尽きないクエスチョン

「はーい。15秒休んだらもう一本」

「ぜぇぜぇ……鬼……ですか……。明日はちゃんと、電話出ますから……これくらいで……勘弁を~……」

「ふむ……。少しは反省してるってことかな」

「反省してますよー…」

「じゃ、これ終わったら……」

「やった……!」

「3分休んでもう1セット」

「鬼ですね!」

「2……1……はい、スタート」


 不満を壁にぶつけるように久我崎さんがスタートを切る。隣のコースの淵に腰かけていた私は日差しを防ぐように額に手を当てて彼女の動きを確認する。しなやかに伸びる腕が水面に浮上して、リズムよく水音を立てる。だけど、十数メートルを過ぎたあたりから、テンポが乱れていく。バタ足も弱くなっていて、必死にもがいている感じが伝わる。やっぱり当面の問題は体力だ。

 現状、水泳部の選手候補は3人。そのうち、戦力になるのは藤堂さんと押切さんの2人。せめて、久我崎さんの体力をなんとかしないと。

 夏の六校戦は各種目の1位が8ポイント、2位が7ポイント……となり、全種目の合計得点で順位を争う。各選手は最大3種目まで出場可能。つまり、部員が少ない須江川高校はそれだけ不利。ちなみに、優勝は男子総合と女子総合、そして、男女総合の3つが用意されている。男子部員ゼロなので、私たちが目指せるのは女子総合優勝なわけだけど……絶対無理。参加することに意義がある、くらいの気持ちで考えたほうがいい。

 ……と、私は思っているけど、当の部長はどう思っているのだろうか。たぶん元々は私のことを期待していたんだと思うけど、こんなんだし……。


 なんて考えていて、いつの間にかプールサイドに先輩の姿がないことに気づいた。プールの中にも……いない。勝手に帰ったということはさすがないから、プールの外?

 プールサイドの入り口から誰かの素足がのぞいていた。きっと、香原先輩だ。私は腰を上げて、扉の向こうが見える位置に少し体をずらすと、紺色のスカートがわずかに顔を覗かせた。誰かと話しているんだ。

 すると、ぱしゃっと足元に水がかかった。戻ってきた久我崎さんの荒い息遣いが聞こえる。私は日陰に置いてあったスポーツドリンクを持ってきて久我崎さんの前に差し出すと、勢いよく奪い取ってそのまま口の中に流し込んだ。


「お疲れさま。しばらく休んでていいよ」


 はーい……という力のない返事を聞いて、私は入口のほうに向かった。


 

「これはあくまで私の意見だけど、あの子は水泳部をやめさせるべきだと思うの」


 先輩たちから見えないように扉近くの壁側に立つと、いきなり不穏な言葉が聞こえた。話し声からしてこれは生徒会の副会長だ。


「部長には部員を退部させる権限はないよ。それを言うなら磯部先生に言ってもらえないかな?それに私には華江ちゃんに部活を辞めさせる理由がこれっぽっちも見当たらいなー」

「今日の件もあって、ほかの部活からの当たりがさらに悪くなってるの」

「うちの部活動、みんなピリピリしすぎじゃない?去年はたしか野球部が成績出ていないわりに部費をもらいすぎてるって他のとこからバッシングくらってたよね」

「あれはOBが横槍を入れてきたせい。全く歴史が長いほどOBの圧力が強くて本当困るんだから……」

「優位に立つには自分を上げるより相手を下げたほうが楽だもんね。どこも実力はそこそこあるから、なおさら」

「弱小部活動のあなたがそれを言う?」

「ははっ、ごめんごめん。今はそうだった」

「相変わらず口だけは立つんだからもう……。どこにそんな自信があるのよ。ずば抜けて速い子なんていないじゃない。あなただっててんでダメだし」

「へぇ……各選手の実力まで確認するとは、副会長様は仕事が細かい」

「部員が少ないから自然と目が行っちゃうだけ!」


 この二人、仲が悪そう(副会長が一方的に嫌悪感出してるだけ)に見えて、実は仲が良いタイプだよね。名前で呼んでたし、きっと間違いない。


「じゃあ、もう少し目は肥やしておいたほうがいいかなー」

「どういう意味よ?」

「ふっふっふ。いずれわかるって」

「はぁ……なにふざけてんのよ」


 胸が痛い。

 香原先輩のその自信がふざけているものではないのだとしたら、その期待は私に向けられているものなのだろうか。でも、私にはその期待に沿える自信がない。そもそも期待の矛先が私に向いていると思うこと自体、おこがましく思えてきた。そうだ。きっと、押切さんか藤堂さんだ。二人とも結構筋はいいから、まだまだ伸びると思う。うん。二人にも私が教わったことをもっと伝えてあげよう。


「ねぇ、吹奏楽部に戻ってくる気はないの?」


 突然、副会長の声のトーンが真剣なそれに変わる。


「それは絶対にないよ。私、団体行動苦手だから。それにほら、責任放り投げるやつになんてみんな戻ってきてほしくないって思ってるよ」

「でも、あなた……れ、蓮菜の実力だったら、ちゃんと辞めた理由を説明すればみんな受け入れてくれる!みんな……私を信じてほしいの!」

「ごめんね、青葉。そういう問題じゃないんだ」

「じゃあ、どういう問題なの!?言ってくれないとわかんない!あんなに楽しそうに演奏していた蓮菜が、がんばって練習してソロまで勝ち取った蓮菜が何も言わずに辞めちゃうなんて……。ねぇ、吹奏楽部を辞めてまで蓮菜はこの部活をやりたかったの?だって、昔の話とはいえ、あんなことがあった部活よ!今もいろんな人たちから色眼鏡で見られて、腫物はれものみたいに扱われてる。しかも、また同じようなことで問題になってるのに……どうして!?」


 学校中に鐘の音が響き渡る。部活終了の時間を知らせるチャイム。


「もうこんな時間かー。そろそろ片付けしないと。ほら、副会長もこんなところで油売ってないで、生徒会の仕事に戻った戻った」


 何か声が一音だけしたけど、それは続かなくて。少しの沈黙の後、だんだんと遠ざかっていく足音だけが聞こえた。

 二人の関係と水泳部のこと、あれこれ知りたいことがありすぎて、胸に刺さる小さな棘がそのまま貫いて私を壁に留めつけているように足が動かなかった。

 だから、気が付かなかった。今度は近づいてくる足音があったことに。


 肩と背中に触れる濡れた水着の感触が急に無くなった。


「不届き者は貴様かー!」

「ひゃうんっ!?」


 大声とともにパシンッと背中に痛みが走る。水着の肩紐部分をゴム紐みたいに手で引っ張られ、手を離したときの反動で鞭みたいに水着で体を叩かれてしまった。


「ほら、かわいい声出してないで片付けするよー」

「そ、そんな声、出してなんて……」


 痛恨の一撃によって聞くタイミングを逃してしまった。この先輩はもう……。


「……なんで笑ってるの?」


 目の前には、にやけ顔の久我崎さん。


「なにをしているのかと思って近づいてみたら、思わぬ収穫があったもので、つい。私の練習を放っておいて盗み聞きなんてしているから、罰が当たったんですよ」

「何も否定できない……」


 この同級生も、もう……。


 まだまだ悩みはつきなくて。疑問と不安は増えてくばかり。

 これはもう、とりあえず自分のことは後回しだ。

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