちは解る。解るがそこを何とか堪えてくれないか」

「もう一蓮托生でしょう。川の流れは堰き止めない限り続くものです。

つまり、仕事をこれからも与え続けないといけない。龍にですぞ」

「では如何しろと」

「一蓮托生と言ったでしょう。ペルーンにも龍を御する手伝いをですね。

私共が申上げても聞いてくれるとは限りません。何せ、彼女は主だ。

が、形式上対等の者の言葉となれば少なくとも無碍にはしないでしょう。

多分。きっと。うん、貴方も嫌とは仰りますまい?」


 言外に私たちでは手に負えない、お前も手伝えと言う言葉をちらつかせる村長に

ユーリは腕組みをして唸り声を上げた。思ったよりも大事になりつつある。

どうして俺はこう迂闊なのだと悔いもするが、無論後に立たずである。

こうなれば前に突き進んでやれと気持ちを切り替え持ち直しつつ──


「……取り合えずは、農地開発かな」

「こちらを巻き込む気ですか」

「当然だろう。と、言うよりもウーが巻き込むだろうな。何せ、ここは龍の土地だ」

「先々代から営々続けてやっとここまでになったのに……不安ですぞ」

「臍を曲げた龍に支配されるよりはマシだろう。精々働いて貰うからな」

「ぐむむ……龍を通じてペルーンとの繋がりを強める筈がどうしてこんな」


 唸るなり黙り込む老爺を捨て置き、彼方を眺めると龍が歩いてくるのが見える。

長い髪を纏め、頭に布切れを巻き、泥塗れの仕事着という有様である。

彼女はユーリ達には構わずその傍らの水樽へ突き進み、手や顔を清めた。


「龍殿。お加減は如何かな」

「おう、ユーリか。中々楽しくやっているぞ。これまで考えた事も無かったが、

土地の手入れというのも良いものなのだな」


 戦とペルーンとの旅ばかりで領に滞在することも少なかったのだ、とウーは付け加えた。

それは何より、とユーリが頷くとウーは細々、自らの考えて居る予定を述べ立ててみせた。

曰く、深すぎる森からは木材を拝借するだの、荒地には水路を引くだの、

伸び放題になって居る茨やアザミは抜き取って炊き付けにするだの。

規模こそ違うものの、まるで庭仕事の展望を語るような口ぶりである。

と、言うよりもこの土地全体が彼女にとっての庭のようなものなのかもしれない。


 庭仕事をする龍──巨大な水桶、鍬鋤だのを手に歌いながら──という空想がよぎる。

思わず吹き出しそうになるのを何とか堪えてから、

ちら、とユーリは老爺と龍の間で視線をわずかに左右させる。


「ゴザクさんとは上手くできているかい?」

「無論だ。何でも尋ねろと自信満々であったぞ。それに幾ら私が農事に疎いとは言え、

連中にとって時と季節と雨の香りが何よりも大事な事ぐらいは解る。

何事もよくよく過たず申上げろと言ったら、きちんと頷いてくれたよ」

「それは何より。凄いな、上手く行ってるじゃないか」

「褒められているのか馬鹿にされているのかよく解らんな」

「そりゃ褒めてるよ。面倒が多い仕事だから」

「……お前達の方がひょっとしたらこの領の世話は長いのかもしれんしな。

まぁいい。何分慣れない仕事だ。多少の不手際もあろう。と言うか、実際どうなのだ。

あれこれと考えているが領主の仕事というものはサッパリ解らん。解らん事が解らん」


 地面に尻を降ろすと頬杖を突きながらウーがこぼす。

どうも、やる事なす事に口を挟まれ窮屈で堪らないらしい。

第一、領主の仕事というのは面倒の塊だ。人間というものの理解が浅いらしい龍には

随分と奇妙に思える出来事の連続なのだろう、とユーリは解釈した。


「取り合えず、僕も前からの決まり事を教わった通りやってるけれど」

