第10話 人のお作法



 二ツ龍物語 10 人のお作法



 金と情報の無心に対して返って来たのは呆れ顔。

エイブリー=ホワイトホースに曰く、誰だそんな事吹き込んだ奴は。

ウー=ヘトマンが答えた事には、シャルヴィルト=ストロングウィル。

げっ、というハーフエルフらしからぬ声を上げ女冒険者が左右を見回し始めた所で、

彼女らの陣取る卓へゴザク=クレイノードがやって来る。

何だ何だの声も無く、二つの顔を見回して老爺は内緒話と合点する。

何のことやら良くも解らぬ龍を脇に置き、年寄二人は顔を寄せ寄せ話し合い、

若衆の事だから、と何とはなしに合意して、ウーに駄賃を握らせた。

ウーには解らぬ会話であったが、どうも愉快な話ではあったらしい。

エイブリーがニヤニヤと笑いながらそうかそうかと頷いている一方で、

ゴザクなどは優しい目をして「頑張って下さい」と言っていたけれども、

龍にしてみれば何を頑張れと言うのか、といった所。

その問は当然のらりくらりと躱されて──ここまでが今朝方の話だ。


 ユーリ=ペルーンに連れられて龍はとある辻を歩いていた。

今一人はゴザク=レイノード。公証の手続きは老人とヴォロフらが整えた書状で

あっさりと終わり、何とも実感のないままウーは辺りを見回していた。

そうしているとゴザクが龍へと歩み寄り、軽く一礼する。


「それでは、私は先に」

「解った。好きにしておいてくれ」

「勿論勿論。……では、後は若い人同士で」

「はぁ」


 微笑みつつ耳打ちをして老人は去っていった。

そもそも龍は人ではないのだが、そういう事になっているらしい。

あれよあれよと膳立てが整い、ふと気づけば状況に押し込められている。

困ったものだなぁ、と他人事のように思いつつユーリの方を向いた。


「なぁ、何かあったのか?」

「私にも良く解らんが、何だか盛り上がっているらしい」

「参ったな。預かり知らない所で話が進むってのは」

「何だか玩具にされてる気がしないでもない。まぁ、悪戯か何かか」

「それで、どうする?このまま宿に帰るか」

「いや。この辺りに旨い店があるらしい。そこで食っていけと」

「……誰の入れ知恵だ?」


 怪訝な顔をしたユーリにウーは先日からの経緯を伝えた。

話が進むにつれ、げんなりした顔になる少年にウーは少々不満げに唸る。


「こうすると良いと聞いたぞ」

「あー、そういうのはだな。男女の付き合いでの話だな。担がれたんじゃないか」

「……男女の付き合い?番いの話か?不思議な事を言う。人と龍は別だろう」

「俺も全くそう思うんだが……まぁ良いや」


 確かに見た目の上では十代半ばの少年少女。空想を逞しくする輩もいよう。

態々思惑の上で踊る必要もない。が、少年は状況を利用する事に決めた。

要は時間を好きに過ごせという訳だ。ユーリは龍に向き直ると一礼する。


「丁度、預かってる鉄の件もある。腹が減っては戦も出来ない。

奢ってくれるというならご馳走になろう。龍殿、お付き合い頂けるかな?」

「成程、そう来たか。ならば慈悲深い私がそなたを持て成してやろう。

皇都料理とやらを楽しもうじゃないか」


 ウー=ヘトマンは尊大に答え、預かっていた地図を鞄から取り出した。



/



 左右に聳えたつは古めかしい壁で昼尚薄暗い。

道は半ば泥濘に近く、半刻ほども足を引き摺って歩いた挙句である。

食い物を商う棚など影も形も見えない。きょろきょろ周囲を見回せど、

あるものと言えば時代から取り残された古めかしさばかりだ。


「……ここは何処だ?」


 と、手書きの大雑把な地図に目を落としながらウー=ヘトマンが呟いた。

傍らで渋い表情を浮かべつつ、ユーリ=ペルーンは紙片と彼方の宮城、市壁を見比べる。

