第5話 龍を探して

 二ツ龍物語 5話 龍を探して



 記録には龍、という言葉があった。

姿は蛇に似、魔法を操り、人に化けては闊歩すると言う。

雲に乗って空を泳ぎ、稲妻と風雨を以て威力を示す、そう記されていた。


 曰く、ペルーンは耕す土地と深い森を与える代わりに龍に盟を乞うた。

以来、かの龍の雨と風は大いなる稔りを与えたという。

それからも都度都度関する記述は見られ──龍が洪水を起こしてしまっただの、

人の真似をして衆人を驚かせたのだの、当主と肩を並べて軍旅に出ただの、

祝宴に盛装して現れただの、乾いた紙片の上に逸話の彩りを添えていた。

記述は大戦中、『龍は当主と共に戦った』という一文を最後に途絶えている──

では、今は?


 轍の小道が続いている。

この辺りでは珍しく青々とした木々にとまる小鳥が囀るのを聞いた。

進めば進む程勢いを増す緑の最中、徴募兵の列を連れ、

馬上の少年騎士と二人の冒険者が行軍していた。

向かう先は記録が途絶える前、龍に与えられていたという土地だ。


 ユーリ=ペルーンは記録を想起しながら馬上で彼方を見つめていた。

藁にも縋る思いで見出した記述であるが、

半信半疑も甚だしく何とも頼りない心地ではある。

一方で、武器に見立てた斧だのシャベルだのを抱えた雑多な徴募兵の世話もあった

行軍演習と兵員調達を兼ねての領地巡回、というのが主たる仕事である。

最も、全員ではない。兵の半分以上は今頃エイブリー他の居残り組に絞られている事だろう。


 兵の調達を始めてから一週間程。

日数が増えるに従って、のらくら者や与太者の数は勢いよく減少し──

恐らくは募兵の噂が領内に広がった為であろう。

農民にとっても働き手が貴重には違いなく、

可能な限り捕まる数を抑えるべく人を少なくしているのだ、

とはヴォロフ=ペルーンの言だ。


 手近に居ないのであればこちらから探しに行くより他に無く、

かくて現状と相成った。

まして、龍の記録が残る土地は領内でも珍しく豊かな土地。

把握している限り、住民も多い。

と、なれば調達できる人数にも余裕があろう。何等かの代納をさせてもよい。

兵を募り、鍛え──龍に関して調べる。それが少年の当座の目的だった。


 そんな事を考えつつ真横を眺めると

喘ぎ喘ぎに道を進む哀れっぽい一人の男の姿が目に留まる。

武器らしきものはと言えば担いだ薪割り斧ぐらいで、

ボロめいた毛糸織をベルトで纏め、

サンダル履きという恰好はどこからどう見ても理想の兵士には見えない。

掲げている旗が無ければやもめの集団巡礼か何かと間違われる事請け合いである。

少なくとも有象無象の冒険者位には鍛えなければいくさにならないが、

この有様だけで不安が募る。


「ああ、どうしてこうなった」


 放擲していた現実と向き直るや曇天を仰いで少年は知らず、嘆息した。

これで大丈夫なのかとも思うが、ともあれ囮ぐらいにはなるかと考え直す。

都から援軍が来る、と改めてヴォロフから聞かされていた。

要はそれまで持てばいいのだ。

不意に、鎖鎧を着込んだ冒険者が少年に近寄ると、小声で話しかけた。


「旦那、いや上官殿。兵の前です。堂々として」

「ん、ああ……すまん。ライサンダだったか」

「漸く名前を覚えて頂いて光栄。ともあれ、兵って奴は上を良く見てますからね。

どうでもいいように扱われちゃやる気も出ませんで──コラァそこ!

