藤堂華江の秘密 ②

「わかったの!?藤堂さんが何をしていたのか?でも、証明はできるの?それに藤堂さんが言いたくないことなんでしょ!それって一体……」

「待った!少し落ち着けって」

「あっ、ごめん……」


 願ってもないその言葉に勢いあまって飛びつきすぎてしまった。頬のあたりが少し熱くなって、両手で顔をぱたぱたと仰ぐ。それを見た石沢くんがぷっと吹き出した。


「笑うのは失礼でしょ」

「俺はこれでも華江は最高の友達だと思ってるから。真剣に思ってくれる君を見て嬉しくなったんだよ」

「くっさ……」

「そんなでもないよな!?」


 二人して笑いあって、それからふぅと息をひとつ。

 さぁ、ここからまた真面目なお話。大事な大事な、ね。


「じゃあ、教えてください」

「……華江は俺の兄貴に会っていたんだと思う」

「それって石沢くんのお兄さんってことでいいんだよね?」

「あぁ。俺、社会人の兄貴がいてさ。歳は23。兄貴も実家暮らし。華江も理沙も昔から知っていて小さい頃から何度も遊んでもらってた。兄貴も水泳やっててさ。俺と華江が通っていたスイミングには兄貴も前に通ってた。送り迎えもしてもらってて、俺は兄貴からいろいろ教わって……水泳部に入るようになったのは兄貴がきっかけみたいなもんかな」


 うーん……。あれっ?これまでの流れでお兄さんと会っているってことは……。


「あのぉ……もしかして、藤堂さんって……」

「俺の兄貴とたぶん付き合ってる。それが現在進行形か過去形かはわからないけどな」

「本当に?」

「昔、兄貴が言ってたんだ。華江がスイミングやめた後、『泳いでる華江ちゃん、かっこよくてすごく似合ってると思ったのにもったいない』って」

「それって……」

「兄貴はずっと前から華江に好意を寄せていたかもしれない」


 額にかかった髪を手でかき上げるようにして机の上で考え込んで、


「俺が紅葉さんを好きだったように、あいつも兄貴が好きだとしたら。小さい子どもの感覚としては離れすぎた年齢を届かないものだと思ったのなら。そこに弟で悪くないなと思っていた俺が告白したとしたら。付き合って俺の家にまた呼ぶようになってすっかり大人になった兄貴の姿を見るようになったら。俺が華江と別れたことを言ってなくてもそれをなんとなく感づいていたとしたら」


 石沢くんはたくさんの”もしも”を並べる。


 同じ家に住む兄弟で同じ人を好きになったとしたら、よくある恋愛漫画みたいに気づいてしまうものなんだろうか。当事者じゃない私にはわからないけど、彼の深刻そうな表情を伺うにそれは確信があることなんだろう。

 たぶん、それはずっと『まさか』と思っていたこと。見ないようにしていた事実。それを石沢くんは必死に振る舞う。自分が藤堂さんにしつづけていた過ちを実は自分もされつづけていたことから目を逸らすために。大切に思う藤堂さんを”疑う”なんてこと、したくないから。


「……藤堂さんがお兄さんのことを好きだったら、いろいろと辻褄が合うね」


 だから、私はそうあっさりと言い放つ。今日会ったばかりの人にそこまで同情もできない。それにこれも自業自得?因果応報?とにかく、彼から別れを告げた以上は藤堂さんのことをあれこれ言える筋合いもない。


「石沢くんと付き合うに至った過程は石沢くんと同じだった。付き合って石沢くんの家に遊びに行ってお兄さんと再会してまた好きになった。でも、相手は彼氏の兄で、石沢くんと藤堂さんが付き合ったころ、二人は大学生と中学生という素直に付き合えそうにない複雑な間柄。別れた後もなり立てとはいっても社会人と高校生ということもあって表立っては付き合えない。だから、石沢くんの提案を飲んだ藤堂さんはお兄さんとひっそりと付き合いはじめて、あれもこれも隠し続けてきた」


 こう考えると藤堂さんもなかなかやるもんだなぁと思う。意趣返し……ってことはないだろうけど、恋というのは自分の船なのに操舵をするのが難しいのかもしれない。真っすぐ進んだつもりが見当はずれの方向だったり、強烈な荒波に飲まれて前に進めなくなったり、激しい雨に降られる中を必死に進んだり。うーん……悪いことばかりじゃないのはわかっているんだけどね。


「ところで話を戻すけど、お兄さんが藤堂さんと会っていたと思ったワケはなんで?」

「あぁ……それはさ」


 石沢くんはまだ落ち込んでいるところから抜け出し切れていなくて、さっきまでの活気はなくなっている。


「その日、いつもと違って仕事から早く帰ってきて慌てた様子で着替えて、どこかに出かけて行ったんだ。『友達と出かけてくるから遅くなる』としか言ってなかったけど、やけに身支度をしっかりしてた」


 藤堂さんの部活がなくなって時間が作れそうになったから誘ったという可能性もある。嬉しそうに彼氏に連絡する藤堂さんの姿。うん……普段の様子と違いすぎて想像できない。

 でも、そうだとすればあの日藤堂さんが学校にも姉の藤堂先輩にも本当はどこに行っていたか話さなかった理由はつく。平井さんには隠したいだろうし、あんな疑惑を持たれたタイミングで社会人の男の人と付き合っているという話はイメージ的にも良くない気がする。

 じゃあ、もしも藤堂さんの秘密をあのテニス部の先輩が知っていたとしたら?


