二ツ龍物語 

poti@カクヨム

第1話 いまとむかしの物語

 二ツ龍物語 1話 いまとむかしの物語


 それは一つの龍だった。

身体をくねらせ、雲を掻き、風に乗って中天を泳いでいる。

魚のような鱗はきらきらと青緑に輝き、彼女は空を飛んでいた。

眼下には黒々とした森や、切り開いた畑に点々とする人家。

視界を半分も持ち上げれば棟々が寄り集まった小さな町の向こう側、小高い丘の上に領主の館が見える。

半透明の瞬膜をしばだたせながら、縦長の瞳が豆粒をばら撒いたみたいな人間たちを捉えていた。

細長く、蛇のような身体が雲と並んで地上に影を落としているのも見える。

人間共が仕事の手を止め、寄り集まって何事かし始める。

きっと空を見上げているに違いない。その考えを龍は解しない。


 解しないが、彼女は一つ悪戯心を起こした。仰ぎ見られるのは愉快で、龍であるからには傲慢だ。

一つ人間共を驚かせてやろう。乗っていた魔力の流れを断ち、浮力を消して、龍は真っ逆さまに身を投げた。

重力に従って、顎から一直線に下る。見る間に大地が近づいてくる。

轟轟たる風が若草色の髭と鬣(たてがみ)をかき乱す。


 当然、人の姿も大きく近づいてくる。天を指差し悲鳴を上げて、腰を抜かしたり逃げ出そうとしている。

残り十尋(約十八メートル)と少し。頭を打ち付ける寸前で龍は地上へ向かって潜るのを止める。

神秘の存在たる龍は、息をするのと等しい程に用いる魔法によって浮き上がった。

その余波に巻き込まれて周りの民共だの、家畜だの、道具だのも浮き上がってから落ちる。

自らを見上げる人間共に青緑の龍は五指をにぎにぎし、まなじりを下げて満足していた。

悪戯心も満足し、さて何事か宣言しても面白いと考えている。ぐるぐると喉が鳴った。


「龍よ、何をしている!」


 思考を遮ったのは通りがかった騎馬の列だ。

輝く鎖と板金の鎧兜、盾と剣だの槍だので武装した騎兵を従えた青年がその先頭だ。

誰何され、龍は腰を抜かす百姓どもから頭を巡らせ出迎える。

馬蹄の音を響かせる一団を出迎えて、彼女は如何にも神秘らしく鷹揚たる態度を取り繕う。

が、その口はぴくぴくとしているし、鼻息も荒く今にも大笑いを始めそうだ。


「またか。またお前か。これで何度目の騒ぎだこのお転婆め」

「そうだ私だ。どうだ参ったか。傑作だったろう」

「貴龍ともあろう方が情けない事!」


 貴龍とは、人語を解する賢い龍を指して用いる言葉である。

非難の言葉を受け流しながら、首を持ち上げて青年を見下ろした。


「私など所詮は東からの流れ者。貴種だ何だと持ち上げられても嬉しくはない。

だが人の子よ。良き時に雨を降らせ、風を吹かせて働いているのは誰と心得る。

感謝はしておるが、これ位の狼藉は許されてしかるべきだろう。何せ、ほら、龍だから。

龍だから仕方ないんじゃよ。これは本能と言うものだ。退屈だもの。退屈なのはいかん。平和過ぎる」


 騎馬をゆっくり進ませつつ、青年は鞘を付けたままの剣を持ち上げた。

それから、更に低くまで降りていた龍の頭を小突いた。ごちんという固い音が響く。


「痛いぞ」

「悪戯娘め」

「何を、この狼藉者。破廉恥め。お前など私の顎が噛み砕くぞ」

「尾を噛む剣の鋭さを忘れた訳じゃあるまい」

「おお、怖い怖い。龍滅の名刀も蛮人の手に渡ればこの通りか」

「恐れるならばまず民に謝罪するのが先だ。人には人の仕来りと言うものがある、龍殿」

「仕方あるまい。ならば埋め合わせに酒を貰うとしよう。

酒蔵のエールも熟しておる頃だ。風と雨の出来を占うにはそれが一番」


 それがよい、それがよいと一人合点して喜ぶ龍に青年は鼻息を吹く。

彼の土地で出来た酒であり、彼の館で醸したものであり、彼の民や同盟者に振舞わないという理由はない。

空気の暖かさも、土の匂いも、春を通り越して祝宴が近づいてきている事を示している。

さてはそれも目当てであったか、と遅まきながら気づくがそれこそ後の祭りである。


「フン、龍の契約というのは何時も悪辣だ。口車に乗せて横車を突き込んでくる」

「龍だからな。龍と暮らすのであれば、龍の仕来りにも従ってもらう必要があろう」

 

