10-2

 ポヨヨーン


 突然の事に槌納は反応できず、彼の視界は唐突にブラックアウトした。

「んんんんんんっ!」

 槌納は一瞬の出来事に驚き、苦しそうに声にならない声を上げる。フガフガと何とか息をしようとするのだが、顔全体を正体不明の何かが覆っているために、なかなか空気にありつくことが出来ない。

(もうじれってえな!)

 槌納は両手で顔面に被さっているものを鷲掴みにし、グイッ、と前に押しやる。

「ぷはーッ! 窒息するとこだった……」

すーはー、と何度か深呼吸を繰り返す。

「ってか、何が俺を襲ったんだ?」

 と疑問を口にし、自分の手が掴むモノの正体を見ようと顔を向ける。

 向けた先には――

 口を開け、呆然とした紅玉がいた。

「ん?」

 槌納はいまいち事態の把握に苦しんでしまう。なぜ紅玉が放心状態で目の前で突っ立って居るのか……。

 取り敢えず彼は、自分の手にしているモノを確認した。

 巨峰の様にみずみずしく、張りのある非常な熟れた果実。彼の手に収まらない程の大きさだが、それは確かにそこにある。

(なんだ、これはよぉ?)

 槌納が自ら理解することを拒否していたのか分からないが、彼は正体が掴めないように首を傾げる。

 だがそれが心地いいモノであることだけは理解したようだった。

 ポヨヨーン、ポヨヨーン、ポヨポヨ――

 何度か、握る、離す、を繰り返し、その正体を掴もうとする槌納。

(もしかして、これは……俺が今まで求めていたモノなのか⁈)

 自然とそれは手になじみ、掴む手もそれを逃すまい、となかなか離れようとしない。

 しかも、何故だか分からないが、未だに正体が判別できない。

「一体なんなんだ、これはよぉ⁈」

 気持ちを大にして、口に出す。

 視界が急に開け、槌納が目の前にしたものは――


「あ、はい……」


 事態の深刻さを理解してしまった。きっと、先程まで認識出来なかったのは、理解することを本能が避けていたためだ。

 すると槌納は、急に悟りを開いたような、朗らかな笑みを漏らす。

(愛されているなー、俺は……)

 もう、槌納に声をあげる意味などない。他の誰もが理解できなくとも、槌納がそれを理解している。それに、この果実を声に出して表現するなど、失礼極まりない行為だ。

 騒ぎに気が付いたのか、彼らの周りには人だかりが出来ている。

 そこで、槌納が周りにいる全ての学生に宣言した。

「普通なら、皆は謝罪する場面だと思うだろ? だが、それは違う。起きてしまったこと、そのものが悲劇だ。皆、被害者なんだよ。ただ、俺が少しだけ運が良かっただけ。それを理解してほしい。多分、主人公と言う存在がいる限り、今後これに似た事を起こす者は増え続けるだろう。そして俺は考えた。その者たちが、ここでどうすべきかをここで示し、導くことが俺の役割だと……」

 ポヨポヨ――

 と二回ほど、力を入れ、それから手を離し、両の掌を見ることで、自分の手に感触が残ることを確かめる。

 その後、微笑みながら合掌をし、

「ありがとうございます……」

 槌納はそう言って、キリッ、と目を鋭くし、俊敏な動きで右手を額の所へ運び、ビシッ、と敬礼する。

 すると、一連の騒動に立ち会った見ず知らずの男子学生たちが、何故か槌納に向かって敬礼を返した。

 そう、彼――槌納はここで英雄になったのだ。

 彼の名は英雄として、瞬く間に学院の男共の間に広まるだろう。

 彼の名はゴミムシとして、瞬く間に学院の女性達の間に広まるだろう。

 槌納が敬礼をして、しばらくすると、左頬に鈍い痛みが生じた。彼はそれを一瞬遅れて実感する。

 確認すると、どうやら紅玉の右の拳が突き刺さっているようだ。

 だが、それでも槌納は表情を崩さずに思った。

(ああ、俺、生きているんだな。今日まで生きていて良かったよ)

 彼が思考している間にも、当然の如く時間は刻々と過ぎていく。

 槌納が気づくと、左側の頬には拳が、右側の頬には木で作られた床が押し当てられている、といった奇妙な状態になっていた。彼は何とか周りを見ると、視界が傾いている。しかし、その視線の先にいる男子たちは、槌納に向けた敬礼を崩す様子はない。

(俺は示すことが出来たのか……)

 満足した直後、

 バギバギッ

 床が破壊される鈍い音と共に、槌納がその中にめり込む。

 見たところ、頭が床に突き刺さっている様子。

 ズボッ、と紅玉は床から拳を抜き出した。

「もう手加減は一切しませんから。貴方を灰にするまで焼き尽くします。どうかそれまで、五体満足でいてください」

 穴に埋まる槌納を見つめ、侮蔑の表情を作り、冷ややかな言葉をかける紅玉。

 その後、資料を手に取り、彼女はスタスタと立ち去っていった。

 傍らの陽はと言うと――

 テーブルに突っ伏して、何やらプルプルと震えている。

 彼は下を向いて吹き出すことを必死に堪えているようだ。

(もしかして、こいつってめちゃくちゃ面白いんじゃないか?)

 槌納に降りかかった災難など考えもせず、目の前の惨状を楽しんでいるようだ。

(ここに来て、今までとは全く違うこいつが見れて凄く楽しい、というか、ほんとにいつこんなバカになったんだよ……)

 陽は顔を上げ、ふぅと息を吐き呼吸を整える。

(いや、でも、この二人は面白い関係になっていきそうだな……。研究とは別に観察が必要そうだ)

 これを聞けば、誰もが「本当に相棒なのか?」と疑問を浮かべるようなこと考える陽。

 こうして、二人の食堂での初めての昼食は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る