第23話 二人きりの夜

 結局オレは、目覚めたキアに、隊が全滅したことを告げることはできなかった。

 キアを助けようとして一緒に崖を落ちてしまい、それ以降の事は何も分からない、ということにした。


 実際、全滅したなんてどうやって知ったのかと問われると、リオの事を抜きにしてはうまく説明できる自信はなかったし、ここで落ち込まれてはこの後の行動が、ラカに戻るにしろ、フルフに行くにしろ、非常にやりにくくなってしまう。


 キアからは、みんなの状況が分からないのであればフルフの町に向かいたいと言われた。

 大事な用があるので、セイラ様は必ず向かうハズだからと。


 オレとしては、フルフの町に向かうことに異論はない。

 もう、ラカの町に戻りたい理由はないのだから。


「とりあえず、今夜はここで野宿になります。毛布なども取ってきてありますので、適当に使ってください」

「……はい。ありがとうございます」


 キアは決して弱音を吐かず、気丈に振る舞っているようだが、やはり元気がないように見える。

 無理もない話だろう。出発して二日で襲われ、崖下に落され、みんなの様子はよく分からず、自分は出会ったばかりの男と二人っきりで夜を過ごそうとしているのだから。


 ……ん? あれ? もしかして、オレ、警戒されている?


 そうかもしれない。

 いや、むしろ警戒するほうが普通か。

 これは、できるだけ安心できるよう、オレのほうがちゃんと振舞ってあげないといけないな。

 オレは紳士なんだから。うん。


 そう考えていたところへ、リオから念話で声を掛けられた。


『トーヤ。あっちのほうに小さい川があるみたいだよ。寝る前に水浴びでもしてもらったら? そのほうが彼女もさっぱりするでしょう』

『なるほど。そうだな』


 それはいい考えだと思い、オレはリオに教えられた通りにキアに伝えようとして、そこでハタと気付いた。


 ――あっぶねぇ。これはだろう。


 水浴びして来たらいかが、なんてこの状況で言ったらどうなる?

 滅茶苦茶警戒されるだろう!

 水浴びを覗かれるんじゃないかって。

 水浴びで服を脱がせてナニするつもりだって。


 これは、さらに警戒が強まること間違いなしの禁止ワードだ。

 絶対に言えない。

 言っちゃいけない。

 言ったら最後、即終了だ。


「……トーヤ様? どうかなさいましたか?」

「いいえ、別に。それより、お腹は空いていませんか? 大足兎の肉でよければありますが、少し焼きましょうか?」


 オレはリオの提案を却下して、別な話題を口にした。


 夕食はまだだったから、お腹が空いただろう。

 確か、まだ先日のヤツがリオの宝物庫にあるハズだ。


「まあ、大足兎なんてちょっと珍しいですわね」


 あれ? そうなのか?

 そういえばラカの町で食べた肉は豚肉だったり、鳥の肉だったりしたことが多かったな。


 そう思いながら、オレは自分のバッグから取り出すふりをして、リオの宝物庫からいくつか大足兎の肉の塊を取り出してもらった。


「……あ、あの、トーヤ様。多少余分なお水などはお持ちではないでしょうか?」

「ああ、ありますよ」


 オレはバッグから自分の水筒を取り出し、キアに渡した。

 水なら、リオがいるからいくらでも補充ができる。

 そういえば、水を出す魔法も覚えておいて損はないだろう。

 後でリオにコツを聞いておこうと思う。


「……あ、お水はこれだけしかないのですね」

「大丈夫ですよ。気にせずお飲みください」

「いえ、でも。その……」


 遠慮しているのだろうか?


 水を出す魔法を先に覚えておけばよかったかもしれない。

 そうすれば、ちゃんと水には困らないからと示してあげられたのに。

 今ここでリオに水を出してもらうわけにもいかないし。

 どうしよう?


