第7話 ペルーン誑かし


 報告書や嘆願書、手紙に記録に提案に、立法原案等々と領主の決済すべき書類は数多い。

最も、ペルーンのような小領主には本来であれば片手間で足りる仕事である。

が、目下は一掴みで済まない程の分厚さを持つ紙束の群れが幾つも机上には鎮座している。

終わらない仕事にヴォロフ=ペルーンは目頭を押さえつつ浅く溜息を吐いた。


 龍の襲来から早一月は経とうとしていた。

限られた人手の中、どうにか破綻を避けて事態の峠が見え始めて来たようにも男には思えたが、

さはさりながらそろそろ体力気力の物理的な限界を迎え始めているのも否定が出来ぬ。

否定的な考えが腹の底で渦巻くのを自覚して、彼は休憩を取るべく執務室を後にする。


「ペルーン、ペルーンか。俺はどうしてこんなものを受け継いじまったかねぇ」


 ユーリなどが聞けば目を剥いて怒りそうなぼやきが誰聞かせるでも無く黴臭い空気に溶ける。

ヴォロフは元々は皇都の大学通いの貴族子弟という立ち位置であった。

あの忌々しい『大戦』のお陰で学業どころでは無くなり、間一髪戦禍を逃れた結果がこの有様である。

かつてなりたかった、或いはやりたかったという願望は今も胸中で燻っている。

例えば、都の役人になる。或いは、今を時めくストロングウィルだのに潜り込んで世界を相手に切った張った。

幾許か社会や世界を動かす側に回る──若さが求める天井知らずの願望という奴。

男にもそういう時代があった。


 勿論、今やヴォロフであるよりもペルーンである事が彼の仕事であった。

時折去来する空しい記憶を在りし日の幻影としてぼんやりと眺め回すぐらいである。

散歩がてら邸内を歩き回り、従僕共と行き交わしつつ、取り留めも無い思考を巡らせていく。


 理解し、整理し、優先順位をつけねばならぬ。男は弟も含め、幾つもの腕を持つ組織体の頭である。

先ずは何より食料問題──この冬に関しては貧しいながら目星がついた。ユーリが取り付けた援助のお陰である。

兵を得られないのは残念であったが、半独立状態にあったあの村を引き入れることが出来たのは大きい。

軍事はユーリ任せだが、見る限りに於いて日々の訓練を欠かしている調子も無く、形ぐらいは整うと信じよう。

さて、農民共の植え付けをどうするか。雨が全く降らず湿り気も無い。

村方との相談は必須だろうが何時にするべきか。都からの援助は何時か。

そして、以前訪れたシャロムとかいう子供からの手紙。


 そう、手紙だ。冗談か悪戯だろうが、日付まで指定して表敬訪問するのだそうだ。

お互いの今度の良き関係について構築する事を希望しており、部下も連れて来るらしい。

あの日以来姿をとんと見かけないが、恐らくは親元かどこかに帰ったのだろう。

約束の期日は近いが、何一つ音沙汰も無く男としては黙殺を決め込んでいる。


 まるでどこぞの貴族じみた振る舞いの小娘ではあるが、生憎と詩人の与太位しか

世間を伝える物も無き辺境ではあの子供の存在について真偽は定かでない。

返事は書き、後日やって来た先方の伝令とやらに渡したが、早まった事をしたかも知れぬ。

とは言え、何かしらの行動があれば無下に断っては当家の体面にも関わる。云々。


 閑話休題。

脇道に逸れた思考を所領経営に軌道修正する。

どうにかなったと結論付けたい所ではあるが、結局の所借金によって回す火の車が実態である。

今度は借りた金や物資をどうするかという問題が立ちはだかる事と相成り、

それにつけても金の欲しさよと世知辛さばかりが募る。

所領からの上がりだけでは足りず、財を切り売りするより他に無いか──悪戦苦闘の視野狭窄。

ペルーン再興への道は遥かに遠い。


 いい加減面倒になって思考を放擲すると、ヴォロフの目にユーリ=ペルーンの姿が見えた。

杖を突き、足を引きずる少女を連れている。先日、弟が連れて来た娘である。

大人になったものだと感心したのも束の間、その娘が龍であると言い出したのには困ったが。

ともあれ鷹揚に構えつつ片手を上げて挨拶する。


「よう、ユーリ。お早う。加減はどうだい?」

「あ、兄さん。こっちは全然平気。兄さんこそ大分疲れてるだろ、僕にも少し手伝わせてよ」

「ありがとよ。ま、今は休憩中だから。……その子が?」