「誰が決めた事だ」


 頬杖をついてウーがぼやいた。


「解らないよ。昔の誰かだろう。ただ、急に変えると皆凄く困る」

「ほう、では決まり通りにやれば良いのか」

「それでも文句が出る事があるんだよ……」

「ほれ見ろ、お前も何が何だかさっぱり解ってないではないか。

しかし、それでも初めてにしてはよくやったと思っている。褒めよ、ユーリ」

「……ああうん。まぁ、確かに」


 ぎくしゃくし、戸惑っているのは事実であるのだろう。

然しながら、未だ事件も事故も無く、何とか人間との折衝も済んでいる。

短い期間にしては上出来として良かろう。後は時間が解決するに違いない。

兎にも角にもそう信じておく他あるまい。ユーリ=ペルーンは自分に言い聞かせた。


「さぁ遠慮はいらんぞ。褒めよ。讃えよ」


 ずい、と顔を寄せてウーが再度要求した。

あくまで直截な意思表示である。見た目には少女であるから少々迫力には欠けるが。

ユーリは観念して笑みを作り、求めを呑んだ。


「良く出来ました」

「ふん、最初からそう言え。お前だって褒められれば嬉しくなるに違いないぞ。

そうすれば一々くしゃくしゃした事を言わずに素直にもなるだろう」

「くしゃくしゃって何だよ……」

「それがくしゃくしゃだ。一々小賢しい事を挟みおる。

ほら、私も褒めてやろ。良さが解る筈だ」

「そんな事言われてもナァ……あ、おい。やめろ頭を触るな」

「良し良し。凄いぞー、お前も良くやってるぞー

しっかり見てるからな。おい、喜べ喜べ。この私が褒めてやってるんだぞ」

「ああうん……解ったよ。ゴザクさん?」


にこやかな笑みを作りながらもそそくさと影に隠れるゴザクに、

これからも彼と都度顔を突き合わせねばと決意しつつ、ユーリは続けた。


「ところで、まだ仕事は残ってるの?」

「いや、今日の所はここらで一段落さ。いきなり張り切りすぎても続かないからな。

ペルーンの子、お前の方はどうだ。聞かせておくれ」

「冒険者連中と練兵。報告も聞かないといけない」

「そうか。……私も付き合いたいところだが。ううむ」

「無理はしなくて大丈夫だよ、後で教えてくれればいい」


 と、言葉を交わすとユーリは龍と別れた。


/


 練兵場でユーリを出迎えたのは武装したエイブリー=ホワイトホースであった。

馬上で手を振りながら手綱を操り、少年の騎馬に並ぶ。


「上官殿。今日もお加減宜しいようで」

「手短に。兵共はどうだ?」

「やれ、相変わらず真面目な子!まぁ、いいや。

ついて来なさいな。見てもらった方が早い」


 と、挨拶もそこそこに彼女は馬首を巡らせ、ユーリもその後に続く。

直ぐに調練する兵隊たちの姿が見えて来た。

彼等は幾つかの分隊ごとに隊列を作り、盾を構えながら前進、停止に分散。

横一列から縦列への転換。それらの繰り返しだ。

兵に号令をかけているのはホワイトホースの一党ばかりではない。

見覚えのある顔をした男たちが鎧兜に身を包んで声を張り上げている。

恐らく、比較的優秀な者を兵から選抜したのだろうと少年は認識した、が。


「……随分と人数が増えているな。おまけに装備が良くなっている。

そんな金なんて無かったように思うんだけど」


 一目見て変貌が理解出来る程だ。

紋章を描いた盾以外はバラバラだった装備が、今や所々金属製の防具に置き換わっている。

武具も農具からそれなりに体裁の整った戦道具に変わっていた。

加えて、兵隊の数自体も増えている事が見て取れる。

当然、それなりの予算が必要である事は言うまでもない。


 訝しむユーリにエイブリーが肩を竦め、それから説明を始めた。

