道標

 その日の放課後。民俗学研究会の部室である第二図書室にて。

 部屋には私と空の二人。

 昨日の夜、私は空に『磯部先生を嫌っている人はいないか』というメッセージを送っていた。藤堂さんを陥れたことと先生を指し示すような書き込みに関係性がないか探るためである。


「少なくともボクが調べた限りでは磯部先生を嫌っている人はいませんね。男子人気が高いのはもちろんですが、親身になって相談してくれるお姉さん的な存在として女子からも好かれているので」

「うーん……やっぱりか。別の子もそう言ってたしなぁ……」


 昨夜メッセージを送った時点で空の反応はイマイチだったので薄々予感はしていたけど、残念ながら予想外の展開はなかったみたいだ。鳥羽さんにも聞いてもらっているけど、結果のほうは空と同じ。


「まぁ、あくまでボクらが聞いたこの学校での一般論ですけどね。ボクの交友関係に含まれない生徒ももちろんいるんで。特に上級生は。結局のところ情報が足りないのでこれ以上は調べようがないです」


 私は左ひじを机について手のひらを顎に乗せて考えるポーズをする。またもや座礁してしまった船をなんとか沖に戻したいけれど、何も案が出てこない。


「ところで、朱鷺乃さんは大丈夫なんですか?」

「……えっ?わ、わたし?」


 いつもの謎の”パイセン”呼びじゃなくて普通に呼ばれたことに驚いた。

 空の表情は至った真面目でいつもの飄々とした様子もない。


「水泳部としていろいろ動いているんだから、あるんじゃないですか。そういうこと」

「まぁ、それはその……少しくらい?」


 あまり良くない立場になっている水泳部にいるし、テニス部の先輩に正面からアタックしたり、ほかの部活へ犯人を捜しに行っているんだから当然そんな私に不快感や鬱陶しさを感じる人はいる。その感情を私の目や耳にギリギリ届きそうな位置でぶつけてくる人もいる。余計な事をしてくれるな、

 と。とはいえ、こっちだってこのままにしておくわけにはいかないからやっていることなんだ。だから、負い目を感じるつもりはない。

 気分は悪いし、腹も立つし、居心地も悪い。ただし、私のクラスでは私が矢面に立っていることもあるのか、押切さんにはそういう当たりは少ないように見える。それだけがせめてもの救いだ。


「強がってません?」

「そんなことないよ。大丈夫」


 こういうのには人より耐性があるつもり。誰かと比較するものではないと思うけど、たぶん洸と同じくらいには。

 それに弱音ならこの前二人に吐き出した。だから、もう大丈夫。


「なら、いいんですけど。ところで、さっき言った別の子って……」


 と、空が言いかけたところで、第二図書室の扉が勢いよく開いた。


「どもー!おっ、ホントにツッキーここにいたー!あれっ!?それにそこにいるのはもしかして、ソラっち?」

「鳥羽さん、すこぶる元気だね」

「なんか固いよー。私のことは浅葱でいいからね」


 現れたのは超が付くほどの快活ガール、鳥羽とば浅葱あさぎ

 出会って翌日にして、すでにあだ名が付けられていた。それにしても”ツッキー”って……。どこかの湖で噂されている幻の生物みたいな呼び名だ。


「ところで浅葱さん。ソラっちって……こっちのこと?」


 私の対面で意図的に顔を窓側に向けている人物に指さした。


「そうそう!ソラっちとは同じ中学なの!中学のころから勉強できて運動神経抜群でおまけに小動物みたいでかわいいと評判のパーフェクトプリティーガール。知ってるぞ~。高校でもその人気は健在だってこと!」

「うぎゃっ!?」


 空のことを熱く語りながら、じりじりと近づいていた浅葱さんはがばっと両手を広げると一気にゼロ距離まで詰めてその腕で空の華奢な体を抱え込む。そっぽを向いていたためその挙動に気づかず、逃げる間もなくあっけなく捕まった空は捕らえられた鶏みたいに驚いて一声鳴いた。