何を喋っとるか!!」


 携えたハルバードを時折不平を漏らす新兵にちらつかせつつ、

中年に差し掛かり始めたその冒険者──ライサンダは言葉を次いだ。


「覚えておこう。折角苦労したんだ、簡単に逃げられるのは困る」

「そうそう。一山幾らの冒険者、傭兵崩れの雑兵だからこそ

手前の命は惜しいってなもんですわ。

私らも質の悪い兵や冒険者どもにどれだけ苦しめられた事か……」

「……お前らも苦労してるんだな」

「お、見えてきましたぞ。あれが例の」


 会話を交わしつつ小高い丘を越えると、その先には緑萌える土地があった。

幾つもの丘を連ねた土地は隅から隅まで綺麗に耕され──

収穫前の麦畑などはそろそろ色つき始めている。

野良仕事に忙しい連中が何事かとこちらを振り向き、

それから旗印を認めて一斉に顔を背けた。

彼らと行き違いつつ、村外れの広場でユーリは行軍を止め、休止するように命じた。

荷物を降ろし、尻餅をついて伸びる新兵共を後目にもう一人の冒険者──

ホースヘッドが辺りを見回し、口を開く。


「良い村ですな。仕事の甲斐がありそうだ」

「馬頭、悪さはするなよ。今日はお客さんだが、どうなるかまだ解らんぜ」

「ハ、兵隊ってのは悪さをするもんだろう。……ああ、ユーリ殿大丈夫大丈夫。

チョーット、こう、酒を飲んだり呑まれたり、

サイコロ転がしたり転がされたりするだけで。

何処でもある事です。ホントホント」

「本当か?許可しない略奪とか、僕としては処罰をしないといけないんだが。

第一、当家ではバクチは禁止だ」

「本当ですって上官殿!そら冒険者仲間や傭兵にゃ悪辣な連中だっていますけど、

ホワイトホースやストロングウィルのシマじゃ、

そういう事やっちゃダメって決まりがあるんですよ。俺だって命は惜しい」

「この馬頭!上官殿が困ってるだろうが!……あ、ちょ、何処に?」


 馬上から降り、構わずに歩き始めたユーリをライサンダが引き止めた。

彼は振り向くと馬の手綱と旗を押し付け、続ける。


「馬も繋いでおいてくれ。僕はこれからここの長と話をつけてくる。

一応、前からの決まりらしい」


 準備と後始末を始めた面々を背に歩き出す。

通りすがりを捕まえて尋ねると、すぐに所在は判明した。

一際大きい、殆ど真上を見上げる程もある二階建ての家だ。

壁には漆喰が塗られ、ガラス窓まで設えてある。

戸口を叩き、召使と思しき娘に名乗るとすぐに奥に通される。

少年は暖炉の前の長机につき、

ややあって一人の老人がゆっくりとした足取りで姿を現す。

彼はにこやかに微笑み、ユーリの両手を握ってから口を開いた。


「これはこれは、初めましてペルーンの名代殿。私はこの村を預かっているものです」

「こちらこそご丁寧に。私はユーリ=ペルーン。

兄上からも此方の豊かさは聞いております」

「やや、すると貴方は弟君の方ですか。

お褒めに預かり光栄──ささ、何か飲み物でも」

「いや、結構。仕事で来たので。……兄上からの書状は?」

「ああ!あの件ですか!いや、こちらもお返事差し上げたのでもう終わったものと」


 少年の一言にぽん、と掌を叩き老人は思い出したかのような口振りで答えた。

自らも席に座ると、呼びつけた召使に件の手紙や様々の書類を運ばせる。

二言、三言呟きつつ、封蝋の解かれた一枚の紙を持ち出し、

矯めつ眇めつ村長は読み上げ始める。


