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 人間や動植物が存在する層を第一層と言い、神や悪魔などが存在する層を第三層と言う。丁度その中間に、人間には知る由も無い層、第二層が存在する。これらの層は時間や肉体の老化、存在する節理が異なる。だが、第一層に存在する節理は第二層に存在し、もちろん第二層に存在する節理は第三層にも現存する。

かつて世界は第一層と第三層のみであり、その距離は近く、互いに干渉しあうことが度々あった。現在、世界各地に神話なるものが残るのはそのためである。しかし、何によってかそれらの距離は離れ、それを危惧した第三層の住人たちが、層を繋ぎ止め干渉を可能とする層――第二層が作られた――。

とある男は招待状に同封されていた書類に書いてあるナオスの様々な情報をインプットする。しかし、気づけば男の周りの風景はガラリと変化していた。

どうやら転送は終了したようだ。

おもむろに後ろを振り返った男の目の前には、巨大な正門が構えている。

更には、目の前にはだだっ広い空が広がり、複数の建物が点在している。

魔道研究都市ナオス

 第三層内に存在する神によって作られた領域。そこには第二層が生成される以前、神々に認められた人間の生まれ変わりが住む。教師は存在せず、生徒たちが個人で研究し、それを他の生徒に講義するといった風変わりな学術都市でもある。

「とりあえず、目標はトップとることだよなぁ」

 男は腕組みをし、それが意味することを分かっているのだろうか、無邪気な笑みで言う。

さんさんと朝日が照らし、爽やかな春風が吹く。その中の荘厳なつくりをした校舎を目の前に、他の生徒は見かけたことのない二人組がいた。

 日本人と思しき、二人の青年。

 周りの生徒は彼らを横目に立ち止まらずに歩いていく。

「お前はもう少し場所を考えるべきだと思う」

 もう片方の青年が半眼になり、刺すような視線を向ける。

 二人の会話を聞き取った生徒達は、呆れたような顔をするものもいれば、笑いをこらえているものもいる。どうやら、周りの生徒には、来たばかりで無謀なことを言う変な新入りとでも思われたようだ。

「……俺の恥ずかしい独り言を聞いていたのか、世鷲せいしゅう

「全くお前はいつも声が大きいんだよ。というか、周りの生徒の反応を見たほうがいい」

「思わず本心が漏れちまったんだから仕方ないだろ」

「まあ、正直で高みを見据えられる所が槌納大地いぬいだいちのいい所だし、だからこそ、お前と組んでいるようなものだからね」

「わかってんじゃんか。流石は相棒よ」

「幼馴染なんだから当然だろ」

 二人は向き合い、拳を重ねた。

 それまでは何気ない日常だったのだが、どうやら非日常というものは容易く起こるらしい。

 突如風が吹き荒れた。各々の生徒たちは踏ん張ったり、スカートを抑えたりと対策をとれば簡単に突破できるイベントだ。

「きゃぁああああああっ!」

 槌納は正義感からか、その悲鳴にいち早く反応し、突風の中を切り裂くように走った。これが、槌納の大きな過ちだった。

 槌納が少し走ると、正門からかなり離れた校舎裏に辿り着いた。

 声の主は、東洋人であろう端正な顔つきに艶のある長く黒い髪、制服を着ていても分かるほど豊満な胸を持った美少女だ。少女は大地の存在に気付くと、

「こんなはしたない姿を見ないでください! お願いですから、顔を隠してください!」

 少女は重要な書類を抱えている為か、スカートを抑えずに紙の束が飛ばされない事を優先しているようだ。また、美しい曲線を描く脚部を覆うストッキング越しに見えるショーツは清楚な雰囲気からは想像もつかない程せくしぃなものだ‼

 その光景を見た槌納は、一度思考停止状態に陥るも、はっ、と意識を取り戻し慌てて顔を両手で隠した。

 遅れて駆け付けた相棒――みなみは、その現場を発見し、槌納の姿を見た直後フリーズした。

 ようやく風が収まったところで、少女が槌納の方を一瞥すると、顔を湯気が出るほど紅潮させ、肩をわなわなと震わせ、目じりに涙を滲ませる。

「見ないで下さいとあれだけ言ったではないですか! なんで、そんな分かるくらいしっかりと見ているのですか⁈」

 少女の目線の先には確かに顔を手で隠してはいるが、指をはち切れんばかりに広げて、彼女を凝視する変態の姿が……!

 変態は、一瞬少女が何を口にしているのか理解不能だったのだが、自分の脳裏に顔を隠した後の映像が鮮明に記憶されていることに気づく。自分の手に視線を落とすと、本人ですら痛みを感じるほど指の隙間が開いている。鼻に違和感を覚え、変態が手を添えると、手に鮮やかな紅がついていた。

「あははは……いや、これは……そのー……あれだっ! 顔は隠してたんだ!」

「確かに顔は隠していましたけど! 常識的には目を隠すべきではないですか⁈」

 変態の必死の弁明も、少女にとっては無意味だ。少女はじりじりと距離をつめてくる。

「まず、言い訳よりも言うことがあるのでは⁈」

「そのー、なんだ……いいと思うぞ? やはり気持ちを変えるには隠れた所からと言うしな!」

「――――――――――ッ!」

 変態がぎこちなく笑ったところで――

 無言で少女は腰を深く落とし、左腕に力を込め、変態への制裁を放った。

ドスッ!

