第15話 人の温もり

 盗賊たちを縛り上げ、彼らを馬車に積み上げ、村を出発する頃には日がずいぶん高くなっていた。


 もともと今日出発する予定だったオレ達も、盗賊たちの移送を兼ねて、ミリアと一緒にラカの町へ出発する。


 正直、村を離れてしまうことに不安があった。

 また盗賊が来たらと思うと、留まるべきなんだろうかと考えてしまう。

 だが、オレにも母さんに頼まれた用事もある。

 それにいつかは日本に帰ることを考えれば、いつまでもこの村に留まるわけにもいかない。


 そんなオレの心情を察したのか、村長が心配はいらないと言ってくれた。

 今までは治安の良い地域ということもあって後回しになっていたらしいが、これからはちゃんと自警団を結成し、ハンターなども雇って、村の警護と同時に自警団の訓練の指導もやってもらうそうだ。また町のほうとも連携し、周辺の治安状況などの情報交換も頻繁に行なっていくそうだ。


「だから村のことは心配しなくて大丈夫です。トーヤさんが守ってくれたこの村を、今度は自分達でちゃんと守って見せます!」


 村長はこぶしを握り締めながら、そう力強く断言してくれた。

 オレはそれでかなり安心できた。


 確かに、この世界は自助努力が鉄則なんだろう。

 逆に言えば、いつまでもオレ達がいてはダメなんだ。

 これが本来のあるべき姿なんだ。


 そう思って、オレは村長の言葉に頷いた。


 出発直前、見送りに来てくれた村の皆に別れの挨拶をした時、ココにはずいぶんと泣かれてしまったが、ココの父親がそれを宥めてくれていた。


 昨夜オレがみんなの前から逃げ出してしまったことについては、誰も何も言わなかった。

 そしてオレもまた、それには触れなかった。


 ◇


 ミリアとオレは御者台に座り、リオはオレ達の上、幌の上に止まっていた。

 馬車の手綱は、もちろんミリアが握っている。

 オレは馬車の操縦――ミリアに「御する」と言うのだと教わった――をしたことはなかったから。


 荷台に積み上げられた盗賊たちは、実は全員リオによって眠らされている。

 リオによると、この手の魔法は全員まとめて処理するには向かないそうだ。

 人を眠らせるには微妙な加減が必要なようで、弱すぎては眠らせることはできず、逆に強すぎると後遺症が出る場合があるらしい。

 それは個人差や個々の状態にもよるそうなので、結局個別にやるしかないんだよとぼやきながらリオは魔法をかけていった。


 でも、オレが見ていた限り一人に付き一、二秒でやっていたから、盗賊全員眠らせることに一分もかかっていなかったと思う。


 最初の頃、オレ達は馬車の上で他愛のない世間話をしていた。


 ミリアが旅で見てきた珍しい品や食べ物の話も興味深かったが、やはりリオがミリアの母クレハから聞いたミリアの暴露話のほうが非常に盛り上がった。


 彼女の名誉のために、ここで詳しく言及することは止めておこうと思う。

 ただ、あれ程強いS級ハンターの彼女にも、それなりの黒歴史があるんだと分かったとだけ言っておこう。


 その後、オレは外の景色を見ながら一人考え事をしていることが多くなった。

 ミリアとリオの会話が耳に入ってくるが、あまり内容は覚えていない。


 オレが考えてしまうことは、やはり昨夜のことだった。

 盗賊を殺し、村から逃げ出し、そして泉のほとりでリオと話したこと。


 逃げ出した時ほどの暗い気持ちになっているわけじゃない。

 リオと話をして完全に晴れたわけではないが、自分としてはそれなりに普通の状態になれたかと思っていたけど、ふとした時どうしても考えてしまうようだ。


 どうしたいとか、どうすればいいとか、何か明確な答えのある問題のようには思えない。考えれば考えるほど、自分でも泥沼にハマっていくような気がしている。

 でも、かといって全てを振り払えて忘れてしまうということもできそうにない。


 ホント、オレは変われるのかな?


 馬車が右の崖下に寄せられて、ゆっくりと止まった。


「この辺でいいかしら?」

「うん。いいんじゃないかな。周囲にも誰もいないし」


 二人の会話を聞いていなかったため、何故馬車を止めたのか分からなかった。だが御者台を降り、馬車の後から男を降ろし始めたミリアを見て気付いた。依頼達成条件の三人を処刑するためだ、と。


「ミリア、手伝うよ」


 そう言うオレを、ミリアは少し見てから首を振った。


「動けない相手の首を刎ねるだけの簡単な作業よ。手間もかからないから必要ないわ。それより昼食の用意をお願いできるかしら。さっきリオに聞いたけど、大足兎があるんですってね。私、あれ結構好きなのよ」

