藤堂華江の秘密 ①

「この部屋なら放課後は誰も使わないから大丈夫」


 強引に引っ張ってきたものの人目につかない場所など部外者の私にわかるわけもないので、プールサイドを出たところで早速次の行動に迷っていると、連れてこられた方である石沢くんが「よくわかんないけど、誰も来ない場所ならいいんだよな?」と諦めた様子で場所探しを申し出てくれた。本人としてもここまで来て戻るわけにもいかないと思ってくれたみたいだ。

 もちろん、石沢くんにはちゃんと制服に着替えてもらったうえで私たちは1階の視聴覚室に入った。横長の机が等間隔に何列も並び、教室の前方にはプロジェクターや大型のテレビがおかれている。石沢くんは教室の中央にある席に座ったので私もその隣に座る。


 水泳部のあの体つきの良い上級生の人たちに比べたら少し背は低いけれど、それでもやっぱり男の子。私よりは一回り……いや、二回りくらい大きい。顔立ちはよくある言い方をするなら”男らしい”より”中性的”。やや垂れ下がった目と薄い眉もあって気が強そうには見えず、穏やかで優しいといった表現が似合う人だ。

 この人が藤堂さんと付き合っていたと考えると、尻に敷かれる姿……じゃなくて、藤堂さんがリードしている姿がなんとなく想像できてしまう。

 私は座ったまま椅子の位置を彼のほうへ90度回転させる。


「じゃあ、改めて。石沢くんに聞きたいことがあるの」

「は、はぁ……」

「本当は藤堂さんとは中学の時にに別れてるよね?」

「なっ……!?いや、俺は、その……」


 どうやら想像していない質問だったみたい。わかりやすく動揺してくれた。


「前に藤堂さんと話していたときに聞いたんだ。付き合った経緯と別れた理由も。だけど、つい最近別の人から二人は今も付き合っているって聞いて」


 早々に『ごまかしても無駄だ』ということを示すと石沢くんは1度大きく呼吸をすると、申し訳なさそうな表情で頭をかいた。


「まずはじめに言わせてほしい。このことに関して華江は全く悪くない」

「それはわかってるよ。過ごした時間は君に比べたら全然短いけど私は久我崎さんは真面目な人だって知っているから。だから、悪いけど私は非があるとしたら石沢くんだと思ってた」


 会ったばかりの私にちゃんとぶつかって自分の考えを伝えてくれた人だから。入った理由はまだ知らないけど、ちゃんと毎日ひたむきに練習しているのを見ているから。


 藤堂さんをかばおうとしたつもりが、私の毅然とした反応を受けて石沢くんは今度はばつが悪そうな顔をする。


「あっ。でも、石沢くんを責めているわけじゃなくて……。えっと、なんでこんなことを聞きたかったっていうと……」


 たぶんこのままこれについて話し続けたら本題に入る前に落ち込んでしまいそうなので、私は4月から最近にかけてうちの学校で起こったことをかいつまんで説明した。


 全部話し終わった頃、石沢くんの顔は怒りとか悲しみとか悔しさとかいろんな感情を抱きすぎて文字通りぐちゃぐちゃになっていた。半渇きの髪の毛を拭くために首に巻いていたスポーツタオルで目元の部分を強くこすっている。

 その光景を目の前で見て、私は彼がちゃんと藤堂さんのことを大切に考えていたことを知れて安堵した。それにしてもちょっと泣きすぎだけど。


「落ち着けそう?」

「うぅ……なんと……か。すぅー……はぁー……。ふぅ……もう、大丈夫なんで」


 目を真っ赤にしてまだ潤んでいる瞳で言われても説得力に欠けるけど、ここは我慢してもらおう。

 石沢くんがまた大きく深呼吸する。私は彼の準備が終わるまでじっと彼の顔を見て待つことにした。


「俺は小学生の頃から仲が良かった華江のことが好きだったんだ。華江も異性としてずっと気に留めていてくれたみたいで中学のときに付き合うことになった。でも、俺たち二人は同じ頃から同じくらい仲が良かった理沙が俺のことを好きなことも知っていた。だから、ちゃんと報告はした。理沙ももしかしたら本心じゃなかったかもしれないけど「おめでとう」って言ってくれた。3人の関係も大きく変わることもなく、3人の時は3人でいることができたんだ」