行き過ぎる人々の身形からして、治安は悪くはないようだが

まるで区画が整備されていない辻の姿はまるで迷宮である。

ユーリは軽く嘆息するとウーの顔を伺った。


「完全に迷ったな。まぁ、城と壁が目印になる」

「面目無い。折角の機会だったのに」

「いいさ、今回が最後って訳でもない。取り合えず腹ごしらえ」


 言うと、少年は立ち売りをしている露天商に歩み寄る。

懐の財布を探ってから、蒸かしたじゃがを二つ程、摘まんだ銅貨と入れ替える。

ほかほかと湯気を立てる塊へバターの欠片を乗せ、龍に手渡した。


「ほら、どうぞ。熱いよ」

「あまつさえ施しまで受けるとは。……有難う。頂戴する」

「どういたしまして。ま、立ち売りや屋台も一杯だ。

一寸予定は変わったけどゆっくりやろう。まだ日は高いから」


 何やら神妙顔で蒸かし芋に齧りつく少女の横で、少年は二口で片付ける。

塩とバターとそれから甘味、暖かさ。力強い援軍に萎えた気力が蘇る。

指を舐めつつ、さてどうしたものかと思案した。

何と言っても予定は予定だ。だが、同時に予定は未定だ。

欠片程残っていた義務心を打っ棄り、一つぶらついてみようかと言う欲が沸く。


「成程、冒険者の何が良いのか解らなかったけど、こういう事かもしらん」

「何の話だ。それと、他の店も見て回らないか?」

「そう、それだよそれ。冒険っていい物かもしれないな」


 買い食いと冒険の何が同じか、不思議そうに問いかけるウーに答える。


「何でもやってみる、って事。偶には羽目を外したい」

「つまり買い食いで端から端まで制覇する訳か。正に覇道。実に夢がある」

「ベルトがはち切れちゃうよ」

「私は一向に平気だぞ」


 胸を張って健啖を主張する娘に苦笑いを浮かべる。

小遣いを使い切る位ならば構いはすまい。

格式ばった店や貴族の宴席と異なり、食道楽にしては些少な金だ。

と、そこまで考えた所で彼方から外套を着て大荷物を背負った誰かが

群衆に追われて逃げてくる。傍らの露天商が誰言うでもなく呟いた。


「ん、何だありゃ?また鍛冶屋連のいざこざか」

「店主さん。ご存じで?」

「旦那、最近どうも連中が荒れてるんですよ。

余所者が勝手に商売してるだのなんだのって。

まぁ、ウチらみたいな小商いからすれば羨ましい話でさぁ」

「もう一寸詳しく」

「それじゃ、じゃがの他にもベーコンでも。

なぁに心配ご無用、ウチは良心的ですぜ」

「ちゃっかりしてんなぁ……」

「毎度。やー、どうもね。最近、オーク共な何処かからの流れ者が

大量に武器やら道具やら何やら安値で商ってんでさ。

ウチんとこの道具もお陰で新調できたし、私らからすりゃ有難い。

有難いけど鍛冶屋連武具屋連は食い扶持が、ね」


 へぇ、とユーリは相槌を打った。都の鍛冶ギルドの統制破りという訳だ。

世に手仕事組合は様々あれど、品質維持、価格統制という点では変わりなく、

自らの権益を侵されれば闘争も辞さない、というのが露天商の述べた所だ。

要するに他人の畑から麦を刈るような物か、と少年は理解する。


「何処も大変だな」

「世に争いのタネは尽きまじ。ほら、お連れさんの分。

串と辛子はサービスしとくよ。恋人かい」

「ただの親愛なる隣人だよ。……龍って言ったら驚くか?」


 破顔しつつ串焼きのベーコンを店主は差し出した。

一方で遂に外套の人物は鍛冶ギルドの面々に捕まったらしく、

体を縮こまらせて囲まれている。飛び交う怒号と罵声。

いずれ当局の警吏が飛んでくるのだろうが、

その前に吊るし上げになりそうな剣幕だ。

見ていて気分の良いものでは無いが、鍛冶ギルドとなれば

兄からの言伝を果たすに必要な相手でもある。

