第2話 炎とドラゴン

 槍を一当て。

それで崩れた敵を追って追って追い続け、一人残らず叩き潰すのは誉ではある。

点々と転がる死体が道しるべとなり、突出した騎士達が駆けた先を示していた。

亡骸の中には、先ほどまでユーリと轡を並べていた鎧の姿もある。

馬から引きずり降ろされては騎士とて歩兵と変わりはない。

だから言わない事は無い、予想通りの結末に内心毒づいて少年は顔を顰めた。

それを辿る。ややあって見えて来たのは騎士の生き残り数人が

何倍もの相手に取り囲まれている姿だった。


「間抜けだねぇ。死んでてくれれば楽だったのにさ」


 ひゅう、と口笛を吹いてからぼやいたのは女冒険者だった。

生き残り達の中には黒い鎧の老人も見える。馬からも引きずり落とされ、

不明瞭な叫び声を上げながら武器を振り回しているのが見える。

隊伍を組んではいるが、四方八方から押し包まれては全滅するのも時間の問題だ。

ユーリは剣を引き抜き、敵共に切っ先を向けた。乗馬が嘶く。

賊徒どもが気付き、顔を騎馬へと向ける。

騎士の生き残りが楯を構えながら後ずさるのが見えた。


「おお、ユーリか。助かったぞ。早くしろ」


 黒甲冑の老騎士の喚きを無視し、ユーリは自分の率いる一団に振り返った。


「諸君、冒険者にして戦友諸君」

「あいよ、何かね」

「申し訳ないが、もう一働きだ。戦列を整え、進め」

「おい、聞いているのか小僧!早く助けろ!」

「理由は聞こえての通りだ。約束通りに頼む」

「はいはい。ま、その前に」


 応え、まずは女冒険者がグレイブを一振り、二振りして検める。

そして、穂先を流民の一人に向けた。一つ、二つ、三つと続く。

数え、順々に顔を見定めた。


「途中で死んでた連中も剥ぐとして、ちっと安いかな。まー、いいや。

おい、お前。そう、そこの豚面だよ。喋れないなら他の奴でもいい」


 ぐ、とうなり声を一匹のオークが上げた。

女冒険者は返ってこない返答に笑みを浮かべる。彼女を囲む男衆の視線が集まった。


「今から全員殺されるのと大人しく降る、どっちがいい?

アタシはどっちでも。まぁ、武器を捨ててくれたら楽出来ていいかな」


 と、彼女は降伏を勧告した。

流民の群れは騎士と冒険者たちに挟まれつつ、顔を見合わせる。

その中から、やせ衰えた人間の男が歩み出る。

武器を手放してはおらず、女冒険者を睨みつけている。


「降ってどうなるんだ」

「売るのさ。誰も彼も働き手を欲しがってるからね」

「奴隷。農奴。物は言いようか。奴隷狩りとは冒険者ってのは随分だな」

「そーだよ。精々、高く買ってくれる所に宛がってやるさ。

あたし等も何かと入用だし。賊徒、流民と言われて皆殺されるよりはマシだと思うけどね。少なくとも命は保証する」

「証拠が無い」


 問われ、女は腰の背嚢から一握りの焼き固めたパンを取り出した。

それから長柄を地面に突き刺し、腰刀を抜くとずいずい男に歩み寄る。

やせこけた胸元に食料を突き付けて男を見据える。


「パンか、剣か。お前ら全員分位は食わしてやるよ」


 背後の同輩へ振り返る。ユーリは仏頂面だが、何も言わなかった。

騎士たちは何事か喚いている。流民達は固唾を飲んで見守っている。

一切れのパンを前に、ただ沈黙が垂れ込めていた。


「……解った。貰う」


 そうして男はパンを受け取り、戦いは終わった。



 /



「それで、結局冒険者共の手柄となった訳か。エイブリー=ホワイトホース」

 