 主に変態の腹部――詳細に言うとすれば肝臓周辺から――鈍い音が炸裂した。

「うぉ――ッ」

 情けない声をもらし、変態が下に目線を移動させると、少女の拳が一般的には鍛えづらいと言われる肝臓周辺に数センチもめり込んでいる。だが、変態は普通以上にかなり鍛えこんでいるらしく、その一撃に辛うじて反応し何とか踏みとどまる。

「清楚系がリバーブローってどーなんだよ! ギャップ萌え狙いなのか⁈ いや、萌えねぇよ! 只々痛みを感じる程度だぞ! さっきの恥じらいは何処に行ったんだよぉ!」

 我に返ったのか、少女は異常な速度で態勢を整え、少しだけ顔を赤らめ、

「いやぁ……その……以前少しだけボクシング観戦に興味を持った時期があり――って違います! わたくしの話ではないのです! あーやーまーれと言っているのですよ⁈ 貴方は単細胞生物でいらっしゃるのですか⁈ そうなのですね! そうに決まっています!」

 悲しいかな、どうやら少女の中では変態の頭の構造はゾウリムシと同じレベルと解釈されてしまったらしい。

 変態は心中で、ぐすん、と男涙をこぼす。だが、彼女からすると、変態がそんな気持ちであるとは知る由も無く、更に距離を詰める。遂には変態の顎と少女の瞳が数センチという所まで接近した。

「今度こそ、貴方に言わせますよ! さぁさぁ!」

 体温を感じるほどの距離、ふんわりとした花のような香水の香りが漂ってくる。女の子に耐性がないのか、クラッときそうになるのだが、変態は持てる限りの理性を総動員し、なんとか少女と目を合わせる。だが、そのすぐ下にはかなり大きな実が熟れていた。目を奪われ、更には言葉も奪われた末に絞り出した愚言は、

「――大きくて、いいものを持っていますね。」

「へ?」

 予想外の発言に少しの間ポカンとする。彼の発する言葉の意味を理解する機能を少女は持ち合わせてはいなかった。しかし、変態の視線の先にあるモノを把握した途端に……、

 プツンッ

 少女の頭の中で軽快な音を鳴らし、何かが切れる感覚があった。

「消え去れぇええええええ! 変態――――――――ッ!」

 少女渾身の上段回し蹴りが変態の延髄まで響いた。

 幸か不幸か、変態は動体視力が並外れている。避けようと思えば造作もないことなのだが、並外れた能力は時に人を狂わすようだ。なんのことない、変態はスカートの奥に広がる宇宙を見てしまう。そして、変態は痛みよりも男であることを優先する。

 結局変態は、防御することなく、甘んじて蹴りを受け入れた。

 目に映る皺の隅々まで、脳内に焼き付けた変態は終に、

「ありがとうございまぁあああああああす!」

 と他人から見ればドMと捉えられてしまうような不可解な返答をし、見事な螺旋回転を描きながら数メートル宙に舞った。

 気づいた頃には少女の姿は無かった。

 一連の流れを終え、陽はようやくフリーズ状態から解放される。直ぐに駆けつけた陽はゴミのように転がる変態を立たせる。

「せめて見ていないふりとかできないのか君は? え? 大地くん」

「俺の底に眠る男がそうさせなかったんだ」

 即答だった。

 そんな堂々と返せる槌納に対し、陽は敬意すら持ってしまったのだが、

「それにしても、知らない女性に対して言ったらダメなワードランキング上位の言葉をよく言えるなぁお前は。しかも雰囲気的に、謝れば今ほどの痛手は受けなかったはずだよ」

「女性慣れしていない俺があんなに急接近されて、しかもあんな男の夢がつまったものを見せつけられて正常な判断ができるはずもないだろう?」

「よくあんな状況の自分をこんなにも冷静に分析できるなぁお前は! それはさっき発揮すべきだっただろ⁈」

 必死な陽の突っ込みは槌納の心に届かないのか、彼は続ける。

「いやー、それにしても神様っているんだなぁ。あんなテンプレ展開を俺に与えてくれるなんて……。いやはや、生きていてよかったなー!」

「お前は勘違いをしているぞ⁈ 確かに途中まではテンプレ展開だったかもしれないけど、明らかにお前が方向性を壊したよね! そこんとこ理解してる⁈」

「やはり俺にはテンプレ展開を避けられるはずもないんだよなぁ。本当にいいもの見せてもらったよ。あ、そういえばここには当然【脳内情報印刷機イメージプリンター】あるよな? 額に飾って保管しておかなければ!」

「無駄なところに科学技術とルビを使わないでくれるかな! いつからお前はそんなにダメになったんだよ――ッ」

これが自分の相棒であることに苦渋を嚙み締めた。そして、数秒間に渡る大きなため息をつく。

「正直すぎるのも大概にしないとかもしれないなぁ」

 陽はそうぼやくと、槌納との一連の会話を思い返し落胆した。

「あんなに熱くていい男でも、童貞をこじらせるとあそこまでいかれるんだな」

 今後の学園生活に多少なり不安を抱えつつも、槌納は一人で勝手に何かを解決したようですたすたと歩き始めた。それを追うようにその場を後にし、校舎へ向かう陽であった。


 この日、二人の天才が学院の門を叩いた。

 二人の目指す先には、人智を超えた戦いが待ち受けている――。

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