騒ぎが収まってから尋ねてみようか、と思案しつつユーリは龍に串を渡す。


「ご苦労。河岸を変えるか?」

「いや、こいつ等に用事がな。おっと!?」


騒動で水溜まりの泥水が大きく跳ね、盛大にウー=ヘトマンに降りかかる。


「貴様等ァーーーーーっ!!」


 直後、答えたのは大喝であった。

口を着けないまま台無しになったベーコン串を片手に

爛々と燃える双眸が大音声に動きを止めた群衆を射竦める。

ユーリが制止する隙もない。泥の上を滑るように進んだウーの握り拳が

ギルドの徒弟と思しき若者の横腹を捉える。

次の瞬間、彼は馬車に跳ねられたかの如くに宙を舞い、通りの泥濘に墜落する。

裾をまくり上げたウーの腕には薄く鱗が浮いていた。


 曰く、東の龍には逆鱗があると言う。

どれ程温厚な龍であれ、そこに触れられれば殺さずには居られないとあった。

龍は大きく、人間を容易く引き千切る程力強く、

そして雷霆すらも操る超常の存在だと。

非現実的な光景に一瞬、ユーリは以前捲った本の記述を想起し、

事態を悟って悲鳴の様な叫びを上げる。


「加減しろ馬鹿野郎ッ、殺しちゃダメだ!」


 聞こえているのかいないのか。答えは無いが、龍の拳は止まらない。

ふって湧いた理不尽な暴力にギルド連は何だ何だと事態を把握する間も無く

吹き飛ばされ、ちぎっては投げちぎっては投げ、濁流にのみ込まれた

瓦礫の如くに人体が宙を舞う。馳走の仇、無礼の応報と叫ぶ龍の横顔は

壮絶に吊り上がり、先程までの穏やかさなど欠片も無い。

幸運にも無事であった若衆が数人がかりで飛び掛かり、

全身に取りつき抑え込もうとして尚意に介さず暴れ狂うウーの有様に誰かが叫ぶ。


「何だこの女!?狂ってるのか!!おい、ギルドから用心棒呼んで来い!!」


 騒擾の拡大はかくて決定する。しかしてユーリも見捨てて逃げる訳にいかない。

待ってくれ、と背中を引き止める懇願も怒号と悲鳴に紛れて消える。

やがて、辺り一面が叩きのめされた徒弟どもで埋め尽くされた頃、

その中心でウー=ヘトマンは胸を張って王者のように周囲を睥睨していた。


「どうだ、見たかッ」

「何が見たかだ!?どうしてくれるんだよ!?」

「問題でもあるのか。そもこいつ等が原因だぞ」

「ああもう、問題しか無いだろうが!!

ギルドだぞ、鍛冶ギルド!荒れ野のゴロツキ相手じゃないんだぞ!?」

「それが私の肉より大事だとでも言うのか」


未だ冷めやらぬ怒りを宿した龍眼がユーリを捉える。

思わず息を呑んで少年の体が強張るが、緊張を呑み下し言葉を探す。


「いいか、落ち着いて聞いてくれ。龍がどうかは知らないが、

都市でそういう事をやるとだな、大変な事になるんだよ」

「どう大変なんだ。説明しろ」

「ああもう、そこからか……説明してやるよ。こいつら殺してないんだろうな」

「少し撫でてやっただけだ。殺すなと言ったろう」

「……さよか。良いか、街中で暴れるとだな、警吏連中やら何やらが飛んでくる。

街には街の法があるんだよ。しかも皇帝陛下のお膝元。ペルーンみたいな片田舎じゃない」

「全員叩きのめせば良いだろう」

「頼むから話を聞いてくれ……それじゃお前の居場所が無くなるぞ。

俺だってどこまで庇ってやれるなんて解らん。取り合えずこいつ等介抱して」


 事態の収拾をつけるべく徒弟連中にユーリが肩を貸して引き起こそうとした時だ。

ユーリは彼方から完全武装した一団が近づいてくるのを目撃した。

新手か、とウー=ヘトマンがうそぶく。鍛冶ギルドの私兵団に違いなかった。


「街中で武力抗争とか冗談じゃないぞ……畜生どうしてこうなった」

「諦めよ。逃げたいならば一人で逃げてもいいぞ」

 