「血抜きがちゃんとできてないから、ちょっと臭みがあるけどね」


 リオの忠告にミリアが笑いながら「構わないわ」と言いつつ、眠っている男三人を引っ張って森の中へと消えていった。


 馬車から少し離れた場所で、リオは宝物庫から大足兎を取り出し、魔法で切り刻んだ。さらに切り刻んだ肉を空中に固定バインドしつつ、火の魔法で焼いていく。


 うわぁ。便利すぎだろう、この固定バインドってやつは。


 実戦でミリアには避けられたが、それ以外ではこの固定バインドは大活躍だ。


 しばらくしてミリアが戻ってきた。

 少し膨らんだ、薄汚れた袋を持って。


 あの袋の中には、きっと……


 オレは首を振って考えないようにした。


 大足兎の肉はやはり少し臭みが残っていたが、ミリアは全く気にせず、大きな塊を三つも平らげていた。それに比べ、オレは小さな肉片二つで十分腹がいっぱいになってしまった。


 後片付けをして、オレ達は馬車に戻った。

 盗賊たちは山積みにされながらも、リオの魔法のおかげで未だ眠ったままだ。

 その向こうで、ミリアが荷台に先程の袋を置くところが見えた。

 その袋の一部が、赤黒いシミで汚れているのが見えた。


 なんだ? ……血? ……人の血か?


 それが分かった途端、オレは胃からこみ上げてくるものを感じて森の方へ走った。そして、茂みにひざまずいて嘔吐してしまった。


「トーヤ、大丈夫?」

「……ああ」


 リオとミリアがオレの近くに寄ってきて、心配そうにリオが声をかけてくれた。

 オレは一言だけ返すと、腕で口を拭って立ち上がった。


「……悪い、リオ。オレのバッグを出してもらっていいか?」


 リオの宝物庫からバッグを出してもらうと、そこから水筒を取り出し、口の中をすすいだ。


「心配かけてごめん。もう大丈夫だから」


 ……うん。大丈夫だ。

 ちょっと一時的に気持ちが悪くなっただけだ。

 それだけだ。


 リオとミリアが顔を見合わせている。


「大丈夫だって。遅くなるから、そろそろ出発しよう」


 まだ先は長い。

 ラカの町までの道のりは、まだ半分くらいのハズだ。

 夜には着く予定だが、のんびりしていたら遅くなってしまう。


「トーヤ。少し、休もうか……」


 リオはそう言うと、オレの左肩に止まった。

 その瞬間、オレは急激な眠気に襲われた。

 あまりにも不自然な眠気に、リオが何をしたのか分かった。


 ――これって、もしかして、眠りの魔法か?


 リオとミリアの心配そうな顔を見ながら、オレの意識は落ちていった。


 ◇


「……知らない天井だ」


 思わずお約束のセリフを漏らしてしまったが、確かにオレは知らない部屋のベッドで寝ていた。


 薄暗い部屋。ロウソクに火の灯った燭台しょくだい。そしてその先には見知った顔があった。ミリアだ。


 窓の外は暗い。

 もう夜なんだ。


 椅子に座って窓の外を見ていたミリアがこちらを向いた。


「トーヤ。目が覚めたのね」

「ああ」


 オレが起きたことに気付いたミリアが声をかけてきた。

 それに短く返答しながら、オレは体を起こした。


「まだ無理をしないほうがいいわよ」

「もう大丈夫だ」

「いいから、ほら」


 ミリアはベッドのそばに寄ってきて、毛布を剥いで立ち上がろうとするオレを抑えた。


「別に何か急ぐことがあるわけでもないのでしょう? ならまだそこで休みなさい。気分はどう? 気持ち悪いとかは無い? 食事……は、まだちょっと難しいかしら? 軽い物なら食べられる? お水はどう?」


 甲斐甲斐かいがいしくオレに構ってくれるミリアは、まるでオレの母親か姉のようだ。

 オレに姉はいないが、もしいたら、もしかしたらこんな感じなのかもしれないな。


「いや、今はいいよ。ありがとう」


 今はまだ、何も口にする気になれない。

 ミリアの気遣いに礼を言いながら、オレは辺りを見回した。


 それに気付いたミリアが、ベッドに腰掛けながら簡単に状況を説明してくれた。


「ここはラカの町の宿の部屋。予定よりちょっと早め、日没頃に町に着いて、宿を取ってあなたをベッドに寝かしたの」

「盗賊たちは?」

「それは予定通りギルドに引き渡したわ。もちろん私が引き受けた依頼も無事達成。そうそう。依頼報酬と犯罪奴隷の代金は山分けということで、あなたの分はそこにあるわ」


 ミリアが指差す先、テーブルの上に小さな袋が置いてあった。


「依頼報酬って、オレは別に……」

「いいのよ。私一人でやったわけではないし、受け取って。ね?」

「……そうか、ありがとう」


 ミリアの依頼を手伝うどころか、むしろ色々と邪魔をしてしまった感もあるのだが、ミリアがそう言うのではあればと、ありがたく貰っておくことにした。


 そういえば、リオがいないようだ。


 そう思って、オレはミリアに聞いてみた。


「リオは?」

「上よ。たぶん屋根の上にいると思うわ」

「そうか」


 目が覚めたことをリオに知らせようとしたが、続けて口にしたミリアの言葉でそれを思いとどまった。


「……私が、お願いしたの。トーヤと二人で話がしたいって」

「ん? それは、どういう……」


 ミリアが一度視線を外して、躊躇ためらいがちに言葉を口にした。


「……まずは、あなたに謝らなければいけないの。ごめんなさい。あなたが眠っている間に、リオからあなたのことを聞かせてもらったわ。でも、リオを叱らないであげて。私が無理やり聞き出したのだから」


 リオが? 何を?