 ヴォロフは傍らの少女に顔を向ける。更に困った事には、主張を裏付ける証拠が多々出てくる点であった。

視線に、少女──ウー=ヘトマンは会釈で応えると不格好な笑みを繕って男を迎えた。


「これはこれは。ペルーンの子、龍を子ども扱いとは相変わらず剛毅な一族よ」

「あ、ああ。うん、あれからユーリから事情は伺った。ただ、俄かには信じがたく」

「いや、いや構わんよ。元々神秘と言うのは秘されるもの。まして大戦でその多くが滅び、忘れられたから」

「然様で……まぁ、当面は逗留されよ。弟の知人とあっては無下にもできん」


 これが例の、と領主はウーを笑みのように目を細めて値踏みする。

それから、取り合えずはあてにはならない切り札の一つとして考えておこう、と決めた。

一々大袈裟なのは種族の故か、或いは単に中身のない法螺でも吹いているのか。

ともあれ、話相手をユーリが務めているのはヴォロフにとって有難い話であった。

また、他者に振り回されるという経験も弟には得難いだろう、と理屈を積み重ねる。


「兎も角、報告は聞いた。仕事の話ばかりで申し訳ないけども、実際にはどんな感じ?」

「そうだねぇ。やっぱり素人ばっかりだから、今の所歩き回らせる訓練ばかり。

まぁ、思っていたよりは使い物になる、かもしれないぐらいかな。けど、如何しても攻め手が足りてない」


 話の河岸をを変えて問いかけるとユーリに曰く、実際に武器を持っての殴り合いでは役に立たない弱兵揃い。

枝刈鎌を切り詰めるなり、長柄にするなりして持たせるにせよ、都度都度どうにかして補う方策を考えないといけないという事らしい。

眉を顰めて弟は必死に考え込んでいるが、早々に答えはでないようだ。


「やっぱり、手練れが足りてないよ」

「足りないか?」

「足りないナァ。龍が──ウーさんが協力してくれる、って事にはなったけどさ」


 と、ユーリは傍らの少女に顔を向ける。一方の少女は胸を反らせてその意を受けた。

何やら自慢げな姿を似たような兄弟の目が迎えていた。ユーリが肩を落とす。


「うん……余り頼りすぎるのもどうかと思うし」

「何だ。そんなに私は頼りないか?そこらの有象無象ぐらいであれば一蹴できるぞ」


 と、不服げな顔をするウーにヴォロフが話を交代する。


「不釣り合いな力は禍を招く、という事ですよ。

私共としては、恐ろしい何かが居ると言う位──抑止ですな。

脅して馬鹿な考えを止められればそれでいいんです。何せ戦にもお金がかかって」

「金、金、金。世知辛いのぅ。気が滅入って来る」

「兄さんは少し悲観的すぎるよ。少なくとも、今この時が悪い訳じゃない」


 屈託のない表情を浮かべる少年少女に、中年男は強いて笑みを作って曖昧な答えを返す。

そこで取り留めのない雑談に一区切りをつけると彼は思い出したようにユーリに向き直った。


「それで。聞いたぞ、その娘とあの村の話。勝手に話を進めちゃいかんと言ったろう」


 う、と少年が一瞬たじろいだ。先だってのゴザクとの一件だ。

手回しが早いもので、別口で既に細部に至るまで耳に入っている。

全てを信じた訳ではないが、言うべき事は言わねばならんとヴォロフは続けた。


「そ、それはその。まさかこんな事になるとは思わないし、何とか場を収めようと」

「そうだとしてもだ。兄弟であっても上下の別ははっきりさせないと示しがつかん。

お前の一存で決められる事ではない──殆ど何も決めてないような結論でもな」


 しどろもどろになり、じゃあどうすれば、と問う騎士に領主は続ける。


「──お前、答えは既に出してるだろ?あの村の連中は勿論、その子の為にも働いてやりな。

民の為に働くのが好きなんだから、まさか文句はないよな」

「そういう事になったようだな。ヴォロフ殿、私の方からも宜しく頼みたい。こいつは中々面白い奴だ」


 四つの瞳に射竦められ、ユーリは肩を縮めながらも首肯した。



 /



 刻限は訪れた。ヴォロフにとっては何時もの朝である。

慌てふためいて武装した一団の来着を告げた従僕さえなかりせば、常であったろう。

すわ援兵か、それとも凶悪な賊かと誰何する領主へ僕は答えて曰く、シャロムという方。


 果たして。告げた通りに彼女と彼等は来た。

瓦礫の中で働きながら、何だ何だと物見高い野次馬共が眺めている。

