第4話 寝覚めと現

 二ツ龍物語 4話 寝覚めと現



 目の前には緑の浴野が彼方まで広がっている。

手を伸ばせば届きそうな程に空が近い。見上げれば背の高い雲。

そんな夏の朝が少年を迎えていた。身支度を整え、部屋から出る。

立派な盛装に手足を通し、静々と従僕たちが鎧を整え、剣を佩けば支度は出来た。


 さぁ、一日は始まりだ。陽気に進めば一頭の軍馬がやって来た。

赤い布で覆われ、がっしりとした造りの鞍と鐙がついている。

ユーリ=ペルーンは跨ると、供回りの騎士達と進む。

煌めく武装が陽光に輝き、一糸の乱れも無い。旗の紋章はペルーンのものだ。


 武装何れもまぎれ無し。手練れの騎士に不足無く、一繋ぎの武威となって四方を見張る。

揃いの武具に身を固め、林立する槍を構えた長槍兵や弩兵と言った補助の兵が最後列に続く。

誇らし気に隊列を検めて、ユーリは手綱を引いた。


 威風堂々、パレードは進む。鱗鎧のさざめき、鎖鎧の板札の根、板金鎧が擦れ合い、軍馬が蹄を響かせる。

満足しつつ手綱を握り、揺られながら田園風景の向う側を見据えて、ただ真っ直ぐ。

敵あらばこれを討ち、狙う賊徒に睨みを利かす。これぞ我が仕事と先駆ける。

何と誇らしい事であろうか。まだまだするべき事は沢山あるぞ。

──そうする内に少年は周囲に父母の姿を認めるに至り、夢を見ている事に気付いた。


 成程、夢だ。広がる光景は彼の見知った土地だ。

そこで人々が豊かに暮らし、自分たちの仕事を行っている。

青々と季節に沿うて草原は広がり、刈り取った青草を満載した馬車が行き来する。

美しい。欠けたる所無き──しかし、夢だ。頬を撫でる風も無く、静かに凪いだ。


 静々と列は続いていく。兄の背もその中にあった。少年の家族を引き連れた隊列は進む。

父母の顔ははっきりと彼には見えなかった。ヴォロフであれば知っているだろう。

彼らはユーリが物心つく前に死去している。緑の道を進み、街の辻を通り過ぎ、小休止。

と、道端にどこかで見覚えのある乞食の姿があった。


「やほ、少年。お休み中かい」


 そうだ、とユーリは答えた。夢を見ているのだから当たり前だ。

端的な返事にローブの人影はからから笑う。


「そーかいそうかい。ま、アチキの言った通り」


 そうだ、見事にコイツは言い当てた。

ドラゴンの炎、龍を討つ剣、燃え盛る故郷。脅威、敵、混乱。

何時の間にか騎馬の列は消え、彼は一人まじない師と向き合っていた。

コイツは誰だ。何者だ。少年の疑念をするりと避けてローブ姿は言葉を繋ぐ。


「所詮微睡、胡蝶の夢、パンが焼ける間の煙。今見ているアチキも所詮夢。

とは言え、枕に立つからには当然理由があるけどね。中々面倒くさい事をしなきゃならん」


 そうなのか、とユーリは言った。不思議には作法と手妻が居るらしい。

そうそう、とローブの人影は肯定し、人差し指を振ってからくるっと回って見せる。

一歩、二歩、三歩。跳ねるように進み、赤い瞳がユーリを見上げる。


「夢の中は事象に近い。第一、世間にバレづらい。

黒すけの見張りは滅び、やっとこ月は戻り、時代は変わり、人も世も英雄聖賢、勇者も魔王も何もかも。

流れ変わって有為転変。けれど今は再建の時代であるから再見しないといけない。

世に未来は託された。ああこれ以上に大変なこともない。何せ賽は投げられた。

おっと、いけない語りすぎた。アチキにも目的がある」


 と、乞食はローブに包まれた片腕を差し出す。

金色の細工物──12の文字が盤に配された懐中時計。

ぱかんと蓋が開いたかと思うと、乞食は片手で器用にゼンマイを巻き上げる。

カッチ、コッチ、カッチ、コッチ。少年の目の前で規則的な音。

秒針が走り出す。パチン、と蓋は閉じ、煌めく金糸の如き髪が少年の目の前で揺れていた。


「さてさて、君はこれから大変だ。遂に時計が動き出す。アチキはそれを告げに来た」


 どうしてだ、なぜ僕に、と少年は問うた。時計は構わず針を動かす。ローブの影は笑って少年に返す。

何一つ説明などしない。一方的に述べ立てて、さて満足と帰りだす。

踵を返して少年に背を向ける。現れた時同様の脈絡のなさだ。そいつは手を振りながら台詞を投げる。


「ハッハッハ、運命は何時だって唐突だよ少年。さ、脇役はここらでサラバーイ、サラバイバーイ!

また会おう、ユーリ=ペルーン!覚えてたらの話だが!サヨウナラ!確かに約束したかんね!」


 そして視界に光が注いだ。


 /


 目を開くと、次の瞬間酷く体が痛んだ。

包帯塗れの上体をベッドから起こしつつ、定まらない頭を摩ると髪も随分と刈り込まれたらしい。

何だかとんでもない夢を見ていたような気がするが──あれからどれ位経ったのか?

 