 もしかして異世界から来たという話をしたのだろうか。

 別に秘密にしておこうと思っていたことではないから、別段構わないが。


「何を、聞いたんだ?」

「あなたが盗賊を、……初めて人を殺して、そのことに苦しんでいるって」


 ……そのことか。

 確かに、これだけ醜態を晒して迷惑をかけたのはそれが主な原因なのだから、リオもミリアに正直に話したのだろう。それは仕方のないことだと思う。


「……そうか。いや、別にリオを責めるつもりは無いよ。むしろ迷惑をかけたのはオレのほうだ。いろいろ心配もかけてしまって、ごめん」


 ミリアは大きく首を横に振った。


「それに、あの時あなた達が森にいたのも、そのためだったって」

「……ああ」


 ふと、森でリオと過ごした時間を思い出す。

 星降るような夜空の下、リオがオレにかけてくれた言葉を思い出す。


 リオの言葉は、今でもしっかりとオレの心に浸み込んでいる。


 オレは確かに盗賊たちを殺したけれど、その代わり村のみんなの命を救ったのだと。みんなの未来を救ったのだと。


 オレは、オレ自身の手で、ちゃんとオレの大切なモノを守ったんだと。


 覚えている。

 ちゃんと覚えている。


 それでオレは救われた。


 そうだ。

 救われた……はずだった。


「あの時、リオがくれた言葉が、オレを暗い底から引き上げてくれた。なのに、なんで……。なんでオレは、まだこんなにも、苦しいんだろう……」


 オレの声は震えていた。

 絞り出すような言葉と一緒に、目に涙が浮かんでくる。


 ミリアのほうを向くことができない。

 うつ向いたまま、動くことができない。

 もし動いたら、ミリアのほうを向いてしまったら、オレの涙がこぼれてしまう。

 そして、きっと泣く事を我慢できなくなってしまう。


 ミリアが靴を脱ぎ、静かにオレの横に来た。

 ベッドの上に膝立ちで、優しくオレの肩に手を乗せる。


「リオは、とってもいい子よ。空も飛べて、話もできて、魔法も使えて、その上強くて、賢くて、優しくて、頼りになって、思いやりもあって……」


 うん。知っている。


「でもね。そんなリオにも、たった一つだけ、できないことがあるの」


 できないこと? リオに?


 オレは顔を上げ、ミリアを見上げた。

 こぼれた涙が、頬を伝っていく。


「それは、今のあなたにどうしても必要なモノなの。あなたを立ち直らせるために、もう一度あなたがちゃんと前を向いて歩き出すために、欠かすことができない大切なモノなの」

「それって、いったい……」


 ミリアが両手をいっぱいに広げ、優しく、オレの事を包み込むように、オレの頭を抱きしめた。


 オレの顔が、ミリアの大きく柔らかい胸にうずまる。


 そしてミリアの優し気な声が、オレの頭の上から聞こえてくる。


「分かる? トーヤ? これが、人の温もりよ。これが、人が人として生きていくためには、どうしても欠かせないものなの」


 ――これが、人の、温もり。


 穏やかな声と、柔らかい感触と、優しい気持ちが伝わってくるような、そんな人の温かさ。


「トーヤ。人はね、人の温もりが無くては生きてはいけないのよ。温もりを与えてくれる人が、必要なの」


 いつしかオレは、目を閉じて、ただただミリアの温もりを感じていた。


「ね、トーヤ。悩みや苦しみを、そして温もりを、分かち合える相手を作りなさい。時には一緒に喜び、時には一緒に悩み、そして時には人の温もりを与えてくれ、あなたもまた、その人に温もりを与えてあげられるような、そんな相手を。その相手と一緒に、前を向いて生きていくの」


 ミリアは少しだけ腕を緩め、見上げたオレと視線が交わる。


 互いの額を合わせ、オレは静かに目を閉じた。


「……今夜だけ、私が代わりになってあげる。今のあなたは、まだその人には出会えていないけれど、でも、あなたは今苦しんでいるのだから。だから、いつかあなたが出会うその人の代わりに、今夜だけ、私がなってあげる」


 ミリアの唇がゆっくりと、ゆっくりとオレの唇に重なる。


 ミリアの唇の柔らかさを感じながら、

 オレはミリアの背中に手をまわし、

 静かに、けれど強く抱きしめた。



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