第28話 優しさとの葛藤

 オレとセイラは一緒に一頭の馬に乗って、街道を西へ、フルフの町へ向かうことにした。


 この馬は先程戦った盗賊の男が乗っていたやつだ。

 その馬にセイラを乗せ、その後ろにオレが乗り、手綱はオレが握っている。

 リオは、オレでなく、まだセイラの肩の上だ。


 ファムやラヴィたちとの戦闘後、馬に乗って移動し始めてからしばらく経つが、セイラは一言も言葉を発していない。ただ黙って前方を見つめている。


 後悔しているのだろうか、オレのした選択に。

 それとも、怒っているのだろうか。


 なんとなく怖くて、オレもセイラになかなか話しかけることができずにいた。


『なんか、空気が重いね』


 リオがオレに念話でそう話しかけてきた。


『もしかして、トーヤは後悔しているの?』

『……分からない。リオは、あれでよかったと思うか?』

『トーヤがそうしたいと思ったなら、ボクはそれでいいと思うよ』

『セイラは……どう思っているんだろう』

『セイラは、トーヤに任せると言ったんだ。大丈夫だと思うよ』

『……だといいが』


 見上げた空は、いつの間にか鮮やかなオレンジ色に染まっていた。

 もうすぐ太陽が沈む。

 そろそろ今夜の野営地を決めないといけない。


 そう思っていたとき、セイラが前方を指さし、オレに声をかけてきた。


「トーヤ様。今夜の野営地は、あの辺りではいかがでしょう?」


 ようやく話をしてくれたセイラに少し安堵しながら、オレは彼女が指さすほうに視線を向けた。


 そこは数本の木が生えている場所で、地面には背の低い草が生えている。

 その他の石がごろごろしている場所に比べれば、幾分居心地が良さそうだ。


「ええ、そうしましょう」


 オレは彼女の提案に同意して、その場所に馬を向けた。


 ◇


 食事は、街道に出るまでにオレ達が歩いていた、あの森の中で捕獲した食材たちを焼いて食べた。


 そういえば、ここ数日はそんな肉を焼いたものしか食べていない気がする。

 オレはそれで全然構わないのだが、セイラはどうだろう。

 さすがに飽きてきてしまっているのかもしれない。

 もちろん他に食材は無いので、そこは我慢してもらうしかないのだが。


 当のセイラは、食事中もほとんどしゃべらなかった。

 焼いた肉を手渡したときに、「ありがとうございます」と言ったくらいだ。


 食事が終わった今も、何か考えているように、じっとたき火の炎を眺めている。


 く、空気が、重い……


 リオじゃないが、やはりこれはどうにかしておきたい。

 フルフの町まではもう一日、もしくは二日ほどあるのだから。


 リオはこの雰囲気から逃げるかのように、食事の前に木の枝の方へ退避している。

 オレは、意を決してセイラに話しかけてみることにした。


「セイラさん、飲み水はいかがですか?」

「……え? あ、ありがとうございます」


 そう言ってセイラはオレから水筒を受け取ると、水を一口飲み、そしてまた炎を見つめ始めた。


 か、会話が続かない。

 何を話せば……


 思いつくことは、確かに色々ある。聞きたいことだってある。

 ファムとラヴィのこと。侍女たちやハンター達のこと。

 特に何故キアとセイラが入れ替わっていたのか。

 《いかづちの宝珠》のこと。

 そして、フルフの町に着いてからのこと。


 だが、どれも今のこの雰囲気の中で聞く内容じゃない気がする。

 じゃあ、どうする?


 もっと差しさわりのない内容の話題から行くべきか?

 例えばなんだろう。


 食事は肉ばかりで飽きませんか、とか?

 明日の朝食はどうしましょうか、とか?

 明日も晴れるといいですね、とか?

 馬に乗っての移動はお尻が痛くなりますね、とか?

 約束していたマッサージをお願いできますか、とか?


 ……バカか、オレは!


 特に最後のは、ありえないだろう。

 こんなときに何考えているんだオレは。


「トーヤ様」

「は、はい。す……いえ、なんでしょう?」


 いきなり声をかけてきたセイラに、ヘンなことを考えていたのがバレたかとオレは思わず謝りかけて、慌てて言葉を飲み込んだ。


 だが、セイラはにっこり微笑んで、こう言ったんだ。


「お約束していたマッサージを、させていただいてもよろしいでしょうか?」


 ――エスパーか!?

 いや、セイラという名前だけに、やはりニュータイプなのか!?


 オレが考えていたこととセイラのセリフがあまりにも同調していた偶然に少々驚き、思わずヘンな突っ込みを心の中で入れてしまった。その間に、セイラ本人はオレの前まで来ていた。


 炎の明かりで浮かび上がるセイラの顔には笑顔があった。

 だが、オレには何故かそれが心からの笑みには思えなかった。


「いえ、今日はセイラさんもお疲れでしょう。私のことは大丈夫ですから、もうお休みください。火の番は、私がしておきますので」

「そう言って、昨晩も一晩中、トーヤ様は起きていらしたのでしょう? それではトーヤ様の体が持ちません。せめて、疲れを少しでも取るためのお手伝いをさせてくださいませ」

「いえ、あの、本当に大丈夫ですから……」


 オレは少々焦ってきた。

 セイラは、昼間マッサージを言い出した時もそうだが、頑固なところがあるというか、押しが強いというか……


 それに、どういうつもりなのだろう?

 先程までは考え込んでいたというか、思い悩んでいたというか、口数も少なかったというのに、急にこんなことを言い出してくるなんて。


 何を考えているのだろう……?


