第11話 なりたい自分

 オレは走った。

 村の北出入り口を抜け、森に入り、木々の中をひたすら走った。


 逃げたかった。


 何から?


 怖かった。


 何が?


 身体強化の魔法も、スピード強化の魔法も、もう既に効果は切れている。

 だがオレは走り続けた。


 何かに追われているように。

 それから逃げ出すかのように。

 ただただひたすら走った。


 息が苦しい。

 足が重い。

 脇腹も痛い。


 だけど、それでも、オレは走ることを止めなかった。


 森の中はかなり暗い。

 月明りなど、木々が邪魔して僅かに差し込むだけ。


 木に肩をぶつけ、草に足元を取られ、一瞬立ち止まってしまう。

 すぐにココの顔が、村人たちの顔が、みんなの怯える顔が頭の中に浮かんできた。


 オレはまた走り出した。


 突き出た枝が、生い茂る草の鋭い葉が、オレの体を傷付ける。

 だけど、今の自分にはそんなことどうでもよかった。

 道など無い森の中を、草木をかき分けながら、ただひたすら走った。


「危ないっ! トーヤ、ストップ!」


 突然かけられた静止の声に、だがオレは反応できなかった。

 足を踏み外したオレの体は、勢いのついたまま下り坂を転げ落ちていく。


 坂の下は泉になっていた。

 自分の体の勢いを止めることができず、そのまま泉に転げ落ちた。


「大丈夫? トーヤ……?」


 リオが岸近くの木の枝に止まり、声をかけてきたが、オレは何も応えられなかった。

 ただ水に体を浮かべ、空を見上げていた。


 夜空には月と星。


 それは当たり前の光景なのかもしれない。

 だけど日本にいた頃のオレは目が悪かったため、月はともかく、星はほとんど見ることができなかった。

 あの頃のオレには、夜空は月以外何もない、見上げる意味など全く無い、ただの闇の空だった。


 今は、数多あまたの光り輝く砂粒たちをちりばめたような鮮やかな星空が広がっている。

 そこはもう、ただの闇の空ではなくなっていた。


 こっちの世界に来て、目が治ってから、こうやって星空を見上げるのは初めてかもしれない。


「……綺麗だな」

「……そうだね」


 ぽつりと一言つぶやいたオレの言葉に、リオもまた静かに一言だけ返してきた。


 ゆっくりと体勢を変えて水底に足を着く。

 泉はそう深くないみたいだ。

 中心まで行けば分からないが、少なくともオレが落ちた場所は、オレの腰位の水深のようだ。


 腰まで水に浸かりながら、オレは再び夜空を見上げ、そして少しずつ言葉を絞り出した。


「……オレは、……人を殺した」

「……うん。人を助けるために」


「……オレは、……五人も殺した」

「……うん。それより多くの村人を救うために」


「……だが、オレは怯えられた」

「……うん。……それが、村を飛び出した理由?」


 泉の水を手ですくってみた。

 手の中の水に月が写り、揺らめいている。


「……オレは、何故怯えられたのか、最初分からなかった。だけど、自分の手や体についた血を見て、ようやく分かった。オレは、人を殺した。そう、オレは人の命を奪う者なんだって。だからみんなは、人であるみんなは、人の命を奪うオレが怖くなったんだ」


 人質を取り戻した後、オレは盗賊たちに降参の意思を確認した。

 あそこで降参してくれていれば、殺さずに済んだはずだ。

 捕らえるだけで、あとは村人たちに処分を任せられたはずだった。


 だが、盗賊たちはそれを拒否した。

 それどこかみんなを殺すと、絶対に殺してやると言った。


 だから、やるしかないと思った。

 みんなを救うためには、戦って、盗賊たちを殺すしかないと思った。

 その覚悟は決めたはずだった。


 でも、結局このざまだ。


 みんなに、ココに、怯えた目で見られ、その目に耐えられずオレは逃げ出した。

 自分がそういう目で見られる対象であるということに耐えられなかった。


 自分で人を殺しておいて、命を奪っておいて、なのに自分が人を殺す者だと、命を奪う者だと、そういう目で見られることに、怯えられることに耐えられなかった。


 結局オレは、覚悟ができてなかった。

 いや、覚悟というものが分かってなかったんだ。


「……後悔、してるかい? 人を殺したことではなく、みんなを助けたことに」

「――そんなわけない!」


 思わずオレの声は大きくなり、静かな夜の泉に響き渡った。


「みんなを助けたことに後悔なんてするはずが無い。オレはみんなを助けたいと思った。今でもそう思っている。でも……でもそれは、他の人の命を奪っていい理由にはならないんじゃないか!」


 振り返ったオレの視線とリオの視線が交わる。


 自分でも分かっている。

 今のオレは、泣きそうで、情けない顔をしている。


 こんな情けない顔を誰かに見せるなんて……


「トーヤ。この世界は……。ううん、あちらの世界もだろうけど。何かを成し遂げるために、何も失わずに済むほど、世界は単純でも優しくもないよ。まして人は、なんでもできる全知全能な存在でもない。むしろ人にはできないことのほうが遥かに多い。人とはそういう存在だよ。何かを得るために、それ以上に何かを失うことだって多いんだ」


 リオは木の枝に止まったまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 静かに、ゆっくりと、オレの心に浸み込ませるかのように。


