開かない鍵

 新城高校を出た私と先輩は須江高に戻ってきた。部活動の一環として向こうの水泳部に行ってきたので、用事が無事に済んだ報告を磯部先生にしないといけないからだ。

 普段ならまだどこも部活をやっている時間。昨日まではにぎやかだった放課後の校舎やグラウンドには人の音も影も全然ない。中間テストの前は授業が終わったらさっさと帰っていたからこの風景を体感するのははじめて。


 職員室に入ると自分の机に座っていた磯部先生とちょうど目が合った。

 ただ、その表情が遠目から見ても明るくなさそうで私は気持ち足早に先生のほうへ向かった。


「二人ともおかえりなさい。大丈夫だった?」

「学校の中は深月ちゃんに覚えてもらったんで問題なしです」


 先生は『もう……』と言いたげな呆れ混じりの顔で先輩を見た後、それを苦笑いに変えて私のほうに視線を向けた。私は軽く頷いて肯定の意を示す。


「ところで、二人に話すことがあるの……」


 その言葉に手をぎゅっと握って身構えてしまう。


「藤堂さんがね。退部を申し出たの」


 それはうっすらと想像していた一番聞きたくない言葉だった。



―――――



 藤堂さんが放課後、先生のところにやってきて部活を辞めると話した。理由は水泳部に迷惑をかけたくないから。先生は考え直してほしいと止めたけど藤堂さんは全然引かなくて、「みんなにもそう言っておいて」とだけ言い残して先生の引き留めも無視して帰ってしまったらしい。


 私は先生に「藤堂さんと話してみます」と伝えた。それが全然できなくて困っている状況なのだけど、ここはもう意地でもなんとかするしかないという気概くらいは見せないと。

 そんな私の隣で先輩は顔色を全く変えず、いつもの様子でいた。


「辞めてほしくないんですか?」


 私は堪らずにそう問いかけた。


「続けてほしいけど、強制はできないからね」


 私が部活に入らないことを選択したあの時と同じだ。

 この答えは予想できた。やっぱりこの人は力になってくれそうにない。その理由はわからない。5人しかいない部活。1人でも欠けたらそれだけで部活の規定未満になってしまう。わざわざ復活させた部長だったら部活が潰れるような事態を見逃すとは思えないけど……。先輩の考えてることイマイチわかんないからなぁ。


「私は……このままじゃ嫌なので。やれるだけのことはやりますから」

「うん。心強い後輩を持って嬉しいよ」


 だから、反抗心と皮肉を込めて宣言したけど、またいつものように冗談混じりの言葉でひらりとかわされてしまった。

 別に責めるつもりはない。でも、仲間としてこの態度はいかがなものか。

 そう言ってやりたいのに言葉が出ないのは、それを言ったところで何も話は進まないと思ったから。


「そうだ。私、そろそろバイトあるから帰るね。深月ちゃんも帰る?」

「私はまだやることがあるんで」

「そう……。じゃあ、


 先輩は屈託のない笑みを浮かべて、ひらひらと私に手を振って職員室前の階段を下って行った。たんっ、たんっ、と跳ねるような足音が遠ざかっていく。


 しょうがない。私はやれることをやりに行こう。



―――――


 3階の特別教室が並ぶ廊下の真ん中あたり。人によっては高校三年間で一度も訪れることがない部屋。職員室や校長室ほどじゃないけど、ここに来ると自然と気を引き締めてしまう。


「失礼しまーす」


 壁にはグレーの書類棚とそれよりも少し背の低い本棚。反対側の壁には学校机とその上に置かれた電気ケトルとインスタントコーヒーの容器。クーラーはないので窓は全開でカーキ色のカーテンが優雅に波打っている。

 そして、中央に四角形になるよう並んだ横長の木製デスク。窓側に一人、書類棚がに一人、座っている。


「あら、朱鷺乃さん」

「お疲れ様です。藤堂

「どうしたの。なんか改まっちゃって」


 というわけでここは生徒会室。さやさやと吹く風に艶やかな髪を揺らす生徒会長の

 藤堂とうどう紅葉もみじ先輩と、入ってきた私に一瞥だけしてすぐに机の上のノートに視線を戻した副会長の、えぇと……そう、広橋ひろはし青葉あおば先輩。生徒会選挙の結果が書かれた掲示物にそう書いてあった。


「なんだかそう呼んだほうがいい空気かなー、と」

「部活の時は”部長”って呼ばないのに?」

「それは民研が部活っぽくないからです」


 藤堂先輩は『お茶飲んでるだけだものね』とボリュームを落とした声でそう言って、ふふっと笑みを零す。その後、広橋先輩のほうを横目で見て、口元に人差し指を立てる仕草をした。目線を向けられた当の本人はそれに気づいてるようで「はぁ」と小さくため息をついて藤堂先輩のことをスルーするようにまたノートに集中した。


「ところで今は生徒会の仕事中ですか?」

「ううん。一通りやることも済んだから今はテスト勉強。下校時刻まではここでやっていくつもり」

「ちょっとお時間もらってもいいですか?」

「うん、大丈夫。何かお話?」

「あっ、はい。できれば二人だけで話したいことなのでどこか別のところに……」


 そこで、ガタッという椅子が動く音とともに広橋先輩が立ち上がった。


「じゃあ、私が帰れば済む話ね。どうぞごゆっくり」

「あ、あの……別に邪魔とかそういうのでは……」


 あたふたしてしまう私が取り繕うとする間もなく、広橋先輩は机の上の荷物をまとめて「それじゃあ」と部屋を出て行ってしまった。


「……行っちゃった」

「広橋さん。効率的に考えてすぐにこれだと思った行動に移っちゃうの。それと、怒ってるわけじゃないから気にしないでね」

「は、はぁ……。なんか似てますね」

「それは、華江に?」

「はい、そうです」


 その受け答えで私が来た意図を察してくれた先輩は「座って」と右手で促してくれた。目の前にあった椅子に座った私は民研のときよりも少し遠くにいる先輩にこれまでのことを話した。話すかどうか迷ったけど、新城高校で石沢くんと話したことも打ち明けた。