「おや、目が覚めたらしい。おはよ、ユーリ君」 


 振り向くと、エイブリー=ホワイトホースが足を組んで椅子に座っていた。

どうやら生き残ったらしい。驚いた事に少々焦げた程度で五体満足であった。

女冒険者は水差しからコップに注ぐと、それをユーリに押し付ける。

呑み下すと、眉間に皺を寄せ、少年は意を決した。


「……どうなった?」

「どの事?ドラゴンについてなら酷い知らせと、もっと酷い知らせと多少マシなのがあるけど」

「順を追って頼む。それと、僕は何日寝てたんだ?ああいや、それ以前に何でお前が寝室に居る?」


 混乱し、散らかった思考を何とか束ね合わせながらユーリは問う。

領主の一族の寝室というものは易々と部外者が立ち入れるような場所ではない。

女冒険者は少々紅潮している少年の非難を軽く受け流し、答える。


「三日ね。ハチの巣落っことしたみたいな大騒ぎで、女だからって世話を押し付けられて。

感謝してよ?包帯まで換えたんだから。こっちも色々忙しいのに……まぁ、猫の手も借りたいって事でしょう」

「ああうん……」

「減るもんじゃあるまいし。で、何から聞きたいの?こっちも打ち合わせしないと話が進まないのよ」


 「順を追ってだ」とユーリは繰り返した。

まずは現状を把握しなければなるまい。が、何処から聞いたものか。

昏睡していた間の不始末に頭を抱えるのはそれからでも遅くはない。


「まず、あの後ドラゴンはどうなったんだ?それから酷い順に言ってくれ」

「逃げた。まだ戻ってきてないわね。ま、お陰でこうしてられる。酷い順かー……そうね」


 漸くそれだけ尋ねたユーリに、一拍区切るとエイブリーは続けた。

女冒険者は気まずげに笑い顔を取り繕うと、努めて淡々とした調子を作る。

ユーリは彼女の頬が引き攣っているのを見て取った。


「まず、このままだと冬越せずに全滅ね。元々足りてなかったけど、もう素人目にも無理。

閣下曰くね、市場の税元手に不足分用意するつもりだったらしいけど見事にパーよ」

「……つまり市場は?」

「あー、うん。灰になっちゃた。そらもう完璧に。あれだけ派手に燃えればねぇ。

ユーリ君が来た時点でもう、残らず火が回っちゃってたのよ」


 ハハハ、と乾いた笑いで誤魔化しながらエイブリーは冒険者や傭兵も殆ど逃げた、と続ける。

つまり、ユーリの手勢も女冒険者とその仲間を除けばゼロである。

経済力も武力もない領主などそこいらの雑兵と大差ない。


「多少マシな知らせは……あてになるか解らんけどヴォロフ閣下が即日で動いてるわ。多分、余所からの救援も来る。

後、幸い死人は出てない。けど、このまま放っとくと逃散が土地の連中にまで広がるのも目に見えてる」

「解った。見たくないが、解ったよ。理解した。残ってくれてありがとう」

「どういたしまして。で、話は戻るんだけど」


 自分に言い聞かせるように繰り返しつつ、礼を述べる。希望的観測だが、他に材料も無い。

頭を抱えるような現状であるが、ここまで酷ければ何度考え直しても同じ事だろう。

何処から手を付けたかと考え始めたユーリの思考の糸をエイブリーが捕まえた。


「何を話すんだ」

「募兵よ。兵隊が無いなら作る。勿論、君にも働いてもらう。諸々既に閣下も承諾済みよ」

「……は?」

「何その顔。居残り冒険者の物好き共は君の直属の部下で、アタシはユーリ君の副官にしてもらったのよ。特例で」