 顛末を聞くなり、大きな椅子に座った男はため息をつきながら言った。

名をヴォロフ=ペルーン、この土地を治める領主であり、ユーリの兄である。

目の前に立つ少年と、それから女冒険者を交互に眺めると、彼は目頭を押さえた。

晴れやかな笑顔で苦渋に満ちた視線を迎え、エイブリーは言う。


「契約ですので、閣下」


 平服に着替えた彼女は手にした羊皮の巻紙を広げると、その内の一点を指差す。

曰く、その他戦いに関する手当に関しては現地での最上級指揮官に従うものとする。

ヴォロフは一瞬ユーリに目をやってから、指先で文言をなぞっていく。


「手勢が全く足りぬとは言え、冒険者というのは商売上手だな。

ホワイトホース……確か、皇都の冒険者宿の一党だったか?昔、ピットベッカー卿も属していたと聞くが、何ともがめつい」

「良くご存じで。ま、私は所詮下っ端ですし、

大戦で焼けてからの白馬亭はシャルヴィルト様の下請けに過ぎません」

「兵を頼んだのは確かだが──その、随分と高く付いている。

いっそ農夫に武器を持たせたい位だ」

「練兵しての常雇いよりはマシですよ。これでもサービスしてますから。

まぁ、駐屯に伴う諸々はこちら持ちです。民草も潤うと言うものでしょう。

冒険者というのは金使いが荒いと相場が決まっています」


 女冒険者は笑顔を作ったまま、言葉を続ける。

食料、武器にその他の娯楽。金が回れば市場も宿も富むのは道理であった。

事実として、この館の近くにある市場は活況を呈している。

酒に食事に冒険者の七つ道具。そこに欲する者あらば、といった所だ。

何処からか商品を持ち込む行商以外にも、

農夫だの職人だので商いする者とて少なくない。


「私としては面白くないのだよ。目も届かず、触れも人手も追いつかん。

それによそ者に対する苦情が多くてね。

先だっても捕虜の扱いで胡乱な連中が入り込んで困る、恐ろしい、とそればかりだ」

「荒くれが多いですからね。何せほら、冒険者ですから」

「もう少し大人しく出来ぬか、と言っているつもりなんだがね。

それに幾ら金が回ると言っても、冒険者共は耕さぬし作らぬ。

パンの値が上がり過ぎるのは困るのだ」

「善処致しましょう。さて、流民の買い取り、売却先のお話しもしたいのですが、

お時間頂けますか?」

「それは後日としよう。商人共にも話を通さねばならんからな。

そういう事だ、下がってよい」

「はい。何かありましたら宿の方へ。何時でもお待ちしておりますわ」


 一礼すると、そのまま軽い足取りで女冒険者は退出した。

残されたのはユーリと、その兄だ。

黙していた少年が顔を上げて、ヴォロフに向き直った。

歯噛みしながら固く口を引き結び、目元には涙が滲んでいた。


「兄さん!」


 耳を聾する叫びが、がらんどうの部屋に響く。

そこに残っていたのは未だ十代の少年と、二回りほどは年嵩の男だった。

元々はごく私的な空間であったのであろう。

館の最奥にあり、召使達の姿も見えない。

それだけにユーリの叫びはより大きく聞こえていた。


「何時になったら終わるのですか!!毎日毎日冒険者なんぞと一緒になっての小競り合い。

あまつさえ、あんな女に出し抜かれる。どうして何も手を打たないんですか!