原因の一つはヴォロフ=ペルーンとその客によるテコ入れ。

また、良い暮らしが出来るというのであぶれた若者の志願者が増えており、

彼らが持ち帰る噂話で更に志願者が増えているのだと言う。


「いやー、驚きました。びっくりですわ。ライサンダは喜んでたけど──

ユーリ君や、納得がいかないようじゃない。ま、それはアタシも同じだけど」

「ほぅ。冒険者としては金払いが良い方が都合が良さそうなものだけど」

「そりゃ場合によりけり。急に羽振りが良くなったら怪しみもするわよ。

その調子じゃ、何でこうなったのか教えて貰ってないのは君も一緒でしょ」

「……さてな」

「あ、何か隠し事してるでしょ。お姉ちゃんには解るからね。教えなさいよー」

「家の、ペルーンの事情だよ。まだ話す訳にはいかない」

「そう……解ったわ。でもね、今アタシら一党の命綱は君だって事も忘れないでよ」

「ああ。僕の思い過ごしかもしれないし。綱が離れない努力はする。確約しよう」

「ま、心強い事。……困ったら相談しなさいよ?」


 そこで会話を区切る。ユーリが大声を上げ、指揮している冒険者たちに声をかけると、

がちゃがちゃと甲冑を鳴らしながらライサンダが向かってきた。


「旦那!やや、お久しぶりですな、こっちは順調ですよ」

「ああ。どうやらそのようだ。随分上等な鎧を揃えてるじゃないか」

「へへへ。お仕着せですけどね。ま、そのお陰もあって何だかんだ兵共もやるように。

──整列させましょうか?皆もアンタの顔を見たがってる」

「いや、そこまではいいよ。これから私も調練に加わるつもりだったしね。

ただ、その前に色々と報告を聞きたい。私もエイブリーも暫く離れてたんだ。

実際に働いてた者の意見を聞きたい」

「了解。それと、上官殿の鎧櫃は言われた通りこちらで保管してましたぜ」


 少年は鎧を着込みながら、その補助をするライサンダに報告を受ける。

概ねエイブリーの語った事そのままであったが、加えてユーリは問うた。


「新兵が増えたと聞いたが?」

「何か気になる事でも」

「幾ら何でも戦をやりたがる者がいきなり増えると思えなくてね。

土地の者も昔から顔なじみばかりだ。早々に考え方を変えるだろうか」

「ああ、その件ですか。……まぁ、確かに不自然と言えば不自然」

「土地を持ってたような自作農まで混じってる。畑を放り出されても困るんだがなぁ」


 ぽん、とライサンダが何か思いついたかのように手を叩いた。


「ああ、成程ひょっとしてアレのせいか」

「何か思い当たる節でもあるのか?」

「ヴォロフの殿様ですよ。余ってた土地、使ってない土地を囲い込んでるみたいですぜ。

自作の連中は土地が小さいから耕すよりは、って連中でしょう。

何するかは解らないけど、お陰で半端仕事が無くなって手隙の者が出てるそうで」

「ふむ……兄上が、ねぇ」

「ま、あのご領主の事ですからきっと素晴らしいアイディアですって。

ほら、見てくださいよ」


 と、ライサンダは着込んだ鎧の胸を叩く。

鋼の一枚板で拵えた鈍く輝く胴鎧だ。徒歩甲冑らしく、腰から下は

分厚く縫い込んだ鎧下とズボンが覆っている。


「こんなに良い武装をくれましたからね。実に太っ腹」

「この訓練はその為でもあるんだろう?」

「ご明察。鎧は重いですからな。馴らしておきませんと。

ま、へばるものも少なくありません。お仕着せですからな。体に合ってない」

「まぁ、これでやれる事は増える、か。賊ぐらいなら何とか」

「ええ。やっと村の寄り合いまがいから軍隊らしくなって来た。ささ、馬もこちらに」

 

