宣戦布告(2回目)

 休み時間になるとすぐ消える。放課後になるとすぐ帰る。電話は出ない、LINEは無視。家族の相談も受け付けないし、唯一のクラスメイトは説得する気がない。

 そこで私は思いついた。追いかけるのが難しいなら先回りして待てばいい。

 つまり、朝早く学校に行って昇降口で藤堂さんが来るのを待つ。こうすれば向こうは逃げられない。後は直接対決に持ち込むだけ。

 それなら藤堂さんの家に直接行けばもっと楽で確実かもしれない。でも、藤堂さんの家は共働きでご両親の帰りが遅いので居留守を使われる可能性があるのと、家の人に触れられても構わない話題でもないので出来れば避けたい。


 というわけで、どの生徒よりも早く学校に行って待ち伏せを実行しようとしたんだけど……。



―――――



「はっ、はっ、はっ、はっ……」


 時刻は8時ちょっと前。

 私の頭上を覆う傘がぼたぼたとドラム音を奏でている。そんなのを悠長に聞く余裕もない。歩くたびに地面から跳ね返る水しぶきでローファーの中までもうびしょ濡れ。風も吹いているせいか斜めに降り注ぐ大雨のせいで両手も両足もすっかり冷えてしまっている。


 やらかしたー!!


 朝のジョギングの時はそうでもなかったのに、登校しようと家を出た直後に大雨に降られ、慌てて傘を取りに戻ったはいいものの、今度は使っている電車がストップときた。たしかにあの路線驚くくらいよく止まるけど!最近は順調だったからすっかり気を抜いていた。私は「もう急いでいるときに限って!」というセリフを叫びたくなるシチュエーションを見事に再現してしまった。


 ようやくたどり着いた校門で駆け足気味だった歩みを止めて大きく深呼吸。

 ほかの生徒ももうとっくに登校してきているし、私も急ぎすぎて疲れた……。

 今日はもう無理そうなので諦め……んっ?


 前のほうを歩くすらりと伸びた後ろ姿。傘の縁から覗くポニーテール。

 あれ……藤堂さんじゃない?

 これはなんという光明。災い転じて福となす。ようやく最近のレアキャラ藤堂さんに遭遇できた!

 私は急ぎ足で藤堂さんを追いかける。よし、これなら玄関のあたりで捕まえられる。

 藤堂さんが昇降口の階段を登りきる手前、私がその一段目にちょうど足をかけたところで、


「おはようございます。藤堂さん」

「……なに?」


 ぴたりと藤堂さんの足が止まる。明らかに不機嫌と判断できるドスの聞いた低い声が遠雷のように聞こえる。


「クラスメイトとしては朝の挨拶には挨拶で返してほしいですね」

「…………ちっ」

「舌打ち、聞こえてますよ?」


 そんな藤堂さんを意に介さず、さっきから階段の上から見下ろす煽っているは久我崎さんだ。こっちはこっちで淑やかに笑顔を振りまいている。


「部活、また辞められるそうですね」


 藤堂さんが部活を辞めようとしている話は昨日、私から久我崎さんと押切さんにも話していた。これを二人に言わないでおくのは同じ部員としてよくないと思ったから。まぁ、本音をいえば自分だけで抱えたくはなかった。

 藤堂さんは何も答えず、久我崎さんの横を抜けるように体を右側にずらして階段を上る。その二人がちょうどすれ違う瞬間。


「ねぇ、私と水泳で勝負しませんか?」


 藤堂さんの足がピタリと止まった。


「……なんであんたと?」

「それはほら、私は藤堂さんのことが嫌いなのでいつか叩き潰してやりたいなと常々思っていまして。授業だと堂々と競争なんて出来ないですから、辞める前に一度くらい、ねぇ?あっ、ちなみに中間テストの成績と体力テストの結果はどちらも総合で私が勝ってますんで」

「めんどくさ。こっちは別にやる義理なんかない……」

「あぁー……やっぱり逃げます?」

「……っ!」


 獲物を仕留めようとする肉食獣さながらの恐ろしい目つきが久我崎さんに突き刺さる。向けられたほうは男子でも怯みそうなそれを相変わらずの作り笑顔で受け止めている。通りかかっていくほかの子たちが二人のほうを見ていくけれど、関わったらヤバイやつだと思われているようでそそくさと足早に過ぎ去っていく。


「ほら。こんな嫌な女、ぐうの音も言わせないくらい打ちのめしてやりたくないですか?別にいいんですよ。私はあなたが受けようが受けまいがどっちでも。受けなかったら私の不戦勝ということであなたを負け犬としてしっかりと心の中に刻ませてもらいますけど」