「エー、何々。当家は今兵士も兵糧も不足している為近々徴発を行う、

準備されたし。フム。

おかしいですね。既に幾つか余りは送ったと思うのですが──」

「僕が送られてきたという事は打った先手が不足、という事ですよ」

「はぁ……成程、成程ねぇ。ペルーンは今それ程お困りと」

「さて?ともあれ、此方の要望は改めて兄上の書状を預かっている。

それに加え、私は募兵の権を預かっていてね」


 机を挟んで差し向かいに座る老人に一枚の書状を手渡す。

要求物品のリストには細々とした項目が並び、

中でも食料品、燃料の数が目立つ。

その次が武器やその原料となる金属、或いは矢玉に類するものだ。

ひとしきり読み終え、ユーリの説明を受けると村長は目頭を押さえてから首を振る。

彼は切子硝子の盃から水を飲むと、紙の束を脇へと避けた。


「……はぁ、そちらの望みは解りました。しかし……これはまた随分」

「大体は借用、という形になるな。それが債権書だ。

申し訳ないが一蓮托生になってもらうぞ」

「確かに──我々もペルーンの方々には御恩が御座います。

幾度魔物共や賊徒を退けて頂いた事か……しかし」

「危急存亡の秋なのだ。多少の無理は融通してくれ」

「ぐむむ……然し、利率が。量が。

これでは明らかに赤字……幾つかは保留という事で」

「詳しい事は兄上と相談を。私は算板や帳簿には疎くてな。して、話は本題だ」


 一度話を区切ると、ユーリは老人に顔を近づけて切り出した。


「兵を出してほしい」 

「お断りします」


 即座に切り返すと、老人は手で橋を作り、

微笑みは崩さないままに少年に向き直る。


「何のつもりか?」

「出したくない訳ではございません。ただ、ね。忙しいのです。何せ、農事がね」

「人数は足りている筈だろう。少なくとも君からの報告ではね。

兄上──ヴォロフ殿も仰られていた」

「おや、ご存じで無いようだ。実は我が村、古い特権が御座いましてな。

ペルーンが私どもの主人から一時的に預かる時、

兵は出さなくてもよいという話になったのですよ。

領主様は単なる慣例だと思われていたようですが──慣習であれ、法は法。

特権は特権」


 村長が振り返ると、身をくねらせる大蛇が描かれたタペストリーが掛かっていた。

長年の煙と煤で変色してしまっているが、元々は随分と色鮮やかだったのだろう。

良く見れば、出来事を本の代わりに記録として縫い込んであるようにも見える。


「預かりものを勝手にしてもらっては困りますよ」

「しかし、それではペルーンに対する義務が立たないのではないか」

「義務、義務と仰いますか。

私共は税も収めておりますし、賦役に人も出しております。

これまでの慣例ではそうでした。

しかし、兵を出すなどという事は一度も無い事です。

皇国の法に照らしても自分たちのもので無いものを恣にしていいという理屈はありませんぞ」

「──私はあくまで兵を募りに来たのだ。勝手に話をでっち上げる訳にはいかない。

書状に纏めて頂けないか。調整できるよう兄上に相談してみよう」

「承知致しました。宜しく頼みます」

「それと、一応念の為に村内の普請──簡易な防柵を作り、壕を掘る程度だが。

それは手伝ってもらうし、調練の場所も外れの空地を貸してくれ。我々の手が足りない以上、自衛をして貰わねばな」

「ええ。既に冒険者の一党を雇っております。

実を言うと、そちらの様子は彼らからも伺っておりましてな」

 

