あたたかい食事と

「ねぇ……やっぱり迷惑じゃない?」

「私から誘ったのに何勝手に遠慮しているんですか」

「でも、4日間だよ。4日間も!」

「私はテスト明けまで泊まっても大丈夫だと言ったのに、朱鷺乃さんが駄々をこねるからテスト前の土曜日までに妥協したんですよ」

「友達の家にそんなにずっと泊まるなんて非常識だって」

「あの、それだとOKを出した我が家が非常識な家庭ということになるんですが……。そもそも私の提案に朱鷺乃さんは頷いたですよ」

「あれはなんというか、勢いみたいなもので……」

「はい!一度決めたことをひっくり返さない。朱鷺乃さんってたまに優柔不断なとこありますよね?勢いで行動すること多いくせに」

「うぅ……そこを突かれると痛い」

「あーあ、私そろそろ家に入って夕ご飯を食べたいなー。今日も特訓だけは迷わずビシバシしごかれたからヘトヘトなんですよねー」

「じゃあ、私は帰るからまた明日学校で……」

「待ちなさい」


 まだ薄雲が残る夏の夜空のその真下。

 ひんやり涼しい風に揺られた庭の茂みがかさかさと笑うように音を奏でる。

 空にのぼった三日月も私をせせら笑う大きな口に見える。


 夕方、自宅を出発して電車に乗ったまでは良かった。

 そこで私は気づいてしまった。『あれ?何日も家族で住む友達の家に泊まるなんてやっぱりよろしくないのでは?』と。友達から誘われたとはいえ断るべきではないだろうか。

 駅についてバスに乗り換える手前で久我崎さんに電話。さっきみたいな問答を繰り返した後、「いいからさっさと来てください」の一言で一方的に切られてしまったため、やむなくバスで久我崎さんの家まで。そこで、もう一度断りたいと話したら、私の持ってきたお泊り用のバッグをひったくり「この時間無駄なんでとりあえず練習にいきましょう。あっ、練習中に余計なこと考えるなんて真似したら水着引ん剝くので」という犯罪予告をされてしまったので、私はやむなく(2度目)いつも通りコーチをすることに。

 そして、三度目のあがきで久我崎さんに背中を向けたら、肩にかけたスイムバッグをぐいっと力強く引っ張られたところが現状である。


「将来、彼氏と初めての夜を迎えるときにそれやったら冷めますよ?」

「友達の家に泊まるのとソレを一緒にしないでよ」

「そうですよ。友達の家に泊まることくらいそんなもんですからね。ましてや同性でですし」

「まぁ、それはそうだけど……」

「あと、久我崎さんの荷物、私の部屋にあるんですけど。どうするんです?」

「あぁ……どうしようかなぁ……」

「本当にこの部活は面倒くさい人ばかりですねぇ」

「久我崎さんがそれ言う……あっ」

「私に対する朱鷺乃さんの評価が知れて嬉しいです」


 さっきよりバッグの紐を引っ張る力が強くなる。ぐぐぐと肩に紐が食い込むのに比例して口角が吊り上がっていくのがわかる。


「ちなみに私は面倒くさいうえに諦めが悪い性格なのでこれ以上は折れません。さっさと我が家に招待されてください」


 わかってる。

 相手の家に迷惑がかかる、なんていうのはきっと私の思い込みで、本当にテスト明けまで泊まっても大丈夫で、これは私が起こしたわけのわかんない行動だってことも、ちゃんと頭の中ではわかってる。

 子どもみたいに(いや、子どもなんだけど)誰かの家にお泊りできることに胸を躍らせているのもホント。

 それでも一つだけ心の中に引っかかっていることがあって、それが私の体を引き留めさせていた。


「……わかりました」

「わかればよろしい」


 私は魚の小骨みたいに喉の奥に引っかかっているソレをそのままにして、背を向けた体をくるりと元に戻す。幸いなことにソレに痛みは全くない。

 今は、まだ。



―――――



「ただいまー」

「おじゃまします」


 奥のほうから「おかえりー」と久我崎さんのお母さんの声が聞こえる。


「片付けすんだらご飯食べるからー」


 そう言うと、久我崎さんは家にあがって自分のと来客用のスリッパを取り出した。私は自分のスニーカーを脱いで揃える。スニーカーの隣に並んでいるのは私のローファー。日が落ちる前に荷物を置いてきたときにバッグから取り出しておいた。その隣には久我崎さんの指先ひとつ分大きなローファーが姉妹みたいに並んでいる。