「黙れ。クソ女」

「こんな学年トップクラスの美少女を糞呼ばわりなんて、美的感覚がずれてますね」

「わかってるだろ。内面がだよ」

「澄んだ泉のように清らかなさと新緑生い茂る森林のように穏やかさを持ち合わせているつもりなんですけどね」

「あぁっ、もう!やればいいんだろ、やれば!」

「それではテスト明けにプールでお待ちしてますね。あっ、それと負けたほうは罰ゲームありということで」

「好きにしろっ!」


 ひらひらと手を振る久我崎さんに今度は大きく舌打ちをして、藤堂さんは校舎の中へと入っていった。


 ……完全に全部持っていかれてしまった。


 私は依然として何も気にしてない様子で今度はこっちに手を振って、「あら。藤堂さん。ごきげんよう」なんてふざけた口調でのたまってきた。


「ねぇ、何考えてるの!?」

「私、こういう漫画みたいな宣戦布告、一度やってみたかったんですよね。」

「それ前に私に対してやったでしょ……って、そうじゃなくて!」

「どうせ今あの人に何を言っても聞かないですよ」


 すっ、と久我崎さんは校舎のほうへと目を向ける。そこにはさっきまでのふざけた様子は微塵もない。


「藤堂さん、精神的に強いんですよね。それに自分を気持ちを貫くタイプです。優柔不断で流されやすくてかまってちゃんで弱メンタルの朱鷺乃さんと違って」

「真面目なトーンで強烈に人のことディスるのはやめて」

「そういう人に対して下手な感情をぶつけても、それが相手の柱を折らせるような強い言葉じゃなければ効果はきっとありませんよ。自分の想いをこめた言葉じゃなければ無駄に硬いプライドの壁は打ち倒せません」


 自分の想い、か……。


「あの時、藤堂さんはどうして朱鷺乃さんのことを引き留めようと思ったんですかね」

「それが藤堂さんを説得する材料につながるってこと?」

「さぁ、どうでしょう」


 はぁ……。なんで私の周りにはこんなもったいぶったこと言ってくる人ばかりいるんだろう。面倒にもほどがある。


「でも、私に負けてでもして精神的に揺らげば十分に攻め時だと思うんですよね……。まぁ、そろそろ冷えてきましたから私たちも教室へ行きましょう」


 やっぱり性格悪いなぁ、この子。



―――――



 教室へ向かう道中。タオルで肌にべったりついた水滴を吹いている私は、久我崎さんの服が私と違って全然濡れていないことに気づいた。


「あんなに雨降っていたのに全然濡れてなくない?」

「えっ?だって、タクシー使って来ましたから」

「このブルジョアめ……」

「別にこれくらい変でもないでしょう」

「きっと久我崎家は一般家庭とそこそこずれてると思うよ」

「そうなんですか……?まぁ、そういうのはまずいですよね。金銭感覚のズレなんて別れる原因にもなりますし」

「危機感を覚えるポイントがよくわかんないけどまぁいいや」

「まぁ、それも久我崎さんが我が家にいてくれる間に確認していきましょう」

「…………ちょっと待て。私がどこにいる間だって?」

「私の家に」

「その言い方だと私が久我崎さんの家に滞在する、という風に聞こえるんだけど」

「今日からテスト明けまでを予定してますよ。もう両親には承諾済みなんで安心してください」


 あぁ……。ここ最近自分のキャパシティを超えそうな事態が何度かあって忘れていたけど、こいつの提案が一番その傾向にあったなぁ……。


「私が久我崎家に約1週間も止まりに行かねばならない理由を述べよ」

「あと1週間程度で私があの憎き藤堂華江に水泳勝負で勝てるとお思いですか?」

「いえ、思いません」

「これは毎日練習が必要ですね!」

「それだったら、放課後にどこかのプールで練習に付き合えばいいんじゃない?それにテスト勉強だってあるんだよ」

「私の家の近くに区民プールがあります。できれば使いたくありませんでしたが、背に腹は代えられません。それにみっちり練習してから家に帰るまでは大変でしょう。それなら私の家で泊まってそのまま勉強もしていけば問題ないじゃないですか」

「でもさ。ご両親に迷惑じゃない?」

「いえ。すごく喜んでましたよ。母は今頃はりきって献立考えてるんでしょうね」


 1回しか会ってないけど、その姿がすごく想像できる。鼻歌とか歌ってレシピ本眺めてそう。


「……ダメですか?」

「いや、ダメってわけでは……」


 正直な話、急で無理やりな提案だけど嫌でもないし、ダメでもない。どうせ一人暮らしだから私のほうは何も困ることはない。向こうの家にご迷惑かもっていう遠慮と妙な恥ずかしさが残っているだけ。


「お願いします。また私に力を貸してくれませんか?」


 ただ、そんな少しのモヤモヤも彼女の真剣な眼差しを見てしまったら、いとも容易く吹っ飛んでしまった。


「仕方ない。面倒みてあげる」


 何が起こるかわからない。何も起こらないかもしれない。

 それでも私は思ったんだ。信じてみようと。

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