 食えない狸だ、と内心思いつつも台詞を噛み殺す。

ぎ、と背もたれが鳴る。ユーリは暖炉の火が照らす室内を眺めた。

華美ではないもののしっかりとした造作の調度品には

ぎっしりと食器や道具が詰まっている。

恐らくは遠方から取り寄せたらしい真っ白な陶磁器も幾つか見えた。


「それにしても──豊かな土地だ」


 ぽつり、とユーリが呟く。或いは豊か過ぎる、と言ってもいいかもしれない。

村長は愉快げに笑うと水を飲む。それから、明り窓の向うに広がる景色を眺めた。


「努力の賜物ですよ。お陰様で暮らし向きもようございます」

「こちらはサッパリだよ。土地は痩せて今年はろくろく雨も降らん

、どうして丘一つ挟んでこうも違うのか」

「それこそ神の御心という奴でしょう。私どもは自らの土地を耕すまでです」

「龍ではなくてか?ドラゴンが来たんだ、そういう不思議があるかもしれない」


 ユーリの言葉に村長はあいまいな笑みを作る。


「龍などもう居りませんよ。元々はそういう話もあった、そう聞いていますが」

「ほう。では、一つ調べてみても構わないか」

「構いませんとも。……確かに、曰く付きの場所もございますが、ただの洞穴です。

何でしたら、場所も教えてあげますよ。村外れの古い塚がそうです」

「それは興味深い。是非見させて貰おうか。──ここらには多いのか?」

「そうですねぇ、まぁ、掃いて捨てる程には御座いますわ。昔、土を盛って作ったそうです。

さ、さ。この話はここいらにしましょう。兵の訓練もおありでしょうからね」


/ 


「そっちの調子はどうだい。モノになりそうか」

「まぁ、案山子よりはマシと言った程度ですな、上官殿。

余裕も暇もありませんで、傭兵式に扱かせて貰ってやす」


 喘ぎ喘ぎに走り回る新兵共を眺めながらライサンダが言う。

ユーリと彼の前では、もう一人の冒険者──ホースヘッドが彼らと並走しながら怒鳴り散らしているのが見える。

走るのは兵隊の基本である。勇猛果敢さは万全の訓練の賜物、という訳だ。

曰く、実力はどうあれまずは自信をつける事が重要であり、手始めがこの走り込みらしい。


「それでも結構な時間がかかりそうだな」

「そこらの乞食よりは体力がある分使いではいいですわ。最も、鈍臭い連中が多い」

「武器術の稽古はしなくていいのか?」

「それは追々に。一にも二にもまず走り込み。

次はそうですな……盾の使い方でも仕込むとしましょう」


 ライサンダと意見を交わしてから、ユーリは村長についての経緯を簡略に伝えた。

冒険者はこちらを遠巻きに眺める集団に視線を向け、

合点がいったかのように頷いた。

そいつらは鎧兜こそ着込んでいないものの腰に剣を下げ、農民という風ではない。

意図が分かりやすいのは結構な事だが、気分のいいものではない。


「へぇ、それでは兵はダメと……いけ好かない連中がこっち見てると思ったら」

「一応、もう少し粘って食事だの酒だのは出させるようにしたぞ」

「オッ、やりますねぇ。流石ですねぇ上官殿。

兵隊の楽しみはメシしかありませんで」

「しっかり食わせてやってくれ。ここの連中の奢りだからな」


 呵呵と笑う冒険者の声が響く。

おい、喜べお嬢さん方!上官殿がメシを調達して来たぞ!

