第16話 師匠と相棒

 朝日がオレの顔を照らし、その眩しさで目を覚ました。

 オレの腕の中では、まだミリアがすやすやと眠っていた。


 ――そうだ。オレは昨日、ミリアと……初めて……


 昨夜の事は鮮明に覚えている。

 決して忘れられない夜だった。


 今もミリアは一糸まとわぬ姿でオレの腕の中にいる。

 それは、なんというか、ひどく照れくさいものだった。


 眠っているミリアを起こさないようにそっと腕を抜き、オレはベッドから降りた。


 ベッドの横には、オレとミリアの服が散らばっている。

 それを見ただけで、また昨夜のことを思い出して照れてしまう。


「んっ……」


 ――っ!?


 ミリアの寝返りにドキッとした。


 自分の服を拾い、すばやく着替える。


 ……ミリアの服はどうしよう?

 こういうときって、たたんであげるべきなんだろうか?

 いや、でも下着とか、あまり触ってはいけないような気も……

 こんなこと、誰にも教わったこと無かったから、分からんよ!


 少し手を伸ばしかけたが、やっぱやめた。


 ……顔、洗ってくるか。


 部屋の外へ出ようとドアに手をかけたとき、後ろから声をかけられた。


「……夜を共にした裸の女を置いて、出ていこうとする男は嫌われるわよ?」


 振り返った視線の先には、いつの間にか上半身を起こし、毛布で胸の辺りを隠しているミリアの姿。


 ――ゴクッ


 その姿は非常に艶めかしい。

 思わず昨夜何度も見た、毛布の下に隠れている裸体を思い出してしまう。


「その……。いくら既に全て見られた後とはいえ、そうマジマジと見られるのは、やはり恥ずかしいのよ?」

「ご、ごめん!」


 オレは慌てて反転して背を向けた。


「気分はどう? 朝食は食べられそう?」

「ああ、なんかひさしぶりに腹が減っているという感じだ」

「そう。なら、先に降りててくれる? 私もすぐに降りるから、一緒に朝食にしましょう」

「わかった」


 オレはドアを開け、部屋を出て、自分でも何故かよく分からないが、大きく息を吐き出した。


 でも、オレは気付いていた。

 昨夜までの、あの重く、暗く、苦しい気分はもう無かった。

 まるで彼女の吐息一つで、全てが吹き払われてしまったかのように。


 これが彼女の言う、人の温もりのおかげなんだろうか。

 それとも、単にオレが、思ったより単純だったんだろうか。


 どちらにしろ、オレは彼女ミリアに救われたんだ。


 ◇


 朝食の後、オレとリオはミリアに案内されて町の中の一つの建物の前に来ていた。


「ここが……?」

『うん、ハンターギルドのようだね』


 リオが建物の看板を見ながら念話で教えてくれた。

 リオに貰った指輪は、会話は翻訳してくれるが書かれている文字までは翻訳してくれない。

 でもリオがいるなら大した問題ではなさそうだ。


 二人で朝食を取っている時に、ミリアにハンターになることを勧められた。

 理由はいろいろあるのだが、一番の理由は身分証明書だ。

 オレはこの世界で通じる身分証明書のようなものを一切持っていない。

 この町に入るとき、そのことが分かってちょっとだけ手間取ったらしい。


 ハンタープレートは身分証明書として十分に通用する。

 旅をするならもちろんあったほうがいいだろうと思うし、今回はS級ハンターであるミリアが口添えできるので、余計な詮索も手間もかからずハンタープレートを手に入れることが可能だと聞かされ、むしろオレのほうからぜひにとお願いした。