このままでは民共も作付けだって出来ゃしない。そうなれば困るじゃないですか!」

「お前はまた民の味方をする──ああ、そう睨むな。言わんとする事は解る。

勿論、私だって困るし、考えている。だが」


 中年の男は窓の外を見る。

丁度、丘の上にある館からは荒涼とした土地が延々と続いているのが見えた。

直ぐ近くにある市場を除けば、百姓家すらまばらだ。

その中にはぽつぽつと飛び地のように手入れされた耕地があるものの、

余りにも数少ない。


「限界はある。無い袖は振れん。大戦から30年にもなろうか──

当家の有様はお前とて知っている筈だ。

毎日、兵を率いて駆けずり回っているのだからな。

まぁ、酷いものさ。しかし、投げ出す訳にもいかん」

「責任、と。兄さんは相変わらずだ」

「そうだ。ここは私の、私たちの累代の地だからな。

お前がどう思っているかは解らんが」


 大戦、とは30年前に起こった大戦争だ。俗に、人魔大戦とも呼ばれる、

人間を中心とした勢力とそれ以外との闘争である。

大陸四方を悉く焼き払ったそれを皮切りに、困難な時代が今も続いている。

一大勢力を誇った王国連合は瓦解、その盟主たる西国は最早亡く、精強で鳴る東国は再び戦士たちが相争う混沌へと沈んだままだ。

他方、既知世界における最大最強の人類国家であった皇国もまた、

数多の土地が荒廃し、無数の生命が失われ、力なく腕を下げたまま過日の傷に呻きを上げ続けている。


「民の為に戦うのが仕事。そう言ったのは兄さんだ。僕はそれをやって来た」

「そうだ。お前は私の武装した腕さ。とても俺にはああ出来ない。

戦の才は無くてな」


 淡々とした言葉に、ユーリは歯噛みしながら剣の柄を固く握りしめていた。


「──お前が良くやっているのは他ならぬ俺が一番知っている。

でなければ兵を預けない。

しかしな、こんな辺境に皇都の連中は目をかけぬ。彼らとて必死なのだ。

無論、冒険者たちだってそうだ。騎士のお歴々もな。その善意は疑いようもない」


 自らに言い聞かせるように続ける。

言葉を区切り、ヴォロフは弟に悲し気な目を向けた。


「だからな、上手く行かなくても誰が悪い訳じゃないんだよ。

どうか、どうか解ってくれ、ユーリ」


 項垂れていた少年が急に顔を上げる。


「こんな、めそめそと生きるなんて嫌だ!嫌だ嫌だ!