広場を後二十週走れ、終わったものから食事の準備!とホースヘッドの怒鳴り声。

それを眺めながら、少年はライサンダの隣に移動する。


「所で」


 と、前置きしてユーリが冒険者に向き直る。


「何です?」

「いやなに、少し冒険と行きたくてね。先達に意見を伺いたいんだ」

「……ひょっと上官自ら脱走の相談ですかい?縁起でもねぇ事言わんで下さいよ」

「違う。どうも臭いんだよ。豊か過ぎるし、何かしら隠し事があると思ってな。

冒険者っていうのはこういう時は目星をつけて真相に辿りつくんだろ?」

「そりゃへぼ詩人の与太でさ。……儲け話で?」


 途端にライサンダが目を輝かせて顔を近づけてくる。

ユーリは如何にも勿体ぶって調子を合わせ、続けた。


「かもしれん。

こんなに地味も豊かで水にも困らない土地なんて領内じゃここだけだ。

なんでも、ここは昔龍が居た土地らしい。ひょっとするとその財宝が残ってるかも」

「……上官殿。酒でも飲んでらっしゃいます?ホラにしても限度が」

「本当だよ。館の書庫で調べた。

龍が昔住んでいた事は間違い無く……最終的にどうなったか不明なんだ。

で、その龍が住んでいた土地ってのがここらしい。ワクワクしてこないか?」


 龍、というのは概ね財宝をため込む性質があると言う。

で、あれば宝の一つでも眠っているかもしれない。その程度の思い付きである。

それに実在しようがするまいが村側の弱みでも見つければ

交渉を有利に進める事も出来よう、と

少年は非協力的な村長の顔を思い浮かべつつ付け加える。


 一方のライサンダは顔に刻んだ皺を更に深めて押し黙る。

何かしら言葉を探しているらしく口をもごもごさせ、

やっと作った表情はどこか胡桃に似ていた。


「昨日の今日だと言うに……良く龍なんぞに関わろうとしますなぁ」

「ダメか?矢張り冒険者にとって怖いものなのか」

「当たり前!おかしいと思わないんですか。

喋って飛べるでかいトカゲじゃないんですよ。

そこいらの珍獣と一緒にしてドラゴンや龍と鉢合わせなんぞ御免こうむります」

「どうしてもか」

「どうしてもです。夢みたいな事言ってないで仕事して下さい」

「そうは言うがね。実は下調べもしたし、もう目星も付けているんだ。

実に解りやすい場所だったから」

「……俺ぁ付き合いませんよ?」

「僕が死ぬとそっちも困るだろう。ま、仮にそうなっても君らが証人だ。

兄上の事だから、この村から更に絞る口実の一つでもひねり出してくれるさ」


 お願いを聞いてもらえないならば、命令する事になるがと付け加える。

聞くなりライサンダは鼻を鳴らして目を細めた。


「強引なガキだぜ、全くヨ。追加の仕事と来れば酒手は弾むんでしょうな」

「財宝の一つでも出てきたら好きなだけ飲ましてやる。

まずは見張りだけしてくれば十分だ」

「……見張りだけですよ?