「本当に大丈夫ですから。後で何処かで補充しようと思いますので」

「その、できれば、体を拭きたいと思いまして……。いえ、申し訳ございません。このような時に。水は大変貴重だというのに。我儘を申してしまいました。このくらい、我慢をしなくては。本当に申し訳ございません。どうぞお忘れください」


 ああ、そういうことか。

 それでは水筒の水じゃ足りないだろう。


 確かに今回は、馬車に飲み水以外にそのための水を積んでいると聞いた。

 若い女性なのだし、それも必需品だったのだろう。


 オレは反射的に、さっきリオから聞いたことを口にしていた。


「でしたら、あちらの方に小さな川があるようです。水浴びでもして来てはいかがでしょう。さっぱりすると思いますよ」

「え? 水浴び、ですか?」


 言ってから気付いた。


 ――しまった! これは禁止ワードだった。


 一日目のドン引きタイムが頭をよぎる。

 また引かれてしまってはたまらない。


「あ、いえ、決して変な意味では……その、無くですね。体を拭くより、そのほうがさっぱりするかと思った次第で。オレは、……いや、私はその……」

「……川があるのでしたら、確かに水浴びのほうが助かりますね」


 ……おや? セーフ?


「その、案内をお願いできますでしょうか?」

「は、はい」


 キアは荷物の中から着替えなどを取り出して、水浴びの準備を始めた。


『なんだ。結局行くんじゃん』

『……うるさい!』


 オレは考えすぎだったのだろうか。

 実は、キアはあまり気にしていないという事なんだろうか。

 それともオレが男と認識されていない、とか?

 いやいや、オレはキアより年上だろうから、それはないだろう。


 むしろ、キアがそういうことを意識するような年じゃまだない、とか?

 いやいや、流石にそれはないだろう。

 うーむ……


「トーヤ様?」

「は、はい」

「えっと、トーヤ様のほうの御準備はよろしいのでしょうか?」

「私の……準備?」

「……トーヤ様は水浴びはされないのでしょうか?」


 それは、まさか、一緒に……?


 いやいや。

 ないない。

 違う違う。


 これは、順番に交代で、という意味だろう。

 自分だけ水浴びするのは申し訳ないとか、そういう感じで。


 ……なんか、壊れてきてないか、オレ。

 よく考えてみたら、夜更けに母親以外の女性と、しかも若い女性と二人っきりというのは、人生初めて?


 いや、違う!

 ミリアがいる!

 たった一度だけど、これは初めてじゃない。


 そうだ。オレはもう童貞じゃないんだから。

 こんなことであたふたすることはない。


 男はどっしり構えて、男らしく、いつでも冷静でいればいい。

 そうだろ、オレ!


 オレはバッグの中から、自分の着替えとタオル代わりの布を取り出して、とばかりに、にっこりとキアに笑いかけた。


「では、行きましょうか」

「はい」


 キアもまた、にっこりと微笑みを返してくれた。


 ……余裕、ということなのだろうか。


 リオに教えてもらいながら、キアを案内した先に、岩場の間を流れる小さな川があった。

 キアがしゃがんで水に手を入れてみた。


「ちょっと冷たいですけど、綺麗な水ですね」

「お先にどうぞ。私はあちらの岩の向こうにいますので、どうぞごゆっくり」


 オレは、左のほうにある大きな岩を指さして言った。

 かなり暗いが、わずかな月明りでなんとか岩は視認できる。


 そんなオレに、キアが立ち上がりながら、いきなりとんでもない爆弾を投下してくれた。


「あら、ご一緒されないのですか?」


 そのセリフを聞いたとき、オレの理性は一瞬飛んだ。


 気付いた時には、オレは右手で彼女の左腕を掴み、そして彼女の腰に左手を回し、彼女の体を引き寄せていた。


 オレの息が彼女にかかり、彼女の息がオレにかかる。

 そんな距離に彼女の顔がある。


 彼女は驚いたように目を少し大きく開いたまま、オレの目を見ている。

 オレもまた、そんな彼女の瞳を、そして唇を見ていた。


 どれくらいそうしていたのだろう。

 実際の時間は、ほんの数秒だったのかもしれない。


 彼女の左腕を掴んでいるオレの右手が、彼女の腰に回したオレの左手が、彼女のわずかな震えを教えてくれた。


「……あまりからかわないでください。これでも、男なのですよ?」


 オレはそう言って、彼女を解放した。


「……ご、ごめんなさい」

「私も失礼いたしました」


 彼女の謝罪に一言だけ答えた後、オレはキアに背を向け、落とした自分の着替えなどを拾い、先ほど指差した岩の方へと歩いていった。

 そんなオレの後ろから、か細い声が聞こえた。


「……あ、あの、信じていますから」


 どっと疲れた。

 なら、頼むから、変な事言わないでくれ……



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