「ゴメン、何がなんだかよく解らない。ただの冒険者だったろう、君らは」

「一昨日まではね」


 ペルーンの領地においては常雇いの兵は無く、必然軍事的な組織も整備されていない。

有り体に言って、冒険者だの傭兵団だのの組織を直接ユーリのような領主の親族が指揮監督するのが慣例である。

当然、兵隊というのはユーリやヴォロフにとっては使い潰しても替えが効く道具に過ぎず、

管理運営は丸ごと冒険者たちの頭目や傭兵の長に任せていたのだ。

それがいきなり直属の部下という存在になったらしい。当然、自動的に少年は彼らを率いる立場である。


「無茶な。強引すぎる」

「機敏と言いなさいな。何なら秘書官でもなんでも呼び名はお好きにどうぞ」

「無茶苦茶だ……何だよ副官って人が寝てる間にそんな」

「言っておくけど閣下の発案だからね。アタシ達も後が無いの。嫌とは言わせない」


 渋るユーリの手を握る。エイブリーの目は爛々と輝いていた。

寝かせている暇も惜しいと言いたげですらある。少年は所在なくコップに注ぎなおした。

迫る女冒険者から視線を逸らす。窓の外には相変わらず雲が流れている。

放心しかけた少年の顔を傷跡の残る細い指が掴み、強引に正対させた。


「ほら、こっち見てコッチ。しゃんとしなさい。無理にでも働いて貰うんだから」

「……解ったよ。僕だって他に行き場は無いんだ」

「そ、残念ながらね。冒険できない自分を恨んで頂戴」

「しかし……兵を募る、ねぇ」


 募兵、と言っても何の事はない。その辺を歩いている人間を捕まえて兵に組み込む、という作業だ。

ユーリ=ペルーンからしてみればそれは傭兵や冒険者の頭目連中の仕事である。

平たく言って、騎士の仕事ではないと認識していた。第一、具体的な方法など少年は何も知らない。

少年が渋面を浮かべるや、エイブリーは口を尖らせ身を乗り出した。


「あ、その顔。どうせ冒険者風情のやる事って思ってるでしょ」

「そうだよ、悪いか。第一、全くのド素人だぞ僕は」

「いい?きちんと手下を把握するのも仕事の内だからね。……そうだ、アタシの名前言ってみてよ」


 沈黙が垂れ込める。黙り込むユーリに女冒険者は呆れたように息を吹く。

成程。この有様では渋るし、話が進まない訳だ。彼女のような階級の人間にはままある事である。

とは言え、悪戯を叱られたように少年は萎れている。自らの失態を自覚したのかもしれなかった。

しょうがなし、という風情で年長風を吹かし、エイブリーは目を瞑ると朗々と口上を述べ始めた。


「……私はエイブリー=ホワイトホース。皇都出身の半エルフ、『大戦』までは両親と暮らしてたけど焼け出されて

ウォル先生とエメスさんに拾われる。その後は諸事情あってずっとペーペーの冒険者で何でも屋。

先だってストロングウィルのシャルヴィルトさんからここを紹介されて、今に至る。ほら、こんなとこよ。君は?」

「僕?何でさ」

「知らない相手は信用できないでしょ。おいおいで良いから手下のお姉さんに教えてちょうだいな」

「……ユーリ=ペルーン。知ってるだろうけど、ここの領主の弟だ。ガキの頃からいくさ以外は知らないし興味もない。

これまでずっと戦ってきたし、これからもずっとそうだろう。つまんないだろ」

「はいはい。これから宜しく、上官殿。他の連中の事もね。──それじゃ、仕事の話を始めましょう」

 

