就寝前のガールズトーク

「洸。まだ、起きてる?」

「起きてますよ。誰かさんのせいで体が火照って眠れなくなってしまいましたから」

「なんか語弊があるんだけど」

「ふーん。何を想像しっちゃったんですかねぇ?」

「別に何も……」


 すったもんだの末、洸のパジャマに着替えさせられ、顔やら髪やらを念入りにお手入れされたペットか着せ替え人形状態だった私。日課の風呂上りストレッチをしていたところ、「うわっ、柔らかいですね」と洸に驚かれたので「やっておいたほうがいいよ」とここぞとばかりにトレーナー権限を利用して体前屈をやらせたところ、案の定ガチガチに硬かったのでこれは要改善としてあれこれ柔軟運動を試させた。その結果、なんとなく寝付けなくなってしまった。テスト勉強を軽くやれば落ち着いて眠くなるかなと思ったけど、効果は薄くて23時を回ったところで無理やり眠ろうと試みて今に至る。


 洸は自分のベッド。私は客間の和室から運んできてもらった布団で寝ている。

 布団で寝るのは1年前の中学の修学旅行以来。大部屋の端っこで壁を向いて眠っていた。

 あの時と同じ知らない壁と天井に囲まれた部屋の中。違うのはにやついた顔で見下ろす女の子が近くにいることくらい。


 洸、という呼び方は思いのほか、すんなりと自分に浸透した。


「洸のお母さんとお父さんってすごく良い人だよね」

「絶賛されると子供としては素直に頷くのが恥ずかしいところではありますが、そこは同意します。私をこんな美少女に産んで育ててくれたんですから」

「あぁ……ちょっと優しすぎたのかもね。こんな図々しい子に育っちゃって」

「いろいろと失礼ですよ」


 1時間くらい前に洸のお父さんが帰ってきて、寝間着姿だったけど挨拶はさせてもらった。「娘と仲良くしてくれてありがとう。自分の家だと思ってくつろいでね」とそれはそれは優しく声をかけてもらった。渋さが光る声と柔らかな物腰。歳を感じさせない佇まいはお母さんと同じく、洸の見た目の良さを如実に表している。なんで中身まで似なかったのだろう。あっ、ちょっとお母さんに似たのかな。……洸のお母さん、失礼なこと言ってごめんなさい。


「世の中のみんながこんな風に誰もが優しく受けて入れてくる人ばかりだったらいいのに」


 そうすれば人が傷ついたり苦しんだりすることだってない。悪い事件が起こることだってない。


「私はそんな世界は嫌ですね」


 でも、洸はそんな私の願望をばっさりとたたき切った。


「たしかに”優しい”ことは良いことです。でも、優しいだけじゃダメなんです。受け入れてくれてばかりじゃダメなんです。否定されて、嫌だと言われて、そこから何度も立ち上がらないといつまで経っても弱いまま。そして、優しさの中だけで生きてきた人は勝てなくなってしまうんです。優しい自分に」

「自分に、勝てない?」

「優しい自分は恐ろしいですよ。『あれは無理してやらなくて大丈夫』『これはちょっと大変だから手を抜こう』なんて次々と自分に都合の良い言葉を生み出して自分を嫌な世界から逃がそうとしてくれるんですから。そんな厄介な自分に弱い自分で挑むなんて至難の業ですね」

「自分がゲシュタルト崩壊しそう……」

「ようするに、何事もバランスが大事ということです」

「うわっ。よく使われがちな言葉でざっくりまとめた」


 とはいえ、洸の言うことはもっともだ。時に厳しいからこそ立ち向かっていける。優しくて甘くて緩いことばかりが溢れていたら私たちはきっと”何か”を生み出せなくなってしまう。

 だから、厳しいことだって辛いことだってたくさん起こる。小さなことから大きなことまで。

 そして、そんなときに優しくしてくれる誰かのことを人は好きになる。


「洸って好きな人、いる?」

「…………へっ?」


 考えていてふと口から出てしまった言葉にずいぶんと間の抜けた返事がやってきた。


「ごめん。いきなり変なこと聞いた」

「さっきから唐突に話題を放り込んできますね」

「それはほら……。友達の家に泊まりに来たらこういう話題かなって」


 本当は全然そんなこと思ってなかった。ただなんとなく気になった。人を好きになるということを。最近そんな言葉を何度も耳にしていたから。


「世の中には『人に名前を尋ねるときはまず自分から』という言葉がありまして」

「えっ……?私はいないよ」

「でしょうね。予想通りでした。それと聞いたのは藤堂さん絡みのことがあったから、つい気になってですか?」

「あ、うん。それも予想通り」


 新城高校に行った時の話や生徒会室で藤堂先輩と話したことについては洸にも話した。個人の恋愛事情や家族間の話をほかの人にするのは少し気が引けたけど、一人で背負うのは止めようと思った。それに洸は他人に対して言って良いことと悪いことの分別は出来ている人だとわかっているから。


「いますよ」


 洸はなにをためらう必要があるかと言った感じであっさりと肯定した。


「嘘っ!?『誰かを好きとか、そんなの興味ありません』って言うと思ってた」

「これでも恋する乙女しているんですよ、私」

「相手は学校の誰か?」

「いいえ。学校は違います」

「ということは他の高校……。もしかして水泳部の人?」

「だいぶ勘が良くなってきましたね」

「それならその人がいる高校に進めば良かったのに」

「須江川高校は祖父も両親も通っていた学校なので半ば強引に勧められました。そこは中高一貫校なので同じ学校へ行くにも条件として厳しかったですし、私も説得するだけの材料を持っていませんでしたから」

「その人とは連絡は取れるの?」

「いえ。連絡先は知りません。わざわざ会いに行くのも気が引けるので」

「そっか。じゃあ大会で会えるといいね」

「そう……ですね」


 あれ?声のトーンがあからさまに下がった。

 しまった。実は触れたらまずかった話だったのかもしれない。たとえば相手にすでに恋人がいたみたいな……。

 どうしよう。このまま話題を打ち切って寝る流れにする?それとも何事もなく話を深堀する?いや、それはもっとまずい地雷を踏みかねない。


「他人に話題を振ってやらかしたうえに沈黙が生まれて会話を続けづらくなった場合は『私なんて~』と自分のことについて語りはじめて最後は『~って難しいよね』などと自分も少しは気持ちわかるよ、と言外にほのかな同情の念をこめて締めるとわりと上手いこと誤魔化せた雰囲気になりますよ」

「……次からはそうさせていただきます」

「がんばってください」


 ようは『別に気にするな』ということなんだろう。伝え方が厭味ったらしいけど。


 同じ学校じゃない。連絡も取れない。今どうしているかもわからない人に想いを寄せることがどんなことなのか、私にはわからない。

 願わくば、洸の願いが成就しますように。


「じゃあ、今度こそ寝ましょうか」

「そうだね」


 遠くから聞こえる車のエンジン音がだんだんと遠ざかる。ちりちりと虫たちの囁き声が耳の中へと溶けていく。お風呂を出た後からずっと体中にこもっていた熱も窓の隙間から夜空に向かって飛び立ってしまったらしい。

 まるで「おやすみ」と誰かに語りかけられているようで、次第に重くなっていくまぶたに抗うこともせず、私は今日を終えることにした。

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