第6話 手を差し出して
二ツ龍物語 6話 手を差し出して
縛めから解き放たれ、龍はユーリ=ペルーンを見下ろしていた。
鉄の塊に押し潰され、喚きながら暴れる小僧がそいつだ。
ちっぽけな、龍からすれば比較にならない猿に似た生き物。
そんな連中に自分はかつても今も助けられたのだ。──そう、二度までも。
「ハハハ、何だ運命殿。威勢が台無しだぞ」
龍は愉快げに笑うと大剣を摘まみ上げて退かし、
真っ赤な顔で跳ね起きた少年と向き直ると馴れ馴れし気に口を開いた。
ユーリは目を数秒瞬くと、服の埃を落としつつ龍に向き直った。
「やあ、お早うユーリ君。お加減は如何かな?」
「最悪だ──まぁ、兎に角助けてくれて有難う。何だ、まるでアベコベじゃないか」
「君は愉快な子供だな。昔のペルーンはもう少し威厳があったものだが」
「昔は昔、今は今だ龍殿よ。あんたも僕に礼の一つも言ったらどうだ」
適当に調子を合わせつつユーリが露骨に恩を売る。
鼻先を少年の顔に当てる程近づけて龍はくるくる喉を鳴らす。
「龍には思いつかない台詞!!お礼、礼か。有難う、有難うとかいう言葉だったな。
成程成程。有難う小さきペルーン。お陰で自由に──お、おお?」
下げた頭をすぐ上げて歩み出ようとするや、龍の巨体が傾いだ。
まるで斧を入れた巨木の様にふら付き、轟音を立てて倒れる。
それからもしばしの間藻掻いていたが立ち上がる事も叶わない。
「困った。腰から下が動かない」
「……剣が刺さってましたからね」
生き物である以上、腰を杭打たれれば動けなくなる。当然の理だ。
しかし、龍は首を振ってから答えた。
「傷は時間が経てば塞がる。どうも体自体が──」
しょうがなしに蛇のように這うと、体を捩って腰から下を検める。
長年の縛めに薄汚れ、痩せ衰えた胴体にはうっすらと骨が浮かんでさえいた。
目を細め、苛立たし気にちらちらと舌先を走らせてから観念して事実を認めた。
「萎えている。すこぶる怠い。参ったぞ……この調子では空も飛べんか。
殆ど寝ていたも同然だが──ああ、ダメだ。頭が回らない。完全に馬鹿になっている」
「それ以前にこの石室から出れませんよ……ほら、上見てください。
失礼ながら、体が通らないのではないのですか?」
「む」
言って、ユーリは天井を仰ぐ。スロープの上にある穴の大きさ戸口程しかなく、
鼻先を突っ込もうものなら身動きが取れなくなるだろうことは明白であった。
これは参った。そこまで考えて居なかったと己の浅慮を恥じる少年に龍は余裕そうに答えた。
「……問題無い。龍と言うものはだな、化ける事が出来る。ホレ、見ろ」
言うと、龍は腹ばいのまま口の中で何事か聞き取れない言葉を紡いだ。
ぽぅ、と淡い燐光が煌めき──それは魔力の灯だ──指向性をもって龍の体表をなぞる。
次の瞬間だ。めきめきと龍の体が音を立てて縮み、変形し始めた。
蛇のような胴体と尾は短く、細く。鱗に包まれた手足は伸びやかに。
鬣を配した細工兜のように厳めしい頭部は小さく、そして長い髪を備えた美貌に。
全身を覆っていた緑の鱗は一枚の薄い装束とペンダントへ──あっけに取られる少年の前で、龍は一人の娘に変じた。
「どうした。人の形をした生き物を見るのは初めてではあるまい」
「き、記録の通り……まさか、本当とは。魔法?魔術?奇跡……夢でも見てるようだ」
「おいおい……しっかりして呉れよ運命殿。そんな調子では張り合いがないじゃないか。
助力を求めに来たんだろう。やる事なす事一々驚いては持たぬぞ。さて、それはそれとして」
俄かには信じがたい光景にたじろぐユーリに対し、龍は仰向けから身を起こし手を指し伸ばす。
何事かと少年が身構えると、尚も手を突き出し、口をへの字にした龍は尊大な調子で要求を述べた。