 そう言って微笑むと、半妖精はユーリに手を差し伸べた。



/


 駆り出された労役に農民達が不機嫌そうな顔で焼け跡の始末を進めている。

時折、恨みがましい視線をユーリ=ペルーンに向ける者の姿も見える。

露天に据えられた卓に構えながら、少年は肘をついて人夫達と──それから、盛装した冒険者たちを眺めていた。


 普段の薄汚れ、所々破れた武装からすれば見違えるように色鮮やかだ。

エイブリーなど平服でもブリガンダインでもなく、若草色を基調としたドレスを纏い、

身なりも整え、化粧までして道行く人々に声をかけている。

何でもヴォロフから正式な特許を得て、領内の人間に募兵する──要するに、

下っ端の兵隊として狩り集める事が可能になったのだ、との事だった。


「さぁ!御立合い!!君も冒険者にならないか!」

「え、俺?」

「そう、君だよ!ユーリ様やヴォロフ様を助けてあげようじゃない」


 どこぞの農家の三男坊や作男の手を握って微笑むのはエイブリーだ。

ユーリなどその振る舞いをまるで娼婦だと思いもするが、聞けば安くは無いと返された。

彼らの後ろにはまるで牢獄のように冒険者たちの宿が口を開いている。

一度入るや出てくる者が一人としていないところからすれば、余程素敵な代物らしい。


 思い出すのは紹介されたエイブリーの一党だ。

名前はそれぞれプーカ、ライサンダ、デミトリ、ホースヘッド……まぁ、どれもこれも冒険者らしい連中である。

とは言っても顔を合わせただけでろくろく話してみた事も無く、人となりなどさっぱり解らない。

どこまで信用したものか──所詮は急ごしらえの寄せ集め。不安は募る。


 一方、鼻の下を伸ばした男がまた一人、半エルフの女冒険者に誘われるまま宿に入っていく。

その中に屈強な冒険者共が待っている事を無論ユーリは知っている。

プーカが縦笛を奏でる腕前などは結構なものだ。成程、武芸者と言う言葉にある通り、

芸の一つも必要か──つらつらと少年はそんな事を考える。


 自らの土地を耕す真っ当な領民などは恨みがましい視線をユーリに向けている。

何が起こっているのか大凡察しているのだろう。『だから冒険者は嫌いなんだ』とその目が語っている。

さもありなん。根拠のある非難に頭の芯がぐらつくが、背に腹は代えられない。

例えそれが大酒を飲ませ、契約書に丸だのバツだの適当に書かせて兵隊に仕立てるやくざな手口であったとしてもだ。


 ペルーン領は小規模な寄り合い所帯である。

都の役人のように明確な仕組みや受け持ちの人間がいるわけではなく、

傭兵や冒険者の流儀に従って募兵を進める事となったのは自然の流れである。

だからってこれは無いだろう。火傷にひり付く体を抱えつつ、ユーリ=ペルーンはそう思った。


 今日の所は仕事ぶりを見て覚えておけという事らしいが、傍から眺めるだけで暗い気分になる。

アレをやるのか──僕がか。冒険者というよりは盗賊の所業じゃないか、云々。

頬杖をついてため息を吐くと、声。


「おやおや、暗い顔ッスね」


 驚いて振り向いた先には何時かの乞食が素足で立っていた。


「……どーしたッス?オバケでも見たよな顔して」

「い、いや何でもない。何でも……お前、生きてたのか」

「偉大なるこのアチキはそーそーくたばりゃしねぇッス。ソッチも無事で何より」


 まじまじとユーリは乞食を見つめた。けらけら笑っているらしい。

その姿は最後に見たときと変わりない。ローブも薄汚れ、裾など解れ破れており、

粗末な布を巻いただけの痩せて骨ばった足が覗いている。


「いやー、それにしてもアチキは本当に凄い。自分で自分が怖くなるッス」

「!?あの占い……まさか本当に」

「いや、偶然ッスよ偶然……」


