から回る心

 誰もいない校舎裏。先輩と誘われて二人きり。私には人前で言えない用事があって、それに優しく答えてくれた先輩。

 これが恋物語ならこんな私でもときめいてしまうかもしれないんだけど、この状況を例えるならサスペンス前半のそこそこ大事なシーンってところかな。


「それでさ。話ってなに?」

「藤堂さんとどんなことを話したのか、気になって」

「ふぅーん……」


 私を値踏みするように見下ろした先輩は口の端を吊り上げて、


「それ、あんたに言う必要あるの?」


 意地悪そうにそう言った。


 そりゃそうだよね、とわかっていたことを内心でつぶやく。だったら、こっちから切り込んでみるしかない。


「あの動画を広めた人たちのことを知りませんか?」

「なんで私が?知るわけないでしょ」

「じゃあ、作った人は?」

「……はぁ?」

「フェイク動画っていうんですよね。あたかも本当にあったように、本物のように作られた動画のこと」

「あんたはあれが偽物の動画だって思ったの?」

「藤堂さんはああいうことをする人じゃないです。真面目で優しくて……。それに、ちゃんと付き合っている人だっているのに」

「そう見えて実は結構ひどい女だったんじゃない?」

「そんなことっ!」

「とにかく、私は何にも関係ないし、知らない」

「でも、本当は……!」


 私はハッとして目線を下に逸らして、口をぎゅっと閉じる。興奮して勢いあまって口に出してしまいそうになってしまった。その言葉は言っちゃいけない。いくら目の前の先輩が憎たらしくても、疑わしいと思っていても、勝手な憶測で『あなたがやった』なんて言葉をぶつけるのは絶対にダメ。


「なんか言いたいことあるんじゃないの?」

「……ありません」

「あっそう。それなら私はもう行くから」


 落ち込む私とすれ違う瞬間、ぼそっと先輩がつぶやいた。


「あんたさ。藤堂に謝っといたほうがいいよ」


 夏なのに腕のあたりがぞっとするような冷たい感覚。私は顔を上げるのが怖くなってしまって、去っていく先輩に目を向けることができなかった。



―――――



 私は学校内を駆け巡って、いろんな部活に話を聞きに行った。映像研究会、パソコン部、動画投稿研究会、放送部、写真部、演劇部。写真や映像に関係しそうな部活からあの動画について何か知らないか聞いて回った。


「知らない」

「わからない」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「うちらがやったって思ってるの?」


 何かひとつでも糸口を見つけたい。私にできることをしてあげたい。その想いで声をかける。返ってくる言葉は理想通りじゃなくて想像通りのものばかり。

 ちくり、ちくり。ずぶり、ずぶり。

 扉を開けるたび、誰かに話しかけるたび、最初は小さな針だったものが鋭くとがったナイフになって胸のあたりに突き刺さる。心の外側は痛くてぼろぼろ削れるけれど、中身はだいぶ麻痺してきた。もういっそのこと全部の部活を回ってみる?それとも生徒全員に聞いてみる?そうしたら、なにか、なにか一つくらい……。

 私は部室を出て、また次の部活へ向かおうとして、



「朱鷺乃さんっ!!」


 誰かに右手を思いっきり引っ張られた。歩き出そうと宙に少し浮いた左足が行き場を失いそうになる。ぐっと踏ん張って転びそうになるのを堪えて、引っ張られた方向を向く。

 両手で私の手を握る押切さんと、その隣でこっちを見ている久我崎さんがいた。


「二人とも、どうして……?」


 まだ、下校のチャイムは鳴ってない。二人とも部活をしている時間なのに。


「久我崎さんから話を聞いて、ずっと朱鷺乃さんを探してたんです」

「部活に来るのが遅いと思って二人であちこち探していたら、テニス部の子が『水泳部の人がまた来た』って言ってたので……。そうしたら、今度は違う部活から出てくるじゃないですか。どういうこと?って思いましたよ」

「今まで……何していたんですか?」


 押切さんの額や頬から汗が線になって垂れていって、真っ白な制服に小さな跡を残していた。私を右手を包む手のひらは強い熱を帯びている。私たち以外に人気ひとけのない廊下に少し苦しそうな息遣いが響く。

 私は観念して二人にこれまでのことを説明した。



「じゃあ、朱鷺乃さんも今までずっと探していたんですよね?藤堂さんが何もしていないことを証明するための何かを」


 ぎゅうっと右手が強く握られる。ちょっと痛い。


「なんで私にも相談してくれなかったんですか。なんで一人でなんとかしようと思ったんですか」


 それ以上に胸が痛くて、それよりも語気を必死に弱めようとしている押切さんの心が痛そうに見えて、


「……ごめん」


 私はそれしか言えなかった。


「私も藤堂さんを信じています。だから、藤堂さんが嫌な思いをするのはおかしいと思います。でも、それをなんとかするために朱鷺乃さんが嫌な思いをするのは絶対にダメです」


 まっすぐ私を向いた瞳は悲しそうだった。


「とにかく、今日はもうやめましょう」

「うん……そうするよ」


 あてもなくただ垂れていた左手を押切さんの手にかぶせる。


「そうだ。これから3人で何か食べに行きましょう。本当は藤堂さんも誘いたいですけど、ずっと電話も出てくれないので……。今だけは3人だけで」

「でも、部活は?」

「後で『サボります』って連絡しておきます」

「押切さんがサボりって、なんかイメージと違うね」

「そう……ですか?」

「そういうのは良くないです、とか言いそうで」

「それじゃあ、これからはもう少し私のこと知ってもらわないと、ですね。そうしたら、教室でももう少し話しかけてもらえるかもしれないので」

「……そんなこと気にしてたの?」

「あ、いや……それは、その……」

「二人とも。そろそろその温かい友情シーンもお互いに恥ずかしくなってくる頃合いだと思うので、離したほうがいいと思いますよ。その手」


 私と押切さんはぎゅっと握りあった手を見て、二人して勢いよく外した。

 これは……私たち、な、なんて恥ずかしいことを……!


 同じことを心の中で叫んでいたのか、押切さんの顔はパニックと恥ずかしさで頬は赤くなって、視点はあちこちさまよっていた。その様子がかわいいのがちょっとずるい。


 はぁ……、っと胸の中に溜まっていた空気を吐き出す。空しく音を響かせながら、ずっとから回っていた歯車が落ち着きを取り戻して動きを止めた音がした。

 ごめんね、私。今日はもう休むことにするよ。

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