 じゃれ合う青年と龍を遠巻きに見ていた領民に、龍が首を巡らせた。

明らかな恐怖の色を見て取って、衆人環視の連中もそうかと予想する。

龍は頭など下げたくはないが、約束は約束である。契約を語るからには実行する事が重要だ。

では、やりやすいよう姿を変えるか、と彼女は決断した。


 開いた顎が耳障りな唸り声のような呪文を作る。

すると、見る間に蛇か長虫のようであった龍が縮み、鱗は深緑の長衣へ、

鬣は若草色の長く、艶やかな髪に、五指の足は伸びやかな手足に、首元に逆鱗を変じたペンダントをこれ見よがしに下げている。

あっというまに十半ば程の少女の姿へと龍は自らを変じていた。


 魔法を使える貴龍であれば、誰でもこの位は出来る。

勿論、龍であるからには姿を変えたり、風や雨を呼ぶ以外にも様々な事は出来る。

だが、この程度でも無学な農民にとっては信じがたい手品であった。

目を丸くして驚いている人々を前で、殆ど機械的に少女は頭を下げる。


「ごめんなさい。やりすぎました」

「あ、ああ。ええんだけども、お前、さっきの龍か?」

「ええ、勿論。人の姿の方が何かと便利で。こうやってお話しも出来るでしょう?」

「へぇ……まぁ、大した事もありやせんで。あ、でもですね。失敬、言葉の使い方を知りませんで、

伝法な口を許して下せぇ。あなた様の風と雨のお陰で、今年の麦は上出来ですぜ!」

「そりゃあ勿論!きっと良い酒も」

「そりゃあ勿論!」


 へへへ、と笑う龍に農夫もすっかり丸め込まれたように笑う。


「でも!」


 龍は身を翻して、青年に向かって駆けだした。

地を素足で蹴って、呆れた様子で事態を見守っていた馬上の人に踊りかかる。受け止められる。

身をくねらせてその首根っこに腕を回して頭を抱き、一転して艶やかな声を作って囁きかけた。


「奥方に言いつけてやるからな。民の前でこの私を辱めたと。そういう卑劣な趣味がある男だとな」

「止めてくれ、その脅しは俺に効く。──それにしてもだ。全く、龍というのは便利なものだな」


 殿様、と先程の農夫が二人を見上げて言った。


「あのぉ、その龍?いや、娘っ子は御屋形様のご側室か何かで?あっしらも初めて顔を見ますがな。

この辺に龍だとか、何だとか。そういう物騒で厄介なもんは聞いた事がございませんし、

まして仲良くされているのなんて一体全体どういう事だかさっぱり全然訳が解りませんだ」

「こ奴は東からの流れ者だ。変わった奴でな。人間に興味があるというから、

良い風、良い雨の代わりに少しばかりの土地を分けて家来にしたのだ。最も──」


 家来という言葉を聞くや、あーんとばかり口を開き首元を狙う龍に、青年は言葉を区切る。


「家来というのは形だけだ。同盟者と思ってくれ。この通りの変わり者、何かと苦労はあろうが悪い奴では決してない。

皆、これから一緒によくしてやってくれ。それと俺の側室じゃあないからな。間違えるな。

って、コラ!馬の尻を叩くな!降り落とされたいのか!」

「ハハハ、こやつめ。兎も角!その通りと言う訳だ。私は丘の向こうの土地に居る。

君たちの親愛なる隣人という訳だ、定命の諸君!短い付き合いではあろうけど、どうか宜しく」


 緑萌える土地に、甲高く愉快げな娘の声が響く。

──これが凡そ七十年前の出来事である。



 /

 


