ジェンガとチューリップ
『ギーク』
その人のSNSの名前だった。変な響きだと思った。何を気づかれてギクッとしたのか、そしてそのままギークになってしまったのか。絶対そんなことじゃないというものわかっているけれど。
アイコンもなんだか変わっていた。正面から雄鶏がこちらを見ている。なんとなくギターを想像していた。黒いレスポールサック。けれど、正面から雄鶏を見たことがなかったので、なんとなく不気味だった。私はアイコンをタップする。
10:45am
『半分どこに行った』
『月が半分だ』
……………
『もともとなかった気がする』
『頭のネジ』
コメントがある。
@@@『それゴミ箱に捨てておいた』
→『ご親切にどうも。回収を願います』
頬杖をついて見ていく。私の生活を見てくださいとか、顔を出して「雰囲気」とか、承認欲求を満たそうとしているわけでもない。いや、そんなことはどうでもいいか。何が一番大事かといえば、私が閉じずに過去を見ていることだ。共感できるものを探していた。
『落ちた花びらを一枚ずつ数えたい』
『散っている方が断然いい』
『桜の咲き始めにみんな盛り上がっている』
なるほど、さようですか。
ーーーーーーーー
「ギークって何?」
「あんまりいい響きに聞こえないなぁ」
「おんなじこと思った」
クリームソーダを飲みながら、友人は言う。上に乗ったアイスクリームを一口くれる、優しい友人だ。この人こそ、アイコンを黒いレスポールサックにしている。多少弾けると聞いたが、見たことはない。
スマートフォンを操作して検索してくれる。
「ネットの知識が豊富な人だって」
「オタクってこと?」
「プログラマーっぽいんじゃない?」
もう一度、SNSを開いて『ギーク』を見ている。
「これこれ」
「どれどれ」
11:23am
『誰だ』
『インターフォンの連打が怖い』
「いや、見て来いよ」
友人の即座に出た言葉に、思わずうなずく。
「変だね」
「変でしょ」
またクリームソーダを飲み始めた友人は、興味をなくしたようだ。
11:26am
『あいつ、口ばし怖い』
『雄鶏かよ』
「インターフォン、雄鶏の連打だったみたい」
「まだ見てんの?ネタにしてもセンスないわ」
そのまま、卓上の呼び出しボタンを押す友人に、この人の指の代わりに雄鶏がギークさんの家のボタンを押したんだなぁとぼんやり思った。「変なの」と口に出ていた。
ーーーーーーー
別れ際、友人が言う。
「毎回おごってくれるけどさ」
「ハイハイ」
「なんかいるものある?」
「別に要らないけど」
強いて言うなら、早くギターを弾いてくれ。
笑顔で手を振る。友人は駅のほうへ向かった。私は近所の花屋さんを目指した。なんてことない趣味だ。そろそろ春の花を飾りたくなったのだ。チューリップでも、スイートピーでも、玄関に飾りたい。
「何にいたしますか?」
「じゃあ……チューリップをお願いします」
花屋さんはにっこりとして、バケツから1本のチューリップを取り出し、茎を切った。
14:38pm
『金の切れ目が縁の切れ目』
ジョキン、と景気のいいほどの切れ味だった。背筋が凍る。けれど、今はチューリップを買っているだけで、金も縁も、関係ない。
(毎回おごってくれるけどさ)
関係ない。ギートの発言と今の私は関係ない。
私は、友人との話が好きだ。共有している時間が好きだ。だから、ありがとうと払わせてもらう。それで十分じゃないか、十分に成立している。
でも、なんか言い訳くさい。なんでただの友人にそんな言い訳がましいことを思っているんだ。
「はい、お待ちどうさま」
「あ、りがとうございます」
しおれる前に、家に帰ろう。足早に帰路に着く。追いかけられている気分だけれど、私に逃げ場はないのは知っている。
私は面白くない。お金がない私はきっと、あのチョコレートの紙切れよりも、価値がない。なんだそれ、友人が作った論文を、そんなふうに思っていたのか。酷いやつだ。
ーーーーーーー
「じゃあ、好きな友人と付き合ったらいいじゃない」
「こんな卑屈な私と?」
「卑屈になる場所にいるからです。チョコレートとコーヒーにかまけて、ギターを弾かないんでしょ?あなたが欲しいのは、文字よりも音なのに。音を聞かせてくれる友人と付き合いなさいよ」
「簡単に言うけれど、君はただのチューリップじゃん」