 平井さんが話した感じだと悔しさやうらやましさは相当あったんだと思う。けど、それは3人ともきっとわかっていて、だから続いたんだろうなぁ。


「だけど、華江と付き合って彼女の家に遊びに行くことが増えて、学校の先輩でもあった華江の双子の姉、紅葉さんって言うんだけど……」

「私の部活の先輩だから知ってるよ」

「……そうか。で、俺は気づけばだんだんとその紅葉さんに惹かれていったんだ。正直な話、小さい頃から二人とも気になっていた。二人は二卵性だから顔も細かい部分は違うし、性格もほら……全然違うだろ。だけど、似ている部分もあるから、俺は二人を目で追っていたんだ。でも、紅葉さんは先輩だし、優等生で学校の男子からはいつも人気あったから、俺には高嶺の花だなって思って……。それで、あの人より自分の身近にいた華江のことを好きになろうと思ったんだ」


 石沢君は自嘲気味に笑って視線から背くように俯いた。急に話が止まる。私は彼が何を待っているのかがわかったから、頭の隅っこから捻りだしてきた嫌悪感を口の中で空気とかき混ぜて、


「ええぇ……それ、クズじゃん」


 彼の胸に軽く突き刺さるように言葉を返した。


「はは……。だよな。あいつに思い切り頬を叩かれて別れた」


 本音としては私はそうは思っていない。

 恥ずかしさなんて微塵もないけどこれまで恋愛をしてこなかった私が何を言うか、って話だけど、届きそうにない一番を諦めて二番目か三番目の手に届きそうな位置にあるものを掴もうとすることなんて変なことじゃないし、仕方のないことだと思う。

 それが人だから最終的には誰かを傷つけることにはなってしまった。でも、藤堂さんが正面から彼の気持ちを受け止めたなら、本人がどう思ってようがそれは”愛情”と呼べるものだったんじゃないかな。だったら別にいいんじゃないか、なんて身も蓋もない結論を抱いてしまう。彼も最後はちゃんと藤堂さんに話したわけだし。


 でも、この話は残念ながらそれだけじゃ終わらない。私はさらに続く彼の言葉をじっと待つ。


「それで俺は華江と別れることになったけど、理沙にはそのことは言いたくなかったんだ。周りの子の話とかあいつの態度を見て、俺が別れたと知ったらアプローチをかけてくると思ってさ」

「その気がないのなら、告白されてもちゃんと断ればいいんじゃないの?」

「理沙がさ。『振られたら友達でいるのも耐えられないかも』って友達にこっそり言ってたのを人づてに知っちゃったんだよね。そもそも華江と付き合って別れて、その時点で3人の関係性が終わるんじゃないかって不安でビクビクしてたから。あいつとも正面切って向かい合う勇気がもうなくてさ……。それに、調子に乗ってるわけじゃないけど理沙は結構強めに俺に惚れてると思うんだ。今までも何回かアプローチしかけてきた。だから、あいつがどう動くかわからなくて怖くなって……」

「でも、それくらい積極的なら『一度断られたくらいじゃ諦めないぞ!』ってなりそうな気もする」

「……かもな」


 まぁ、あーだこーだ言ってもどっちに転ぶかなんてわかんない。その時が来ないと、誰にもわかりっこない。


「で、そんなこと考える余裕もなかった俺はあいつに嘘をついた。華江にも頼み込んで口裏を合わせてもらって。一回間違ってしまったらもう引き下がれなくなった」


 そして、そのままの状態で藤堂さんは付き合ってるのにどこぞの男とホテルに入ったのが噂されて処分を受けてしまった。平井さんも彼を思って藤堂さんに本心からあんな怒り方をしてしまったから、もう引っ込みがつかない。これで二人が別れてるって聞いたらさらに混乱しそう。