 久我崎さんにあれこれ案内されて、洗面所とトイレの場所、それとご家族の寝室を案内された。久我崎さん家は両親とおじいさんとの4人暮らし。おじいさんは早めに寝るそうなので部屋の前は静かに歩いてほしいと説明された。

 それから大きな和室の縁側からサンダルに履き替えて庭に出て、日曜日の国民的アニメに出てきそうな物干し竿に水着をかけた。


 家の中に戻って久我崎さんに連れられてダイニングへ行くと、テーブルの上に3人分の料理が置かれていた。久我崎さんが「これお母さんの分もあるの?」と尋ねると「そうよ」と答えが返ってくる。


「祖父はいつも18時くらいにはご飯を済ませるので。あと、父は夜遅くなることが多いんです」


 久我崎家の事情を軽く説明されると、キッチンに立つ久我崎さんのお母さんから「座っててね」と促されたので、私たちは左右に並ぶように席に着いた。


「ご飯はこれくらいで大丈夫?」

「あっ、はい。それで大丈夫です」


 お盆に乗った3つのお茶碗を私たちの前に並べて、久我崎さんのお母さんが久我崎さんの前の席に座る。二人が「いただきます」と声を合わせるのでワンテンポ遅れて私も声を出した。二人がそれにくすりと笑う。


「ここにいる間は自分の家だと思っていいのよ……って一度言ってみたかったのよね。それと私のこと、”お母さん”って呼んでも大丈夫だからね」

「えっと……お気持ちだけ受け取っておきます」

「なに言ってるの、もう……。普通におばさんでいいから。もう40過ぎてるんだし」

「なんて薄情な娘なのかしら」

「は、はぁ……。あっ、改めて今日からしばらくお世話になります。これ詰まらないものですが、どうぞ」


 私は電車とバスの乗り換えで降りた鶴門の駅前ビルで買った洋菓子の詰め合わせを菫さんに手渡した。


「あらっ。ご丁寧にどうも」

「お土産なんてわざわざ買わなくても良かったんですよ」

「いや、こういうのは礼儀だと思うから」

「洸はちょっとわがままに育っちゃったから、こういうストレートな気配りや気遣いは苦手よねぇ」

「あぁ……わかります」

「フォローなしで同意ですか!?」


 遠まわしだったり、裏があったり、仕込んでたり、久我崎さんのやることはひねくれていることがほとんどだ。相手に物言うときも皮肉混じらせるし……。


「でも、わかっているなら安心したわ。うん。深月ちゃんなら安心」

「ど、どうもありがとうございます……」


 にこやかにほほ笑むおばさんに、私は戸惑ってついお礼を言ってしまう。面と向かって褒められるのはあまり耐性がない。たぶん、おばさんが言いたいのは『うちの子と仲良くしてくれてありがとう』みたいな意味だとは思う。

 久我崎さんは聞いてないふりでもするかのように、あれこれおかずに手を付けていた。


「さぁ、深月ちゃんもたくさん食べてね。一人暮らしなんだから、たまには母親の味も恋しくなるでしょ?」

「お母さんは朱鷺乃さんの母親じゃないですけどね」

「もう、この子は口が減らないんだから」

「久しぶりなんでうれしいです。いただきます」


 まだ一人で暮らしはじめて3か月。ホームシックも過ぎたから大丈夫だと思っていた。それでもおばさんが作ってくれた料理を口に入れると、遠くで暮らすお母さんのことを思い出してしまう。センチメンタルな気分にまではならないけど、久我崎さんを少しだけうらやましいと思ってしまった。


 3人での会話は、最初は学校生活や部活の話をしていたけど、まだ1学期分しかないうえに、水泳部関連のこともこの場で話題にできるネタも少なくて早々に詰まってしまった。中盤からはおばさんは25年くらい前に須江川高校に通っていたので、そのころの学校の話をして、途中からは一緒に通っていた久我崎さんのお父さんとの馴れ初めを聞いていた。手振りを交えてウキウキ気分で私に語るおばさんの向かい側で、久我崎さんは顔に両手を当てて少し顔を赤くしていた。

 ごめん。あまりにも楽しそうにしゃべるから私も最後まで聞くしかなかった。



―――――



 食事が終わって片付けもせずに「じゃあ、部屋に行こうか」ということは当然できないので、私は食器洗いを手伝うことにした。

 隣に立つおばさんが洗剤で洗ったものを私がすすいで水切り籠に入れていく。ついこの前まで知らない人だったのに隣にいても違和感がない。それどころか私もどこか安心して、それこそこの家の子どもにでもなった気分に錯覚してしまうのはお母さんが持つ特有のスキルの効力なのかもしれない。世のお母さん、恐るべし。