 荒涼たる丘の上に、十騎ばかりの完全武装した騎士達が居た。

その周りには数もまちまちな従者共が槍や石弓、盾など担いで控えている。

彼らが見ているのは彼方の敵。今しも冒険者や傭兵たちが猟犬の様に追い立てているならず者と、それから怪物共の群れだ。

数は数百もあるだろうか。それを百にも満たない兵隊共が戦線に捕まえている。

一人の老いた騎士が兜の面頬を跳ね上げ、先頭の赤い長衣の騎士に不機嫌面を向けた。


「卿よ、まだか。冒険者共に任せきりではないか」

「まだだ。イヌ共が巻狩りをしている」


 答えたその声は意外なほどに若い。


「ユーリ殿よ、退屈でならん。先代との友誼で来てみれば毎日毎日、使えもしない犬どもを連れての人狩りだ。

『大戦』の頃は良かった。あんな雑魚共など相手にせず、もっと面白い連中がいたものだ」

「そうですな。巨人に火を噴く蜥蜴共、隊伍を組んだ魔物共!血沸き肉躍る日々!」

「英雄の方々も健在であった!それに比べて今の連中は小粒ていけませんわ。

犬共の仕事を待ちなどせず、一つ突撃でもして蹴散らしてしまえばいい」


 口々にしわがれた声が交わされる。ユーリと呼ばれた赤衣の騎士は彼らが大戦──二十年前の大戦争の生き残りである事は知っている。

しかし、『ならば、そうされるが良い』とも言えぬ。これらとて貴重な手勢であるからだ。

第一、名目上彼らは援軍であり、ユーリにとっては兄と同格かそれ以上の身分の小領主達である。


 冒険者どもが敵を押し包み、纏め上げているのが見えた。

金属の防具を身に着けた者も少ない生き物の群れが、手に手に武器を掲げながら殴り合っていた。

血と肉を二束三文で売り払った連中は、然して多勢に無勢であった。

一致団結して押し返し始めた敵勢を見て、丘の上に脇腹を晒したその隊列を見て、ユーリは片手を挙げた。

騎馬隊、十歩前へ。弓隊、その後へ。号令にガチンガチンと面頬が下がり、兜を打つ音がまちまち響く。


 騎士は、自らの左右に揃った騎馬の列を見て無様なものだと思った。

紋章もばらばら、共に掲げる旗も無い。老い耄れ共の鎧など、碌に手入れもないらしく黒く塗り上げている有様だ。

従者から槍を受け取るものも全員ではなく、刃毀れした古い剣を抜きはらう者、棘のついた棍棒を獲物とする者すら居る。

しかし、ユーリが戦場を俯瞰する限り、それでも十分であった。


「諸卿よ、お待ちかねだ。従者たちよ、太鼓を打ち鳴らせ。突撃する我らを助けよ。さぁ、戦だ。突撃の時だ」


 赤衣のユーリの駒が先頭に駆けだす。おっとり刀に騎士達が続く。ドン、ドン、と革太鼓の合図が鳴り響く。

抜かれた刃の一陣が、鎧の板金や鎖が、とりどりの紋章が驟雨を前にした大気のように動き出す。

蝗の様に矢は空を飛び、冒険者の一隊は雇い主の救援に気付いて隊伍を固め始めた。


「我に続け」


 駆けたユーリは馬上に揺られながらに、天へと高く掲げていた槍の穂先を下ろす。

駆け降りる先には、痩せたゴロツキや放浪する魔物の垢じみた姿が何倍も拡大して見えた。

馬蹄と太鼓に敵共は首を巡らせる。その内の一つを槍先が突き砕き──衝撃に耐えかねて中途で柄が折れる。

続いて殺到する騎士共が魔物を跳ね飛ばし、蹴立てて砕き、得物を振り下ろす。

それを見て、ユーリも腰に提げるだんびらを抜いた。混じる血煙と共に空気を吸う。彼は脳裏が冷たく冴えるのを感じていた。

横腹は食い破った。獲物の様子はどうか。犬の様子はどうか。

今や、のた打ち回る手負いの首筋に食らいつき、地に組み伏せている。

宜しい、では殺そう。騎士はそう判断した。


 睨み下ろした先には割られる頭が大勢あった。

馬上のユーリ目掛けて、敵手のハルバードが描き入れるように突き上がる。

片手半剣を振り上げつつ身を躱し、しかし、それは騎士の面頬をかち上げて素顔を暴く。

二十歳にもならぬ少年が、憤怒の相を浮かべていた。