「すまんが背負って呉れ。やっぱり足が動かん」
「……」
「ほれほれ、どーした少年。この姿が恐ろしいか?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「なら決まり。ほれ、しゃがめ」
そうして。背の重みを感じつつ、仏頂面で歩を進めるユーリとは対照的に龍の表情は晴れやかであった。
そいつはころころと表情を変えつつ、少年に対し矢継ぎ早に質問を繰り返している。
例えば皇国はどうなっただの、戦が終わったのは何故だだの。
かと思えば思い出したかのように龍の預かった土地の話をし始める。
次から次へと話題が移ろい、少年からすれば支離滅裂な話題かとも思えたが、
答える都度、龍は感嘆の声を上げ、一々驚いているのだからユーリにとっても悪い気はしない。
と、言うよりも他愛のない会話でこうも喜ばれるのは少年にとって初めての経験であった。
まして──
「ユーリ君やユーリ君。一応だな、私の姿恰好はそれなりの物にはしているつもりなのだが、
君から見てどうだろう。どうも人の感覚は解らなくてな。姿見があるで無し──後で水鏡でも使うつもりだが」
「そんな事聞いてどうするつもり」
「そりゃあ評価は聞きたいものさ。聞けば随分と色々変わったのだろう?人の感覚は言わずもがなよ。
笑うのは好きでも笑われるのは面白くない。第一、人間も出かける時、衣服の造りは気にするだろう。それと同じさ」
「龍と言うよりも妹を拾った気分だよ」
「失礼な。今の私は弱っていても、所領持ちだぞ。身分も年齢もお前と同格以上。妹呼ばわりされる覚えはない」
「その割には子供っぽい」
ふん、と龍は不服げに鼻を鳴らす。
「人に関わりたがる龍は皆子供っぽいのさ。そうでない連中は山奥で引き籠ってるだろう。例外は奥方様位」
「奥方?昔のペルーンのか?」
「いいや、シャルヴィルトという龍さ」
オウム返しに聞き返すユーリの無知を嘲笑うように聞き覚えのある名を龍が言う。
数度、口の中で単語を転がし──冒険者がその名前を口にしていた事を思い出した。
「そういえば、ウチに来てる冒険者共がその名前を出していたな」
「何ッ……ああ、いやまぁ、おかしくはないが」
「今は冒険者の元締めみたいな事してんだとさ。僕は都の事情には暗いけど、そんなに名のある龍か」
「ああ。銀色の鱗の、古くて強い龍さ。綺麗な方だった。それにしても冒険者の元締めか、変人との評は真実だったな」
「ふーん……ああ、そろそろ出口か。すっかり暗く……ん?」
会話から意識を外し、夕闇の垂れこめる外界へと顔を向ける。
ゆらゆらと複数の灯が揺れているのが遠目に見えた。ユーリが目を細める。
耳を澄ませば何事か怒鳴り合う声さえ聞こえていた。
「──ゴロツキ同士の小競り合い?ここからでは良く見えんが。
どうもお前の名前を出している。小さきペルーン、何かやらかしでもしたか?」
肩越しに顔を突き出した龍が言う。ユーリは即座に状況判断を下した。
片方は見張りに立てていたライサンダだろう。そして、仮に流れ者や賊徒の仕業であれば、
村の用心棒やペルーンの兵隊共も動いている筈だがその様子は無く──つまり、相手はこの村の連中であるという事になる。
ずんずんと決断的に歩を進め、洞窟を出るとそこで一人が多数に向かい合っていた。
ユーリは周囲を睥睨してから、ライサンダに目を向ける。
「ライサンダ、これから村祭りでもするのか?」
「……隊長、こりゃどーも。お客さん方が来られまして応対中ですわ」
「そうか。さて、頼む。詳しくは後でな」
身構えているライサンダに少女を押し付けると、ユーリ=ペルーンは松明を掲げている集団に向き直る。