 私の話を聞く先輩の表情から、この学校であったこと、私がしたことはほとんど知っていて、藤堂さんが石沢くんのお兄さんと付き合っているかもしれないということと、藤堂さんが退部を申し出たことは知らなかったみたいだ。まぁ、退部の話はついさっきあったことだから当然として、もう一つの話もやっぱり家族には隠しているよね。


「それであの子、あの日どこに行っていたか話してくれなったのね……」


 私の考えていることは全部伝えた。勝手に犯人扱いして申し訳ないけど、テニス部の先輩が何か関係しているという推測も含めて。先輩は同意まではしてくれなかったものの私の考えを真っ向から否定はしなかった。

 その反応を踏まえたうえで、私は席を立ちあがって先輩に向かって頭を下げた。


「藤堂さんを助けてあげてください!」


 2週間くらいあちこち巡って回りまわった結果、私は一番頼りになりそうな人に頼むことにした。自分でも思うところはあるけれど、これが私にできる最善の行動だと思う。藤堂さんにも藤堂先輩にも近い立ち位置にいる私だからやれること。後輩なんだから先輩には甘えてしまえ。

 具体的な方法はわからない。でも、生徒会長という立場を使えば私や空より調べることだってできそうだし、お姉さんなら藤堂さんを説得する機会だって私たちよりもある。


「……ねぇ、朱鷺乃さんはそれが本当に華江のためになると思う?」


 頭の中を真夏の雷雲みたいな大きくて真っ黒なかたまりが覆う。

 えっ?今、先輩はなんて言ったの。

 私には理解できない否定の言葉に思考がピタリと止まってしまう。だけど、先輩からはそんな私の内面など見えるはずもなく、ただただ言葉を続けていく。


「私が何かしようとしてもそれはあの子にとっては余計なことなんじゃないかと思うの。私がでしゃばることであの子が頑張って耐えてやってきたことを台無しにしてしまうかもしれない。考えていること、望んでいることと違うことをしてしまうかもしれない。だとしたら、私は何もしないのが一番なんじゃないかって」

「そ、そんなことないですっ!」

「でも、私はこれまでずっとあの子に対して余計なことをしてきたの。私が勉強や運動を頑張れば頑張るほど、周りは私とあの子を比べるようになる。あの子の出来が悪かったら、『お姉ちゃんに教えてもらいなさい』って『お姉ちゃんみたいになれるといいね』ってあの子は無神経な人たちに肩を叩かれるの。小さい頃は友達を作るのが苦手そうだったから、一緒に遊んで同年代の友達を増やしてあげようといろんな子に愛想良く振舞って輪を広げてみたの。そうしたら、『紅葉ちゃんのほうが優しい』『紅葉ちゃんのほうがかわいい』ってみんな私のほうにやってきてあの子からは離れていった。テニスだってそう。私も中学一年まではあの子と同じテニス部だったの。だけど、二年生なってすぐ事故で腕の骨を折るケガをしちゃって、同じころ生徒会に推薦されたからそれを理由に部活をやめたの。本当はまた比べられて一生懸命に頑張るあの子の邪魔になりたくなかっただけなんだけどね。でも、私のことをあまりよく思ってなかった子たちが新しく入ってきたあの子に目をつけて、それが今になってもずっと……。そのせいで、あの子は今……」


 温かくて優しくていつも落ち着いた憧れる先輩が、俯いてうなされるように自分の後悔を呪いの言葉みたいに吐き出していく。時折、つぶやくような枯れてしまいそうなその声は、先輩のことが大好きなアイツには聞かせたくないくらい弱々しいものだった。正直、先輩の話にはそんなことで?って思うようなことだってある。でも、そう言い返すほどの図々しさも、言ってしまった後に先輩を支える力強い腕も私は持ち合わせていない。

 だから、私は自分が唱えた呪詛で苦しむ先輩に「そんなことないです」と安っぽい言葉をひたすらぶつけることしかできなかった。



「ごめんなさい……」


 電気ケトルで沸かしたお湯をインスタントコーヒーが敷かれたコップに注ぐ。うっすらと白い湯気が夕暮れの風にむなしく吹き消される。それを先輩の前にそっと置く。「ありがとう」というまだか細い声はちゃんと聞こえる「ごめんなさい」より大きく聞こえた。

 何かしてあげてもそれが良い結果に繋がらない。自信は不安に、優しさは怖れに。一緒に生まれた双子だけど、学年が一つ離れてるのもきっと影響してるんだろう。こうなると私なんかの一朝一夕の説得じゃ力は無さそうだ……。


「無理を言ってすみませんでした」

「ううん。朱鷺乃さんは謝らないで。私がこんななばっかりに……」

「とにかく、藤堂さんには水泳部は辞めないように私からお願いしてみるので」

「本当にありがとう。あの子のこと大事に思ってくれて」


 やっと見せてくれたその笑顔に、私はちゃんと答えてあげたい。

 藤堂さんだって先輩のことをちゃんと思っているということを。

 だって、藤堂さんは先輩と同じ学校ばしょに行くことを自分で望んだのだから。それならわかり合えないことなんてない。たぶん素直になれないだけ。弱い部分をさらけ出せないだけなんだ。

 それならもう……。


 本人の口からそれを言わせるしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る