 自信満々で胸を張る元凶に恨めしげな視線を向ける。

首輪でもつけておけばとあらぬ後悔が浮かぶが後の祭り。

第一、龍には鈴も首輪もつけられぬというものだ。


「貴様らがこの騒動の元凶か!!」

「これには理由があるんです!お願いですから信じて下さい!」


 やって来た私兵団は統一性は無いながらも、輝く金属鎧に身を包んだ集団だった。

元は冒険者か何かだったのだろう。

年月が刻まれた顔には強者らしい自信に満ちている。

ユーリが必至の態で訴えかける一方、

一際豪華な鎧を纏った中年の兵──恐らくは頭目が、

倒れ伏す徒弟たち、ユーリ=ペルーン、

それからウー=ヘトマンを順繰りに見比べる。


「聞くが、信じる奴がいるとでも?」

「……いる訳ないよなぁ。取り合えず、経緯だけでも」

「ならん。ギルド本部に連行して制裁だ。

ったく、最近は統制破り連中のお陰でただでさえ忙しいってのに」


 まるで取りつく島も無い。おまけに露天商の言葉は正しかったようだ。

完全に敵を前にした警戒態勢であるが、

立場が逆であれば少年とてそうするであろう。

両手を上げて抵抗の意志が無い事をユーリは示すが、

それでも油断なく兵士たちは少年と少女の姿を検め──面頬を上げて詰問する。


「特にそっちの娘。一体何だ?」


 頭目は腰の剣に手をやると、悪童の様に彼から顔を反らしているウーを誰何した。

完全武装の男は柄に手を乗せ、今にも切りかからんばかりである。

彼等にとってみれば町中に猛獣がふって湧いたようなもの。無理も無い話である。

何とかして誤魔化さねばなるまい、と少年は必至で弁解を考え──


「龍だ、人間」


 端的なその台詞にユーリの思考が見事に止まる。

頭目の男は動じず、得心がいったかのように小さく頷いた。


「……ほう、ほう。すると貴龍か。武装させたのは正解だったな」

「ちょ、お前。要らん事を」

「ユーリは黙っておれ。人の挑戦を受けるのも龍の定めよ」

「違う、話を勝手に進めないでくれ!血の海でも作るつもりか!?

あんたもだぞ!たったそれだけの人数でどうするってんだ」

「小僧ッ子、プロの戦闘屋ってのはな。何も人間だけを相手にする訳じゃあない。

化け物相手も仕事の内だ。卑龍なら何頭も潰してきたぜ。総員抜刀!!抜かるなよ!!」


 大喝。鎧を着込んだ兵らがユーリ達の前で各々の得物を構える。

一方、ウー=ヘトマンは不敵に笑うと両の腕に鱗を顕した。

骨格が変わる音までもして、横顔や首元にすら鎧の様に鱗が浮かんでいる。

ええい、畜生め。パニックに陥りかけた思考を何とか押さえ付け、

ユーリはその辺りに転がっていた棒切れを棍棒代りに引っ掴んで兵らに立ち塞がる。


「お、結局やる気か」

「話を聞かないからだ!!こちとら単に巻き込まれただけだってのに」

「皆そう言うんだよ。俺は悪くないってな」

「大体、たかが喧嘩に大人げないぞ!!」

「喧嘩、喧嘩ねぇ。ウチらとしちゃ、若い衆がコケにされて黙っている訳にも」

「だからッ、そいつ等に巻き込まれたんだ!