実に雑多な与太者の集まりであった。どいつもこいつも面構えが悪く、おまけに腰には武器を下げている。
先だってこちらを見張っていた冒険者連中に違いあるまい。
さてどうするか、一瞬考えてから少年は剣の柄に手を掛けつつ音声を上げる。
「諸君、これは一体どういう事かね。雇い主の客と知っての無礼か?」
高圧的に切り出したユーリを幾つもの目が見上げるように伺っている。
互いに顔を見合わせる者、ひそひそと何事か囁き合う者。但し、武器に手を掛けた者は居ない。
予期しなかった相手であったのだろう。打算に駆られ立ちすくむ冒険者たちに騎士は続ける。
「別に腹を立てている訳ではないさ。ただ、理由を教えて欲しい」
だから俺はやめようって、だのと互いに責任を押し付け合う様をユーリは観察した。
烏合の衆には違いなく、一押しすれば簡単に崩れるか。そう思いかけた所で、
渋々、一人の大柄な男が歩み出る。少年より頭一つ分以上は背丈があるだろうか。
「俺たちはただ、仕事をしようとしてただけだ。余所者が村の中を嗅ぎまわってていい気分はしない。
そういう話。で、ペルーンの殿様よ、こっちこそ聞きたいんだが、あんた達何やってたんだ」
「仕事熱心だな。こっちは村長さんに一言入れてた上で調べものをしてただけだ」
じろ、と答えた冒険者がライサンダに肩を貸され辛うじて立つ娘を見た。
眦を吊り上げると、再び少年に向き直る。
「とてもそうは見えん」
「じゃあどうするつもりだ?後ろ暗い所は無い──」
「そうそう、その通り。ペルーンよ、私は元の場所に帰るだけ故な」
「……さっきから気になってたが、その女の子は誰だ?」
「あー……どう説明したものか」
不審そうに見比べる冒険者にユーリは言葉を濁す。これが龍だと言って信じる者はこの場に少年以外おるまい。
説明すればする程疑われるに違いなく、腕を組んでどうしたものかと頭を捻った。
「人さらいか、それとも女でも買ったか。そういう事は宿でやれ、宿で」
「違う。……取り合えず村長殿に話を通したいんだが──」
「頭飛び越す前に言う事があるだろう」
「お前らじゃ話にならん」
その言葉が癇に障ったらしい。男はユーリを睨みつけながら近づいてくる。
「ほー……いいのか、そんな態度。たった三人で。こっちは──」
威圧的に言いかけた冒険者の顎を、一息に踏み込んだユーリの掌打が塞いだ。
たたらを踏みつつ後ずさる男の足を払うと、少年はとどめと体重を乗せて仰向けに倒れた男の眉間を打つ。
ライサンダが腰の剣に手をやるのを一瞬見て、ユーリは鋭くそれを制した。
「武器は使うな。素手だ」
「十人以上いますぜ!?」
「やる気があるのは半分もいない──多分な。ホースヘッドは?」
「ゴロツキ連中が姿を消したら応援に来いと──おい、お前ら!こちとら兵隊は大勢いるぞ!!」
啖呵を切ったライサンダに害意を削がれた冒険者が何人も見えた。
「ハッタリを言いやがる!」
「試してみるか。見てたんだろ?」
言って悠然と歩み出ると、喚くごろつき共に少年騎士は告げる。
仕方なし、と少女をかばうようにライサンダが拳を固める。
「野郎!!」
押っ取り刀で突き進んでくる冒険者が数人。先頭の者が振るう拳をユーリは体を落として避け、
そのまま胴体目掛けぶちかましついでにそいつの鳩尾に腰刀の柄尻を突き込んだ。
呻き声を上げて崩れ落ちる同輩に続く者が足を止め、その隙を突いて少年は間合いを詰める。
「おお、あのガキやるぞ!!」と、背後ではやし立てる連中はいい気なものだが、
その実少年とて余裕がある訳でもない。殺したわけでは無い以上、打ち倒した連中も
早晩戦線復帰するであろうし、囲まれてしまえばジリ貧だ。早々に戦意を削がなければならない──と、
