地獄で砂を吐く

 僕が助かるはずがないと思った話をしようと思う。


 僕の住む家は、山の麓にあった。

 山へ近づけば、小さな公園がある。その先には石段があり、さらに森の奥に続いていく。

 僕は一時期、あの森の夢ばかり見ていた。何度も毎日のように見ていたから、夢の中では連続して続く日々になっていた。

 森の中に集落がある。フリーマーケットと言うには小さすぎる、民族的な場所で、僕はよく服を見ていた。買うかではなく、柄を見て、あぁこういうのもあるんだ、と思う程度だった。

 ある時、森に入る手前で、銀に光る鹿を見た。あれはまごうことなき、鹿だった。馬であってほしかったのは、完全に別件なので置いておくが、僕は急いで鹿を追いかけた。先には、だだっ広い山の開けた、川と大地が息をしていた。それはきっとオアシスで、僕はとんでもないところに来れたんだと、心から思った。

 目が覚めて、僕は鹿を見た場所へと向かう。

 もちろん、木しかなかった。なんの、一欠片も、夢なんてなかった。

 僕の脳は、夢と現実両方に基盤を置いていたから、なんとも言えないのだ。夢は現実世界の記憶の整理だ、と言われるらしいが、僕は就職先が決まっても永遠に学生を続ける身であったし、上司に真っ当すぎることも言われているし、いつ何時も崩れ落ちる恋愛をしていて、正直どちらなのかわからなくなる。倒れたのは記憶の中なのか、叱られたのは現実なのか、僕が考えていることが、どこへ発信されていることなのか、わからない。分からないままでもいいと思う。そして僕はかなり酷いやつだ。ただ一つだけ、決して夢とは言いきれない、記憶がある。


 友人の死を、まだ夢と現実の区別がついていた時に体験した。小学生の風呂での事故を、おそらく一生忘れない。

 その友人が、夢に出てきた時は、驚いた。僕はもう成人した姿だったが、友人は高校生ほどに成長していた。笑った顔は、幼き頃と変わらず、僕は本当に彼が生き返ったのだと思った。

「僕は、木の精霊になるんだ」

 日焼けした彼は言う。

「人間に戻らないのかい」

「僕は木の精霊になるために弟子入りしたんだ。こちらが師匠だよ」

 そう言って紹介されたのは、ウロが目立つ大木だった。

 なかなか迫力のある姿だったが、彼がそれで幸せならと納得した。人間であることが全てじゃない。僕だって、そうだ。

 そして、僕は妖たちの波に揉まれて、うっかり夕暮れまでに家へ帰れず、見覚えのない鳥居の前で旧正月を迎えることになる。着物を羽織った鯛が喋った。

「遅くはなったが、これから我々の正月を迎えようじゃないか」

 これは夢だが、夢ではないと思った。早く帰らなければならないと思うが、鯛の話は長く、帰るタイミングが掴めない。そこで、カエルのような姿の妖が言った。

「おい人間。お前はあの友人が、人間に戻らなくて満足なのか?」

 冷やかしなのはわかっていたが、ここでのルールを知らなかった僕は、丁寧に答えた。

「もちろん、人間として再会したいが、」今の彼が幸せならなんでもいいさ。

 と続ける前に、落雷があった。まっすぐ、友人の膝に落ちたのだ。悲鳴と、友人の周りから妖が引いた。僕は急いで駆け寄った。

「ごめん!!僕の不注意だ。言霊とはこういうものだと知らなかったんだ。僕は君が幸せならいいんだ。動けるかい、ああごめんよ」

 友人は苦しそうだった。あの顔も、絶対に忘れない。騒ぎは瞬時に広がり、僕は烏天狗に槍で囲まれていた。

 帰ろう。帰らなければ。

 僕は家に続く、山への坂を目指す。鳥居を潜ると、ひとつ小さい鳥居があった。さらに潜り、潜り、潜り、天狗に斬られて、目が覚めた。

 汗が止まらない。僕は急いで両親の部屋へ向かった。2人とも安眠していて、僕はとりあえず息をする。

 寝たら、同じ場所に着く。せめて違う楽しい場所に変えよう。あの森がいい。あの集落で、鹿と、服と、いちごと、

「い、ち、ご」

 パソコン画面に文字が落下していった。冷や汗が出る。僕は、真っ暗な部屋の中で、ローラーの着いた椅子に括り付けられていた。天井からはいくつもの札と縄が吊るされており、僕が楽しくなれるよう連想した言葉が、パソコン画面に落ちていく。

 逃げられなかった。僕は今から、地獄へ行くんだ。滅多打ちにされる、地獄へ進んでいくんだ。

 ケケケ、と笑い声が聞こえて、奇妙な二足歩行体が、僕を椅子ごと移動させていく。確かに僕の家の作りだったが、出入口の引き戸はボロボロで、赤文字でなにか書かれた札が何枚も貼られていた。お構い無しに、ガラリと開かれた外は、黄色と赤の世界だった。