やり過ぎたのは認めるが、これ以上暴れるつもりは……つもりは」

「どうした、ユーリ。えらく慌てて」

「お前も謝れッ、頼むから!!たかがベーコン位でこんな大騒ぎしやがって」


 半分以上涙目で悲鳴染みた叫びを上げるユーリと不満げなウー。

両者を頭目が見比べ、ふーむ、と声を上げた。

構えていた剣の切っ先を下げると、彼は顎を摩って問いかける。


「龍みたいな女が暴れてると聞いたんだがな。ベーコン?」

「そうだ。こいつが私に呉れたものでな。そいつらのお陰で泥塗れよ。

食い物の恨みもあるし、ユーリの厚意を無にしおったからな」

「成程。だが、始末はつけねーと行かんぜ。理由があっても失態は失態だ」

「そういう物なのか。人間と言うのは面倒くさいな」


 全く反省の色も見られないウーの物言いに、面頬を上げた頭目は

残念なものを見る目で一瞥してからユーリに向き直った。


「そら、上位種のはぐれ者には珍しくないか。話の分かる兄貴分がいて良かったな。

しかし、あんちゃんよ、大変なのは解ったが落とし前つけて貰わんと困るぜ」

「徒弟の喧嘩なんて良くある事だろ」

「そりゃそっちの言い分って奴だ。

抜いた以上は間抜けに終わらせるのもギルドの面子に関わる。そこで」


 頭目はユーリが腰に下げた剣を見て、それからにんまりと笑う。

彼は兜を傍らの兵士に押し付けると胴鎧の革紐まで解き、

するすると解くように脱いで他の具足諸共味方に預けた。

残る防具らしい防具と言えば金属の分厚い小手ぐらいだ。


「抜けよ小僧。決闘で沙汰を決める。これなら文句も出ない」

「そう来たか……いや、この剣は使えない」

「じゃあ、俺のを使え。代わりにその棒きれを貰う。これで帳尻が合うだろ」

「いいのか?」

「公正は決闘のお作法って奴さ。少々痛い目を見てもらうが言い訳は立つ。

正義の神たるトランギドールが白黒はっきりつけてくれるだろうよ」

「なぁ、実はアンタも喧嘩がしたいだけじゃ」

「その通り。実を言うと龍退治が出来ると聞いてワクワクしてたんだよ」


 にやりと笑う男に未だ戦意の覚めないウーが低い声で言う。


「それじゃあ私がやるのが筋ではないのか」

「龍が出張ると殺し合いにしかならん。

勇者か賢者、山奥に引き籠って俗世を捨てた剣聖でも探してくれ。さて」


 二度三度、棍を振って具合を確かめると頭目はユーリに向き直った。

少年は渡された片手半剣を引き抜く。輝く刀身は、数打ちながらもしっかりしている。

重さと柄を検めて、しょうがなしに向き合った。


「準備は良いか?」

「ああ」

「さよか。俺はタイラー=マルテル。

鍛冶ギルド私兵のまとめ役の一人だ。アンタは?」

「ユーリ=ペルーン。諸事情あって詳しくは喋れない。いざ」


 頭目はあくまでも自然体。ユーリは正眼に両手で剣を構える。

埒も空かない。まずは小手調べと踏み込んだユーリの突きが

タイラー目掛けてすっ飛ぶ。

しかし、次の瞬間火花を上げて切っ先が籠手の上を滑る。

反らされた、と少年が認識するよりも尚早く振り上げられた棒が

地面に影を落とした。唸りを上げる痛打を受け止めたのは剣の腹であった。

斜めに傾いだ得物と交差する腕の隙間から、少年が見たものは

金属の籠手を盾とし、片手剣を扱うように棒切れを振るうタイラーだ。


「おら、どうしたい。受けてばっかりじゃ勝てないぞー」


 タイラーの言葉はあくまでも軽い。然しながら驟雨の様な連打は

少年がこれまで手合せしたどんな相手よりも早く重かった。

翳した両手剣を小刻みに動かし防ぐが、刀を返す暇とてない。

──強い!!こういう男もいるのか!!