そこまで考えた所で目前の冒険者が少年の襟首を掴み、体重を乗せて押しつぶしにかかる。
「や、ヤベ。隊長ー、足を止めたら」
ライサンダの焦り声が響く。
「ふむ、それでは早速助力しようかの」
それに答える少女の声が一つ。
指先を持ち上げる。バチリ、という音が響いたかと思うと上体を起こしている少女の指先が紫電を纏った。
途端、身を捩らせながら拘束から逃れようとするユーリ、捕まえたままの冒険者、
少年の足を払って押し倒しにかかる今一人の視線が一斉に少女に集まる。
そして巻き添えなど全く考慮に入れていないように見える笑顔に気付く。
空気を裂く轟音が響いて、指先から地面目掛けて雷が落ちた。
「何だあの女!?まさか魔法使いか!?こっちに向けてぶっ放すつもり!?」
「離せこの馬鹿!!僕まで巻き添え食うだろうが!いや、止めろ!止めろ!」
「煩い!死なば諸共!お前も道連れに、アッこらお前だけ逃げるな!!」
実に見苦しい罵倒を投げ合いながらくんずほぐれつ縺れ合う野郎どもを指先は待ってくれない。
と、彼方から馬蹄の響きが聞こえた。かと思うと聞き覚えのある声が怒鳴り声を上げている。
何処で騒ぎを聞きつけたか、馬上の老人は村長であった。
「何の騒ぎだ!!」
「ゴザク!?これはその……」
「黙らっしゃい!!武器まで持ち出して。無駄飯を食わせる為の金じゃないんだぞ!!」
「おや、ひょっとして?」
と、再びライサンダに肩を貸されながら事態の推移を見守っていた少女が声を上げる。
「もしかして、もしかすると……ゴザクか?ゴザク=クレイノード。親爺殿と良く似てる」
「誰だ!?いきな……り」
「やっぱりそうだ。見覚えがあるぞ。ほら、若い時に会った事があるだろ?」
衆人環視の中で老人は思わず絶句して少女を暫し眺め──それからユーリに険しい顔を向けた。
ゴザクは一度咳払いすると、冒険者連中に振り返る。
「持ち場に戻れ。ペルーンと話がある」
「しかし……」
伸びている仲間を案じているのか、不服げな声が上がるが構わず老人は手勢を追い散らした。
その様子に忍び笑いを漏らしていた少女は口の端を吊り上げ、意地悪そうな笑みを作った。
「偉くなったものだな?」
「……話は邸で。皆に聞かれでもしたら色々と面倒が御座いますから」
「お前にとっての、だろう」
「偉くなるとはそういう事です」
「そうか。それでは、案内するがいい」
龍はふんぞり返り、そう言った。
/
卓に着いたのは四名。ユーリ=ペルーン、ライサンダ、龍、そしてゴザク=クレイノード。
垂れ込めるのは沈黙であり、その原因はゴザクであった。
眉間に皺を寄せ、ユーリと龍を交互に眺めては二の句を探しかけては失敗している。
ユーリが事の顛末を語ってからというもの、ずっとこの調子である。
つい先程まで村長の策謀を疑っていた少年からすれば拍子抜けであった。
「何か言う事があるのではないか?」
這うように身を乗り出して龍は問う。
村長は観念したように大きく息を吐き出すと切り出し始めた。
「まさか、生きて塚から出てこられるとは思っても見ませんでしたから」
「ペルーンが剣を抜いたからな。実際、私も現実味がない。
しかし、ずっと捨て置かれたのは堪えたぞ」
「仕方が、無かったのです。本当に返す言葉もございません」
「それで済む話か?」
「償えもしないでしょうな。実際、私も都合良く立場を使っていた」
そうだろう、と腕組をして龍は言う。一方の老人は一語一語を拾いながら、その意味を反芻しているようだった。
平謝りする村長は恨めしそうな視線をユーリに向けるが、少年は取り合わず対話を聞くに留める。
ややあって、胸中の念を押さえ付けながら重い口を開き、村長は続けた。
