気がかりなこと

「じゃあ、もう行くね。ありがとう、空」


 昼休みも後10分くらいで終わりそうなので、お茶の残りを飲み干して空に手渡す。


「そうだ。もう一つ。これは藤堂さんのこととは直接の関係はないんですが、水泳部が10年前に休部状態になったのは、部員が問題を起こしたからだそうです」

「どんな問題だったの?」

「その話を聞けた子も先輩からそこまでしか聞かされなかったんです。その先輩もどこまで知っていたのかはわからないですけど、上級生や先生だったら知っている人はいそうですね」

「香原先輩なら知ってるかな……」


 副会長が水泳部を気にしていたり、どこか厄介に思われている感じがするのはそれのせいかもしれない。でも、10年も前のことだし、無理に知らなくてもいいことか。この学校の部活は面子とか品格みたいなものを気にしすぎていると思う。だからといって、私たちまでそれに引きずられる必要はないはずだ。


―――――

 


 図書準備室で空からいろんな話を聞いた私は自分の教室に戻ろうとしていた。職員室の前に差し掛かったところで、ガラッと職員室の扉が勢いよく開く。磯部先生だ。ただ、なんだか憤慨している様子で目つきがちょっと怖い。


「先生」

「あっ、朱鷺乃さん……」


 先生が私に気づくと同時に、くしゃっと音がした。先生がの右手が不自然に腰の後ろへ隠れている。私が反射的にその隠れた部分を見つめていると、先生も同じ方向に視線を向ける。


「何かあったんですか?その……」

「あぁ……これのことよね」


 先生が右手に隠し持っていたものを見せてくれた。二つに折りたたまれた紙は強く握り締められ、少し潰れてしまっている。しわだらけになった紙を開くとそれは香原先輩が作っていた部活勧誘のポスター。校内の掲示板にほかの部活と同じように貼っていて、破られていたり、いたずら書きがされていた。


「ひどい……」

「ほかの先生たちにも相談して注意喚起はしてもらうことになったけど、できてもそこまで、という感じね。さすがに部員の子たちに直接何か嫌がらせをするなんてことは考えたくないけど……朱鷺乃さんはそんなことない?大丈夫?」

「私は大丈夫ですよ」

「そう、良かった……。不安になったり、何かあったら、絶対に相談してね!」


 そう言うと、先生は他の場所のポスターを確認し3階へと上がっていった。その後ろ姿をつい目で追ってしまう。先生は私の視界から見えなくなる直前、大きく肩を落としていた。



―――――



 放課後、押切さんとプールへ向かおうとすると扉の前に久我崎さんがいるのが遠くから見えた。いつもは香原部長が誰よりも早く扉の鍵を受け取って開けているから、まだ来てないのは珍しい。


「今日は久我崎さんが一番?」

「えっ、あぁ……みたいですね」


 久我崎さんは今私たちが来たことに気づいたみたいで、いじっていたスマホから顔を上げて、こちらを確認する。その後、またスマホに顔を向けてから、私たちのほうに向きなおした。


「どうかした?」

「これなんですけど……」


 久我崎さんが私の隣に立って自分のスマホを見せる。よくあるインターネットの掲示板が映っていた。掲示板の名前はうちの高校。しかも、最近書き込まれている内容はイニシャルになっていたけど藤堂さんに対する悪口だとわかるもので、だいたいが援助交際に関することだった。中には中学時代の藤堂さんのことや姉の藤堂先輩のことに触れられているものもある。正直、それが本当なのかは怪しい。


「何かあるだろうと思って覗いてみたら、案の定でした」

「こういうの、はじめて見た。どこの学校でもあるものなの?」

「だいたいありますよ。非公式で、受験生が在校生に質問する場に使われることもありますが、こういうことがメインに書き込まれる掲示板もあります」

「たしか裏サイトっていうんですよね。なんかドラマやネットのニュースで聞いたことあります」


 反対側から眺めていた押切さんが言ったその名称は私も聞いたことがあった。


「まぁ、本名が伏せられていますし、私でもすんなり見つけられたサイトなので本当の意味での裏サイトではないでしょうね」

「どういうこと?」

「本物は実名とそれこそ暴言に近い言葉が飛び交うような場所で、簡単には検索できないような仕組みになっているんです」

「なんか覗くのが怖いですね……」

「好奇心で見つけないことをオススメします。朱鷺乃さんや押切さんみたいな真面目で素直な人が見るには毒が強すぎるんで」

「そうしておく」


 とにかく生徒間での噂が表でもされるくらい、藤堂さんのことは校内で注目されていた。


「私としてはここも十分毒だけどね……」


 学校や先生への愚痴、生徒の噂に恋愛話。久我崎さんから借りたスマホ画面をスクロールすると、あれやこれやと話題が飛び交っている。本当にこれは見ないに越したことはないなと思っていると、ある書き込みを見て私は指を止めてしまった。


「あっ……」

「どうしたんですか?ん……?これは……」


 私の反応をしっかり見ていた久我崎さんが画面の中の掲示板に目を向ける。そこでは藤堂さんから水泳部へ話題が移っていき、誰かが『そういえば、水泳部って昔休部してたらしいけど、なんで?』と質問をしていた。『わからない』とか『部員が少なかったんじゃない?』といった回答や適当な推測が連なる中、誰かが『部員が不祥事起こしたせいなんだって』と書き込んでいた。


「不祥事で休部……学校から活動停止の処分を受けた、というところですかね」

「これ、本当なんですか……?この人だけ断定するように言っていますけど……」

「私も同級生から同じこと聞いた。でも、何をしたかまではその子も知らないって」

「でも、なんであっても私たちには関係ないことですよね」

「そう……ですよね……!」


 私は二人も私と同じ結論に至ったことに少し安心した。


「みんなー、遅れてごめんねー!」


 廊下のほうから香原先輩が小走りでやってくる。それを見た久我崎さんはスマホをしまった。この話はここで終わり、という意味だととらえた私たちは何事もなかったかのようにふるまうことにした。


「あれ?そういえば、華江ちゃんはまだ?」


 そういえば、藤堂さんがまだ来ていない。朝の事を考えるとそれと無関係……ということは考えづらい。


「私が教室を出たときはもういませんでした」

「なにか用事かな。まぁ後で来ると考えて。はいはい、鍵開けるからちょっとどいてねー」


 先輩は特に理由には触れなかった。さすがに朝の一件を知らないということはないだろうから、どうしても不自然な反応に見えてしまう。

 カチャンと扉が開いて、香原先輩と久我崎さんが中に入っていく。二人が入っていたのを確認して、押切さんが私のほうを一瞥する。

 後ろを振り向く。プール棟へ続く長い廊下は音もなく、窓の外から差し込む夏の日差しは誰の影も写していない。


「行こう」


 そう言うと、押切さんは寂しそうに頷いた。


 その日、藤堂さんはプールサイドにやってこなかった。


 

 

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