花瓶に飾った赤い花弁のチューリップ相手に、私はひとりで呟いていた。あー、と大の字で畳に寝転がる。
やっぱり、お金は怖い。引くに引けなくなる。友人も今日気にしているような口ぶりだった。だったら次回から、というのはなんとも変な気分だ。始めた以上、やっぱり縁の切れ目になるだろう、という気がする。そういう引け目がある。私は、釣り合わせるためにお金を払っている。
「友達がほしい」
8:02pm
『友達』
『ほしい』
ーーーーーーーー
「こんばんは、初めまして。まず、友達がほしいという発言がありましたが、なぜそう思ったのですか?ここではそういう雰囲気出してなかったですよね。急にどうしてそう思ったのですか?」
送信した後に、気づく。
「フォロー外から、失礼します」
繋がってすらいなかった。私はホーム画面に戻り、おそるおそるボタンを押す。そして文章を読みなおして、崩れ落ちた。ガタン、と花瓶が揺れる。
消そう。見られる前に消そう。送った手前、消しずらいがそれでも撤退をする。
8:08pm
『夜分にどうも』
返事が、きてしまった。こういう時は、どうする。
「どうも」
多分違うが、それが無難な気がした。多分違うが。
『鶏にだって、友人が欲しくなる時もあります』
鶏だったのか。ギークって、ニワトリだったのか。どうしよう、とりあえずそっとブロックして欲しい。
『1人ジェンガに飽きたので』
「ジェンガですか」
『はい』
思わず食いついたが、そこで止まってしまった。ジェンガって、積み木だと思う。ひとりで遊べるけれど、確かに作業のような訓練になりそうだ。崩れても真顔で黙って積み上げていく姿が目に浮かぶ。浮かんだと言っても、決して鶏頭ではなく、私の顔だった。
8:16pm
「いいですね、1人ジェンガ。私もやってみようかな」
『煽ってますか?』
間違えた。
「友達とできたら、もっと楽しいでしょうね」
『煽ってますか?』
「煽ってません」
例えば、私がジェンガを用意する。そこにあの友人は、いるだろうか。私には想像できなかった。でもそれを、この人に伝えるのも変な話だ。
「ジェンガを買ったきっかけはなんだったんですか?」
『好きだからですが』
そうだ、その通りだ。でもこの人は友達を作れるタイプだろうか。いや待て、これは私が悪いのか。聞き方話し方、全部間違えているのではないか。ここは多分「一緒にジェンガしてみたいです」が正解だろう。そうすれば、なんとなく円満に繋がる気がする。けれどそんな出会いを求めているようには見られたくない。でもそうなれば今の行動は、初めからおかしい気がする。
「実は、私も友達がほしくて」
『ジェンガのですか?』
「ジェンガは今の話の流れで、普通の、コーヒーについて話せる友達とかが、ほしくて」
止まった。流れが完全に止まった。でもスッキリした。晴れて、気持ちを世間に伝えられたのだ。私はギターの音も、コーヒーの味も好きだった。肩肘はらない、友人が欲しかった。
8:32pm
『こういうことですか?』
カカオとコーヒーの分布図の画像が貼られていた。
「どういうことですか?」
『生産地によってカカオもコーヒーも味が違いますが』
「それは知ってます」
まさか、ご存知ない?という雰囲気に飲まれそうになったがそうじゃない。
『ジェンガできる間柄ではないので、生産地から話した方がいいと思ったのですが』
少し考えた。とりあえず、
「そうしてみましょうか」
やってみないと分からないことの方が、多い。
8:55pm
『じゃあ、友人に貢ぐのをやめたらどうですか』
「やっぱりそう思いますよね」
『わかっていたなら、出過ぎた話でしたね』
「そういうつもりで言ってないので気にしないでください」
友達とは、難しい。なんというか、不向きだ。
「共存したいんです。人間の中で、ひとりぽっちにならないように」
『ですが、貢いでいるのはただの依存ですよ』
「確かにそうですね。盲点です」
盲点では無い。見て見ぬふりをしていただけだ。
「ご相談に乗っていただきありがとうございます」
『いいように使われましたね。それでは』
9:31pm
『ジェンガいつしますか』
「いつにしましょうか」
変なの。でも、そんなこともあるかもしれない。この人とは、共存できそうだ、と思えた。変なの。
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