豪奢な赤いドレスの娘と、それを守るように付き従う一糸乱れぬ儀仗兵どもである。

鉄で固めた兵士で自らを飾り、シャロムと名乗った娘はやって来た。

約定通りに居館の戸を潜り、呆然と出迎えるヴォロフに相対するなり、ドレスの裾をつまげて冗談めかした礼をする。

再び顔を上げた何時かの少女は、ヴォロフに向けて口を吊り上げて笑っていた。

押っ取り刀に身支度した中年男の呆然自失を嘲笑っている態である。


「どうじゃ。笑えなくなったろう。二の句も告げない様子じゃな。善い、実に善い」


 目頭を押さえ、ヴォロフは混乱する脳裡を整理した。

以前酒場で見た娘だ。名乗る所によるとシャロム。書状によれば──

兵を引き連れて拝謁したい、らしい。随分と流麗かつ古雅な筆致には似つかわしくも無い単純至極の内容であった。

その結果が現状である。観察するに、羨ましくも兵共は板金鎧など隙なく着込んでおり、

それだけでもシャロムという少女の素性が知れぬというのに、加えてこれまで名前の一つも噂に聞かない。

率直に言えば全くの正体不明であり、どう扱ったものか考えあぐねる──と、ここまで一瞬で思考しつつ、

中年男は何とか威厳を取り繕うと笑みを作ってシャロムに向かい合う。


「手紙で伺いましたが、当地に何のご用向きでしょうか」

「ハ、言ったが忘れたか。この妾が平和を与えにやって来たまでよ。

ああ、堅苦しい挨拶は要らぬ。不合理で面倒じゃ。手早く行こう」

「はぁ……ええと、そう申されましても」

「何じゃ、不服か?いや、説明が足りんかったか。良し良し、この物与う君が授けてやろうのぅ」


 と、少女は背後に控えていた供回りに目配せする。

倍ほどもも背丈のある甲冑を着た兵は、彼らが運んできた箱をヴォロフの前に置く。

開けよ、とシャロムの合図。中身はぎっしりと詰まった鋼の延べ棒であった。

少女はその内の一つをひょい取り出すと、椅子に腰かけたままのヴォロフに歩み寄る。


「これは……」

「火と炭の秘密で拵えた鋼の延べ棒じゃ。些少じゃが出会いを祝しての贈り物と思え」


 差し出された塊はずしりと重く、子供の脛程もある。

それが木箱一杯にぎっしりと詰まっていた。金属はどこでも高価な代物だ。

これだけ量があれば当座の不足を満たして売り払う事も出来よう。

ペルーンの現状からすれば、喉から手が出る程に欲しい代物である。

ごくり、とヴォロフは生唾を呑み、喉元まで出かかった驚きを何とか押さえ付ける。


「どういう、意図でしょうか。余りにも過大なご温情かと思いますが」

「なに、出会いを祝してと言ったろう。付き合いを始めたいからその手付。

魔法付き、まことの銀とはいかぬとも保証は妾の名誉にかけても良い」

「……手早くと申されましたな。我らに何を望むのか」


 不審の念をありありと浮かべるヴォロフを涼やかに受け流しながら、シャロムは答えた。


「妾としては、人と土地と食料が欲しい」

「無茶を言う」

「無茶なものか。これは火つけでも略奪ではないぞ。寧ろ先行投資と思って戴きたい」

「そちらの事情が解りませぬ。土地は兎も角、人も食料も買えるではないですか」

「ああ、まだ言っておらんかったが、妾も領地を持っておってな。

でも、ろくに作物も取れない上に交易路からも外れておってのぅ。手下共を養うに不便なのじゃ。

要は、お前の土地に出城のようなものを作りたい。そこから飯と人と物を仕入れる訳じゃ」


 都の流行りでかんぱにー、とか投資とか言うらしいぞ、とシャロムは続ける。

出城のような物と言われても一体全体どういうものか皆目見当がつかない。

理解の範疇を超えた話であった。だが、利益が出る事だけは間違いあるまい。

目を丸くするヴォロフに少女は歩みより、囁きかける。


「なぁに、直ぐに涙しながら感謝したくなる。何せお前の土地も豊かになる。

こんな惨めで貧しい暮らしからもおサラバよ。それを民に与えるのは領主の務めじゃろう」


 さ、どうする?と少女は顔を近づけ微笑んだ。それは答えるまでも無い事実であった。

何時かの記憶がちらちらと熾火のように蠢き、種火は時を得て燃え上がる。

そう。彼の時計もまた、少年同様に動き出した。



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