 武装したユーリは鐙に足をかけて馬に飛び乗る。

騎馬は蹄を蹴立てて進み、兵らの前へと躍り出た。

幾つもの視線がユーリ=ペルーンを捉える。さて、何をしたものか──


「ユーリ!!」


 と、彼方から響く声にユーリ=ペルーンは声の方向へと向き直った。

面頬を上げると、彼方に見覚えのない姿恰好の集団が馬に乗っているのが見えた。

顔を判別できる程の距離になって、少年はその先頭が自分の兄だと気付いた。


「兄上……なのですか?」


 思わずユーリの口から驚き混じりの疑問が漏れた。


「何だ、藪から棒に。服を変えてみただけじゃないか」

「いえ、その……少し驚いただけですよ」

「そうかそうか。俺も嬉しいよ。変わる事は良い事だからな」


 彼の兄は以前の粗末な装束とは大きく様変わりしていた。

何よりも目を引くのは炎の様に赤い外套と帽子だ。

その癖、その中に納まった顔はというと以前同様に何処かやつれている。

如何にも不釣り合いであったが、言葉通りに表情には喜色が浮かんでいた。


「そう……なのですか。シャロム殿、でしたか。そちらの方々は?」


 ユーリは戸惑いながらも兄の傍らの娘──件の客人に声をかけた。

すると、手にした扇子で口元を隠しつつ、シャロムは値踏みするように

少年を眺め回し、ややあって答えを返す。


「ほう……ヴォロフの弟君か。如何にも、シャロムじゃ。

こやつらは妾に仕える手下どもよ。ほれ、お前らも挨拶せよ」


 言うと、少女は片手を上げる。

彼女の周りを囲む鎧の群れが言葉少なに意見をさざめかす。その最中、

「失礼ながら。時間にも限りがございます。貴女の両腕の挨拶で換えましょう」

と、シャロムの脇に控えていた痩せぎすの男が言った。


 彼は一歩ユーリ達に向け歩み出ると慇懃に一礼した。

何処か引き攣ったような笑みを浮かべるその男に鼻白みつつ、ユーリは了解を示す。

それから今一人、全身を黒光りする金属甲冑で包んだ酷く大柄な人物が歩み出る。


 これが客人の抱えた武官か、と少年はその足取りから見て取った。

優男の方は兎も角、こちらは計り知れない程の強者であろう。

身の丈程もある巨大なハルバードを担ぎ、その癖歩みはあくまで軽い。

その軸に至るまで全て鋼で拵えてあるらしく、

使い込まれ無数に刻まれた小傷からは鈍く光る地金が覗いていた。


「私の名はフェレストス。シャロム様に仕える執事、のようなものですかね。

今後、こちらと折衝する事も増えましょう。どうかよしなに」

「……オーソドクだ。よろしくタノム」


 神経質そうな細面に小さな眼鏡を乗せ、上等な仕立ての服を着込んだフェレスは言う。

続いて、巨漢がまるで岩が軋んでいるような声音でつかえつかえに挨拶した。

どやどやというざわめきを少年は背後から聞く。

騒ぎを聞きつけて兵や冒険者共も集まって来たらしい。

眼前に集まって来た群衆に満足げな表情を浮かべるとシャロムは口を開く。


「うむ。さて、弟君。ご存じとは思うが、この度ヴォロフ共のご助力により、

我々はペルーンで事業を始める事になった。何かと関わり合いになる事も多かろう」


 そこまで言って、シャロムは艶やかにユーリに微笑みかける。

溶けた鉄のようなその目に何故か少年は思わず身震いした。

年端もいかない筈の小娘が、少年とその後ろの軍勢を見透かしているような。

いや、それよりも。発せられた言葉に少年は愕然とする。


「兄上!?」

「そういう事になったんだ、ユーリ。ご挨拶なさい」


 驚き、思わず叫び声を上げたユーリ=ペルーンに穏やかな顔でヴォロフは言った。

全く聞いていない。何の相談も無かったじゃないか、という悲鳴を何とか飲み込み、

数歩、少年は兄に向って詰め寄った。


「兄上、これはどういう事ですか」

「説明されただろう?」

「納得がいきません!!」