「そう、仕方が無かった。大戦が終わって、そう終わったのは良かったのですが」
「どういう事だ」
「どうもこうも……昨日までの敵と急に手を握ったりは出来ないという事ですよ。
疑心暗鬼が酷過ぎる時代でしたから。動けない貴女を害そうとする者だって」
「身の安全の為に、か。理解はした、納得は出来んが──余り、詳しく話したくはないだろう」
最善は尽くしたつもりだ、そう主張するゴザクに龍は仏頂面で迎える。
そこで会話を区切ると、龍がゴザクに向かって顔を寄せた。
萎れた老人の顔に指をさすと、冴え冴えとした三日月のように目を細めて問いかける。
「それはそれとして、この埋め合わせは如何する?」
「正直に申しましょう。考えあぐねております。第一、こうして龍殿と口を利くのは実際初めてで」
「……そう言えば、そうか。うっかりしていたな」
「父が度々居なくなり貴女と一緒に話しているのを見た位で。てっきり浮気でもしているのかと」
「何を言う。私は龍で、人間ではない」
「しかし、女性の姿ですからね。若衆の噂では少なからず──失敬。
親爺殿とは随分とやりあってたのをよく覚えていますわ。大抵言い負かされたのは貴方でしたね」
「村方の仕事は全て奴任せだったからな。実際、私に向いている仕事とは思えない。
いざこざの仲裁やら造作の管理やら金と来る……人間共は龍と見れば怖がってしまうし」
「そう、そこなのですよ、問題は」
頭を抱えながら老人は呻いて見せる。
半ば演技じみてはいるが、滲む苦渋に偽りはないようだった。
「考えてもみて下さい。ある日突然、領主を称する龍が現れて無事で済むと思いますか?
ペルーンが焼かれて昨日の今日ですよ。すわ、魔物が攻めて来たと言われでもしたら……」
「丁度、皇都に使いも出している。まかり間違うと軍勢の標的になる、と」
「その通り。このご時世、どこも殺気立っておりますで。都の軍団を向うに回すと、流石にどうもならんでしょ」
ゴザクは頷き頷き述べた。ユーリも渋い顔をして事態を飲み込んだ。
支配するにも正当性や正統性は必要だ。いきなり現れて支配者を称した所で排斥されるだけである。
所謂、魔物や異種族との大きな戦は絶えて無いが、それでも往時の記憶は風化してはいない。
小競り合い程度ならば兎も角、騒ぎを大きくするのは得策とは言えない。
「筋で言えば返上するべきではありますし、法の上でも恐らく問題はないでしょう。ペルーンに承知して頂ければ」
ただ、と付け加えて村長は話を続けた。
「言いました通り大混乱は必至。我々としては上が誰であれ、と開き直れますが……」
「そうか。人の世は相変わらず面倒が多いな。何とかならんのか?例えば──そうだな。
要は、正しいやり方で人間共を納得させればいいんだろう。まずペルーンから言質をだな」
「悪いが、ここは宙ぶらりんなんだよ。中途半端に慣習で残ってるが──疑われるだろうなぁ」
「面倒臭い!済し崩しでいいだろう済し崩しで!何で私のモノなのにこんな」
悪企みを即座に否定されて喚き声を上げる。
領主不在で、殆ど自治に任された土地である。ゴザクが把握していない問題もあろう。
癇癪を起して立ち上がるや、龍は古ぼけたタペストリーに手を当てる。
「ここに描かれている通り!伝承が証だ。それで何が悪い」
「それでは証拠に……証拠に……そうだ!公証人!」
「こうしょうにん?」
オウム返しに聞き返す龍にゴザクが説明する。
公証人とは、文書や契約に対し公的な証明を行う者である。
そして、今回は赤の他人のでっち上げでは無く行方不明だった本来の持ち主の帰還だ。
不在時に管理していたゴザクにしても、利害関係人のペルーンとしても否定する理由もない。
