厄介すぎる覚醒

 翌日。

 昨日はどうなることかと思ったけど、幸いなことに裏サイトでの噂による影響はそこまで表面化していなかった。あちらでは磯部先生の名前が挙がって話があれこれ勝手に憶測を飛び交わせるやつもいるけど、そもそも10年前の水泳部の事件を知っている人が少ないからというのもあるんだろう。それに噂そのものを信じていない人いるらしい。全学年通して一定の人気を得ている磯部先生だからこそ保てている状況なのかもしれない。

 それは言い換えれば、さらに油が注がれれば炎上してしまうという危険性も当然孕んでいる。


 一方、藤堂さんに対する仕打ちは主に洸と藤堂さんのいる6組でだいぶ悪化してしまっているらしい。無視や陰口、悪態をついたり、わざとぶつかるみたいな行動にまで発展しているとか。しかも目立たないようなちまちまとしたレベルのものばかり。

 クラス内もそれらの行為に誰も口を挟まず許容してしまい、藤堂さんが完全に孤立してしまっている。


 本気を見せはじめた日本特有のジメジメとした蒸し暑さも相まって、私の不快指数はジリジリと何かに迫りゆくように上昇していく。

 洸には「なんとかしてあげられない?」と手助けを求めてみたけれど、「私にそんな気がないことくらいわかってますよね」と一蹴されてしまった。

 こんな答えになるのはわかっていた。でも、引き下がれなくてさらに食い下がろうとした私に、洸は「その気がない理由は、藤堂さんが嫌いだからが十割というわけじゃないんですよ」となだめるように告げた。

 そこまでしてようやく私は洸にとんでもなく自分勝手な押しつけをしようとしていることを自覚した。


「ごめん……」

「いいんですよ。でも深月さんには理解してほしいんです。最善の手段は別にあるということを」

「それって……?」


 そう言うと、洸は困ったように苦笑いをした。



―――――



 その日の放課後、私と洸は鶴門駅前の大きな本屋に立ち寄っていた。

 今日は洸が買っている漫画の最新刊の発売日らしい。私が勉強の邪魔になるかもしれないからテスト後の購入するよう打診したら、「もしテスト後にお店へ行って売切れていたら、深月さん責任取ってくださいね」と鬼気迫る表情で言われてしまった。

 ……洸が今何に一番情熱を注いでいるかはよくわかった。


 少年漫画コーナーの先頭で平積みにされていた漫画を、洸はこれまた滅多に見ないような満面の笑顔で手に取った。ほかの新刊と比べて平積みの段数が明らかに少ないところを見るに、売り切れるという言葉は嘘じゃないんだろう。

 それにしても見たことないタイトルばかりだ。自分が漫画に全然興味がないのだと改めて感じた。というより、私の趣味ってなんだ。水泳しか出てこないんだけど。

 泳げなくなった後も何か他のことをするわけでもなく、ただ漫然と体を動かしつづけていたからなぁ……。本当に私って水泳バカなのかも。


 二番目に好きなことくらい作っておいたほうが良さそうだと思った私は、他のコーナーでも見てみようとその場から移動しようとして、そこで何かにぶつかった。


「うわぉっ!?」

「あっ……すみません」


 ぶつかったのは女の子で私と同じ格好をしている。つまりは須江高の生徒だ。

 第二ボタンまで空いた制服に校則ギリギリっぽい丈の短いスカート。ウェーブがかったブラウンのショートヘアにはキラリと光る蝶型のアクセサリーが左右にそれぞれ付いている。キーホルダーの目立つ鞄。目元や口元を薄く化粧しているのが私でもわかる。見た目から太陽みたいな明るさが伝わってくる。わかりやすく説明するならギャルっぽいオーラが全開な子。


「あっ、大丈夫だから気にしないで。うーんともしかして3組の子?」

「うん。そうだけど……」

「だよね!体育の時に見たもん」


 体育の授業は男女別で2クラス合同でやっている。私は日ごろ全然気合を入れていない体育の授業を思い出す。えぇっとそういえば……。


「あぁ。バスケの時に1度に3つのファールを決めた……」

「うわっ!?めちゃくちゃカッコ悪い場面覚えられてた。ハズいわぁ……」


 試合前からすごいテンションが高くて上手いのかなと思った分、そこからのあまりの下手なプレイのインパクトは強烈だった。なお、大失敗しても全然気にしていなくて、周りも笑っていたから授業の雰囲気はむしろ良くなっていた。ああいうのがムードメーカーという人種なんだろう。