「……もう一度言うぞ、こういう事になったんだ。

これはペルーンの領主としての決定。お前にも従う義務がある筈だろう」

「後で詳しく話して貰いますからね。必ず」

「良かろう。まぁ、悪い話ではない。何せ、変わる事は良い事だ。

お前も直ぐに理解できるよ。さ、ご挨拶なさい、ユーリ」


 言うと、ヴォロフ=ペルーンはユーリへと向き直った。



/



 練兵を終え、重い足取りでユーリ=ペルーンは市場の焼け跡を歩いていた。

自分が不在の間に一体全体何があったのかは解らない。

だが、少年とて自分の兄がシャロムと名乗る娘に篭絡されたらしいという

事実だけは認めざるを得なかった。


 もしも、素直にヴォロフの言葉を受け取るならば。

あの娘はこれから何某かをペルーンの土地で始めるらしい。

ライサンダの言葉を信じるならば兵共の変化もそれが原因なのだという。

確かに、ただ表面をなぞるならば行われているのは増強であり、改善とは言えるが──

目に見える速度で進行する変革だ。第一、得体の知れない異邦人頼みの事業である。

何も良い変化ばかりとは限らない、ユーリとしてはそう考えざるを得なかった。


 歩き歩き考えを纏めているユーリ=ペルーンを聞き覚えのある声が呼び止めた。

見れば、何時かのボロを纏った乞食が取り壊されかけた瓦礫に背を預け地面に座っていた。

隻腕で手招く赤い眼のフード姿は向き直った少年に一つが欠けた瞳を笑みに細めた。


「や、また会ったね少年。どうしたよ、難しい顔して」

「お前は……まだ居たのか。ドラゴンの件から結構経つが」

「随分な言いようッスね。ま、アチキ占い師ですからー

人が増えればそれだけ客も増える。ウハウハ毎日目指して営業活動に勤しむのは当然ッス」


 占いの道具を両手に示し、相変わらず芝居ががった所作をしてみせる。

少年は鼻息を吹くとしゃがみ込んで身を屈め、呪い師に視線の高さを合わせた。


「さよか。……お前、顔に出てるって今言ったけど」

「そんなもん、深刻そーに眉を寄せて歩き回ってりゃ誰だって気付くッス。

当たり前当たり前。クラッカーてな。で、悩み事ッスか?」


 今ならまたも大予言して進ぜよう、等とフードの乞食は言う。

策を思いついたでなし、導き手となる師が居る訳でなし。

しかしながら問題を見据え、解決しなければならないのはユーリ=ペルーンその人だ。


「……まぁ、悩み事だな。でもお前が言いふらさないとも限らない」

「あー、信用して無いッスね?任せて任せて。口は堅いし、乞食の言を信ずる奴も無し」

「どうだろうな。お前は話が上手いじゃないか」

「そりゃチミがお人よしなだけッスよ。もー、素寒貧で困っててさ」


 それもそうか、と考え直すユーリに畳みかけるように乞食は続けた。


「それに何も有りの侭語る必要も無し、

テキトーにそれっぽい事を話しかけてくれれば、それを元に占うコースもアリアリ。

誰にも言えない話せない、そういう仕草が赦されるのは深窓のご令嬢だけッス。

男の子がうじうじ悩むばかりでも健康に悪い。吐き出せ吐き出して元気になれィ」

「じゃあ、譬え話だ。昔々あるところに」

「そりゃ昔話ッス」

「煩い黙って聞いてろ商売だろ。兎に角、ある所に二人の兄弟がおりました。

彼等は早くに両親を亡くし、協力して家を治めておりましたが、

ある日見知らぬ誰かが大金を持って助けてやろうとやって来ます。

弟は何者かと訝しみましたが、兄はこれ幸いと金に手を付け事業を始めます。

さぁ、弟としてはどうしたものでしょうか」

「あー……成程成程。じゃあ、早速その弟君を占ってみれば良いッスか?」


 ああ、とぶっきらぼうに答えたユーリに肩を竦めると、

占い師は何やら紙札の束を取り出し、切り合わせ混ぜ始める。

むーん、アブラカタブラ、マンボージャンボーなどと訳の分からぬ戯言を籠め、