要は状況を確定させればよいと言う訳である。
「つまり、都に出かけてそいつに頼めば良い訳か。紙切れ一枚でどう変わるのか知らんが。
要は、誰が何をどう持っているのかを一目で解るようにする訳だな。相変わらず工夫を作る」
と、興味深げに龍は受けた。それから思い出したかのようにユーリと向き直る。
踏ん反り返ると裾を持ち上げて痩せ細った太腿を示し、むやみやたらと自信たっぷり鼻から息を吹く。
「だがね、この様だ。今すぐにとは行かないぞ」
「それを自分で言いますか。私共としては、そうですね、そうですね……し、親戚の孫とでも」
「似ていないだろう、全然。明らかに無理がある」
方やでっぷりと太り禿上がった頭の老爺、方や見た目には十代の小娘である。
顔立ちから体格から共通点が殆ど無い上、ふって湧いた遠縁の係累というのは理由として如何にも苦しい。
誤魔化しの手管を考えるのを一時放擲し、ゴザクは笑みを作る。
「そうですよね。ま、後で子供たちも紹介しましょう。きっと喜ぶ」
「それは楽しみだ、是非とも教えてくれ」
「あー、盛り上がってる所すまないが」
と、口を挟んだのはユーリだ。
「何でしょう、ペルーン殿」
「兵を募っている理由はご存じだろう。当方としては盟友の力を借りて備えとしたい。
平たく言えば、その龍の身柄はこちらで預かる事にして構わないか?そもそも原因は俺にある」
「……どう言った意図での発言でしょうか?」
「言葉通りだ。手近に居てもらうに越したことはないからな」
「人質だ!そんなに私が信用できないんですか!」
「落ち着け、クレイノードや」
声を荒げるゴザクを龍が宥め、それからユーリに向き直る。
真っ直ぐにその目を見下ろすと、悠然とした口調で言葉を繋ぐ。
「私は籠の鳥ではないし、もう地下に縫い付けられている訳でもない」
そうだろう、そうだろうと繰り返す。剣は抜かれ、龍は放たれたという訳だ。
「心遣いは嬉しいがこの私を余り見縊ってくれるなよ。それに」
肩を怒らせている老人に宥めるような声音で言うと、龍は再びペルーンに顔を向ける。
「色々と見聞を改めたくてな。ここに籠ったままよりは知る事も多かろう」
「そう、ですか。しかし、傷が癒えてからでも遅くはないのでは?」
「傷自体はすぐに癒えよう。ただ、退屈なのはいかん。もう我慢出来ん。
戦は終わったのだろう。しかし世界が終わった訳でも無ければ、盟を解いた訳でもない。
ペルーン、お前が態々訪ねて来たのだからな。繰り返しになるが、助力するに吝かではない」
そこまで語ってから、はたと何か思い出したかのように言葉を止める。
龍はユーリ=ペルーンとそれから退屈そうに話を聞いていたライサンダの方を向く。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。クレイノードはいいだろうが、そっちの二人。
ペルーンと……もう一人のお前。人間の男君、名前は?」
「ライサンダ。一族の名はアルカイオス。龍殿。一党の名から取ってライサンダ=ホワイトホースっていう事もある。
ええと、俺ぁ喋って親切な龍と対面するのが初めてだから失礼があったら申し訳ないが、兎に角宜しく」
ふむ、宜しいと返答を聞くと龍は傍らのユーリに肩を貸せ、と耳打ちする。
しょうがなし、という風のユーリに支えられて立ち上がると、周囲を見回しながら龍は満面の笑みを作り、言った。
「我が名はウー=ヘトマン。遥か東からの流れ龍にして、この土地の主。
今再びペルーンとの盟に従い君等に協力する気になった。短い間だが、宜しく頼む」
next.
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