守ってくれる
あれから翌日。
今日から試験1週間前ということで朝練をする部活もなくなり、朝の学校はいつもより静かだ。校舎外のテニスコートも人の影はない。
靴を履き替えて階段を上がり教室へ向かう。入学してから繰り返している当たり前の毎朝の流れ。1年3組の札がかけられた開けっ放しの扉。
そこをくぐった瞬間、いつもとは全然違う空気が私にまとわりついた。
普段は私が登校してきたことなんて気にもしない人たちがこっちをじろっと見ていた。全員から注目を浴びる……なんてことはないようで視線を向けている。一夜にして有名人にはさすがにならなかったみたい。
視線は氷柱みたいに尖ったり、泥みたいにねっとりしていたり。それに合わせたひそひそ話のおまけつき。
昨日の夜、この前に久我崎さんに見せてもらった学校の裏サイトを覗いたら、私についてのことが早速書かれていたので、その視線の意味も話の内容も予習済み。だから、ダメージは思っていたより全然軽い。それにこれが初めてじゃないから。
席に座ってもまだまとわりついたものは取れそうになくて、カバンに入っていた授業用ノートの束を取り出してコンと机を叩いて祓ってみる。残念ながら効果はないようだ。
「朱鷺乃さん。おはよう」
「おはよ」
私が席に着くやいなや、押切さんが空をふよふよと漂うたんぽぽの綿毛みたいなやわらかい笑顔で迎えにきてくれた。
「髪の毛、ちょっと跳ねてますよ」
「えっ……。あぁ、ほんとだ。んっ……と。これでよしっ」
「うん……そう、かもね」
手櫛で髪を押し込むようにして無理やり引っ込ませる。飛び出ていた個所を軽く触って、だいたい問題なさそうなことを確認する。私の雑なやり方に押切さんは苦笑していた。
そのあとも昨日3人で出かけた押切さんが密かに行ってみたかった駅前のカフェのこと、最近読んだ本の話、来週からはじまるテストについて、といった他愛もない話をした。押切さんが朝からこんなに話題を振ってくれることは今までなかったけど、その理由が私を不安な気持ちにさせないように、ということなのはわかるから私も珍しく饒舌にあれこれと日常の話なんかをしてみたのだった。
「はい。席についてー。ホームルームはじめますよ」
チャイムが鳴ると同時に磯部先生が教室に入ってきた。手に持ったプリントの束を先頭に座る生徒たちに配って、そこからくるりくるりと回転運動が後ろのほうへ伝染していく。道中で「うへぇ」とか「きたぁ」なんて溜息を浴びながら1枚のプリントが私のもとにもやってきた。なんてことはない。期末テストの時間割。
「わかってると思うけど、今日からテスト最終日まで特別な理由がない限り、部活動は休みです。楽しい夏休みを迎える前にしっかりこの3か月の成果を自分に見せつけましょう。今週は余計なことを気にしないで勉強に集中しないと痛い目をきっと見ますからね。ちゃーんとどうにかなっちゃった人のために補修もあるけど、先生のお仕事はできるだけ増やさないでね」
少しだけ教室がざわついた。今まで生徒にからかわれてばかりの先生が先制攻撃をしかけるみたいに皮肉っぽく言うことなんてなかったから。……こほん。ダジャレは言うつもりじゃなかった。
だけど、私は先生がどうしてこんな風に言ったのかがわかったから、ホームルームが終わって1時間目の教室移動の前に、慌てて先生のほうへと駆け寄った。
「あのっ!磯部先生」
磯部先生は私が話しかけるのを待っていたかのように、さっと振り向いた。
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
顔がこっちに向くのと同時に私は頭を下げた。そこで「あれ?」となって頭を上げる。なぜか先生まで頭を下げていた。
状況が呑み込めないのはお互い様のようで私に遅れて頭を上げた先生も頭上にクエスチョンマークを浮かべたような表情をしていた。
「私は先生が言ってくれた言葉の意味を勘違いしていて……。使命感に走ってあれこれ引っ掻き回そうとしないで、先生の言葉通りにちゃんと受け取って自分にできることをやれば良かったのに」
肩を落とす私に先生は首を左右に振った。
「ううん。先生こそ余計なことを言っちゃって朱鷺乃さんを混乱させてごめんなさい。えっと……ほかの生徒や先生の話を聞いて何があったかはわかってるの」
「だから、ああいう風に言ってくれたんですよね」
「本当はちゃんと言って守るべきなんだけど……」
「そんなことないです。私ももう突っ走りすぎたりはしないので」
私はもう一度頭を下げると、先生は「何かあったらすぐ言ってね」とほほえみかけてくれた。
そろそろ移動しようと振り向くと押切さんが教室の前で立っていたので、「お待たせ」と一声かけて一緒に授業へ向かった。
歩きながら壁の掲示板に貼られた部活ポスターの中に水泳部のものが無いのを見て、胸がきゅうぅっと苦しくなった。悔しさが消えるのはまだ当分かかりそう。
―――――
放課後。
部活は休み。藤堂さんは今日も捕まらなかった。やることもないし、さっさと帰ろうと思っていたら、
「朱鷺乃さんはもう帰りますか?もしよかったら図書室で勉強しませんか?」
押切さんがそう尋ねてきた。
「うん。いいよ」
「それと併せてお願いしたいんですが、勉強も教えてもらえると……」
「私でよければ全然大丈夫だけど。もしかして、勉強苦手?」
「赤点取るほどじゃないんですが、理系科目があんまり……」
あぁ、なるほど。と、なんか納得してしまった。まぁ、運動がそれほど苦手じゃないから、その時点で外見のイメージとは離れるところではあるけれど。
「それじゃあ、行こ……」
行こうか、と言いかけたところでバッグのスマホが震え出した。振動が長いということは電話だ。私に電話がかかってくるなんて珍しいなと思いつつ開いた画面には香原先輩の名前。
「先輩、どうしたんですか?」
『深月ちゃん。まだ学校いる?』
「いますけど」
『あっ、よかった。これから部活の用事で新城高校に行くんだけど、深月ちゃん、予定なかったら一緒に来てくれない?』
「今からですか?えっと……」
押切さんが『どうぞ、どうぞ』と
「大丈夫です。昇降口で待ってればいいですか?」
『オッケー。私も準備できたらすぐ行くから。それじゃ!』
通話が切れた。
「急にごめんね」
「いえいえ!大丈夫です。私も行ったほうが良いんですかね……?」
「うーん……。それだったら全員にメッセージしてるはずだから大丈夫だと思うよ。そうだ。久我崎さんも勉強できるほうだって言っていたから、聞いてみたら?」
「あっ、そうなんですね。連絡してみようかな……。まだ、学校いるのかな?」
スマホを開いて久我崎さんに連絡を取ろうとしている押切さんに「じゃあ、行ってくるね」と軽く手を振って、私は教室を後にした。
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