 本当にミリアには何から何まで世話になりっぱなしだ。

 いつかこの恩を、少しでも返すことができるのだろうか。


「さあ入りましょう。実は昨日のうちに大方の話は通してあるから」


 オレとリオはミリアに続いて建物に入った。


 まだ朝早いほうなのか、人は少ない。

 受付らしきカウンターの向こうに職員だろうか、女性が一人。

 あとはいくつかあるテーブルに突っ伏して寝ているような人たちが数人。


 ギルドというと、アニメでよく見るような酒場と併設している場所を想像していたのだが、ここは、なんというか、日本での役所や銀行の受付窓口のような印象だ。

 さすがに受付番号の発券機のようなモノは見当たらないが。


 ミリアが受付カウンターに行き女性職員に声をかけると、オレ達はすぐに奥の部屋へと通された。

 奥の部屋には顎鬚あごひげを生やした白髪の男が机に座っていた。


「おお、ミリア。待ってたぞ」

「ごめんなさい。ちょっと遅くなったかしら」

「いいや」


 男はギルドマスターのバウドと名乗り、オレ達にソファを勧めた。

 オレとミリアはソファに座り、リオはオレの肩に止まっている。


「これが頼まれていたものだ」


 バウドがオレ達の前のテーブルに真新しいハンタープレートを置いた。


 ――これが、オレのハンタープレートか。


 ハンターのクラスは、Sから、A、B、C、D、E、Fと、7つに分かれている。

 そしてS級はプラチナ、A級はゴールド、B級がシルバー、C級とD級がニッケル、E級がブロンズ、そしてF級がアイアンと呼ばれているそうだ。

 これは、その級のハンタープレートがそれらの材質でできていることから、いつしかそう呼ばれるようになったらしい。


 オレはC級だそうだ。

 新人は大抵F級から始めるのだが、S級ハンターであるミリアの推薦でそうなった。


「言っとくが、これは本当に特別なんだぞ」


 バウドがそう言ってきた。

 事前にちょっと名前が売れている人などはE級やD級から始めることもたまにあるそうだが、C級から始める奴は、少なくともバウドには初めてのことらしい。


「トーヤなら当然よ。なにしろ私と互角にやりあったのだから。むしろもっと上からでもいいくらいよ」


 そうミリアが太鼓判を押したが、互角というのはちょっと盛り過ぎではないだろうか。オレはリオと共に戦って、それでもミリアに一撃も入れられなかったハズだ。


「本人が言うんじゃなきゃ、到底信じられねえよ。ミリアと互角だなんてな。ミリア、お前、ホントは腹でも壊してたんじゃねえのか?」


 バウドの疑問は全くもってごもっともだ。

 あれを互角とは、オレ自身も自分からは絶対に言えないな。


「本当よ。次やったら危ないかもしれないわね」

「おいおい。それこそまさかだよなあ」


 頼むからミリア

 それ以上ハードルは上げないでください。

 その辺でもうカンベンしてください。


 それ以上、オレのスルースキルとポーカーフェイススキルをもってしても、耐えられないかもしれないです。


 ◇


 ミリアとオレとリオは、ラカの町を少し出た街道に来ていた。

 ミリアはこれからこの街道を北へ向かう。

 オレ達はその見送りにここまで来たんだ。


 ミリアと共にいた時間はほんのわずかだったが、本当にお世話になった。

 言葉ではとても感謝しきれないくらいだ。


 名残惜しむオレに向かって、ミリアが声をかけてくれた。


「トーヤ。ハンターにもなった貴方あなたに、最後にもう一つだけ教えておきたいことがあるの」

「はい。なんでしょう?」


 何故か言葉遣いが丁寧になっていた。

 なんとなくだけど、ミリアに教えてもらうと思ったら、襟を正したい気持ちになったんだ。


「自分の、自分だけのルールを作りなさい。それは一般的な倫理や道徳、国の法律などと同じでなくてもいいの。貴方あなたが正しいと思ったこと、間違っていると思ったこと、貴方が許せると思ったこと、許せないと思ったこと、そういう基準でいいの。そして、その自分だけのルールを必ず守りなさい。そうすれば、それが貴方を助けてくれるわ。きっと貴方を守ってくれるから」


 オレはミリアの言葉を一言も漏らさず覚えるかのように、心に刻むかのように、目を閉じながら聞いた。


「……はい。ありがとうございます。師匠」

「えっ……し、師匠?」


 ミリアが思わず一歩引いてしまったのが見えた。

 オレとしては、救ってもらって、さらには教えまでくれた相手だ。

 自然とそう呼びたくなったのだが、ミリアには、ちょっと恥ずかしいから止めてほしいと懇願されてしまった。


 結局、オレの心の中でそう呼ぶ分には了承をもらった。


「じゃあ、トーヤもリオも、元気でね。またいつか会いましょう」


 そう言うと、ミリアは荷物を片手に歩き出した。

 オレ達は彼女の姿が見えなくなるまで、その場で見送っていた。


「トーヤ。ボク達も戻ろうか」

「ああ」


 オレ達はラカの町に戻るため、歩き出した。


「でも、ちょっと予想が外れたかな」

「何が?」

「もしかしたら、トーヤはミリアに付いていくって言うかなと思ってたんだ」

「どうして?」

「だって、トーヤは彼女にずいぶんと傾倒けいとうしていて、最後には師匠とまで呼んでたからさ」

「そりゃあ、すごい人だと思うからさ。オレとあんまり歳は変わらないだろうに、S級ハンターで、あれだけの強さがあって、おまけに優しくて、大切な事を教えてもらって……。感謝してるんだ」