剣は閃き、刃は染まる。右に、左に。軍馬が大きく嘶いて、蹴たぐる敵を吹き飛ばす。

混乱し、恐慌をきたした流民共は倒れ伏し、或は冒険者に殺されて見る見るその数をすり減らしていった。

地を耕す苦役のように振り下ろし、草を刈るように薙ぎ払う。

実際、それは戦というよりは作業に似ていた。


 遂に生き残りたちが背を向けて逃げ出し始める。ユーリは一つ息を吐いた。

面頬を上げ、黒い鎧を纏った老年の騎士がそれを見るなり割れ鐘のような怒鳴り声を上げた。


「卿らよ!敵は崩れたぞ。見す見す取り逃がしてなるものか。追え!殺せ!」

「応!」

「応!従うばかりもつまらん。一つ、首の数で競争するとしよう」


 少年が意見するより早く、血みどろの騎士達が武器を掲げて叫びに答える。

面頬を上げた老人の目にはユーリへの侮りが色濃く滲んでいた。

と、そんな折に駆け寄って来たのは珍しく鎧を──板金を服に縫い合わせた──着たユーリとは馴染みの冒険者のまとめ役だった。

グレイブを担いだ彼女は、片目を瞑ってから皮肉げに笑う。


「旦那、旦那。残党とは言え数は多い。あの馬鹿共、捨て置くと死にますぜ」

「解っている」


 あれが理解した上でやっている事も、無論。ユーリが止められないだろう事も先刻承知の上で、だ。

糞野郎、と内心で罵るが冒険者の言う所こそが現実であった。


「騎士様というのも面倒が多いですな。しかし、対応するなら別料金ですぞ」

「ソロバン勘定か」

「冒険者ですからね。傭兵でもある。稼ぎ時は見逃せませんで」

「──略奪の取り分を増やそう。生き残りが居れば、好きに扱え」

「なら、また旦那ンとこの赤字仕事ですなぁ。まぁ、踏み倒さない生真面目君だからお姉さんは付き合ってる訳だが。

けど、歩きだと遅いよ?第一、駆け足は大嫌いな手合いも多い」

「給料分働いてもらう。仕事をしろ」

「助からん奴が出ますぜ」

「助けようとした事実が重要だ」

「おお、怖い怖い。今晩には酒飲んで忘れたいね」

「勝手にしろ。駄弁るのはここまでだ」


 言って、ユーリは剣の血を一振りで払い彼方を望む。

笑んでいた女冒険者は肩を竦めてから、軽く装具を正した。

何となく、の付き合いであったとても長くなれば機微を察するという訳だ。

彼女は周囲を眺める。人間の死体。化け物の死体。死にかけて呻く重傷者。

折れた槍に、突き立った剣、割れた盾に半ばから折れた矢。

騎士達の従者と冒険者、傭兵たち。それにしても今日の仕事はまだ終わるまい。

まぁ、嫌な雇い主でなし。少々の残業には付き合おうか、と決め込む。


「冒険者諸君、仕事の続きだ」


 と、女を他所にユーリが騎馬を緩く歩ませた。

駆けて行った騎士共は今頃、逃げ出した敵勢の背を撫で斬りにするつもりではしゃいでいる事だろう。

鬱屈した感情は剣を握る手に託し、彼は兵と従者を引き連れ進み始める。

思考を引き戻し、少年は息を整えた。これは日常だ。

兄から兵を預かっている自分の勤めなのだ、と自らに言い聞かせる。

その義務を果たさなければならない。


 ユーリの眼前には死体が彼方此方に転がる荒野が広がっている。

武勲を立てる宛ても無くすり減り続ける、そんな前途と目に映る光景が重なって見えた。


「ユーリ、ユーリ。疲れてるなら後でお姉ちゃんが遊んであげようか」

「それも良いかもしれないな。打合せもある」

「あら意外。ま、どっちにせよあのオッサン共と飲むよりはマシでしょ」

「雌犬め。人手不足で無ければお前なんて」

「はいはい、お仕事お仕事っと」

 

 女冒険者もまた兵の列へと戻る。ユーリは盾を構えた徒の列を引き連れる。

兵達は一人の騎兵に率いられ、再び前進を開始したのだった。



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