「よしよ~し。あぁもうソラっちは相変わらずかわいいなぁ。高校に入ってからはクラスも違うし、いつもほかの子と一緒だからなかなかスキンシップできなかったから。やばっ、超癒されるー!」

「は、離れて……って、ぬぁーっ!?頬ずりはやめてー!」


 目の前で交わされる頬を擦り合わせるほどの熱き抱擁を見るのに私は耐えきれなくて、そっと窓の外を見る。


「ちょっと朱鷺乃さん!?なんですか。その『見なかったことにしよう』みたいな動きは!」

「空の面白い瞬間が見れて個人的には良かったんだけど。あれだね。知り合い同士がイチャついているシーンを長々見せられるのはちょっと……キツイね」

「忌憚のないご意見ですね……」


 一人称が”ボク”だったり、部室ではなぜか学ランを着ていたり、藤堂先輩にベタ惚れしていたりするけど、大塚空は女の子だ。しゃべり方とショートヘアと中性的な顔立ちで見ようによっては男の子に見えなくもない。間違えられたことも一度や二度じゃないと本人も言っていた。

 普段は浅葱さんの言う通りそこそこ人気者な女の子をやっているらしい。らしい、というのはクラスが違うのでその一面を目撃していないのと、大して興味がないから。私には”女の子してない”空のほうが日常になっていた。

 ちなみに今日は私と同じごく普通の女子の制服を着ている。たぶんその理由は部活が休みだから、だと思う。じゃあ、部活の時はなんでそんな変なことをしているかというと……、それは今日不在のが原因になるわけで。


「それにしてもそんなに仲が良かったんだね」

「これがそう見えるならその目は節穴ですね!この子、中学の時からこんな風に一方的に絡んでくるんですよ。周りのみんなも生温かく見守るだけで……」

「ソラっちみたいな女の子には積極的に絡むのがお約束でしょ?」

「なんのお約束ですか。もう……」

「やっぱり遠くの高嶺の花美少女より、近くの小動物系美少女だよね!」

「この人、私の日本語が全く通じてないんですけど。それよりどうして浅葱がここに……」

「ごめん。それ私。浅葱さんとは昨日たまたま知り合ってさ。文化部に知り合い多いみたいで空にお願いしていたようにいろいろ聞いていたら、さっき『今どこにいるの?』って連絡が来たから教えたんだ」


 空も今日は普通の恰好だし、人嫌いでもないだろうから、特に気にせず呼んのだけれど、二人が知り合いだったとは。


「それは全然良いんですけど、浅葱はここに何しに来たんです?」

「あっ、そうそう。たしかに」

「えっとね。やっぱり先生を嫌っている生徒なんていなかったよ、って報告に」

「やっぱりかぁ……」


 振り出しに戻るとまではいかないけど、またしても前進することができなかった。

 

「あのさ、浅葱。そういうのはあまり良くないよ」


 落胆する私の向かいで、ようやく浅葱さんから解放された空がなぜか諫めるようにそう言った。


「ほら、下げてから上げるほうがかっこいいじゃん」

「そこまで親交が深くない人だとそのまま鵜呑みにするからね?それに、この人信じやすい性格してるから」

「あっ、やっぱりそうなの?だよねー。私もそんな気がしてた」


 なに、どういうこと?さっぱり状況が呑み込めない。空の言う”この人”って私のこと?


「あのさ。私にもわかるように話してくれない?」

「こういう時、浅葱は手ぶらではやって来ないってことですよ」

「それって、つまり……」


 浅葱さんは腕を組み、左手の人差し指をびしっと伸ばして、どこか勝ち誇った顔をした。


「たしかに先生をすごく嫌いな人は一人もいなかった。でも、その逆は……いたんだよね」

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空を見上げれば、いつだって君がいる つかさ @tsukasa_fth

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