 後ろを振り返って彼女が去った方向に視線を向けたが、もちろんもう彼女の姿はない。


 だが、何故かリオが少し慌て始めた。


「えっ? 歳って……あれ? トーヤ、ミリアの歳って知ってる?」

「ん? いや、聞いてないけど。女性に年齢を聞くのもな。でも見た目、オレよりちょっと上くらいだろう。二十代半ばくらいじゃないか?」

「あ、そうか、トーヤは……。でもそれじゃあ……いや、でもマズいかな……」


 なんだかリオがぶつぶつと言い始めた。

 どうしたんだろう?


「リオ?」

「んーと、その、ね。トーヤ」

「何?」

「ミリアに初めて会ったとき、ボクがミリアの母親のクレハと友達だと言ったこと、覚えてる?」

「もちろん」

「そのとき、クレハと最後に会ったのは二十年くらい前だと言ったことは?」

「もちろん覚えているよ。リオは二十年くらいあっちの世界で眠ってたんだしな」

「じゃあ、じゃあ、その時に、クレハからミリアが村を飛び出した話を聞いたということは?」

「うん。覚えているけど。それがどうしたんだ?」

「……計算が合わないと思わない?」


 うん? 計算って、何の?

 ……って、あれ?


 もしミリアが今仮に二十五歳だったら、村を飛び出したというのは五歳のときになるのか?

 そんな幼くして、この世界で生きていけるものなのか?


 いや、二十年くらいとは言っても、母さんは日本に戻ってから大学を卒業して、父さんと結婚して、そしてオレが生まれて……

 もしかしてリオは、二十五年くらいは日本にいたんじゃないか?


 じゃあ、ミリアは三十歳くらい?

 いや、村を飛び出した歳がもう少し後なら……

 もしかして、もっと年上なのか?


 考え込んでしまったオレに、リオが解説をくれた。


「この世界ではね。人族の寿命は六十年から八十年と言われているんだ。そして獣人はその四倍から五倍の寿命がある。三百年程なんだよ。あと、獣人も人族も、二十年くらいまでは同じように見た目の歳は取るんだけど、獣人の場合、そこからほとんど見た目は変わらなくなる」

「それって……つまり……」

「ボクも、ミリアに直接は聞いていないから、正確な年齢は知らないけど、ボクの知っている情報をつなぎ合わせて考えると、彼女は少なくとも百二十年は生きているハズなんだ」

「へ、へえ……」


 絶句したよ。

 もうオレの想像の遥か上を行っていた。


 でも……


「でも、それってさ。ミリアのあの若さと美貌と強さが、まだ百年以上続くってことなんだろう? それって、なんかいいな」


 うん。それは、なんかとても嬉しい。

 オレは年老いてしまっても、彼女はまだまだ今のまま、あの姿のままなんだ。

 それは、何だがすごくすごく嬉しいことのように思える。


「……トーヤ、なんかちょっと変わったかな」

「そうか?」

「うん。なんかちょっとポジティブになったというか、少し前向きになったような」

「だったら、いいな」


 こちらの世界に来て、オレも少しは変われたのだろうか。

 だったら、ちょっと嬉しい。


 もちろんまだまだなんだとは思うけど、なりたい自分の方向に変わっていきたいと思う。


「ところでさ、トーヤ」

「今度は何?」

「ボクのことも、師匠って呼んでくれていいんだよ?」

「え? だって、オレがリオの主なんだろう?」

「なっ!? なにそれ、なんでそうなるの? 誰がそんなこと!」

「自分で言ったじゃん。ミリアに初めて会ったときにさ」

「あれは! 単に話をしやすくするための方便であって……」

「冗談だよ。分かってる。でもリオは、師匠って感じじゃないんだよな」

「じゃあ、何さ」

「リオは、オレの相棒バディだよ」

「……ふーん。まあ、いいけどね」


 リオの声は、なんとなく嬉しそうに聞こえた。

 きっと満更でもないんだと思う。


 オレ達は、笑いながら町へと戻っていった。


 ――さて、素敵な獣耳娘たちを探してみようかな。



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