少年は内心舌を巻きながら売剣稼業への評価を改めた。


「手加減したのはそっちだからな!」


 しかし、騎士たらんとする少年にも意地がある。

乱打の調子が僅かに揺らいだその瞬間、刃筋を立てざま体を捻って横薙ぎに払う。

狙いは棍。狙い過たず木切れの上が跳ね飛んだ。

斜めに走る白刃が、一線踵を返して袈裟に流れる。

その瞬間、少年は信じがたいものを見た。

避けるでなく逃れるでなく、タイラーは踏み込み剣を握った手を掴んでいたのだ。

そのまま柄尻を顔面に叩き込もうとユーリは藻掻くが、

頭目の両腕はまるで岩のようにびくともしない。


「成程。どこか名のある家の人か?剣筋もカンも良い。年の割には経験もある。

だが、アンタ。圧倒的に殺しか、魔物殺しが足らんらしい」

「ぐっ……」


 頭一つ分も上から見下ろしながら頭目が言う。

曰く、この世界で人が人を超える程強くなる方法は一つ。

魂の欠片、と呼ばれるものを蓄える事だ。

数限りない殺しで魂を食い貯めるか、強大な怪物を討ちその魂を啜るか。

或いは、血や魔法を媒介として譲られる事もあるが

大抵は他者を殺めてその魂を貯め込む事が殆どだ。

──突然、ユーリの視界が浮き上がる。


「うぉっ!?」


 叫びを上げる暇とてあろうか。タイラーはユーリの両手を掴んだまま、

信じがたい腕力を以て、まるで箒のように少年の体を振り上げ、振り回す。


「俺の勝ち。そら、龍のお嬢ちゃん。受け取りな」


 石ころの様に投げ込まれた少年の体を

憮然とした態度でウー=ヘトマンは受け止めた。

完全に目を回して昏倒している少年を胸元に抱き留めつつ、

ウーは剣を拾い上げている頭目を睨む。視線に気づき、頭目は龍に向き直る。


「何だよ。勝負はついた」

「冒険者だったろう、お前。そうなるまでにどれ位殺した?」

「邪推だぜ。──さぁね、数限りなく殺した。で、やっとまともに食えるようになった。

しかし、俺と貴女に何の関わりがあろう」

「大いにある。こやつが鍛冶ギルドに用があるらしいからな」

「ちょ、おま……それで俺らに喧嘩売ったってのか?何ともはや」


呻き声を上げつつ伸びているユーリを正面に抱いたまま、ウーは続けた。


「決闘とやらは済んだのだろう。面子の問題も片付いた。

ならば私の用事を聞く暇ぐらいはあるのではないか?」


 タイラーは目をしばだたせながら背後を振り向き、

部下と三々五々起き上がり始めた徒弟連中と顔を見合わせる。


「なぁ、それ本気で言ってるのか?」

「勿論だ。……む?」


 がぶりを振りながら身を起こした少年がよろつきながらも身を起こす。


「だから……ッ、勝手に話を……話を……」

「お前だって用があったのだろ。丁度いいじゃないか」

「後で覚えてろよ……おい、アンタら」


 と、ユーリは放り出していた鞄から一本の延べ棒を取り出した。

タイラーはそれをつかみ取るとしげしげと眺め、不意に真剣な表情を浮かべる。


「おい、こいつは其処らのオークから買った奴か?」

「違う。我が兄の所領に送られてきたものだ」

「成程……まぁ、嘘を言うにしちゃ度胸が据わりすぎてる。

一端は信じよう。しかし、こいつをどうしたかったんだ?」


 問われ、ユーリは概略を述べた。


「成程な。解った、ギルドまで来ては貰えないか。少し詳しい話がしたい」

「決闘の売られ損だよ、全く……」

「そう言わないでくれ。こちとら生活が懸かってるからな。

それと嬢ちゃん。きちっとだな、この坊主や徒弟どもにごめんなさいしろよ?」


 そうだそうだ、とユーリ=ペルーンまでもが徒弟の肩を持ち始める。

龍には人の気持ちは解らない。解らないが、

しでかしてしまったらしい事には漸く気付く。

数秒悩み、脳裡一杯に詰め込まれた辞書から正解を探し、ああ、これかと理解する。

そこまでの段階を踏んでから、ウー=ヘトマンは頭を下げた。


「……ごめんなさい」

「は、珍しいモンを見たなお前ら。よーし、次は後始末だ。

龍は知らんが、手前のケツは手前で拭くのが人間様の流儀だかんな。

どうも初心者らしいから今回は手伝って貰え。坊主、それでいいな?」


 そういう事になった。不精不精に未だ倒れる連中をウーが起こして回る。

見た目だけならば麗しの少女、然してその実体は暴れ川。

改めて龍の扱い辛さを噛み締めてユーリは振り回される自分の状況を再認識していた。


Next.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る