「でもなぁ……。あいつが学校でそんな大変な目に遭っているなんて知らなかった。停学にもなっていたなんて……。それで理沙たちには嘘をつき続けてもらってさ……。なんで気づけなかったんだよ。俺、本当に馬鹿野郎じゃん……」

「藤堂さん、顔に出さないから。高校に入って会わなくなったんなら仕方ないって」

「……いや。高校に入ってからも華江とは会ってるよ。付き合っている提だから口裏合わせるためにも話題はいろいろ共有しないといけなかったから。だいたい俺の家に来てもらうことが多かったけど」

「えっ?そうだったんだ。平井さんも会っていないって言ってたから、別れた藤堂さんもてっきり……。でも、たしかに必要だよね。そういうの。……なんか犯罪者みたいだけど」

「共犯にさせちゃったからなぁ……。はぁ……」


 共犯者かぁ。たしかに”二人だけの秘密”とたとえるにはうしろめたさが大きすぎるかも。

 ん……?でも、共犯者なんだとしたら……。


「ねぇ、藤堂さんがホテルに入ったことにされてる日、藤堂さんは夕方遊んでいた子たちと別行動を取っていたんだけど、その日は石沢くんとは会ってないんだよね?」

「あぁ……。俺、その日の放課後は学校で部活だったから」

「でも、石沢くんと会っていたって嘘をつけば良かったんじゃない?学校だって警察じゃないから石沢くんが会っていたっていえばごまかし通せると思う」

「ちょっと危ない橋だけど、たしかにそれでなんとかなりそうな気もする……」


 学校側だってわざわざ生徒の不祥事を外部に広めたくないから、もし石沢くんに確認を取ったとしてもさらに彼のアリバイ確認まではしないはず。

 ということは、藤堂さんにはあの日、本当に他人に言えない用事があったんだ。そういえば、藤堂先輩にもどこに行っていたかは何も話してないらしいし……。


「最近も藤堂さんと会ったんだよね?」

「あぁ。2週間前も会ったよ。その事件のことはもちろん何も言われてないから、いつも通り最近のこと話したり、理沙をごまかすために『ここにデートしたことにしよう』って話を合わせたり……」

「藤堂さん、4月ごろとなにか変わったことはなかった?様子がおかしいとか、そういうの」

「うーん……特に変わったところはなかったな。……あっ、そういえば、あいつに俺の家じゃなくて近くのカフェで会おうって言われた」

「なにか理由があって、石沢くんの家は行けなくなったってこと?」


 そこから私たちが黙って考え込んでいると、石沢くんが「なぁ……」と再び話を切り出した。


「華江はテニス部なんだよな?」

「ううん。私と同じ水泳部。同じ部になって私も藤堂さんとは知り合いになったから。あっ、そういえば、藤堂さんが水泳部に入った理由がわからなかったけど、もしかして石沢くんが水泳部なのと関係ある?」

「たしかに華江と俺は小学生の頃にスイミングに通いはじめたよ。中学になってあいつは理沙と一緒にテニス部に入って、そっちがメインになってきたからこっちは辞めたけど」


 それも初耳の情報だ。押切さんも昔やっていたから、うちの部は久我崎さん以外全員スイミング経験者だったってことになる。


「なるほど。それで水泳部に……」

「いや、あいつそこまで水泳は好きじゃなかったんだよ。毎週嫌々やっている感じだった」

「じゃあ、なんで……?」


 すると、石沢くんは突然両手で頭をわしゃわしゃとかき乱した。まだ髪の中に残っていた視聴覚室の冷房ですっかり冷たくなった水滴が私の顔にぱっぱっと当たる。文句を言ってやろうと思ったら、今度は「ぬぁぁぁッ!」と謎の叫び声をあげたので出かけていた文句を飲み込んでしまった。


「ちょっと!?いきなりどうしたの?」

「たぶん、わかった」

「えっ、何が?」

「華江があの日の夕方、何をしていたかが」


 ハッとした彼の口から出たのは、私が知りたくてたまらなかった言葉だった。

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