 久我崎さんはお風呂を沸かしに行ったのでここにはおばさんと私の二人だけ。


「深月ちゃんは洸の昔のこと聞いてるの?」


 かちゃかちゃと食器が触れ合う音におばさんの言葉が混じる。


「はい。小学校の頃の話は聞きました」


 ざぁざぁと汚れを洗い流す水の音に合わせるようにして私は言葉を返す。

 ちょっと聞きづらそうなことを、言いにくいことを日常的な会話に変換するために。離れた場所にいる誰かさんに聞かれてしまわないように。


「おばさんね。本当にあの子をわがままに育てちゃったって思ってるの。自分しか信じられなくて。自分の努力がすべてだと思うようになって。そのために何も惜しまずにがむしゃらに進む。とってもわがままな子」


 それは、私が知るわがままとはずいぶん意味が違っていた。


「少し嫌がるくらい寄り添ってあげればよかったって思ったの。弱くて強いあの子が壊れないように外側で見守り続けてしまったから、あの子は一人でもっと強くなろうと頑張ったの。そのために、あの子は私たち家族を頼ったわ。でも、その信頼には”家族だから”じゃなくて、”家族が自分の一番近くにいるから”という想いがほんの少しでも混ざっていた気が私はするの。私たちはあの子から絶対の信頼を預けてもらわないといけない立場なのに」


 さっきまで冗談を言い合うくらい仲良く見えたのに。ううん。本当に仲は良いんだ。でも、二人の間には見えなくらいの小さな隙間があって。


「この先、あの子はまた一人で頑張ろうとしてしまうかもしれない。私たちの見えないところで必死になって進んでいってしまうかもしれない」


 その隙間は誰にもわからないくらい小さく、日々の中で開いていく。


「でもこの前、深月ちゃんが家に来てくれて私本当に安心したわ。少なくとも”自分しか信じない”なんてことはしなくなったんだって。どこかに一人きりで行ってしまうことはないんだって。部活に入ったのは聞いたけど、あの子全然話してくれないから。ほかの子とも仲良くできてるみたいで良かったわ」


 家族でさえ飛び越えられないその隙間の向こう側に私やみんながいてくれているとおばさんは言う。


「深月ちゃんにはきっとたくさん苦労をかけちゃう……じゃなくて、もうかけちゃってるわよね。だから、あの子にもどんどん頼っていいのよ。親バカになっちゃうけど、あの子は自慢の娘なのよ。きっとみんなの力にもなれるから、ね」

「じゃあ、その時は遠慮なくそうさせてもらいますね」


 おばさんはこくこくと頷いたあと、「重い話しちゃってごめんね」と嬉しそうに謝った。それはおばさんの話を私が真面目に聞いていたのが伝わったから。そして、私が話を真面目に聞いていたのは、その言葉が久我崎さんだけに向けられた言葉じゃないように思えたから。

 もちろん、おばさんは久我崎さんのことを言ったんだけど……。もしも今日、この状況がまるっと逆転して、久我崎さんが3人で暮らす朱鷺乃家に遊びに来ていたら、私のお母さんも久我崎さんに同じようなことを言っていたような気がした。


 もっとも、私の場合は自覚しているのに直らないんだから質が悪いことこのうえない。



 とたとたとた、とフローリングをリズムよく踏み鳴らす音。


「お母さん。お風呂沸かして、布団も部屋に入れておいたから」

「うん。ごくろうさま。お風呂沸いたら深月ちゃんに先に入ってもらいなさい」


 といっても、私はシャワーだけのつもり。せっかく準備してくれたのに申し訳ないけれど。そういえば、お風呂の場所聞いてなかったから、後で聞いておかないと。


「大丈夫。二人で一緒に入るから」


 あぁ、それなら場所聞かなくても大丈夫……えっと……一緒に??


 久我崎さんと一緒に?それはいわゆる裸の付き合いというやつですか?

 いやいや、相手は女の子。私も女の子。落ち着け私。何も変じゃないし、これっぽっちも問題はない。一年くらい前の中学の修学旅行でもみんなで大浴場に入ったじゃない。私は体洗ってシャワーだけ浴びてさっさと退却したけど。


 なぜ?どうして?私はこんなに焦っているんだろう……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る