episode 9

「? どうしたの?」


 チッキは服を脱ぎ捨てる。

 野蛮な性格とは似つかない、白い肌があらわになった。

 どうやら、彼女に恥じらいというものはないらしい。

 男の俺の目をまるで気にしない。

 まあ、俺も小さい頃からの付き合いなので、

 今さらチッキの裸に興奮したりはしないが。


「しかしお前、傷増えたな」


 チッキの肌には無数の傷があった。

 擦り傷の痕や、アザが痛々しい。


「そりゃあ、ね」


 チッキはさも当たり前かのように言う。

 チッキは盗みの常習犯だが、それ以外にも危険なことを沢山やっている。

 俺も全部は知らない。

 ただ、彼女が色んな人から恨みを買っているのは時々噂になっている。

 だから、彼女にとって、誰かに傷つけられることは日常茶飯事なのだろう。


 俺は服を脱ぎ捨てて、水に足をつける。

 背筋がゾクっとした。

 冷たい。


 俺たちは水の中を、腰が浸かるくらいのところまで歩いた。

 この川の流れは遅い。

 雨上がりでなければ、流されることはないだろう。

 固まっていた巨狼の血を、こすって洗い流す。

 貧困街スラムの方にある川と違って綺麗なので、

 血が靄みたいに溶けるのが見えた。


 体はひとしきり洗い終わった。

 次は服だ。

 服の血はなかなか落ちなかった。

 しかし、さすがに何度もこすっていたら、薄れてくる。

 うん。

 これなら、なんとか誤魔化せるだろう。


「……なに?」


 チッキがこちらの方をじっと見てきたので、訝しむ。


「いや、なんでも……」


 チッキはぷいとそっぽを向いた。

 なんだよまったく。

 変な奴だなあ。



 ***



 俺たちは服を乾かし、帰った。

 生乾きだったが、なんとか我慢はできるレベルだ。


 呪髪人のストリートを歩く。

 ここは死んでいる、という言葉がふさわしい。

 人はいる。

 そこらの屋台や商店に、たしかに人はいるのだ。

 人気がないわけではない。

 しかし、それらは間違いなく

 酒やクスリに酔いつぶれ、

 生気のない目で虚空を眺めているのがほとんどだからだ。

 コロシアムで戦士になったり、ファジル人の奴隷にでもならない限り、俺もいずれ仲間入りすることになるだろう。

 そんなのは嫌だ。

 俺はまだ、死にたくない。


 そんな死んでいる呪髪人のストリートの中に、

 ひとつだけ笑い声の絶えない場所がある。

 酒場だ。

 俺はここが大嫌いだった。

 酒の匂いが嫌いだ。

 だがそれ以上に、酔っ払いが嫌いだ。

 話が通じないのは、めんどくさい。


 だからここを通る時、俺たちはいつも息を殺して、

 そっと通り抜けることにしている。

 絡まれたら、いつ帰れるか分からんしな。

 もうすっかり日も落ちているし。

 さっさと過ぎてしまおう。


 俺たちが酒場の前を通り抜けた直後、

 扉が開く音が聞こえた。


「おっ! ダンじゃねぇか!それにチッキ!」


 このダミ声。

 どうやら、俺たちが一番絡まれたくない人が出てきたらしい。

 振り向くか?

 逃げるか?

 逃げたら逃げたで、後々めんどくさいんだよな……。


 チッキは迷いなく逃げ出した。

 無理もない。

 このえらくガタイのいいおっさんに、チッキはいくつも借りをつくっている。

 大体この人の、お節介みたいなパターンが多いんだけどな。


「あっ! チッキ! 逃げるんじゃねぇ!」


 おっさんは拳を振り上げて怒る。

 チッキはもうすでに、遠くにいた。

 逃げ足は本当に早いな。


「まあまあ、そんな怒らずに。イヒヒッ」


 おっさんを、別のおっさんがなだめる。

 前歯が抜けていて、ハゲ頭。

 似合ってない丸眼鏡には、ひびが入っている。

 何度か会ったことがある人だ。

 名前は知らないが。


「か〜〜っ! なんでアイツはあんな性根が腐ってんのかねぇ!」


 おっさんは痰を吐く。

 うわ、汚ねぇ。


「ん? ダン。お前いいもの持ってるじゃねえか」


 おっさんは、籠に入ったハシラの実に手を伸ばす。


「あ! 勝手に取るんじゃねぇ!」

「別にいいじゃねえかひとつくらい」


 俺は抵抗するが、いとも簡単に振り切られた。

 おっさんはハシラの実をかじる。


「この! ゴーシャ!」

「『さん』くらいつけやがれこのクソ坊主」


 ゴーシャは、にかっと笑った。

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