 片手をひらひらと振って否定する。それから握り拳を作るとユーリの口元に近づけた。


「で、ドラゴンにローストみたく焼かれたご感想をどうぞ」

「叩き切るぞお前」

「そんな滅相も。アチキは単に知りたい。観察した……ああ止めて止めてドラゴンスレイヤー抜くなって」


 ちきん、と鞘に収まる音が響く。

ふざけた調子の声音を仕舞い込むとまじない師は矯めつ眇めつユーリを眺め回した。

怒る気力も無くし、すっかり萎えた少年は両足を放り出して椅子に寄り掛かる。


「フン……最悪の気分だよ」

「ほー、で解決しようと四苦八苦」

「そうだよ。お前みたいなのには解るまいが」

「そう邪険にしなさんな。まじない師は占うのが仕事ッス。

どれ、一つ話してみなさいな。またも偉大な知恵を授けてあげよう、このアチキが……このアチキが!」


 地面に尻を降ろしながら乞食は言う。何時かのように商売道具を取り出した。

ぱちぱちと色付きの石を弾き、何やら小声で大地へ囁きかける。

ユーリからしてみれば世迷言を述べながらガラクタを弄んでいるようにしか見えないが、

ひょっとすると何か深淵なる理由があるのかもしれない。


 顔を近づけ、まるで地に伏せて息吹を聞き取るように耳を近づける。

何事か聞きつけたらしい。うんうんと頷き、それから顔を上げる。

勿体ぶった調子で息を吐き出し、それでまじないは終わったらしい。


「ふむ。これは……家の中を探せ、か。しょーねん、そういう事ッス。

解決したいなら家探しするのがいいらしい」

「……家か」

「領主の館なら色々あるっしょ。記録とか武器とか。忘れ物を思い出せ、そういう事かもね」


 当てずっぽうの割には的確な助言に思えた。

特に根拠も無く誇らしげにふんぞり返っている姿は矢張り普通ではない。

ユーリは不意に眉を顰め、乞食を睨む。


「……なぁ。お前何者だ?どうして僕を助ける」

「そりゃあアレっす。理由は一つ」


 す、と乞食は隻腕を差し出し上下させる。

ぐぎゅるるる、と腹の虫が盛大に鳴り響いた。全く恥ずかし気もない。


「ごはん頂戴。腹が減って力が出ねーんですよ」

「……やっぱただの乞食か。考えすぎだな、うん」

「メシ食わせろッス。もしくはカネ。前もタダで今回もタダとはいかねッス」


 喚くまじない師に小銭を握らせ追い払うと、両肘をつき思案する。

何も与えられた仕事ばかりが解決への糸口とは限らないのかもしれない。

以前ならば一笑に付したであろうそんな思考を、掌に感じる剣の柄が後押ししていた。


 /


「兄さん」

「ん、何だ?冒険者共と仕事じゃなかったのか」

「もう終わったよ。ノルマは遠いけどね。兄さんこそ忙しそうだけど……一寸聞きたいことが」


 書類に埋もれつつ、古めかしい羊皮紙の巻紙を睨んでいたヴォロフがユーリに向き直った。

署名にはシャロムという名があり、見覚えの無い印章の封蝋が二つに千切れている──それは四つ足の龍を象っていた。

どうやら仕事の最中であったらしい。時間を改めるか、と思い直した所でヴォロフが言葉を発した。


「返事に悩んでたんだよ。ま、お前と話せば気晴らしにもなろう──で、何だ?」

「昔の記録が知りたいんだ」

「それなら書庫に纏めてある。しかし、記録ねぇ。珍しい事を言うもの」

「僕だって脳みそまで筋肉でできてる訳じゃないよ。兄さんほど出来は良くないけど」

「ハハハ。まぁ、知識に興味を持つのはいい事だ。年代順に並べてあるが、古いのは劣化が激しい。

注意して触──いや、誰かアレを呼んで来てくれ。その方が捗るだろう」

「酷いな。僕だって文字ぐらい読める」

「違う。探しづらいだろう?お前が何を知りたいかは解らんが……」

「僕だって解らないんだよ。旅の前に知らない土地を下調べ、って気分でさ」

「ふむ……下調べか」