俺ぁ、龍とかドラゴンとかいうのはこの前ので懲り懲りですから」

「そうか、喜んでくれ。遠からず再戦する事になるぞ。

呼ばなくても来るかも知れないしな」


 その台詞に認めたくない現実を再認識させられ、ライサンダは深く肩を落とした。


/


 村外れ。幾つもの丘陵が連なる中、件の塚はその内の一つにあった。

兵の世話を村長とホースヘッドに任せ、

ユーリ=ペルーンと冒険者はその小高い丘の前にやって来た。

夕暮れも近く、傾きかけた日差しが古塚の半ば程にぽっかりと洞穴を照らしている。

冒険者を見張りに立たせると、記録を筆写させた紙片に目を落として確認する。


 ひょっとすると魔物でも住み着いているかもしれない。

十二分に周囲を伺いつつ、慎重に一歩、足を踏み入れるや、

狭く、じめじめと湿った土と岩の狭間の向うに小部屋一つ分程の空間が見えた。

と言っても暗がりを歩いてすら数分もかからない。

その広間で古塚はどん詰まりであった。

す、と屈めていた背を伸ばし、改めて見回すが──

成程、かつての名残らしい石畳の破片だの、

暴かれたまま転がっている棺ぐらいで、財宝だの龍だの影も形も無い。


「……チェッ、期待外れだな。本ってのも当てにならんらしい。

ゴミばっかりじゃないか。小銭の一つも無い……あの爺さんの言う通りかな」


 割れた陶器の欠片だの朽ちかけた椅子だの、

その他雑多なガラクタが転がるばかりだ。

ランタンを掲げ、周囲の土壁を検めても特に変わった様子もない。

ものの数分で探索は終わる。実に見事な空振りであった。

肩を落として息を吐く。冒険者共にはどう伝えたものか──適当に誤魔化すか。


 あっさりと終わった冒険行に気持ちを切り替え、

ぐるぐると考えを纏めながら歩き回る。

途中、片隅を塞ぐ一際大きな瓦礫を一蹴りした時だ。

ぐら、と少年の足元が揺れ、傾いた。

次の瞬間、ばきばき、と音が響いたかと足を乗せていた床に亀裂が走り崩れ落ちる。

何だ何だと悲鳴を上げる暇も無い。ごろごろと車輪のように少年は転がり落ちる。


「痛──畜生、迂闊だった。そんなに深くはない、か?」


 明かりを掲げると、黒々とした天井の一角に穴が開いているのが見えた。

そこから石造りのスロープが伸びている。

幸運にも墜落死せずに済んだのはその為らしい。

首を振りながら状況を再認識する。

先ほどとは違い、明らかに人為によると解る空間があった。

立ち上がりランタンを掲げる。相当な広さがあるらしく、円形に広がる光源が端まで届いていない。


「……誰だ?」


 不意に、何者かの気配を感じ、少年は誰何した。

振り返ると、一方の壁が薄ぼんやりと光り──それは一つの影を映している。

蛇のように長く、小山のように大きく、

腰には杭めいた何かが突き刺さった巨大な生き物だ。

鎌首をもたげ、眠たげに眼を開いたそれは──紛う事無き龍の姿であった。

ユーリは知らず息を呑む。相手もこちらの明かりに気付いていたらしい。

ぱちぱちと瞬膜を開閉すると首を少年へと伸ばし、硬直する彼を頭頂からブーツの爪先まで眺め回した。


「誰ぞ?」

「うおッ!?しゃ、喋った!?」


 恐怖に引き攣り、後ずさるユーリを余所に岩壁に張り付けられた龍が静かに口を開く。


「……喋りもするわ。それで、久方ぶりの客かのぅ」

「そ、そうだ。ここに龍が住んでいると聞いたからな。そういうお前は一体何だ?」


 虚勢を張って居直るユーリに対し冒険者の類か、と独語して影は続けた。

孤独の故か、壁に向かって囁きかける呟きめいた声色であった。


「龍だ──お前が言った通りの、な。だが今となっては──ただの長虫よ。

こんな所に縫い付けられ、忘れられた哀れな蛇に過ぎん」

「……まさか、本当にそうなのか?」

「疑うのぅ。まぁ、そうだと答えておこうか。

若いヒトの子。私は答えた、お前はどうだ?」

「俺は……ペルーンという名に覚えは?」


 その一言に、か、と龍は目を見開くやユーリに向かって身を乗り出す。


「ペルーン!?」

「お、落ち着かれよ。ペルーンは領主の家名。誰が知っていてもおかしくは」

「違う。そ奴らは戦いに敗れ、滅んだのではないのか。下僕共はそう言っていたぞ」

「誰から吹き込まれた嘘かは知らないが、ペルーンは滅んでなどいない」

「ハ、証拠も無かろう。攻め寄せた敵めの矢を受けて落馬するのをこの目が見たのだ。」


 爛々とした緑の目が少年をのぞき込み、息もかからん程に顔を寄せる。

ぬるく湿った空気を喉元から吹き出し、

顎をゆっくりと開き怒気を漲らせながら龍は言う。

パチリ、パチリと火花が散るような音。青白い電光が、まるで燐火の如く煌めく。


「第一、お前は一体誰だと言うのだ?

