私の知らないその気持ち

 すー、すー、と絵に描いたような寝息が下から聞こえる。ブランケットを両手で鷲掴みして寝返りを打ってこっちに背中を向けている。その襟元でぐしゃっとつぶれたフードに手を伸ばす。横を向いた体勢のまま、少しだけベッドから身を乗り出すとうまいこと右手に引っかかったので、ちょんと頭にかぶせてみる。白い猫耳付きのフードが小さな頭にすっぽりはまった。よし、起きてない。


 私、はそんなしょうもないワンミッションを無事に終えた達成感に3秒だけ浸って、ゆっくり体を起こした。


 眠れない。


 その原因は布団の上でまさに猫みたいに丸まって気持ちよさそうに寝息を立てている。


 さっき私は彼女の美容やファッションに対する残念さに軽く腹が立って好き勝手にいじってしまった。なかなかに強引な手法だったし厭味ったらしい感じもあったので、いやいややられて不機嫌になると思っていた。

 ところが、彼女から返ってきた言葉は『悔しいけど認める』だった。

 あれすんなりと私のいらないお節介が受け入れられてしまった。


 とはいえ、別にそれくらいなら「よし、ざまぁみろ」と裏でほくそ笑んでしてやったりな気分になるだけだった。

 でも、私は見てしまった。

 私に手入れされている間、口を小さく開けて、ぼんやりとした様子で鏡を眺めているその姿を。

 終わった瞬間、ちょっとだけ綻んだ口元を。


 笑ってしまう。だって、ただの就寝前のケアなのに。

 それに新鮮さを感じたのか、はじめて母親に余所行き用に身だしなみを整えてもらったみたいな気分になっちゃって。仕舞いにはまんざらでもないコメントまで残して。



 ここで突然に話を変えるけど、私はせっちゃん・笹川瀬璃夜のことが好きだ。

 ただし、私が同性愛者なのかどうかと言われるとそうとも言い切れない。

 愛情……とまではいえないけれど、テレビの向こうのアイドルや俳優、漫画の中の男性キャラに夢中になりそうになったことはある。でも、その逆があったかというとたぶんない。

 女性に対してそう思ったのはせっちゃんがはじめてだ。ちなみにリアルの男性には一度もない。周りの男子は私からすればまだまだレベルが低い。おとといきやがれ。


 今まで明確に『好き』という言葉を口に出して伝えたいと思ったのは彼女しかいない。だけど、冷静に分析するとその気持ちが世間一般的でいう恋愛感情なのかどうかがわからない。

 憧れや尊敬を『人として好き』という風に表現することもあれば、アイドルに送る熱意の大きさとして『好き』と使うこともある。それが本当に『恋愛対象として好き』に昇格することもよくあることだから、難しい部分ではあるけれど……。

 自分で言うのもおかしな話だが、そもそも好きならこんな周りくどい方法をしなくて良いのだ。家も学校も知っているんだし、会いに行ってこの気持ちを伝えればいい。

 そんな簡単なことをしないで”水泳”という彼女の舞台に、しかも彼女のライバル的な存在も一緒に引き連れて並ぼうとするなんて手段を私は今とっている。


 でも、そうしないといけない気持ちになってしまった。

 2年前の大会であの子に向けていた強い眼差しを、この前の大会でそれと変わらぬものをまた見てしまったから。

 最初は『もしもこの子がまたあの場所に立てたなら、きっとせっちゃんは喜ぶだろう』という想像だった。自分の目的のためにも都合が良いからという考えであの子を無理やりにでも立ち上がらせようとした。

 そして、その想像はあの大会の日、私の中で確信に変わった。


 あの子がまた大会に出れば、泳げるようになれば、せっちゃんはもっと輝いてくれる。

 私はそんなせっちゃんが見たくてたまらない。

 誰よりも近くで。



 だから、さっきそれに似た感情を彼女に感じてしまったことが、私には信じられなかった。


 少しはかわいげのある見た目になった彼女を見てうれしくなってしまった。

 恥ずかしそうに「認める」なんて言われたことに満足感を抱いてしまった。

 もっと言えば、浴室で自分のトラウマに立ち向かう彼女を見た私は心の中で必死に応援してしまった。


 せっちゃんに対するこの想いはなに?

 彼女に対するこの想いはなに?

 どちらかに名前をつけたら、私の中の何かが歪んでしまいそうで。


 だから「好きな人はいる?」と聞かれた私は何も迷うことなくYESと答えた。

 それは恋愛未経験だろう彼女をちょっと驚かせてやりたいと思ったから。

 どうせある程度本当のことを言ったところでそれが誰かを想像することすら彼女にはできないし。

 でも、本当は言葉にしないと不安になってしまうから。この気持ちを”好き”というわかりやすくきれいな言葉で飾り付けてしまいたかったから。

 醜くて利己的なものじゃないと証明したかったから。



 ……って、あぁ、もう!何をしているの。私は!! 



 切り替えろ、久我崎洸。今はそんな自分への体裁を繕ってる時じゃない。

 もしも今この想いを疑ってしまったら、それが無くなってしまったら、私は立ち止まってしまう。

 だけど、そんなことは許さない。理想的なかたちでこの腹の中に溜まった感情を全部吐き出すまで止まれやしない。それがどんなものであろうとも。私は必ずぶつけてみせると決めたから。


 心の中に思い浮かべるのはたった一人の想い人。

 

 私の心はきっとまだあの頃のまま。

 自信がなくて意地だけ張った弱虫な自分。


 今はそれを変えることだけを考えよう。

 使えるものを全部使って。できることを全部やって。


 まずは厄介なの問題をさっさと解決しないといけない。

 大丈夫。シナリオはもう出来ている。

 後はただひたすらにそれに見合うだけの力を培うだけ。


「だから、期待してますよ。小さなトレーナーさん」


 まったく、気持ちよさそうに眠っちゃって。


 闇夜みたいな暗い空間に小さな明かりが灯るように窓から月の光が差し込んだ。

 うん。今はこの光を道しるべにすればきっと大丈夫。

 

 だがら、進もう。自分が決めたその道を。


 彼女と一緒に。


 うーん……。名前呼びはまだ慣れないみたい。

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