「ささ、背を上にして、横になってくださいませ。昼間約束していただいたのです。今さら反故になんてできませんからね」


 オレは観念して、セイラの言う通りにすることにした。


 大丈夫。

 それでなど起こらない。起こりようがない。

 だって、オレは紳士であるのだから。うん。……たぶん。


 結論から言えば、セイラのマッサージは彼女の言う通り上手だった。

 すごく気持ちがよかった。


 ……決して変な意味じゃないよ? ホントだよ?


 脹脛ふくらはぎ太腿ふとももなどの脚を重点的に、腰や背中、腕などもしてもらった。ただし、肩に関してはくすぐったいのでカンベンしてもらったが。


 月明りの下、草むらに寝そべって、年の近い若い女性にマッサージをしてもらえる日がオレの人生に訪れることになろうとは、夢にも思っていなかったよ。


 セイラの手が再び脹脛ふくらはぎに戻ってきて、やさしく丁寧にマッサージをしながら、オレに話し掛けてきた。


「トーヤ様……」

「はい?」

「……申し訳ございませんでした」


 オレは、セイラの謝罪の意味が分からず、閉じていた目を開いて横目で彼女を見上げた。


「何を、ですか?」

「……いろいろです。キアと偽っていたこと。宝珠のことを隠していたこと。そして、あの獣人の女性たちの処分について、あなたにお任せしてしまったこと……」


 先の二つはともかく、三つ目については違う。

 それはオレもだ。

 オレも、判断をセイラに押し付けようとした。


 そう言おうとしたが、セイラは話を続けていた。


「私は最初、彼女たちを許せないと思いました。宝珠を使い、彼女たちを懲らしめてやりたいと。キアとミラーナの仇を討ってやりたいと、そう思っておりました」


 でも、とセイラは静かにゆっくりとした口調で言葉を続ける。


「宝珠は私の願いを聞いてはくださいませんでした。代わりにトーヤ様が彼女たちを懲らしめてくださいました。私はこれで仇を討てると、そう思いました。ですが……」


 セイラは一旦言葉を区切った。

 オレの脹脛ふくらはぎをマッサージする手に、ほんの少しだけ力が強められたような気がした。


「ですが、あの兎人族の少女の涙を見た時、彼女の必死な姿を見た時、私は、私は……殺さないであげてほしい。助けてあげてほしい。そう思ってしまいました。仇を討てるとそう思っていながら! そう願っていながら!」


 徐々にセイラの声が大きくなる。

 それと同時にセイラの手の動きも止まった。


 だがそれは一時のこと。

 セイラは一度大きく息を吸い、そして再び静かに口を開いた。


「もちろんトーヤ様にとっても、お仲間のハンター達の仇であることは存じておりますし、私にとっても大切な友人でもあったキアとミラーナの仇でもあったのです。それなのに……それでも、私は思ってしまいました。助けてあげてほしい、と……」


 セイラの手がオレの脹脛ふくらはぎから離れる。

 そして、腰を浮かせていた彼女は座り込んだ。


「ですから、トーヤ様は私に問うたのでしょう? 殺すのか、殺さないのか。許すのか、許さないのか。私にどちらを望むのか、と。それなのに、私は答えを出せず、トーヤ様に委ねてしまいました。トーヤ様に押し付けてしまいました。本当に……本当に申し訳ございません」


 オレは体を起こし、彼女に向き合った。


 ――違う! 違う! 違う!


 オレは大きく首を横に振った。


「それは、違います。セイラさん。違うのです」


 俯いているセイラに向けて、オレは語り掛ける。


「悪いのはむしろ私のほうです。あの時、私も迷ったのです。最初は殺すべきだと思いました。そう思って戦いました。でも、あなたと同じように、あの子の涙に私も迷ってしまったのです。この子達を本当に殺してしまっていいのかと。だからあなたに判断を委ねようと思い、あなたに問うてしまったのです」


 オレは、セイラの手を取りながら言葉を続けた。


「申し訳ございませんでした。あなたがこんなに苦しんでしまうとは思わず、私はあなたに酷いことをしてしまいました」


 彼女の手を握るオレの手に力がこもる。


 彼女がゆっくりと顔を上げる。その目に溢れる涙。

 それが月明りとたき火の炎の揺らめきで、淡く光る雫となって彼女の頬を伝わる。


「あの子たちを、あの獣人たちをのは、私の判断です。仲間の仇と思いつつも、あなたにとっても大切な友人たちの仇と知りつつも、殺さずに許したのは、私が決めたことなのです。

 そして、あなたがあの子たちを殺さないでほしい、許してあげてほしいと願ったのは、それはあなたの優しさからくるものです。それは、決して悪いことではありません。むしろ人として、かけがえのない、尊いものなのだと私は思います。

 だから、どうかもう、苦しまないでください。これ以上、ご自分を責めないでください」


 セイラが目を閉じ、オレの言葉を聞いている。


 オレの言葉は、セイラの心に届くだろうか。

 オレの気持ちは、セイラの心に伝わるだろうか。

 この手の、温もりと共に。


 オレはこの世界に来て、何度も命のやり取りをした。


 人の命が非常に軽く考えられてしまうこの世界において、それでも、そのような世界の中にでも、確かに存在していたこの優しさは、とても脆く、儚く、でもだからこそ、かけがえのない貴重なものに思える。


 オレは、いつまでもその優しさをセイラに持ち続けていてほしいと、そう思ったんだ。



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