それから一枚の古い布を地面に敷き、その前に胡坐をかいて座った。


「本格的だな」

「込み入ってるみたいだからね。多少マジメにやるッス。ほれ、引いてみ?」

「僕が?」

「そうそう。占いってのは神の奴へのお伺いでもあるから、聞きたい奴が引かないと」


少年が引いた絵札の柄を眺め、呪い師は唸り声を上げた。


「ふむ。こいつは……中々面倒な事になってるッスね。

これは一つの試練であり、対決であり、結論でもあるらしい」

「随分曖昧だな」

「そりゃ譬え話を占ってんだから。さて、その中で君はどうするか。

成程成程。色々苦しんで進む。ヴィア・ドロローサ。

されど道は通じて繋がる。ウーム、ウム、ワカル、解って来たッス」

「そうか。さっぱり解らんぞ。帰っていいか」

「あー、ちょい待ちちょい待ち。試練はチミ自身の在り方を確立する為。

そして、まだ続きがある。この試練、多分逃げられない類ッス。

逃げたら逃げたでより面倒になって向き合う羽目になる。

そんで、出た結論が君自身を決めるとかそういう感じのものッスね。

やー、珍しい珍しい。聖騎士とかそういう連中のディシプリンでは聞く話だけどさ、

凡人だと中々でないッスよ、こういうの。ま、結果は上手くいくらスィ」


 当たるも八卦。当たらぬも八卦。ふざけ半分にけらけらと笑いつつ呪い師は言う。


「凡人、か。僕が」

「そうそう。ま、アチキのような超絶天才と比較しちゃうとちょっちゅねー」

「何を言うか。大体な。名前も名乗らぬ乞食の癖に。天才とか堂々と言うお前は何だよ」

「そりゃチミ。契りの司、結びの君。初めの一杯。注げばビールもワインもイケる口。

ありゃまこりゃまで単なる通りすがりッス。ま、万事上手く行けばアチキも得やし?」

「……頭痛くなって来た。ちっとも真面目に答えやしない」

「や、や。アチキはふざけて居るけどこの卦はマジもマジ、大マジですぞぃ」

「解ったよ。前にも当てたし、話半分で」

「むぅ。釈然としねーっすけど、まいっか。所で占い料金貨一枚おくれぃ」


 半身を傾げながら口の端を吊り上げ、笑いながら乞食は掌を差し出す。

ユーリは財布を取り出すと数枚の銅貨を握らせてやった。


「毎度あり。むー、少ない。少ないッス」

「占いが当たって、事後の手当てが良ければもっと弾んでやる」

「あ、言ったな。本当ッスね?指切げんまんするって言えぃ」

「値段と内容にもよるな」

「ああもうこの真面目君め。仕方ない、本来過度に肩入れはしない主義だけど、

出血大サービス。台所事情の厳しいアチキの為に金貨一枚で手を打とう。

このアチキが特別に多少の面倒をこうむってやろうじゃないの」


 金貨一枚というのは大金だ。辺境では税金としても銀や銅が殆どである。

腕利きの冒険者であっても仕事の値として求めるには二の足を踏むであろう。

普通の農民であれば贅沢をしなければかなりの期間食費を賄えるし、

店を構える商売人であったとしても大口取引以外で使う事は稀だ。


「まぁ、アチキに出来る事なんて大した事ないしー

占いはすれど、俗世や人間のやる事にゃ手出しはしないッス」


 ならば一体全体何が出来ると言うのか。恐らくは戯言の類だろうか。

片手を差し出し、にぎにぎとする乞食に少年は溜息をつきつつ応じた。


「……解ったよ。与太話だしな。もし、実現したら金貨一枚工面するよ」

「フン、今にションベン漏らして土下座させてやるから見とくといいッス。さ、指出しな。

このアチキが立ち会っての誓い。滅多に無いから精々光栄に思え、小僧ッ子」

「はいはい……期待せずに待ってるよ。その代わり、金の分は働いてくれ」


 小指と小指を絡ませ、その冗談めかした約束は成る。

少年は立ち上がり、呪い師は手を振りながらその背中を送り出した。



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