「あの、藤堂さんって中学生のときテニス部の先輩とレギュラー争いしていたって聞いたんだけど」

「ん、あぁ。そうだよ。部活ではよくあると思うけど試合は先輩が優先って空気があったから、華江と理沙が出たときはちょっと揉めてたし、因縁もつけられてた。あいつもたまに愚痴ってたよ」


 すごく嫌っていたなら、相手の弱みを見つけてそれを使って脅すことだって……。


「もしかして、あのテニス部の先輩が華江をはめていたってことか!?」

「……かもしれないね」


 まぁ、私はかなり疑ってるけど。


「あいつ大丈夫かな……。俺になんか出来ることないか?助けてやりたいんだ」

「うーん……やめておいたほうがいいと思う。藤堂さんとお兄さんのことが本当なら話が変な方向にいくかもしれないよ。ちゃんと話すんだったら今は避けたほうがいいんじゃないかな」

「そうだよなぁ……」


 それでも少し元気を取り戻した石沢くんは私のほうに力強い視線を向けてきた。おまけにこっちの手を掴んできそうな勢いだったので、両手を引っ込めて全力でそれは回避。


「華江のこと、頼む!」

「そ、それはもちろん……」


 でも、正直私もこれ以上出来ることが見つからないからなぁ。あとは……。


「そろそろ戻るか。先輩たちあまり待たせるわけにもいかないから」

「あぁ……たしかに」


 これ以上進展はしなさそうだし、本当に変な誤解をされるのも嫌なので私たちは視聴覚室から出ることにした。



―――――



 水泳部の人たちには石沢くんの彼女=藤堂さんが何か悩んでいたから相談していた、というそれっぽい半分くらいは本当でもあるウソをついてごまかした。

 帰る間際、切実そうな目で訴えかけてくる石沢くんに私はできる限り頼もしく見えるよう笑って頷いた。次に二人が会うときはちゃんと腹を割って話せるようにしてあげたいな。


「いろいろ話はできた?」


 帰り道、香原先輩が話しかけてきた。入学式の日、子どもに『友達はできた?』とたずねる母親みたいな穏やかな微笑みで。


「まぁ、それなりに」

「そっか。それは良かった」


 先輩の全然この件に踏み込もうとしない傍観者みたいな素振りがどうしても気になってしまうけど、飄々としている先輩にあれこれ言っても適当に流されてしまいそうな気がした。そもそも何を言えばいいのかもわからないし。

 ただ、あまりいい気分はしない。


「ねぇ……」


 隣にいる香原蓮菜先輩昔の知り合いをあの頃と同じふうに呼びかける。

 スイミングスクールで私にしつこく話しかけてくる一つ年上のちょっとウザい女の子。

 そう呼びかけたのはちょっとムカついたからなのか、それともぼーっとして深く考えていなかったからなのか。


「ひとつ聞いてもいい?」

「いいよ。なに?深月ちゃん」


 私の言葉遣いなんてこれっぽっちも気にしない先輩はあっさりYESと言ってくれた。笑顔であること以外は何もわからないさっきの表情のまま。


「今日、私を連れてきたのは石沢くんに会わせたかったから?」


 あそこで男子部員の上級生が石沢くんと一緒に私たちのほうに来たのは偶然かもしれない。でも、先輩が新城高校の部長さんに練習も見せてほしい、と事前に話していたら。部長さんがそれを部員のみんなに伝えていたら。後輩の彼女が須江川高校にいるなら話のネタになるから話しかけてみようと思う先輩がいたら。

 これはさっきみたいな”たられば”の話。それでもさっきよりも現実味はある。だから、私は少しだけ近い距離にして、香原に聞いてみたくなった。


「さて、どうだろうねぇ」

「……もう少しうまい誤魔化しかたはできないの?」

「なんかそんな気分だったので」

「えっ?なにそれ?」

「よし、学校まで競争だ!」

「今度は誤魔化しかたがすごく雑」


 まぁ、先輩なりの手助けということにしておこう。手助けになっているかは別として。


 オレンジ色の空を見上げると、影みたいな色をした二羽のカラスが乾いた音で鳴きながら、明後日の方向へ飛んで行った。

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