惨めに死ぬまで生き続けるのが僕らなのか!」

「……それでもお前はお前の仕事を続けろ。俺も俺の仕事をする。

父上も母上ももう居ない。ここを切り回すのは先ずお前と俺だ。

未だ賊徒も流民も、魔物の姿とて絶えぬ。

この仕事は終わらないんだよ。俺とお前がここで生きる限りは」

「賊徒共の根を断てばいい!奴隷共を率いて耕させればいいではないですか!」

「流民共は絶えんよ。土地を捨てて略奪に走る連中ばかりだからな。

それに、奴隷と言っても四六時中見張ってなどいられない。とうの昔にやったんだ」

「失礼する!!」


 耐えきれずに踵を返し、ユーリが部屋を出て行った。

ヴォロフは大きく溜息を吐き、

肩を落として脇に放り出していた書類だの手紙だのに目を落とす。

山積する問題。糸口すら見えぬ難題。叶うならば悪魔と盟を結ぶ事さえ厭わない。

だが、神秘も幻想もここには無く、ただ漠々たる荒野が続くばかりだ。


「──解っているさ、そんな事」


 棺のような部屋に、領主の悔し気な声が静かに消えていった。


/


 平服姿に剣を吊ってユーリはぶらぶらと市場を歩いていた。

荒れ果てた農地が嘘のように冒険者だの、商人だの、流れ者だので騒がしい。

雑多で胡乱な連中が跋扈する最中であっても鬱々と部屋に閉じこもるよりは

幾分か気が紛れるというものだ。

努めて怒りを脳裏から振り払いつつ、武具だの雑貨だのの並ぶ屋台の中を

少年はうろつく。


「──これ」


 と、呼び止められて振り返った。

すると、一人の小柄な乞食が据わったまま少年を見上げていた。

目深に被ったフードの下からは包帯を巻いた顔と赤い隻眼が覗いている。

おまけに右腕が無いらしく、ローブの姿が歪だ。

人か、それとも流れ着いた魔物か何かか。異形を見てユーリは軽蔑の念を覚える。

他所からの流れ者、冒険者の中にはしばしば人間以外の種族が混じる。

殊に皇国では元々人間以外の種族も多く暮らしており、珍しくも無い。

だが、ユーリからしてみればそれらは一様に賊徒か、その予備軍にしか見えない。


「これ、そう急がないッス」

「……何か用か?忙しいんだがな」

「ああ、いえいえ。お殿様にちょっと妙な相が出ちゃっててね」

「流れのまじない師か。どうせヨタ話だろう」

「やー、そう言わない言わない。あちきのは当たると評判でね。

一つ占って進ぜようというんだから」


 鼻で笑うユーリを他所に乞食は荷物から小道具を持ち出し、

うんうんと唸り声を上げた。

良く解らない小石だの、細かな絵の描かれたカードの束だの、

手品師辺りが子供騙し使う類の代物である。

酔っぱらった冒険者が一瞬釣り込まれるように眺め、直ぐに立ち去っていく。

大袈裟に隻腕を振り上げると、乞食はキンキンする声を上げた。


「見える。見えーる。見えた!コレはッ、あんた将来王様みたいに立派になれるよ!」

「よくある嘘話だな」

「可愛げねー……せっかくこのアチキが。

金髪元三眼の超魔王様が直々に占じてあげてるのに。

アルカナの魔王様をもーちっと有難がりなさい。

まぁ、アルカナはもう無いんだけどさ。アルカナないかな。あるかな」


 訳の分からない戯言を口走りながら含み笑いし、まじない師は体を揺すった。

何だ、ただの物狂いか、とユーリは得心した。喚き声を無視して立ち去ろうとする。


「ああ、ちょっと待って待って待てって聞けって。

王様になる前に問題山積なんだって。

例えば今のアンタにゃ近々ドラゴンに襲われる卦が出てるの。

火が炎でボーボーなのよ。アブナイアブナイ。この偉大なるアチキの話をもうちっと真面目に聞かないと後が酷い──アレ?」


 と、乞食がユーリの剣を見て言葉を止める。


「何だ。チミ、中々いい剣を佩いてるじゃないの。尾噛刀とはまた珍しい」

「はぁ?何だよしつこいな……」

「しつこいも何も、重要な話だよ。その剣はね、かの滅龍剣──

所謂世に名高きドラゴンスレイヤー、

今となっては多くが失われた剣の生き残りさ」

「まさか、馬鹿げた話だ」


 滅龍の剣は英雄たちの武器だ。おとぎ話で語られる類の代物である。

ユーリの持つ剣は武器庫の片隅に放り出され、

埃を被っていた代物を拝借したものに過ぎない。

少年は乞食の言葉を一笑に付す。


「お追従にしては大袈裟だな!僕と一緒でうち捨てられた余り物だよ、この剣は」

「いーや、違う。アチキには解る。アブラカタブーラ」

「じゃあ、何でそう思ったんだよ」

 

 ユーリは戯れに問うた。ふーむ、とまじない師は唸りだす。


「そりゃチミ、鞘とか柄とか見てれば解る。

何か読めないような文字刻んであるっしょ。

それが龍を滅ぼす呪いなの。効き目は強烈ッスよ。

大抵はイチコロでしょ、何せドラゴンスレイヤー」


 きっ、と僅か抜くと成程、柄やくすんだ刀身に何か彫り物がしてあるらしかった。

曲がりくねり、酷く複雑なようだがすっかり古ぼけて薄くなっている。

これが呪いというのであれば、壁のシミも魔法と言い張れるだろう。


「仮にそうだとして」


 かちん、と言う音。刃をしまうと少年は言葉を続ける。


「龍なんてとっくに居やしないだろう」

「いや居るんスよ。第一、龍に襲われる卦が出てるって言ったッスよね」

「ハハハ、こいつめ」


 確かに龍種は未だに存在すると言い張れはする。

冒険者を率いているらしいストロングヴィルのシャルヴィルトなど代表例だろう。

人に化けた竜が時々は人に紛れて暮らしているらしい噂が流れる事もある。

だが、大戦で龍達も多くが死んだ。

生き残りも大抵はその住処に戻り、滅多に姿を見せなくなった。

例外を除けば、近頃は引き籠ったまま音沙汰もない。

そもそも他者と関わる必要が無い程完成されているのだから当然ではあった。

第一、人を襲う龍は財や宝を求めるものだ。

間違ってもこんな荒れ果てた地になど来るまい。


 笑いながらユーリは否定する。その時、空から黒い影が差した。

雲が太陽を塞いだかと、少年は空を振り仰ぐ。すると、そこにドラゴンが居た。

赤黒い鱗を纏った巨体を陽光に輝かせながら、

見定める様にぐるぐると上空を旋回している。

人々が上空を指差し、悲鳴を上げて逃げ始める。

数秒前まで目の前で講釈を垂れていた乞食などは

ドラゴンを見るなり一目散に逃げ去り姿を消した。


 その瞬間だ。僅かに開いた顎から、煙と炎とが漏れ出す様子を少年は確かに見た。

状況を理解できない。だが、何が起こるかは解る。

ユーリはあらんかぎりの声で叫んだ。


「危ないぞ!炎だ!龍の火が来る!」


 ごう、と火焔が空中を奔る音。

その後にユーリが見慣れていた市場の光景は一瞬にして地獄絵図へと変わる。

地上を舐めるその炎は木と布づくりの市場をあっという間に包んでいった

 


 next.

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