「ボクは疑似生命体だ。人じゃない。そしてこの世界で生まれ、この世界で長い時間を過ごしてきた。だから、あちらの世界で生まれ、あちらの世界の倫理観を持つ君の、今の本当の気持ちは分かってあげられないかもしれない」


 でも、とリオは言葉を続ける。


「君は言った。この村を守りたいって。皆を助けたいって。この村の誰にも死んでほしくないんだって。君はそのために戦ったんだ。それは、こちらの世界でも、あちらの世界でも、誇っていいことのハズだよ」


 夜の泉に静かに響くリオの声。

 オレは目を閉じ、黙って耳を傾けていた。


「君は確かに盗賊たちの命を奪ったけれど、それ以上の命を、村人たちの命を救ったんだ。彼らの、未来を救ったんだ。君は、君自身の手で、ちゃんと君の大切なモノを守ったんだよ。そのことは忘れないで」


 オレは今、泣いているのだろうか。

 リオに泣き顔を見られるのは、これで二度目か。


 ホント、格好悪いよな、オレは。


 ◇


 泉の水で手や顔に付いていた血を洗い流した。


「服は全部脱いで、こちらにちょうだい。魔法で綺麗に洗浄してあげるから」


 そんなことまでできるのか。


 言われた通り、オレは服を全て脱いで岸の近くの木の枝にかけた。

 再び泉に入って、顔や体に付いた血を洗い流す。


 水浴びするには少々冷たいと思うが、今はむしろその冷たさが気持ちいいくらいだ。


「少しは浮上した?」

「……そうだな。今は、少なくともどん底ではないよ」


 先程まで感じていた、暗い闇の檻に閉じ込められていたような気分ではない。

 だが、全ての闇が振り払われたと感じられるほど明るくもなれないが。


「なんか、リオには格好悪いところばかり見せてしまっている気がする」

「そう?」

「二度も泣き顔を見られてしまうし……」

「何言っているの。忘れた? ボクは君が生まれた時から見ているんだよ? 君の泣き顔なんて、二回どころか、二万回くらい見ているよ」


 ああ、そうだった。

 でも二万回は大げさだろう。


「確かに今更か。オレの一人暮らしも、全てノゾキされていたわけだしな」

「ノゾキとは心外だな。君が勝手にボクの目の前でしてただけじゃないか。……はい。服の洗浄は終わったよ」

「ああ。ありがとう」


 着替えようと、泉から上がって服の傍まで歩いた。


「あ、ちょっとそのまま。体も乾かしちゃうから」


 そう言ってリオはオレの体に温風を送る魔法を使った。

 オレの周りを温かい風が駆け巡る。

 まるで全身用のドライヤーのようだ。

 ほんの数秒でほとんど水滴は飛ばされ、おおむね乾いたところでオレは服を着た。


 オレはリオが止まっている木の根元に腰を下ろした。

 両脚のひざを立ててかかとそろえ、両膝を両腕で抱え込むように、いわゆる体育座りの体勢で、膝に顔をうずめた。


 静かだ。

 動物の鳴き声などは聞こえない。

 風が木の葉を揺らすような音が僅かに聞こえてくるだけ。


「……オレは、目を治すためにこの世界に来たいと思った。けど、最初は旅をしたいとは思わなかった。その必要は無いとか、目が治ったら日本でやりたいことがあるんだとか、そういう理由を付けてたけど、ホントのところは、色々な危険なことに怖じ気付いていたんだ」


 静かな夜の中で、オレは自分の心の中から言葉を引き出すように声にした。


「ラノベやアニメなどの異世界物にちょっと憧れていたのは事実だけど、それを地で行く展開になってみて、しり込みしてしまう。母さんは新しいことや未知の事にワクワクして飛び込むタイプなんだろうけど、オレは気後れしてしまうほうだから」


 膝に顔をうずめたまま、ゆっくりと言葉を続ける。


「オレは、いろいろと不安材料が頭に浮かんでしまって、そればかりが頭を占めてしまって、新しいことになかなか飛び込めない。そんなことは格好悪いからって、外面そとづらは取り繕って、いつの間にかそんなことばかり上手くなって、でも心の中ではいつも怖じ気付いてしり込みしている臆病者の意気地なしのまま、ヘタレのままだ」

「……うん。知ってる」


 リオの返答にオレは苦笑した。


 ホント、格好悪いところ全然隠せてないじゃん。

 バレバレじゃんか。


「……オレは、自分の目が悪いことがコンプレックスになっていて、それがこのヘタレな性格の原因じゃないかと思ってた。だから目が治れば、もしかしたらヘタレも同時に治せるかと思って期待していたんだけど……。ダメだな。目は治っても、ヘタレはヘタレのままだ」

「……そうだね」

「……少しはフォローしてくれよ。へこむじゃんか」

「トーヤはどうなりたいの?」

「……恰好良くなりたいよ。ヘタレを治して、いつも堂々として、自信満々って感じの、格好いいやつになりたい」

「そっか」


 顔を上げて、泉の向こうに見える月を見上げた。


「……オレは、変われるかな?」

「……ボクは、それに答えることはできないよ。その答えをボクは持ってないんだ。君自身でしか、その答えは見付けられない」


 オレはリオのほうに振り向いた。

 鮮やかな星空を背景に、リオはオレを見つめながら言葉を続けた。


「だから、いつかボクに教えてよ。君の見付けた答えを」

「……ああ」



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