冒険者ならば、私の首でも取りに来たか。だが、そうはいかん。

ペルーンは滅べど、盟約は私がはっきりと覚えている。それを果たさねば」


 自らに言い聞かせるように龍は言う。


「何時か、何時か行かねばならぬ。戦だからだ。

大いくさだからだ。今も続いておるに違いない──」

「──戦?」

「人と魔の戦だ!お前も冒険者なら──」

「……龍よ」


 ユーリは龍の奇妙な物言いに戸惑う。

龍の時計は過去で止まっているのかもしれない

唾を飲み込んで言葉を区切る。

背を向けて全力で逃げるべきではないか、と冷静な部分が告げていた。

何もかも見なかった事にして忘れれば面倒は避けられる──だが、それだけだ。

躊躇い躊躇い、言葉を探し、少年は結局正直に伝える事に決めた。


「戦は、あなたの言う戦はもう、とうの昔に終わっております」


 少年は境を踏み越える。龍の顔が引き攣った笑みを作るのをユーリは確かに見た。

しかし、発条は巻き直さなければならず、為すべき事は変わらない。

受け入れられず、ぼんやりとした顔で音を捉えた龍に対して、続ける。


「もう30年も前に終わって、今もペルーンは続いております」

「嘘だ。騙そうとしているな。まるで納得がいかん」


 上体を伸ばし、五指の点で龍はユーリの頭を掴む。

僅かでも偽りを述べれば握り潰すつもりであるらしい。


「私は真実を述べております。我々は滅びてはおりませんし、戦もとうに」

「……まて、待て。今我々と言ったか」

「──私の名はユーリ=ペルーン。貴方の助力を求め、参上した次第です」


 龍の声は震えていた。構わず、少年は記憶する限りを滔々と述べる。

記録にある限り、矢傷を負った当主は死んでいなかった事。

ペルーンは大戦を生き延び、荒れ果てた領土で今も続いている事。

兵を集める途上でこの塚を調べ、偶然の結果この事態となった事。

戦は終わったかもしれないが、ドラゴンの為にペルーンが滅びかけている事。

最後に、少年の下げていた剣の束尻を見ると龍は力なく体を横たえ、

ユーリを開放する。


「その剣は盟友の……ハ、成程。丸っきり道化だ。

今の今まで──私は当に終わった夢か」

「龍よ」

「いや、いいんだ。もういいんだよ。どの道、私は動けん。

見ろ、小さきペルーンよ」


 言って、龍は首を捩って自らの腰を指し示す。

そこに刺さっているのは、一見して鉄塊とも見紛う大剣であった。

大きく、しなやかで長く、乾いた血に塗れ真っ黒く染まっている。


「最後の戦いで魔物共に打ち込まれた剣さ。

どういう謂れがあるのかは知らんが、この──」


 自らが縫い付けられた岩を龍は振り仰ぐ。


「忌々しい楔めはどう足掻いても抜けなんだ。暴れようが、のたうとうが、な。

下僕共も試しはしたが、岩に突き立ち決して抜けぬ。びくともしない。

しょうがなしに石室を作り、塚を築いて私を隠したという訳さ。

恐らくは魔剣の類。運命が私を迎えるまで、未来永劫このままらしい。

貴龍は餓えや老いで死ぬ事はそうそうないからのぅ──

まぁ、偶に世間話にでも来てくれれば気も紛れ。

……まて、まて小僧お前ひょっとして抜くつもりか?」


 突き立つ剣に手をかけたユーリに呆れたような声が降る。

少年は二つの瞳を見上げると、如何にも真面目腐った顔を作る。


「僕が運命で無いと誰が決めた。今、そいつを試すから待ってろ」


 言いつつ、少年は腕に力を籠め腰を捻って体重を乗せる。

ぶちぶちと根を引き裂くような手応え。

抵抗と龍の抗議を無視して尚も引っ張る。

一瞬の浮遊感、続いてユーリの視界が回転し──

そのままもんどりうって仰向けに倒れた。

当然、身の丈程もある金属の塊が覆い被さる形となる。


「ぐ、重ッ!畜生、どこの馬鹿がこんな物振り回すってんだ」

「……」


 目をぱちくりさせなが見下ろす。

背丈ほどもある剣に押しつぶされ、もがいて助けを求める少年が居る。

忌々しい腰の痛みは既に無い。す、と水の様に体が流れるのを確かに龍は感じた。


「おい、見てないで助けてくれ。潰されちまう!」

「ハ、ハハ……ハハハハ。本当に抜きおった。抜いてしまったじゃないか!」

「だから助けろ!このままだとお前の運命が死ぬぞ!」

「待て、待て。今どけてやろう。

いや、このまま眺めているのもいいか。ん、気分はどうだ盟友」

「畜生め!やっぱり龍の類は底意地が悪い!」


 龍の愉快げな笑い声と少年の罵声が、暗い石室に大きく響いていた。



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