 椅子から立つよう促され、僕は白い布を顔に垂らした背の高いモノに引き渡された。1歩家から外へ出ると、さらりと口から砂が溢れ出てきた。

 吐き気などない。ただ、砂が吐き出されて、喉が渇くし口は気持ち悪い。サラサラ吐き出しながら、僕はゆっくりと世界を歩く。

 僕の犯した罪を、咎める場所へ行くそうだ。暑くも寒くもない、ただ妖しかいない場所で、僕は連れ回される。閻魔様とやらに会うのだろうか。あぁもしこれが夢ならば、記憶の整理ならば、僕の知っているキャラクターがいるに違いない。しかし、一瞬で希望は砕かれた。3人のスーツを着た男が、高いところから事情聴取している姿が見える。座布団の上で、事細かに状況を説明しているのは、きっと現世を生きた人達なのだろう。

 だが僕は通り過ぎた。僕の罪は、そんなものじゃないらしい。

「ぬ」という文字が、大量に貼られた柱に、多種多様の妖が集まっている。ぬとはなにか。気になりつつ、ふと見れば見覚えのある烏の羽がいくつも見えた。僕は今罪人として歩いているが、これはまた騒ぎが起こる、と思った時、数人の青い肌の女性が僕を引っ張った。僕は、赤と黄色の隅へ隠される。

「あなたは何も悪いことをしていないんでしょう?」

 縄を切りながら、腕の太い女性は言う。

「友人思いの人が、こんな所に居てはだめよ」

 そう言って突き飛ばされて、僕は飛び起きた。

 全く以上はない。ただ、次寝たら、僕はこの世にはいないだろう。3回までだ。ストンと落ちた思考だった。

 そう思って、母を起こす。

「僕は死ぬかもしれない」

「何言ってるの」

 母は寝ぼけながらも、僕の言葉を聞いていた。死とは、恐怖より絶望なのだと知った。どうすることも出来ない。

「本当にありがとう」

「いいから、おやすみなさい」

「うん」

 僕はまた床に就く。

 もう逃げられない。寝ないということは許されない。僕は判決を受けることにした。

 眠りについた時、僕は穏やかに迎え入れられた。ずっと僕を連れ回していた布のモノだ。また腕を後ろに縛られて歩く。砂は吐き出し終えた。口を清めたい。

 赤と黄色の中を歩いていけば、布を顔につけた似た姿ではあるが、烏帽子を被った者がいた。服はなかなかに上等で、位が高いのだとわかる。何かよく分からない言語が飛び交ったあと、僕は烏帽子に引き取られた。

「口を濯いで」

 そう言われて、差し出された湧き水をいただく。急にスッキリして、何故か体も軽くなった。

「こちらの手違いだったよ」

 縄に繋がれたまま、僕は言葉を聞いていた。なぜ繋がれたままかとも思ったが、ここで自由に動き回るのは不都合だからだとも思った。僕なら不都合に思う。口がスッキリしたから、言うことなんてない。

「君の友人なら元気にしてるよ。随分疲れたろう。君はあの世に戻らないといけないから、今から検査しよう」

 そう言って通されたのは、酷く未来的な病院のような場所だった。縄は解かれ、金属で作られたロボット式のナースが僕についてくる。突然、別の次元へ放り込まれた気分だった。僕は真っ白い場所で、身長、体重、歯の検査をされる。銀色ののっぺらぼうは、何を見ているんだろう。こちらの方が怖かった。

 僕は正しく現実へと戻れるのか、検査に支障はないか心配で堪らなかった。縄に繋がれてた時よりも恐ろしい。体を洗い、白い衣に着替えたら、ナースが手を振った。もうここには来なくていい、というふうに思えた。僕はドキドキしていたが、落下する感覚がある。

 目が覚めた。

 僕は、生きていいらしい。

 無感動など、とんでもなかった。顔を覆って、涙を流した。とんでもない。言葉のあやが、僕の生死を揺らした。ただ、事実だけが流れ込んできて、切なくて泣いた。喜びよりも、生きてていいのかと泣いた。

 僕は最低な人間だ。母に話をして、お坊様と連絡を取る。ただ、説法があり、それだけで落ち着きはしなかった。そのままの足で、友人の両親の家を訪ねた。友人に手を合わせて、本当に申し訳なかった、と頭を下げて、人間の方へ、事の経緯を話す。

「そう、そうなのね。不思議な夢ね」

 奥さんと話しているうちに、彼女は泣き出した。話さなければよかったと後悔した。夢であれ、自分の息子が人間をやめたと聞けば、そうなるだろう。僕は学んでなどいなかった。

「小説が書けるじゃない。あなた書くの好きだったでしょう?卒業文集、小説だったものね」

 僕は、なんとも言えなかった。濁して笑った。今こうして書いているのだから、もう言い訳も出来ないが、僕は躊躇ったのだ。

 あれは間違いなく現実だった。

 夢という名の狭間にいた。

 僕は死ぬ予定だった。

 友人の弁解で生きていいとなった。

 それを書いていいのか、わからなかった。

 僕の夢現、というのとは違う。くっきり、はっきりした世界に、また行き当たるのではないかと思っている。


 これが、僕が助かるはずがないと思った話だ。

 今も夢なのか現実なのか分からない。ただ、僕はここで生きているというメッセージを残す。

 もう眠いので、僕は就寝することにしよう。

 おやすみ。

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