10年前の事実

 翌日の放課後、プールサイドの隅にある物置兼水泳部部室。

 いるのは私と洸と押切さんと磯部先生の4人。

 先生に話があるからとここに来てもらった。


「話というのはこれのことなんです」

「10年前の休部……。原因は今この学校の教師……」


 私は先生にあのことが書いてあった学校の裏サイトを見せた。

 先生は驚きはっとした表情になって手で口元を抑えた。


「嫌な予感はしていたけど、この話まで出てきちゃったんだ……。そうよね。知っている子だって当然いるわよね……」


 そして、悲しそうな、でもどこか観念したような表情に変わった。


「みんなに余計な心配をかけっちゃたわね。黙っててごめんなさい。みんなにはちゃんと話しておくべきでした」

「じゃ、じゃあ……」

「えぇ。ここに書いてあることは本当よ」

「う、嘘ですよね!?先生が10年前に学校でその……み、みだらな……いかがわしい行為をして水泳部を活動停止にさせたなんて!!」


 私は先生に一歩近づいて、空いていた左手で先生の腕をぎゅっと握りしめる。

 嘘だ!そんな……そんなこと信じたくない!


「…………ちょっ、ちょっと待って。朱鷺乃さん!わ、私は淫らとかいかがわしいとかそんな変なことやってないわよ!?」

「……えっ?」


 あれ……?

 私と先生の会話が急に全然嚙み合わなくなったんだけど、これは一体全体……。


 状況がさっぱり呑み込めない私は助けを求めるべく、ポーズはそのままに私は首を後ろに振り向けた。

 押切さんは私以上に混乱してパニックになって視線があちこち飛んでいる。まぁ、押切さんには失礼だけど期待はしてなかった。一方、洸はというと俯いて口元を手で押さえていて、肩を小刻みに震わせていた。あっ……笑いを堪えてるな。こいつ。


 『面白がってないで顔を上げろ』という私の念が届いたのか、ちらっと見上げた洸の目と必死に救援を求める私の視線が交差した。洸の目が細まってジト目になる。今度は『やれやれ仕方ないですね』とでも言いたそうに口に当てていた手を握りしめて、わざとらしく「コホン」とせき込んだ。


「磯部先生。その裏サイトの書き込み、もう一度”ちゃんと”見てもらえますか?」

「えっ?え、えぇ……。えっと……ん?いん……えええええぇっ!?」


 びっくりした先生は思い切り後ずさりして、しかも頬を真っ赤にして押切さんがかわいくみえるくらいのパニック状態になっていた。


「ねぇ、洸。これってどういうこと?」

「それを私に聞かないでくださいよ。とにかく一つ言えることは……」


 洸は両方の手のひらを合わせて、ぱんっと音を鳴らした。この場でただ一人落ち着いた表情で静かにこう言った。


「みなさん一旦落ち着きませんか?」



―――――



 場所をプールサイドのベンチに移して、私たちは横並びに座る。先生、私、押切さん、洸の順で。

 ふわりと制服を撫でる風。つんとした塩素の匂いに鼻がぴくりと動く。


「じゃあ、ちゃんと説明するわね」


 先生の表情は落ち着いた様子で少し目線を上に向けて遠いあの日を思い出すように話しはじめた。


「学生の頃、私は須江川高校に通っていて水泳部に入っていたの。その頃は部員はそれなりにいて、部の実績としては部長が毎年関東大会に出場していた。ただ、三年生の都大会前に部長は腕を骨折するケガをしてしまって、その大会には出られなくなってしまったの。三年生の引退は夏休みの六校戦が終わった後だったけど、だんだんと部長が部活に来なくなって、それにつられるように彼の周りの人も部活から勝手にフェードアウトしていったわ」


 私は自分の得意なことがある日突然できなくなった時の辛さがわかるから、逃げたくなったその人の気持ちもわからなくはない。


「そして六校戦が近づいていたある日、練習が終わって帰る途中に私は忘れ物をしていたことに気づいて学校に行ったの。そうしたらプールの鍵が開いていて、部室のほうへ近づいてくと人の声が聞こえてきた。でも、騒がしくて妙な雰囲気だったから怖くなって恐る恐る中を覗いたの。部室の中では部長と部活を休んでいた先輩がお酒を飲んでいてね。どうやら真面目に部活に出ていた人を脅して、無理やり部室を使っていたらしくて、部屋の隅で同級生の子がビクビクしながら縮こまっていたわ」


 膝の上に置かれた先生の両手がきゅっと丸く握られる。


「その光景を見た私は正義感から部長たちを諫めようと部室に乗り込んだ。『こんなことは止めてください!』っ怒ったら、部長は結構酔っていたみたいで逆上して私に掴みかかって頬を叩かれた。私は必死に逃げようとしたけど、部室から出た直後にまた捕まってね。部室の中に引きずりこまれて、酔った先輩たちに取り押さえられた。私は何をされるかわからない恐怖で抵抗する気力もなくなったところで、当時の顧問だった先生が助けに来てくれた。部活の様子を見に行こうとした途中で私が部室の外で大声をあげたのを聞いたみたいで、本当に間一髪だった」


 先生は深い感情を込めず教科書に書かれた文章を淡々と読み進めるようにその時のことを語る。視線を横に向けてさっきまでいた部室に目をやると、恐怖でいっぱいになった女の子が飛び出してくる映像が見えて、私は慌てて目をそらす。


「そのあと、部長たちは退部。ただ、その事件がほかの生徒たちにも知られたうえに、部長たちが外で暴力沙汰を起こしていたことも発覚して、部活はしばらく活動停止。うちの高校が会場になっていたその年の六校戦は辞退することになったの。私もそれから部活には顔を出さなくなった。部活自体も周りからあれこれ噂されて、根も葉もないことを言われることに耐えられなくなって真面目にやっていた人たちから離れて、最終的に休部になったの」


 私はそんな先生の昔話にどんな回答をすればいいのかわからなくて、太陽に照らされてじりりと焼かれるエメラルドグリーンの床をじっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る