「あれ?深月さん。その人は?」


 他の漫画を物色しに行っていた洸が戻ってきた。


「この子は隣の……」

「うそっ!?Sランクの久我崎さんじゃん!」


 私が説明しようとした瞬間、女の子が突然嬉々とした表情で久我崎さんに視線を向けた。


「Sランク?あの……一体なんなんですか?この人は」

「1年4組の子なんだけど、そういえば名前なんだっけ?」

「あぁ、私?鳥羽とば浅葱あさぎだよ。えっと、あなたは……」

「私は朱鷺乃深月。あっちの子は知っているみたいだね」

「あっち呼ばわりしないでくれます?それでSランクってなんのことですか?」

「私が決めた校内の美少女ランクだよ。久我崎さんは最高のSランク」


 何、そのクラスの男子どもが勝手に裏で考えてそうな下心にまみれたランクは。


「私がSランク……。S、エス、最高のSランク……うふふっ」


 満更でもない顔してるし、声にもしっかり出てる。ちょっと気持ち悪い。

 自分は……などと考えなくもなかったが、私の名前を知らない時点でそれを聞くのは愚かなことだと察した。いいんだ。美人であることが女の全てじゃないやい。


「でも、鳥羽さんが決めたものだから、別に学校の生徒の総意ってわけじゃ……」

「そんなことないよ。結構評判になってるから。塩対応なところも含めて」

「塩対応……?」

「話しかけてもそっけない対応しかしないってこと。男女関わらずそんな感じだから、クールっぽいってことでこっそり気にしている人もいるんじゃない。少なくとも容姿はかなり評価されてるよ」

「へぇ……そうなんだ」


 私に勝ち誇った顔を見せつける洸。なんだろう。私は全く関係ないはずなのにすごく悔しい。


「それにしても意外だなぁ。人を寄せ付けない感じの久我崎さんが女子とはいえ誰かと仲良さそうに一緒にいるの。あと、漫画買ってるのも。そういうの興味ないと思ってた。何買ったの?」

「これですよ。『蒼炎の彼方』」


 洸が右手に持っていた本を見せた。


「ふぅん……。流行モノを読むって感じかぁ」

「私、この漫画知らないけど今人気なの」

「大人気だよ!話が進むごとにじわじわと人気が上がってきて、去年の年末にアニメが放送されてからは爆発的にヒットしたもん。今やちょっとした社会現象だよ」

「あっ、そうなんだ……」

「どこかで名前くらい聞いたことあると思うんだけどなぁ。全然知らない朱鷺乃さんがむしろすごいって」


 そう言われれば聞いたことがあるような無いような。


「まぁ、学校の美少女が王道の少年漫画を読むってのもギャップあっていいよねー。男キャラがかっこいいから女子人気も高いし。私も好きだよ。その漫画」


 ……ところでさっきから私の背後からなにか圧を感じる。


「私を……」

「んっ?」

「私をそこらのポッと出のミーハー女と一緒にしないでもらえますかねぇっ!!」


 突如として轟く怒声に静まり返る店内。周囲のお客さんは驚いてこっちを見ている。そして、唖然とする鳥羽さんと私。


「私は2年前の連載当初からこの作品は絶対に来ると信じて、週刊誌のアンケートもちゃんと書いて、なんなら作者様に何度もファンレターも送って、いつか華々しくこの世界に名を馳せる漫画になることを願っていたんですよ!それをアニメの出来が良くてキャラがかっこいいから気になって読んでみましたー、なんか面白いマンガだよね、みたいな軽いノリの人たちと一緒にされるなんて心外です。知ってますか?連載当初は『雰囲気が暗い』だの『少年誌なのにグロ描写が多すぎる』だの『絵が古くさい』だの辛口に言われていたんですよ!それを人気なったら『味があって良い』とか『時代に逆らっている感じがかっこいい』と手のひら返しで担ぎ上げて。いいですか。あの作品の良さは主人公と妹の……あいたっ!?」


 私は洸の脳天に一撃を下して話を無理やり止めた。鳥羽さんは「厄介なオタクだったとか超意外だわ。超絶ギャップ萌えするじゃん」と意味不明なことを言いながら目をキラキラさせて洸のことを見ていた。

 よくわかんないけど、とにかくこの場に留まり続けるのはよろしくないと脳内アラートが警告音をさっきから鳴り響かせているので、私は洸をレジに連れていき、さっさと会計を済ませるように促した。洸のほうは不満そうにこっちを見ながら「消化不良なんですけど……」と愚痴を漏らしていた。


「久我崎さん。めっちゃ面白いじゃん。うわー、意外すぎて好感持てる」


 私と鳥羽さんの感性はだいぶずれているらしい。

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