episode 7

「じゃ、ボクが取るから、ダンは下で拾ってね」


 チッキは木に駆け寄った。

 そして、するするとよじ登ってゆく。

 まるで猿だ。

 ……口に出したら怒るだろうな。


 俺は木の下に立つ。

 チッキが地面に落とした実を、俺が拾うという要領だな。

 よっしゃ、ばっちこい。



 ゴツンッ!!



「……いてっ!」


 顔に何かがぶつかった。

 衝撃で、視界が歪む。

 思わず尻もちをついた。

 なんだ? なにが起こった?


 フラフラになりながら、ぶつかったソレを拾い上げる。

 硬い感触。手に重みが伝わる。

 ハシラの実だ。

 チッキのヤツめ、俺めがけて投げ落としたらしい。


「ウシシ」


 木の上では、チッキがいたずらっぽく笑っていた。

 間髪いれず、第ニ弾を構える。


「ちょっと待てっ! 投げるのだけは勘弁してくれ!」

「うぇえ〜? まあいいけど〜」


 チッキは次々と赤い実を落としてゆく。

 さすが慣れている。

 手際がいい。


 俺はチッキの落とした実を、持ってきた籠に放り込む。

 だんだんと籠が重くなっていき、持つのも一苦労するくらいになった。

 これだけあれば今日、明日の食べ物には困らないだろう。


「……おかしいな」


 チッキは突然、表情を曇らせた。

 何か危険を察知したのだろうか。

 明らかに警戒を強めている。


「どうしたんだ?」

「あ、いや。どうも動物たちの気配がなくてね」


 チッキに言われて初めて気付いた。

 動物や虫たちの声がしない。

 聞こえるのは、わずかな風の音だけ。

 異常事態だ。


 チッキは急いで木を飛び降りる。

 よくもまあ、そんな高い所から飛び降りて平気なもんだと感心していると、

 背後に妙な気配を感じた。


「グルル……」


 大きな狼がのそりと姿を現わす。

 毛は紫がかった黒色をしていて、禍々しい。

 15メートルはありそうな巨体で、

 この距離からでも、はちきれんばかりに筋肉が発達してることがわかる。


巨狼ビッグウルフ……」


 チッキはつぶやいた。

 巨狼ビッグウルフは森の主だ。

 この辺りだと、敵う動物はいない。

 全てを喰らい尽くす猛獣。

 ひとたび出会えば、逃げることは困難だという。


「あはは……あんなデカいのは初めて見たかも」


 チッキは恐怖で声が震えている。

 森に行き慣れている彼女でさえ、恐れおののく個体。

 俺はアレがどれだけヤバいのかを直感した。


「どうする? 逃げるか?」

「いや、人間の足だとすぐに追いつかれる」


 そうなのか。

 あんな巨体でも足は早いんだな。

 さすが森の主、といったところか。

 しかし、そうなると手段は限られてくる。

 すなわち、魔法を使って相手を殺すか、自分たちが逃げるか。


 魔法を使って殺すのはーーできれば避けたい。

 殺傷能力のある魔法は発動が不安定だ。

 俺の意志に反して、不発だなんてことはザラにある。

 そもそも発動したとして、殺せるのかっていう問題もあるが。


 とにかく、魔法を使って逃げるほうが賢明だ。

 他の人と一緒にトリップしたことはないが、

 体に触れてさえいればたぶん大丈夫だろう。


 ただ、これにもひとつ問題がある。

 一回で飛ばせる容量が決まっているのだ。

 チッキを連れて行くとすると、ハシラの実は置いていくしかない。


「迷ってる暇はねぇな……」


 間合いを詰められたら、魔法を使う前にがぶりっ、だ。


「チッキ! 俺の手を握れ!」

「え!! な……何言ってんの!?」


 チッキは顔を赤くする。

 なんだ?

 やっぱり、状況が飲み込めないのだろうか。


「とにかく!! 早く!!」

「う……うえぇ〜」


 チッキは迷ってるようだった。

 早くしてくれ!

 間に合わなくなる!


 チッキはやけくそ半分で、手を伸ばした。

 

 刹那、大きな爆発音。

 一歩。

 一歩だ。

 巨狼は一歩で間合いを詰めてきた。

 爆発音は、どうやら足を着地させた時の音らしい。

 地面に無数の裂け目が入っている。


 ぐるると唸る顔が、近づいてきた。

 鼻息が、俺の顔面に吹きかかる。

 口からはぼたぼたと、大量のよだれがしたたり落ちているて、ぎょろりと黄色い目がこちらを向いた。


 やばい。

 食われる。

 俺は恐怖で動くことができなかった。

 金縛りにあったかのように、体が言うことを聞かない。

 頭が真っ白になって、全ての思考が溶かされていった。


「グオオオオオオオオッ!!!」

「……っ!!」


 俺は目をつむった。

 ああ、俺の人生、こんな所で終わるのかよ。

 思えばつまらない人生だったな。

 何も成し遂げちゃいない。

 何者にもなれちゃいない。

 母さん、ジン、ラン、ごめん。

 

 俺、死ぬかもーー。

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