 もう一度同じ言葉を繰り返し、ヴォロフは俯くとぶつぶつと独り言を言いながら顎を摩る。

自らの記憶を辿っているらしかったが直ぐに止み、大人しく待っていたユーリに問いかける。


「それはアレか。お前の仕事に必要な事なんだな。何かのヒントが見つかると思ってる訳か」

「まぁ、そうなるけど。手詰まりだし、ひょっとしたらいい知恵があるかもしれないじゃないか」

「兵の事にか?」

「いや、いくさの事だよ。ドラゴンとの」


 言葉を区切り、鞘を掴むとユーリは剣を示した。

同じような剣なら倉庫の中に幾つも転がっていたのを覚えている。

調べるならばまず足元から、という訳だ。


「コレみたいにね。知らないことや見落としがあるかもしれない」

「ああ、成程。龍殺剣の。へぇ、これがねぇ。話のねぇ」


 俺にはただのボロ剣にしか見えないな、とヴォロフが言いユーリも首肯する。

領主は頭の後ろで手を組むと背中の筋肉を伸ばし、欠伸をした。


「確かに偶然としちゃ出来過ぎてる──まるで誰かが手を引いたか、準備されてたか。

そもそも俺の継承自体が急な話だったからな。知らん事が出て来もするか」

「十年前だっけ。僕はよく覚えてないけど……」

「こーんな小さかったからな。が、確かに」


 当時の領主──ペルーン兄弟の父母は流行り病であっさりと没した。

賊との戦は引きも切らず、それと貧しい土地柄が両親の命を削ったのだとユーリは聞かされている。

ヴォロフは口元に手を当て、軽く思考を巡らせてから言葉を繋いだ。


「俺とてペルーンを完全に把握してるとは言い難い」

「忙しかったんだろ?」

「当たり前だ。当主様には仕事が盛り沢山。本をゆっくり読む暇も無い。

何時も何時も大体だの、大よそ、だのと凌いでばかり。情けない話さ」


 本当は学者か物書きになりたかったんだが、罷り間違ってこの始末さ、とヴォロフは自嘲する。

それから、ヴォロフの呼び出した一人の従僕を伴ってユーリは館の一角にある小さな書庫に着いた。

黴臭く、埃っぽい室内には狭いながらも天井に届く程の棚が所狭しと並んでおり、

格子には巻物の束、書架にはぎっしりと大判の本が詰められている。


 少年を案内した猫背の中年男は窺うような目付きをして主人の弟の様子を見守っている。

一方のユーリは見上げる程もある紙の海に圧倒され、息を呑んでいた。

印刷術の普及以来、値段が下がったとは言えまだまだ書物は高価な代物である。

部屋一杯に詰まった様子は少年からしてみれば知識の宝庫のように思えた。


「これは……初めて来るが、凄いな」

「ええ。ペルーンの領地に関して著されたものは可能な限り納めております。

旦那様の趣味でそれ以外のものもかなり入っておりますが──変わった所では魔術書の写本もありますね。

他にも物語から哲学、技術までこの辺りの街では随一の蔵書量であると僭越ながら自負しております」

「いやに詳しいな。そういえば兄上と話しているところを見たぞ」

「ああ言えね、私も本好きでして。そのご縁ですよ。実際、ここの著作は素晴らしい。

大戦で焼けてしまったようなものもチラホラございましてね、いや全く驚きです。

散逸したハズの写本の実在を知って喜んだ事をよく覚えて──コホン、失礼。少々早口でしたな」

「あ、ああ。うん、君が頼りになるというのは、実によく解ったよ」


 ユーリは耳を触りつつ考えこんだ。一体全体何から調べたものか。

活舌の悪い早口でまくし立てる従僕と会話しつつ、暫し。


「元々、ペルーンの土地がどういう所だったのか、から調べようか。

思えば私も生まれてこの方、この土地の現状しか知らないからな」


 next.

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